文芸論5と文献リスト(2020年度)

2020年度後期の文芸論5はコロナ禍のなか完全オンラインで行われた。途中、大学のWi-Fiの調子が悪くなり、自宅からの講義となってしまった……のが後に思い出になると良いのだが。

授業内容としては毎年のようにまずは批評や学術研究の文章になれること、次のステップとして様々な考え方(理論や方法論など)があるのに触れることを目的としている。そしてただ受講するだけではなく、文芸学科の授業なので最後に自ら書いてみるという流れである。

1:堀野正人「メディアとしての都市の演出空間」(遠藤英樹・松本健太郎『空間とメディア』ナカニシヤ出版、2015年)

初回は都市空間の話をしていた。山形市という都市空間に存在するという点はもちろん加味しているが、それだけではなく都市的なものに我々はそれなりに接しているのではないか。と思い、取り上げたのであった。

2:岡本健「多様な「空間」をめぐる多彩な「移動」 ポスト情報観光論への旅」(岡本健・松井広志『ポスト情報メディア論』ナカニシヤ出版、2018年)

コロナ禍で物理的な移動を見つめなおす機会が増えたと思うが、それだけではなく物理的ではない移動も目を向けなければならないのかもしれない。

3:西兼志「〈キャラ〉と〈アイドル〉/拡張されたリアリティ」(『アイドル/メディア論講義』東京大学出版会、2017年)

アイドルの話というよりはキャラクター論に終始した授業となった。とはいえキャラクターをめぐる議論は創作だけに関わるものではなく、アイドルはもちろんのこと、我々の日々の生活にも入り込んでいる。

4:香月孝史「アイドルが「演じる」とは何か」(『乃木坂46のドラマトゥルギー 演じる身体/フィクション/静かな成熟』青弓社、2020年)

そして乃木坂46という具体例を検討してみたのである。乃木坂の活動はバナナムーンゴールドで零れ落ちる情報しか接していないので(要はほぼ知らない)、乃木坂の活動内容を含めて、考えさせられていた。

5:松井広志「〈複合的メディア〉としてのゲーム:TRPGをめぐる人・モノ・場所から考える」(岡本健・松井広志『ポスト情報メディア論』ナカニシヤ出版、2018年)

ここからゲーム研究へと移行する。TRPGは思いのほか学生にも人気があり、逆に受講生の皆さんが自らの遊んだゲームやプレイ動画を教えてくれることになった。

6:榊祐一「物語としてのゲーム/テレプレゼンスとしてのゲーム――『バイオハザード』を例として」(押野武志『日本サブカルチャーを読む ― 銀河鉄道の夜からAKB48まで』北海道大学出版会、2015年)

デジタルゲームの研究も取り上げてみた。『バイオハザード』をプレイしている学生はさすがに少ない印象ではあったが、映画の影響か作品自体の認知度は非常に高く、その点は驚いた。

7:三宅陽一郎「デジタルゲームの地図をめぐって」(『ユリイカ』52-7、2020年)

地図研究は地理学などにおさまらない学際的な分野だと思う。地図的な現象は、我々の生活にも、そしてゲーム空間にも存在し、それをどう認識しているのか、どう考えるのかが問われている。

8:久米依子「少女小説の困難とBLの底力」(大橋崇行・山中智省『小説の生存戦略 ライトノベル・メディア・ジェンダー』青弓社、2020年)

さてここから話がまた違う方向になる。少女小説とBL小説を端的に比較しており、ある意味、著者の思考を把握できる論考であった。

9:相田美穂「腐女子とオタクの欲望/身体/性」(金井淑子『身体とアイデンティティ・トラブル』明石書店、2008年)

10年以上前の論考なので、現在と状況がそれなりに違っている。その点を含めて、歴史的な意味を踏まえて考察するには面白い内容であった。

10:石原千秋「語り手という代理人」(『読者はどこにいるのか 書物の中の私たち』河出書房新社、2009年)

ここから文芸学科らしく文学理論に寄せていった内容になる。語り手の問題は学生の皆さんが毎年、批評のレポートに書いてくるので、それなら取り上げようと思った次第である。

11:小池隆太「物構造論からみる宮崎駿監督作品」(岡本健・田島悠来『メディアコンテンツスタディーズ』ナカニシヤ出版、2020年)

