冬のストーリー創作オンライン講座がはじまっています。

【2月24日追記】講評会への参加申込が始まっています。講評を申し込んだ人だけではなく、ただ視聴したいだけの方の参加申込も受け付けております。興味ある方は、こちらのサイトからぜひどうぞ!

 

例年は対面で行っている「冬のストーリー創作講座」ですが、今年は「冬のストーリー創作オンライン講座」として開催されております。

普段は前半で玉井が喋ったあと、何か作品を配布して読んでいただき、それを踏まえたうえで解説し、シートに記入してもらいつつ昼休みに突入。午後になって皆さんが書き上げたプロットを講評していくという流れでした。今回はオンラインであげている動画(その1)を見ていただき、指定した作品を読んでいただき(ネット上で無料で読める作品)、後半の動画(その2)を見る。そしてプロット用のシートをダウンロードしていただき、記入し、指定されたアドレスへ送信し、2月27日のオンライン講評会に参加するという流れです。ボブ・ロス風に言えば「簡単でしょ」です。

詳細は下記のサイトよりご確認ください。

【2/25まで創作シート受付中】高校生対象!冬のストーリー創作オンライン講座

なお動画の公開期間は2月6日(土)から2月14日(日)までになります。ご注意ください(公開終了しました! 多くの皆さんの視聴ありがとうございました!)。

今回の応募条件は「本や漫画を読んだり映画やアニメを観たりするのが好き、物語を空想することが好きな高校生!」となっております。自称高校生の方は動画視聴は可能なので、ご覧いただき、ご自身でチャレンジしてください。今回の講評会への応募はできませんが、一歩を踏み出すのに年齢も所属も関係ありません。

文芸学科の卒業制作展(2020年度)が始まっております。

2月9日(火)から2月14日(日)まで卒業制作展が開催されております。今年度はコロナ禍の状況により、一般来場は9日(火)・10日(水)のみになっております。11日(木)から14日(日)は関係者のみの来場となっております(卒業生は関係者ではありません)。

詳細はこちらの卒展サイトでご確認ください。

https://www.tuad.ac.jp/sotsuten/index.html

今年も文芸学科は図書館2階で展示しております。わかりにくい場所ですが、ぜひお越しください。学生が運営している文芸学科卒展のInstagramtwitterもご確認ください。

 

 

また例年は対面で行っている講評会はyoutubeにアップしておりますので、こちらをご覧ください。

  • 【文芸学科】優秀賞講評会

  • 【文芸学科】現代文学部門賞講評会

  • 【文芸学科】エンターテインメント部門賞講評会

  • 【文芸学科】編集制作物部門賞講評会

そのほか学生を交えた座談会も公開しております。

  • 【文芸学科】座談会 卒業制作を終えて

大学全体のyoutubeチャンネルでは、優秀賞の学生が取り上げられております。

  • 学長ラウンジ#23 芸工大の卒展2020 最優秀賞・優秀賞の学生にインタビュー

卒展全体動画もございます。

  • 「令和2年度 東北芸術工科大学 卒業/修了研究・制作展」紹介動画

そのほか図書館2階では卒展とともに1年生が版画コースとコラボした画文集展、文芸学科野上ゼミが取り組んだ「TUAD 60 pictures」も展示されております。

2020年度前期「作品読解」(玉井担当)で取り上げた作品

作品読解は毎年前期に行っている授業で、一年生向けに開講されている。今年はコロナ禍によりオンラインで行われ、何が何だかわからないまま時間が過ぎ去っていった。

書いている今は12月31日の大晦日なのだが、前期のことは遠く霞がかっており何も覚えていない。『孤独のグルメ』が横で流れているだけである。今年も例年のごとく備忘録のように記録するとしても、ここまで忘れているとは思わなかった。それだけ新しい経験をしていたら良いのだが、多くは授業準備をしていた記憶しかない。自転車操業のような忙しさは身に染みている。

