先日、大学の図書館より「教員それぞれが感銘を受けた作品の紹介文をつけて展示する」ので、何か書くようにという連絡がきた。実は私は誰かに作品を薦めることや紹介することが苦手である。その理由として感銘を受けることや心に残るということを精緻に考えれば考えるほど、有機的につながっているものであって一つの作品のみで切り取ることなど無理なのではないだろうかという疑問がぬぐい取れないからである。小学生のときに何度も読んだ北杜夫の自伝的小説『楡家の人びと』や友野詳のライトノベル作品『コクーン・ワールド』というように、ただ読んだだけなら硬軟関係なくいくらでも紹介することはできる。しかし、それが果たして私の人間形成にどこまで影響を与えたのかというのは非常に難しい問題である。もしかしたら『夜と霧の隅で』の脳みその描写かもしれないし、『怪盗ジバコ』シリーズの喜劇風味に影響を受けたのかもしれない。『ロードス島戦記』シリーズも何度も読んだし、あのとき買っていた『ゴクドーくん漫遊記』の印税は作者に豪遊費として使われていたことを後年知ったときは何とも言えない気分になったものである。小学生が買った本の印税である。
諸々逡巡してしまうもう一つの理由は誰かに紹介されることなく、自分で探して読んだ方が面白いという経験からくる疑問である。大学生のときなど暇すぎて年間数百冊の本を読んでいたが、それでも足りなかったと思っている。速読を身につけて、年間数千冊を読むべきであった。とはいえ大学院生ぐらいになったときは、複数の読書手法を同時並行で行えるようになったので、比較的多くのものを読めるようになってはいた。それはさておき、図書館にある本を右から左に読んでいけばいい。『スレイヤーズ』で獣神官ゼロスが指一本を右から左に振るだけで数百もいるドラゴンを倒していたように、とりあえず手に取ったものを読んでいくと楽しいのではないだろうか。
そして紹介文を書くテンションが一気に下がってしまった最大の理由は、漫画はNGという点である。もちろん図書館として漫画は置かないというのは仕方のないことであろう。とはいえ、個人的には小説より漫画を読んできた量が多いので、影響の割合的には漫画のほうが大きい。しかも、この10月からは漫画ゼミをスタートしたので、すでに大学内で学生たちと漫画を読んでいるのだ。通常のゼミが終わったあとに希望者と一緒に毎回ゼミ活動を行っている。やっていることは漫画制作を希望している学生はネーム指導・講評をし、それ以外は漫画作品を講読している。本当は月に一回ぐらい、ゆるゆるでやっていくつもりだったが、なぜか毎週やっている。毎週、漫画について喋ってしまっていて時間が足りない。漫画は物語やら世界観やらという中身の問題だけではなく、カメラワークやコマ割りという描き方の問題も含めて複合的に考えていく必要のある媒体である。喋ることは非常に多い(という理由もあるが、実は単に漫画について喋っているのが楽しい)。これまで読んだのは冨樫義博の『幽遊白書』、『HUNTER×HUNTER』、米代恭の『あげくの果てのカノン』になる。ゼミでは何だかいろいろと喋ったが、ここに書くのは面倒なので、そのうち直接聞いて欲しい。前回は漫画家の芳村梨絵さんと編集者の東原寛明さんをお招きして特別講演および公開講評をしていただいた。次回は九井諒子の『ダンジョン飯』を講読する予定なので各自読んでくるように。
ちなみに紹介文はどうしようかと考えているうちに締切が過ぎてしまったことをここに付記しておく。
BGM:keno「おはよう」