物語構造の話も文芸学科の必修で取り上げているので、学科の学生には復習となる。この論考は宮崎駿監督作品を取り上げており、受講生には把握しやすかったように見えた。

12:山中智省「遍在するメディアと広がる物語世界――メディア論的視座からのアプローチ」(大橋崇行・山中智省『小説の生存戦略 ライトノベル・メディア・ジェンダー』青弓社、2020年)

では現在の小説をめぐる状況はどうなのかを考えてみた。メディアミックスやアダプテーションをめぐる状況は、さまざまな作品で見られるので、考えるべきポイントであろう。

13:中村三春「宮崎駿監督映画における戦争の表象—『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』まで」(西田谷洋『文学研究から現代日本の批評を考える』ひつじ書房、2017年)

ここからは具体的な作品やクリエーターにフォーカスした論考を読んでいく。宮崎駿監督作品は受講生も接したことがあり、取り上げやすいのだが、それもいつまで続くか……と思いながら毎年取り上げている。

14:畠山宗明「中味のない風景 新海誠と風景の「北関東性」をめぐって」(『ユリイカ』48-13、2016年)

新海作品はよく「背景や風景がきれい」と言われるし、学生のレポートでも書かれるので、それではと思い、取り上げた論考になる。

15:受講生により最終課題講評会

というわけで14回分、さまざまな論考を読んだので、今度は皆さんが書いてみようとなる。

〇過去の文芸論5
文芸論5と文献リスト(2017年度)
文芸論5と文献リスト(2018年度)
文芸論5と文献リスト(2019年度)

『MONSTER』と深夜バスと『怪物事変』

高校生のときに読んだ浦沢直樹さんの『MONSTER』に「砂糖の味を忘れればいい」というセリフがある。殺しのターゲットである男性がコーヒーに角砂糖を五つ入れるのを殺し屋が見てしまい、「美味しいわけないだろう」と興味を示してしまったがゆえに、ターゲットを殺せなくなってしまったというエピソードである。個人的にはいつも飲んでいるカフェオレは無糖で、研究室で飲むのも同じく砂糖を入れないのだが、授業や会議を頑張らねばと思うときは微糖の缶コーヒーを買っている。微糖と言いながら甘いので、その甘味とカフェインで「頭がよくなる気がする」と『よつばと!』のとーちゃんのようなリアクションをしているのだ。悦に浸っているともいう。せいぜいそのぐらいなので確かに角砂糖を五つ入れるのに対して、疑問を持つのは理解できる。とはいえ缶コーヒーの微糖は角砂糖でいうと、何個分なのかすら知らないので、まあ、五個も尽力すれば飲めるのかもしれない。

そういうことを20年ぶりに乗車した夜行バスの中で考えていた。大学生のときの帰省以来ではあるが、最近のバスはどこまで進化したのかという好奇心からの乗車ではなく、地震で交通機関の利用が制限されてしまったからである。先日の地震により新幹線が不通となってしまったため、選択肢が「山形から夜行バス」、「仙台まで移動し在来線(もしくは夜行バス)」、「新潟までバスで移動し新幹線」の3つになってしまい、近郊から夜行バスに乗車するのを選んだのだ(もっと選択肢はあるだろうとは思うけれども)。どうせ眠れないだろうと思ってはいたが、そうは言うものの目をつむれば気づいたらバスタ新宿にいるのではという淡い期待もしていた。淡すぎた。

結局、スマホのradikoでTBSラジオとニッポン放送をザッピングしながら、kindleで『魔法使いの印刷所』(もちんち・深山靖宙)や『怪物事変』(藍本松)、『ざつ旅』(石坂ケンタ)を読み、疲れたらスマホでテクテクライフをしていた。その意味では20年前より遊べるものが増えているため、以前のように所在なく暗闇の中で考えごとをするのはなくなったのは確かである。しかし相変わらず夜行バスは狭いままであった。『ざつ旅』はコロナ禍の影響下の物語が描かれ、『魔法使いの印刷所』ではコミケを模したマジケが中止となっている。夜行バスのなかでマスクをしたまま読んでいると、口の周辺が覆われているからか漠然とした不安に襲われてしまう。ぐっと目を閉じていてみても眠れるわけでもないので、ふたたび読書に取り組むしかない。『怪物事変』が面白いのは、主人公の価値観がなぜか画一的で、人間的な文化圏を背景にしていない直截的な判断を下し続ける点である。ほかの登場人物は人間社会に入り込んでいるから主人公とは違うと解釈しようにも「本質的に考えると人間社会に溶け込みすぎでは?」という人物もいるので、結局、主人公の特性なのであろう。その彼が自らと他者とを少しずつ区別するようになる契機が、自らが絡んで引き起こした出来事の影響だけではなく、仲間に関わるイベントでも変化を示している。