  • 相沢沙呼「卯月の雪のレター・レター」(『卯月の雪のレター・レター』創元推理文庫、2016年)

毎年のように高校生を主人公とした作品を、初回に取り上げている。つい先日まで高校生であった学生の皆さんは読みやすいのではないか。もしかしたら、少し変化していて客観視できるようになっているのではないか。そう思いながらのセレクトであった。新しい一歩を踏み出すこと、変化への恐れをきれいに描き出した短編である。

  • 似鳥鶏「論理の傘は差しても濡れる」(『目を見て話せない』KADOKAWA、2019年)

新入生といったら自己紹介。どこへ行っても新人は自己紹介である。もちろん受講生もどこかで自己紹介をさせられるに違いない。そう思って取り上げたのだが、すべてがオンラインになるとは思わなかった。2020年が終わりそうな時期のメンタリティだとオンラインは適当に流せるから、自己紹介という意味では少し楽という感じではある。とはいえあの当時は緊張状態であったから、どうだったのだろう。コミュ障の主人公を描いた作品であるが、「コミュ障」という言葉に彩られた側面に着目し、そして引っ張られてしまうとテーマ性を見失ってしまう。

  • 荻原浩「人生はパイナップル」(『それでも空は青い』KADOKAWA、2018年)

このような物語の作り方もあるよ、という提示の意味も込めている。主人公の視点から祖父の生き方を見て、自らに重ね合わせていく方法は、取り組んでみると難しい……ので、簡単に取り上げるものではなかったのかもしれない。とはいえ数多くの作品に触れて、自らの血肉にしていくのは重要である。

  • 畑野智美「肉食うさぎ」(『海の見える街』講談社文庫、2015年)

たまには恋愛を描いた作品を取り上げよう。取り上げた理由はそれだけであったのだが、皮肉にも社会の階層間をめぐる関係性を解き明かしている作品をみんなで読むことになってしまった。階層の問題を頭で理解するのではなく、体感するのはなかなか難しい。しかしこれは恋愛物語の古典的な構造かもしれない。

  • 彩瀬まる「シュークリムタワーで待ち合わせ」(『まだ温かい鍋を抱いておやすみ』祥伝社、2020年)

家族観や恋愛観は別に画一的でもなく、一様でもない。多様な考えがあり、その各々がそれぞれに生きていけばいいじゃないか。と思って取り上げた作品になる。思想性が全面に押し出されているわけでもないのに、ここまで力強い小説は素晴らしい。ライフスタイルの選択も、その生きづらさもすべてが詰まっている。

  • 桜庭一樹「冬の牡丹」(『このたびはとんだことで 桜庭一樹奇譚集』文春文庫、2016年)

女性の生き方もまた社会の変容により評価自体も変わっていく。それは時にアイデンティティの揺らぎにつながってしまう可能性を含んでおり、生きにくいものになっていく。学校、大学、会社とライフコースの選択が迫られ、そのたびに他者評価が変化する可能性もある。という話を大学一年生にするのであった……。

  • 凪良ゆう「あの稲妻」(『わたしの美しい庭』ポプラ社、2019年)

さて生き方は多様である。けれどもそれを選択する強さも求められる。その不確かさは時間を経るごとに変化してきて、桜庭さんとこの凪良さんの作品では同じテーマを描いているように思えるけど、アプローチも描き方もキャラクターもすべて違っている。どちらが良いということもない。

  • 乙一「陽だまりの詩」(『ZOO 1』集英社文庫、2006年)

数週間にわたって、いろいろな話をしてしまったので、王道のテーマをエンターテイメントとして描いた作品を取り上げた。乙一作品の妙ともいうべき、物語構成の見せ方がよくわかる。普遍的なテーマなのに、なぜ面白いのか。なぜ面白く思えるのかは考える必要がある。

  • 恒川光太郎「死神と旅する女」(『無貌の神』角川文庫、2020年)

