藤枝市にいってきた

 田中城の取材で藤枝市にいってきた。
 田中城は、日本では非常に珍しい円形の縄張りを持つ平城だ。
 残念ながら縄張りの大部分は宅地開発され、遺構はわずかだが、緩いカーブを描く道や水路にその面影が残っている。

 縄張りをぐるぐるとめぐったあと、藤枝市立郷土物館・文学館を訪れた。
 近くには蓮華寺池もあり緑も豊富で非常に環境が良い。
 池端のベンチで本でも読みながら、二三時間すごせれば、いいリフレッシュになるだろう。
 藤枝市郷土博物館と文学館は隣接している(出入り口は別だが、同じ建物かもしれない)。
 文学館のポスターが掲示されていて、それは藤枝静男の展示案内だった。

 藤枝静男は(御存知のように)独特の世界観を持つ文学作品を書いた作家だ。藤枝市出身で、筆名の由来は出身地だ、とどこかで読んだ記憶がある。眼科医でもあり、医院を維持しながら執筆に励んだ。ただし、開業したのも執筆が行われたのも浜松市だ。今回、藤枝文学館で展示されている『一家団欒』の原稿も浜松文芸館の所蔵だ。

 時間があれば、展示を観たかったが、残念ながら、今回は郷土博物館だけで時間切れになった。『作家医師をとりまく世界 ~藤枝静男「一家団欒」から50年~』の展示は、7月10日まで開催されているので、次のチャンスを狙いたい。

 藤枝静男の作品を読むようになったのは、中年になってからだ。それまでは文章のうまい作家だな、とか、変な世界を描くな、とか思う程度だった。『空気頭』という作品があるが、落語の『頭山』みたいなものだろう、と読む前に決めつけていたりした。若気の至りである。お恥ずかしい。
 「私小説」という範疇で紹介されていたことも作品を敬遠していた理由のひとつだ。私が「私小説」を読むようになったのも中年以降だ。二十代に葛西善蔵や嘉村磯多を流し読みして、お腹一杯になったのだ。

 中年になって、私は仏教を知り(僧侶となり)、その縁で藤枝作品を読むようになった。『欣求浄土』という、そのまんまなタイトルの作品もあるが、藤枝作品には仏教の影響が濃い。しかし、仏教的思考・感性だけに惹かれたわけではない。藤枝静男が創出する、突拍子もない(常識を軽々と越えた、破天荒な、けれど、出鱈目ではない、ユニークな)世界に魅了され、どっぷりとはまってしまったのだ。
 生あるものと無機物が交合し融合するような不可思議な世界、支離滅裂の一歩手前(しかし、整合性は担保され、安易に妄想で回収されない)、寂寥、孤独、生死、無常……といったものが、透徹な筆致で描き出される。

 歳を取ったら、腰を据えて、こんな作品を書きたい、と藤枝作品を読んだ中年の私は思ったのだが、そのことを藤枝市郷土博物館・文学館からの帰り、蓮花寺池のほとりを歩きながら思い出した。
 あれから私は歳を取ったが、到底、藤枝作品の高みには手が届かない……。
 そんな思いが湧き上がってきたが、さほど悲しくも寂しくもなかった。夏のような明るい日差しと木々を渡る乾いた風のおかげだろうか、妙にさっぱりとした気分だった。
 歳を取るだけでは足りないなにかを得るには、どうすれば良いのか、私にはわからない。わかっているのは、書き続けなければならない、ということだけだ。書かなければ、なにも生まれてはこない。書いていれば、なにか生み出せるかもしれない。そんな、漠とした期待だけが私を前に進ませるのだろう。