自己と他者、集団と社会という認識は、この作品の中でジャンプ的なコードに乗せられて描かれている。主要メンバーに焦点を当てたイベントを連続させ、彼らの物語を描き、 新しいステージに立つとレベルアップのためのイベントも引き起こす。そして登場人物が増えてくると全員を同じ場所で描くと混雑するのでキャラクターの出し入れもうまく回している。非常にわかりやすく手順を踏んで物語を目の前に出してくれるため、バスの中で安心して読めるのだ。その主人公の自我の芽生えと変化により、自己と他者の区別というよりは自己と集団化へのフェイズに少しずつ展開している。自己と所属する集団(この作品でいうと仲間)への認識について、「おはようございます」というラジオパーソナリティからの挨拶が右から左に通り過ぎていくほど動かない頭で思いはせていた。その際、頭の中で浮かんでいたのが、前述の『MONSTER』のセリフである。他者の文化的背景が認識できるようになってしまうと、自己のみで完結していた認識の中に他者が入り込んでしまう。その他者性により機械的に干渉することができなくなる。その過程は『MONSTER』ほどでないにせよ、緩やかに『怪物事変』でも描かれており、物語の普遍性と夜行バス内の見知らぬ人々の文化的背景について考え込んでいた。しかしバスタ新宿で降りるのは私を含め数名で、予想以上に多くの人々が終点のディズニーランドまで乗っていくとは思いも及ばなかったのである。

冬のストーリー創作オンライン講座がはじまっています。

【2月24日追記】講評会への参加申込が始まっています。講評を申し込んだ人だけではなく、ただ視聴したいだけの方の参加申込も受け付けております。興味ある方は、こちらのサイトからぜひどうぞ!

 

例年は対面で行っている「冬のストーリー創作講座」ですが、今年は「冬のストーリー創作オンライン講座」として開催されております。

普段は前半で玉井が喋ったあと、何か作品を配布して読んでいただき、それを踏まえたうえで解説し、シートに記入してもらいつつ昼休みに突入。午後になって皆さんが書き上げたプロットを講評していくという流れでした。今回はオンラインであげている動画(その1)を見ていただき、指定した作品を読んでいただき(ネット上で無料で読める作品)、後半の動画(その2)を見る。そしてプロット用のシートをダウンロードしていただき、記入し、指定されたアドレスへ送信し、2月27日のオンライン講評会に参加するという流れです。ボブ・ロス風に言えば「簡単でしょ」です。

詳細は下記のサイトよりご確認ください。

【2/25まで創作シート受付中】高校生対象!冬のストーリー創作オンライン講座

なお動画の公開期間は2月6日(土)から2月14日(日)までになります。ご注意ください(公開終了しました! 多くの皆さんの視聴ありがとうございました!)。

今回の応募条件は「本や漫画を読んだり映画やアニメを観たりするのが好き、物語を空想することが好きな高校生!」となっております。自称高校生の方は動画視聴は可能なので、ご覧いただき、ご自身でチャレンジしてください。今回の講評会への応募はできませんが、一歩を踏み出すのに年齢も所属も関係ありません。

文芸学科の卒業制作展(2020年度)が始まっております。

2月9日(火)から2月14日(日)まで卒業制作展が開催されております。今年度はコロナ禍の状況により、一般来場は9日(火)・10日(水)のみになっております。11日(木)から14日(日)は関係者のみの来場となっております(卒業生は関係者ではありません)。

詳細はこちらの卒展サイトでご確認ください。

https://www.tuad.ac.jp/sotsuten/index.html

今年も文芸学科は図書館2階で展示しております。わかりにくい場所ですが、ぜひお越しください。学生が運営している文芸学科卒展のInstagramtwitterもご確認ください。

 

 