この作品は単行本で読んでいたのだが、ステイホーム中に文庫本が出てしまい、買いなおしたほうが良いのかどうかと思い悩んでいたことを覚えている。あのときは1週間に1回か2回、散歩に出て、数キロ先にある書店に行くのが日課だったので、その体験は鮮明になっている。書店の新刊コーナーでうなりながら眺めていた。作品はもちろん乱歩作品を下地にしつつも、SF的な仕掛けで非常に面白い。

  • 深緑野分「片想い」(『オーブランの少女』創元推理文庫、2016年)

少女小説の話をにこやかにしてしまったが、よく考えたら学生たちは同時代的に消費をしているわけではないので(おそらく)、なかなか難しいものであったかもしれない。そう思うのは半年も経過したからである。少女と少女の物語である。

  • 米澤穂信「伯林あげぱんの謎」(『巴里マカロンの謎』創元推理文庫、2020年)

よく考えたら「日常の謎」自体は、この授業の最初のほうの回で取り上げているのに! 授業ではくどくどと話してしまった。この作品は短い尺の中で「日常の謎」が本当にぎゅっと詰め込まれており、登場人物たちによる行動もセリフも必然性に裏打ちされていて本当に完成形といえる。

  • 北村薫「六月の花嫁」 (『夜の蝉』創元推理文庫、1996年)

そして「日常の謎」の元祖ともいうべき人の作品を取り上げたのであった。古典芸能への知識が背景に存在し、そこを基軸にしながら描いていくのは「わかっていると、そのアクロバティックな感じにしびれてしまう」のである。

  • 伴名練「ひかりより速く、よりゆるやかに」(『なめらかな世界と、その敵。』早川書房、2019年)

こちらもSFネタが散りばめられた作品。もうタイトルが示唆的ではないか。さておき作品としても驚異的に面白く、現在性も多義的に付与されている物語は今しか味わえないと思い、セレクトしたのであった。

  • 櫻木みわ「夏光結晶」(『うつくしい繭』講談社、2018年)

南島文化と女性同士の関係性を描くことが連動しており、なるほどと頷いてしまった作品である。しかも南島を描くことの意義が背景化しているようで、消去されていない雰囲気も考えさせられる。

  • 高山羽根子「オブジェクタム」(『オブジェクタム』朝日新聞出版、2018年)

この作品はすごい。ここまで断片化された個人の記憶が、アーカイブ的なものと絡まりながらも立体的に浮かび上がっていく作品はなかなか存在しない。というより普通は描けない。すっと読むと何を書いているかわからなくなってしまうけど、よく読むとちゃんと書いている。でも書いていることの絶対性だって存在している証左ではないと考えると知的好奇心が刺激されてしまう。

〇過去の作品読解
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401

作品読解第6回目(桜庭一樹「冬の牡丹」)と時間

小学生の頃、当時ヒットしていたユニコーンの「すばらしい日々」を聞くたびに疑問に思っていたことがある。歌いだしが「僕らは離ればなれ、たまに会っても話題がない」という歌詞なのだが、当時の私には何のことやらまったくわからなかった。小学生の感覚からすると、長い夏休みの間に会わなくても、9月になれば何かしら話すことはあるはず。たとえ塾通いであっても、それはそれで楽しかったし(塾に行くのは非常に楽しい経験であった)、話すことがないなんてどういうことなんだ。そんなことないだろう。大人とは意味深なものだなあと思ったものである。

いざ大人になってしまうと、この絶妙な機微を見事に歌い上げていて、いや、このときの奥田民生は何才だよ、何でこんな楽曲制作ができるんだよ、ぐらいの気分になり、それはそれで別の意味で落ち込んだりもしていた。そんなことを2020年の夏にラジオから流れて来たフジファブリックの「若者のすべて」を聞きながら、なぜか思い浮かべていた。この「若者のすべて」も時間の経過と成長と心の変化を描いた作品なのだが、すでにリリースされてから10年以上が経過している。あのとき若者だった自分(少なくともまだ学生ではあった)も、これほどまでに年を重ねてしまい、「若者のすべて」というタイトルと、その歌詞にこめられた青臭さもノスタルジーを帯びている。

