昨年の12月に、アイスランドの作家ラグナル・ヨナソンの『闇という名の娘』(小学館文庫)が出た。海外ミステリの主流になっている北欧ミステリの新刊で、嬉しいことに文庫の解説を担当することができた。小説の出来も素晴らしくて、書評もたくさん出ているし、ネットで検索かけても評判は上々である。とくに異色の構成をとる三部作の第一弾ということで、読み終えた読者たちはみな、シリーズ第二作はどういう展開なのだ? という期待を抱いている。
第二弾は翻訳を待つとして、今回の第一弾の文庫解説に関してはオリジナル・ロングバージョンがある。文庫本に掲載されたものは原稿用紙8枚で、ロングバージョンは10枚。たった2枚多いだけだが、内容はいささか違う。正直にいうなら、ロングバージョンのほうが、僕が解説で述べている「私小説」の特徴が強く打ち出されていて、ミステリファン以外の人にアピールするのではないかと思う。ただ、読み返すと、ちょっと趣味的かなと思って、引用箇所をけずり、従来のミステリファンにむけた解説に軌道修正した。
でも、評判を耳にするにつれて、もっと伝えたい思いが強まり、オリジナル・ロングバージョンの解説に心残りもあるので、小学館文庫編集部の了解のもと、以下に、ロングバージョンを張り付けたいと思う。参考にしていただけるとありがたいです。そして未読の人が、面白そうだと思って手にとってくれたら、もっと嬉しい。
なお、余談になるが、1月26日、山形小説家・ライター講座の講師として来形してくれた文芸評論家の川本三郎さんに進呈したのが、このラグナル・ヨナソンの『闇という名の娘』だった。日本の私小説や古い映画に理解のある川本さんなら絶対に気にいってくれるだろうと思っているのだが、果たしてどうか。気にいっていただけたら、「東京人」の連載でとりあげていただけるだろう。
■ラグナル・ヨナソン『闇という名の娘』(小学館文庫)解説※オリジナル・ロングバージョン
読み始めてすぐに、これは当たりだと思った。これはいい作品に違いない、少なくとも僕の好みにあうに違いないと思った。読み進めていって、すぐにそれを実感できた。ミステリというよりも私小説の味わいに近いからである。日本の私小説を好んで読んできた僕には、フルダという女性捜査官が至るところで寄せる人生観照がまさに日本の私小説を想起させて、しみじみとした物思いにふけらさせるからである。
記憶に残っている夏はもっと暖かくて、明るくて、日差しが降り注いでいた。そう、記憶ならたくさんある。ありすぎるくらいに。信じられないが、もうすぐ六十五歳になる。六十代も半分過ぎて、七十代が遠からぬ先に見えはじめているなんて嘘のようだ。(20頁)
そう、主人公は六十四歳の女性捜査官だ。作家として六十過ぎの人間を主人公にするのは勇気がいる。広範な読者を掴むことができないからで、編集者はまず、それはやめましょうと提案するほどなのだが、ヨナソンはあえてそれに挑戦した。自分よりもはるか年上のヒロインを設定して、私小説的な装いをもたせてミステリに仕立てた。でもこれがいい。ふともらす感慨にひきつけられてしまう。
時間は飛ぶように過ぎていった。結婚したのも、母親になったのも、ついこのあいだのことのようだが、数えてみると、遠い昔だったことに気づく。時間というのはアコーディオンの蛇腹みたいに、伸びたり、縮んだりするものかもしれない。(22頁)
わかるなあと思う。年をとると驚くほど時間の過ぎ去るのが早い。それをアコーディオンの蛇腹みたいに伸びたり、縮んだりするとたとえて、振り返る時間の長さを読者に印象づける。経験と洞察にとんでいることをさりげなく伝えている。
作者のヨナソンは、二十代の警官アリ=ソウル・シリーズで、アイスランドのみならず世界的な人気を博している。日本でも『雪盲』『極夜の警官』『白夜の警官』と翻訳された(シリーズは五冊)。『雪盲』が上梓されたとき、長年連載している「週刊文春」のミステリ・レビューでとりあげて、関係者たちが抱える闇の重さに注目したし、『白夜の警官』の小島秀夫さんの熱き解説にあるように、アリ=ソウル・シリーズは、北欧ミステリの現代性と普遍性を凝縮したような連作で読み応えがある。でも(その新鮮な魅力を認めつつも)個人的なことをいうなら、主人公が若すぎる印象は否めない。迷い多き青春のただなかにいるアリ=ソウルの視点は瑞々しく、世界の震えをしかと見すえているけれど、六十歳を過ぎた僕には青春を懐古するような気分に近いものがあった。
だから、本書『闇という名の娘』の主人公には親しみを覚える。夫を心臓の病気で失い、長らく一人で生活してきたが、ようやくここにきて七十歳近い元医師と知り合う。元医師もまた配偶者を病で失っている。だが恋愛ではない。そこまで至っていない。
ピエートゥルは医者だ。六十歳のときに、妻が病に倒れて早期退職したという。詳しい話は聞いていないが、看取るまで、何年かいい時間を過ごせたらしい。この話を聞いて、この人となら一緒に前に進めると思った。彼に深い悲しみを思い出させたくはなかった。そして、彼ならフルダの古傷に触れずにいてくれるのではないかと思っている。(70頁)