また例年は対面で行っている講評会はyoutubeにアップしておりますので、こちらをご覧ください。

  • 【文芸学科】優秀賞講評会

  • 【文芸学科】現代文学部門賞講評会

  • 【文芸学科】エンターテインメント部門賞講評会

  • 【文芸学科】編集制作物部門賞講評会

そのほか学生を交えた座談会も公開しております。

  • 【文芸学科】座談会 卒業制作を終えて

大学全体のyoutubeチャンネルでは、優秀賞の学生が取り上げられております。

  • 学長ラウンジ#23 芸工大の卒展2020 最優秀賞・優秀賞の学生にインタビュー

卒展全体動画もございます。

  • 「令和2年度 東北芸術工科大学 卒業/修了研究・制作展」紹介動画

そのほか図書館2階では卒展とともに1年生が版画コースとコラボした画文集展、文芸学科野上ゼミが取り組んだ「TUAD 60 pictures」も展示されております。

2020年度前期「作品読解」(玉井担当)で取り上げた作品

作品読解は毎年前期に行っている授業で、一年生向けに開講されている。今年はコロナ禍によりオンラインで行われ、何が何だかわからないまま時間が過ぎ去っていった。

書いている今は12月31日の大晦日なのだが、前期のことは遠く霞がかっており何も覚えていない。『孤独のグルメ』が横で流れているだけである。今年も例年のごとく備忘録のように記録するとしても、ここまで忘れているとは思わなかった。それだけ新しい経験をしていたら良いのだが、多くは授業準備をしていた記憶しかない。自転車操業のような忙しさは身に染みている。

  • 相沢沙呼「卯月の雪のレター・レター」(『卯月の雪のレター・レター』創元推理文庫、2016年)

毎年のように高校生を主人公とした作品を、初回に取り上げている。つい先日まで高校生であった学生の皆さんは読みやすいのではないか。もしかしたら、少し変化していて客観視できるようになっているのではないか。そう思いながらのセレクトであった。新しい一歩を踏み出すこと、変化への恐れをきれいに描き出した短編である。

  • 似鳥鶏「論理の傘は差しても濡れる」(『目を見て話せない』KADOKAWA、2019年)

新入生といったら自己紹介。どこへ行っても新人は自己紹介である。もちろん受講生もどこかで自己紹介をさせられるに違いない。そう思って取り上げたのだが、すべてがオンラインになるとは思わなかった。2020年が終わりそうな時期のメンタリティだとオンラインは適当に流せるから、自己紹介という意味では少し楽という感じではある。とはいえあの当時は緊張状態であったから、どうだったのだろう。コミュ障の主人公を描いた作品であるが、「コミュ障」という言葉に彩られた側面に着目し、そして引っ張られてしまうとテーマ性を見失ってしまう。

  • 荻原浩「人生はパイナップル」(『それでも空は青い』KADOKAWA、2018年)

このような物語の作り方もあるよ、という提示の意味も込めている。主人公の視点から祖父の生き方を見て、自らに重ね合わせていく方法は、取り組んでみると難しい……ので、簡単に取り上げるものではなかったのかもしれない。とはいえ数多くの作品に触れて、自らの血肉にしていくのは重要である。

  • 畑野智美「肉食うさぎ」(『海の見える街』講談社文庫、2015年)

たまには恋愛を描いた作品を取り上げよう。取り上げた理由はそれだけであったのだが、皮肉にも社会の階層間をめぐる関係性を解き明かしている作品をみんなで読むことになってしまった。階層の問題を頭で理解するのではなく、体感するのはなかなか難しい。しかしこれは恋愛物語の古典的な構造かもしれない。

  • 彩瀬まる「シュークリムタワーで待ち合わせ」(『まだ温かい鍋を抱いておやすみ』祥伝社、2020年)

家族観や恋愛観は別に画一的でもなく、一様でもない。多様な考えがあり、その各々がそれぞれに生きていけばいいじゃないか。と思って取り上げた作品になる。思想性が全面に押し出されているわけでもないのに、ここまで力強い小説は素晴らしい。ライフスタイルの選択も、その生きづらさもすべてが詰まっている。

  • 桜庭一樹「冬の牡丹」(『このたびはとんだことで 桜庭一樹奇譚集』文春文庫、2016年)

女性の生き方もまた社会の変容により評価自体も変わっていく。それは時にアイデンティティの揺らぎにつながってしまう可能性を含んでおり、生きにくいものになっていく。学校、大学、会社とライフコースの選択が迫られ、そのたびに他者評価が変化する可能性もある。という話を大学一年生にするのであった……。