作品読解第6回目で取り上げたのは桜庭一樹さんの「冬の牡丹」(『このたびはとんだことで 桜庭一樹奇譚集』文春文庫、2016年)である。この時から緊急事態宣言解除後に県境をこえての移動が可能となり、大学の研究室からオンライン授業をするようになった。やはりそれまでは本を読もうと思っても手元にないので日々が悩ましかった、というよりも諦観しかなかった気がする。そのため少しうれしかったのを覚えている。さてこの作品は主人公の女性が、学校制度の中での評価されていた学生時代に対し、社会人として働き始めた後、評価基準が「家族の問題」と「女性としての問題」に変化し、大きく戸惑っている物語である。その戸惑いを受け止め、ただあるがままに認識してくれるのは、理不尽さを把握できない家族ではなく、隣人の老人である。

もちろん年寄りを崇め奉れと言いたいわけではない。博物館や観光地に行ったとき、若者に対し「その土地の歴史を良かれと思って説明してくれるが、話している価値観はもう古いです」みたいなことを受け入れろと主張したいわけでもない(あれはあれで迷惑なのですが)。年月を経ることの良さというのも当然存在するし、しかし例えばプチ鹿島さんがラジオやこちらの記事で述べているように「おじさんであること」を隠れ蓑にするのではなく、自身の認識をアップデートしていくことも大きく必要ではないか。その際に否定や肯定ではない頷きをすべきだし、受け入れられる土壌が必要なのかもしれない。

〇これまでの作品読解の記録
2020年度
作品読解第1回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/722
作品読解第2回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/723
作品読解第3回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/755
作品読解第4回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/759
作品読解第5回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/763
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401

作品読解第5回目(彩瀬まる「シュークリムタワーで待ち合わせ」)と家族観

この時期にラジオを聞いていると、コロナ禍におけるステイホームを経験して(もしくは真っ最中で)、家族の在り方に疑義を呈するようになったという話をよく耳にした記憶がある。もちろん、これまでもラジオでは家族の問題が話されていたけど、ラジオリスナーとしてステイホームという共有できる出来事が発生したため、文言を耳にしたらぐっと集中するようになったからなのかもしれない。概ねラジオを聞いているのは何かの作業をしているときなので、耳を傾けるのに注力はしていないことが多い。

家族だから助け合わなければならない。ということは大前提のようで必ずしもそうとは言い切れないという価値観の揺らぎは、多くの人が経験をし、それなりに共有されているのではないか。近代国家が作り上げて来た家族観をそのまま受け入れる人はいないであろうし、当然そこにおけるジェンダー観を受容している人も少ないであろう。そう思っていたのだが、コロナ禍で家事が増えたという主婦の愚痴メールが読まれ、罹患した女性が子供を他人に預けられず、止む無く同居してしまったという話をラジオで聞くと、悩ましい問題だと頭を抱えつつ、自分自身も完全に旧態依然な(と思っていた)思考から、まだまだ抜け出せていないのかもしれないと考え込んでしまった。

6月第3週の作品読解第5回目で取り上げた作品は、彩瀬まるさんの「シュークリムタワーで待ち合わせ」(『まだ温かい鍋を抱いておやすみ』祥伝社、2020年)であった。この作品は家族が抱える問題が個人の価値観より優先されてしまうことに対して、大きな疑義を提示している。もちろん家族観は地域により違うであろうし(山形に来て、本当に違うのに驚いた)、個別的な問題に依拠することも多いであろう。そのため一様に個人の価値観が優先されるべきと主張することも難しい。何より生き方や、思考・思想を貫き続けるのは、多大な労力が必要になってくる。それでもこの作品のラストで描かれた、他者との共感を捨てずに道を歩もうとしている姿勢には感銘を受けてしまう。多様性を受容する生き方を選ぼうとすると、一つのことを受け入れないだけで孤独に直結してしまう可能性が大きいのだが、そうではなく孤独とともに他者との共存も選ぶのは示唆的である。