“看取るまで、何年かいい時間を過ごせたらしい”という見方にはっとする。看取ることは苦しいし、辛いことなのに、でも“何年かいい時間を過ごせたらしい”と考える。愛しい人間との残された時間を意識しての暮らしは、外側から見れば決して“いい時間”ではないはずなのに、お互いに向き合った穏やかで充実した日々は、思い返せば、“いい時間”といえるのかもしれない。でも、“深い悲しみを思い出させたくはなかった”、そして“フルダの古傷に触れずにいて”ほしかった。これは何だろう。あたかも“深い悲しみ”にみちた“古傷”があるということだろうか。
彼のことは好きだし、彼となら老後の生活も容易に想像がつく。これは愛ではない--愛がどんなものかも忘れてしまったが、それは必要不可欠な条件ではない。彼とは山歩きというすばらしい趣味を共有している。これは重要だ。だから一緒にいると楽しい」(22頁)
大事なのは、“これは愛ではない”というくだりだろう。“(愛など)必要不可欠な条件ではない”という老年の諦念に近い思いが親しい。分別をもった充分に大人同士のつきあいなのである。主人公の女性刑事フルダにとっては男性との関係よりも仕事の方が重い。だが、その仕事もあともうすこし。六十五歳での定年退職が近づいているからだが、もっと残念なのは、上司が勝手に後任の若手刑事をきめて、デスクの明け渡しを要求したことだろう。早期退職を迫り、彼女はそれを受け入れて、未解決の事件をひとつだけ担当する、というのが発端である。
それは一年前に起きたロシア人女性の溺死事件だった。被害者の名前はエレーナ。ロシア人の難民申請者で、アイスランドに来て四カ月目のことだった。
アイスランドは世界でも最も安全な国のひとつに数えられ、殺人事件は年に二件くらいしか起きないばかりか、一件も起きない年もあった。これも単なる事故死に思われたが、事件を担当した同僚刑事への不信があった。調べていくと同僚刑事の意図的な怠慢、すなわち捜査の放棄が疑われた。案の定、フルダが調べていくと、エレーナが売春婦としてアイスランドに来たのではないかという疑いが出てくるが、そればかりではなかった。いったいエレーナの身に何が起きたのか。
物語は、このフルダの探索行と並行して、シングルマザーの不安と失意の日々、男と女が遠出する話が描かれていく。シングルマザーが誰で、男と女が誰で、どういうつながりがあって、どのような局面を迎えるのかは明らかにしない。ひとつだけはっきりいえるのは、(冒頭に書いたことの繰り返しになるが)本書はミステリではあるけれど、同時に女性刑事の私小説の趣があることだろう。冒頭に紹介したように、フルダの生活が詳しく描かれる。たまたま主人公が刑事で、仕事がら未解決の事件を担当するけれど、中心となるのは、主人公が何を考え、どのように日々を送っているかである。
もちろん繰り返すが、作者はミステリ作家、それも北欧ミステリの牽引者(さきほど紹介した二十代の警官アリ=ソウル・シリーズは海外で翻訳され各ミステリ賞の候補にもなっている)でもあるので、並行する三つの視点を劇的につなげて興奮を覚える展開にしている(それは警官アリ=ソウル・シリーズでもおなじみだ)。それでも、読み所は、事件の解明と真相に重きを置くのではなく、少しずつ明らかになっていくフルダの人生そのものである。
たとえば、フルダがワインを口に含みながら、グラスを見つめていると「心の深淵の闇からゆっくりと浮かび上がってくる」(81頁)ものがあるとか、過去の忌まわしい記憶があり、「何か違ったやり方もあったはずだという後悔と罪悪感」(110頁)を覚えるとか、自分のことを「人生の難破船」(267頁)とよんだりする。冒頭でさりげなく語られる“古傷”でもある。警察の仕事につき、それなりの成果をあげてきたにもかかわらず、私生活では不幸の連続であり、もうすぐ六十五歳になろうとしているいま、もういちど「周囲の世界が崩れ落ちていく」(259頁)のを見ることになるのである。それが具体的にどういうことかは読んでほしいが、終盤の驚きの事件展開と、フルダ自身の心の闇が明らかになる過程は、なかなかスリリングである。
本書『闇という名の娘』を読み終えた読者には驚くべきことだが、フルダを主人公にした作品はあと二作ある。女性刑事フルダ・シリーズ(アイスランドでは“ヒドゥン・シリーズ”とよばれている)は三部作なのである。第二作「THE ISLAND」は時間をさかのぼり、五十代のフルダの活躍が描かれ、第三作「THE MIST」では四十代へとさかのぼっていくという。周到に練られた三部作なのだろう。訳者の吉田薫氏によると、二作目「THE ISLAND」は、本国ではヨナソン作品のなかでもっとも評価が高いとか。大いなる期待とともに第二作の翻訳を待ちたいと思う。