  • 凪良ゆう「あの稲妻」(『わたしの美しい庭』ポプラ社、2019年)

さて生き方は多様である。けれどもそれを選択する強さも求められる。その不確かさは時間を経るごとに変化してきて、桜庭さんとこの凪良さんの作品では同じテーマを描いているように思えるけど、アプローチも描き方もキャラクターもすべて違っている。どちらが良いということもない。

  • 乙一「陽だまりの詩」(『ZOO 1』集英社文庫、2006年)

数週間にわたって、いろいろな話をしてしまったので、王道のテーマをエンターテイメントとして描いた作品を取り上げた。乙一作品の妙ともいうべき、物語構成の見せ方がよくわかる。普遍的なテーマなのに、なぜ面白いのか。なぜ面白く思えるのかは考える必要がある。

  • 恒川光太郎「死神と旅する女」(『無貌の神』角川文庫、2020年)

この作品は単行本で読んでいたのだが、ステイホーム中に文庫本が出てしまい、買いなおしたほうが良いのかどうかと思い悩んでいたことを覚えている。あのときは1週間に1回か2回、散歩に出て、数キロ先にある書店に行くのが日課だったので、その体験は鮮明になっている。書店の新刊コーナーでうなりながら眺めていた。作品はもちろん乱歩作品を下地にしつつも、SF的な仕掛けで非常に面白い。

  • 深緑野分「片想い」(『オーブランの少女』創元推理文庫、2016年)

少女小説の話をにこやかにしてしまったが、よく考えたら学生たちは同時代的に消費をしているわけではないので(おそらく)、なかなか難しいものであったかもしれない。そう思うのは半年も経過したからである。少女と少女の物語である。

  • 米澤穂信「伯林あげぱんの謎」(『巴里マカロンの謎』創元推理文庫、2020年)

よく考えたら「日常の謎」自体は、この授業の最初のほうの回で取り上げているのに! 授業ではくどくどと話してしまった。この作品は短い尺の中で「日常の謎」が本当にぎゅっと詰め込まれており、登場人物たちによる行動もセリフも必然性に裏打ちされていて本当に完成形といえる。

  • 北村薫「六月の花嫁」 (『夜の蝉』創元推理文庫、1996年)

そして「日常の謎」の元祖ともいうべき人の作品を取り上げたのであった。古典芸能への知識が背景に存在し、そこを基軸にしながら描いていくのは「わかっていると、そのアクロバティックな感じにしびれてしまう」のである。

  • 伴名練「ひかりより速く、よりゆるやかに」(『なめらかな世界と、その敵。』早川書房、2019年)

こちらもSFネタが散りばめられた作品。もうタイトルが示唆的ではないか。さておき作品としても驚異的に面白く、現在性も多義的に付与されている物語は今しか味わえないと思い、セレクトしたのであった。

  • 櫻木みわ「夏光結晶」(『うつくしい繭』講談社、2018年)

南島文化と女性同士の関係性を描くことが連動しており、なるほどと頷いてしまった作品である。しかも南島を描くことの意義が背景化しているようで、消去されていない雰囲気も考えさせられる。

  • 高山羽根子「オブジェクタム」(『オブジェクタム』朝日新聞出版、2018年)

この作品はすごい。ここまで断片化された個人の記憶が、アーカイブ的なものと絡まりながらも立体的に浮かび上がっていく作品はなかなか存在しない。というより普通は描けない。すっと読むと何を書いているかわからなくなってしまうけど、よく読むとちゃんと書いている。でも書いていることの絶対性だって存在している証左ではないと考えると知的好奇心が刺激されてしまう。

〇過去の作品読解
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401

作品読解第6回目(桜庭一樹「冬の牡丹」)と時間

小学生の頃、当時ヒットしていたユニコーンの「すばらしい日々」を聞くたびに疑問に思っていたことがある。歌いだしが「僕らは離ればなれ、たまに会っても話題がない」という歌詞なのだが、当時の私には何のことやらまったくわからなかった。小学生の感覚からすると、長い夏休みの間に会わなくても、9月になれば何かしら話すことはあるはず。たとえ塾通いであっても、それはそれで楽しかったし(塾に行くのは非常に楽しい経験であった)、話すことがないなんてどういうことなんだ。そんなことないだろう。大人とは意味深なものだなあと思ったものである。

