昨日の話になるが、ゼミ生その他の学生と芸工大にある日本画コースの展示を見に行った(ちなみに5月21日の土曜までやっている)。
ここは芸大なので「進級課題」という作品が存在する。つまり、その作品を完成させないと、次の学年に進級できないという性質のものだ。考えてみれば恐ろしい話だ。芸術作品なんてある意味、気分次第のところもあるはずなのに、芸大生は進級したり卒業するためには、いちいち作品を完成させなければならないのだ。
昨日みたのは「それぞれの山形」というタイトルの展示である。自分にとっての山形を日本画で表現するというものである。おそらく、このお題をどのように解釈して表現するのかが、評価の基準となるのだろう。
◉水島遵乃「仮面の街」
そのなかで、まず目を引かれたのは、水島遵乃「仮面の街」という作品だ。描かれているのは駅の自動改札と、その向こう側である。自分にとっての「山形」は、そのくらいの意味しか持っていないということだろう。自分たちにとっての山形、という課題の持っている「物語の重力」をヒラリとかわしている。おそらく作者は、賢くて正直で素敵な人なのだろう。
だがそれ以上に、この作品は妙な迫力を持っている。駅の改札なのに、まったく人間が登場してこないのもあるが、この自動改札に異様な存在感をおぼえるのだ。この絵を長時間みつづけていると、アタマがおかしくなって、さらに長時間みいってしまうような気分になる。ただの自動改札が「モノリス」レベルの自己主張をしているようである。
◉天羽和泉「雪わたり」
おもわず見入ってしまうという意味では、天羽和泉「雪わたり」も負けていない。雪がつもっている大地に傘をさした女性が立っていて、こちらをふり向いている、という絵である。この女性の目がやばい。やばすぎる。ただの絵画なのに、金縛りにあったように視線が外せなくなる。
目の存在感と、女性の脚の存在感のなさとが相まって、まるで幽霊のようにもみえるのだが、この絵は、幽霊のような「概念」よりも、はるかに怖い何かを持っている。おそらくそれは「絵そのものがこちらを向いている」という感覚だと思う。絵画をみるというのは、思った以上に恐ろしくて生々しいものだということを思い知らされる作品だった。