いざ大人になってしまうと、この絶妙な機微を見事に歌い上げていて、いや、このときの奥田民生は何才だよ、何でこんな楽曲制作ができるんだよ、ぐらいの気分になり、それはそれで別の意味で落ち込んだりもしていた。そんなことを2020年の夏にラジオから流れて来たフジファブリックの「若者のすべて」を聞きながら、なぜか思い浮かべていた。この「若者のすべて」も時間の経過と成長と心の変化を描いた作品なのだが、すでにリリースされてから10年以上が経過している。あのとき若者だった自分(少なくともまだ学生ではあった)も、これほどまでに年を重ねてしまい、「若者のすべて」というタイトルと、その歌詞にこめられた青臭さもノスタルジーを帯びている。

作品読解第6回目で取り上げたのは桜庭一樹さんの「冬の牡丹」(『このたびはとんだことで 桜庭一樹奇譚集』文春文庫、2016年)である。この時から緊急事態宣言解除後に県境をこえての移動が可能となり、大学の研究室からオンライン授業をするようになった。やはりそれまでは本を読もうと思っても手元にないので日々が悩ましかった、というよりも諦観しかなかった気がする。そのため少しうれしかったのを覚えている。さてこの作品は主人公の女性が、学校制度の中での評価されていた学生時代に対し、社会人として働き始めた後、評価基準が「家族の問題」と「女性としての問題」に変化し、大きく戸惑っている物語である。その戸惑いを受け止め、ただあるがままに認識してくれるのは、理不尽さを把握できない家族ではなく、隣人の老人である。

もちろん年寄りを崇め奉れと言いたいわけではない。博物館や観光地に行ったとき、若者に対し「その土地の歴史を良かれと思って説明してくれるが、話している価値観はもう古いです」みたいなことを受け入れろと主張したいわけでもない(あれはあれで迷惑なのですが)。年月を経ることの良さというのも当然存在するし、しかし例えばプチ鹿島さんがラジオやこちらの記事で述べているように「おじさんであること」を隠れ蓑にするのではなく、自身の認識をアップデートしていくことも大きく必要ではないか。その際に否定や肯定ではない頷きをすべきだし、受け入れられる土壌が必要なのかもしれない。

〇これまでの作品読解の記録
2020年度
作品読解第1回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/722
作品読解第2回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/723
作品読解第3回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/755
作品読解第4回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/759
作品読解第5回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/763
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401

作品読解第5回目(彩瀬まる「シュークリムタワーで待ち合わせ」)と家族観

この時期にラジオを聞いていると、コロナ禍におけるステイホームを経験して(もしくは真っ最中で)、家族の在り方に疑義を呈するようになったという話をよく耳にした記憶がある。もちろん、これまでもラジオでは家族の問題が話されていたけど、ラジオリスナーとしてステイホームという共有できる出来事が発生したため、文言を耳にしたらぐっと集中するようになったからなのかもしれない。概ねラジオを聞いているのは何かの作業をしているときなので、耳を傾けるのに注力はしていないことが多い。

家族だから助け合わなければならない。ということは大前提のようで必ずしもそうとは言い切れないという価値観の揺らぎは、多くの人が経験をし、それなりに共有されているのではないか。近代国家が作り上げて来た家族観をそのまま受け入れる人はいないであろうし、当然そこにおけるジェンダー観を受容している人も少ないであろう。そう思っていたのだが、コロナ禍で家事が増えたという主婦の愚痴メールが読まれ、罹患した女性が子供を他人に預けられず、止む無く同居してしまったという話をラジオで聞くと、悩ましい問題だと頭を抱えつつ、自分自身も完全に旧態依然な(と思っていた)思考から、まだまだ抜け出せていないのかもしれないと考え込んでしまった。

6月第3週の作品読解第5回目で取り上げた作品は、彩瀬まるさんの「シュークリムタワーで待ち合わせ」(『まだ温かい鍋を抱いておやすみ』祥伝社、2020年)であった。この作品は家族が抱える問題が個人の価値観より優先されてしまうことに対して、大きな疑義を提示している。もちろん家族観は地域により違うであろうし(山形に来て、本当に違うのに驚いた)、個別的な問題に依拠することも多いであろう。そのため一様に個人の価値観が優先されるべきと主張することも難しい。何より生き方や、思考・思想を貫き続けるのは、多大な労力が必要になってくる。それでもこの作品のラストで描かれた、他者との共感を捨てずに道を歩もうとしている姿勢には感銘を受けてしまう。多様性を受容する生き方を選ぼうとすると、一つのことを受け入れないだけで孤独に直結してしまう可能性が大きいのだが、そうではなく孤独とともに他者との共存も選ぶのは示唆的である。

〇これまでの作品読解の記録
2020年度
作品読解第1回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/722
作品読解第2回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/723
作品読解第3回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/755
作品読解第4回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/759
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
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2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401

9月5日(土)・6日(日)は予約制のオープンキャンパスです。

今週末の9月5日(土)・6日(日)は東北芸術工科大学のオープンキャンパスです。今回は予約制となり、実際に学科施設にて行われます。文芸学科では以下の内容となっております。

・施設見学
・授業参考作品展示見学
・個別相談会

施設見学は、通称「文芸棟」と呼んでいる図書館2階の文芸学科専用スペースを見ていただくことになります。その場では実際に学生が制作した雑誌や執筆した小説などを読んでいただくことができます。

また個別相談では入試相談だけではなく創作の相談も受けますので、お気軽にご参加ください。

今回は感染症対策のため事前予約制となっております。こちらのサイトより予約をお願いいたします。

作品読解第4回目(畑野智美「肉食うさぎ」)とラジオ

6月も第2週目ともなると引きこもり生活が板についてきて、世間体を気にせず家の中でじっとしているのが心地よくなっていたぐらいである。とはいえ元々、家で本を読むか、映像を見るか、ラジオを聞くか、原稿を書くぐらいしかしていないので、日々の過ごし方はそう大きく変化しているわけではない。しかし、そのラジオを聞いていると、これまで自宅から外に出ない生活をしてこなかった人々が、それなりに工夫してアクティブであろうとしているのを、何とも言えない気分で聞く羽目に陥った。

ラジオで話すネタ作りのために何かをしなければならないのかもしれないが、DIYに取り組んだり、家庭菜園で何かを育てたり、料理に凝ってみたり、ベランダでキャンプしたりと皆さん、大変そうである。ああ、これには俺は寄り添えない。じっと家で本を読むので良いではないか。どんよりした気持ちになってしまうのに対し、もしかしたら立ち位置が完全に違うのかもしれないと思い直したりもしてみた。紫蘇を植えて育てて、しょうゆ漬けにして食べるのも良いではないか。ベランダでベンチを作っても良いではないか。自分は絶対にやらないけれども。

ぐるぐると頭の中で問答していると面倒になってくるが、たまに「zoom飲み会を意気込んでやっているやつの気がしれない」のようなことを喋っている人がいると少し安心してしまうので、いつも同じ地点に戻ってくる。そのような時期に作品読解で取り上げたのが、畑野智美さんの「肉食うさぎ」(『海の見える街』講談社文庫、2015年)である。

この授業では様々なテーマのものを取り上げようと考えているが、毎年手薄なのは恋愛ではないかと思ったのだが、どうであろう。学生たちとの距離感を感じとってしまうのは、女性が非正規雇用で仕事をしている状態の問題が見えてこない点である。例えばこの短編でも主人公が正規雇用への打診がされたときに喜ぶのだが、この喜びがすでに時代を背負ってしまっているのかもしれない。単に「元気だから」という処理をされると、はしゃいでいる主人公を「へー」という顔をして読む学生という構図が見て取れて、少し悲しい気分になる。もちろん授業内でのやり取りなので大げさに考える必要はないかもしれないし、時間を経るというのはそういうことかもしれない。

何はともあれ恋愛を描く際に問題視されるのは距離感で、この作品ではその距離感を文化資本として描いている。そちらのほうが学生には理解されにくいものかもしれず、近い価値観や近い文化的背景を持った人で集まりやすい大学という場所にいると分かりにくい……とまで考えたときに、一年生はその場所性すらなくオンライン上のやり取りに終始しているため、ますますわからないのではないか。価値観が高校の延長線上にあるとしたら、果たしてこの小説をどう読んだのであろうかと授業後に悩んでいたのである。

〇これまでの作品読解の記録
2020年度
作品読解第1回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/722
作品読解第2回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/723
作品読解第3回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/755
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401