〇これまでの作品読解の記録
2020年度
作品読解第1回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/722
作品読解第2回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/723
作品読解第3回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/755
作品読解第4回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/759
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401

9月5日(土)・6日(日)は予約制のオープンキャンパスです。

今週末の9月5日(土)・6日(日)は東北芸術工科大学のオープンキャンパスです。今回は予約制となり、実際に学科施設にて行われます。文芸学科では以下の内容となっております。

・施設見学
・授業参考作品展示見学
・個別相談会

施設見学は、通称「文芸棟」と呼んでいる図書館2階の文芸学科専用スペースを見ていただくことになります。その場では実際に学生が制作した雑誌や執筆した小説などを読んでいただくことができます。

また個別相談では入試相談だけではなく創作の相談も受けますので、お気軽にご参加ください。

今回は感染症対策のため事前予約制となっております。こちらのサイトより予約をお願いいたします。

作品読解第4回目(畑野智美「肉食うさぎ」)とラジオ

6月も第2週目ともなると引きこもり生活が板についてきて、世間体を気にせず家の中でじっとしているのが心地よくなっていたぐらいである。とはいえ元々、家で本を読むか、映像を見るか、ラジオを聞くか、原稿を書くぐらいしかしていないので、日々の過ごし方はそう大きく変化しているわけではない。しかし、そのラジオを聞いていると、これまで自宅から外に出ない生活をしてこなかった人々が、それなりに工夫してアクティブであろうとしているのを、何とも言えない気分で聞く羽目に陥った。

ラジオで話すネタ作りのために何かをしなければならないのかもしれないが、DIYに取り組んだり、家庭菜園で何かを育てたり、料理に凝ってみたり、ベランダでキャンプしたりと皆さん、大変そうである。ああ、これには俺は寄り添えない。じっと家で本を読むので良いではないか。どんよりした気持ちになってしまうのに対し、もしかしたら立ち位置が完全に違うのかもしれないと思い直したりもしてみた。紫蘇を植えて育てて、しょうゆ漬けにして食べるのも良いではないか。ベランダでベンチを作っても良いではないか。自分は絶対にやらないけれども。

ぐるぐると頭の中で問答していると面倒になってくるが、たまに「zoom飲み会を意気込んでやっているやつの気がしれない」のようなことを喋っている人がいると少し安心してしまうので、いつも同じ地点に戻ってくる。そのような時期に作品読解で取り上げたのが、畑野智美さんの「肉食うさぎ」(『海の見える街』講談社文庫、2015年)である。

この授業では様々なテーマのものを取り上げようと考えているが、毎年手薄なのは恋愛ではないかと思ったのだが、どうであろう。学生たちとの距離感を感じとってしまうのは、女性が非正規雇用で仕事をしている状態の問題が見えてこない点である。例えばこの短編でも主人公が正規雇用への打診がされたときに喜ぶのだが、この喜びがすでに時代を背負ってしまっているのかもしれない。単に「元気だから」という処理をされると、はしゃいでいる主人公を「へー」という顔をして読む学生という構図が見て取れて、少し悲しい気分になる。もちろん授業内でのやり取りなので大げさに考える必要はないかもしれないし、時間を経るというのはそういうことかもしれない。

何はともあれ恋愛を描く際に問題視されるのは距離感で、この作品ではその距離感を文化資本として描いている。そちらのほうが学生には理解されにくいものかもしれず、近い価値観や近い文化的背景を持った人で集まりやすい大学という場所にいると分かりにくい……とまで考えたときに、一年生はその場所性すらなくオンライン上のやり取りに終始しているため、ますますわからないのではないか。価値観が高校の延長線上にあるとしたら、果たしてこの小説をどう読んだのであろうかと授業後に悩んでいたのである。

〇これまでの作品読解の記録
2020年度
作品読解第1回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/722
作品読解第2回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/723
作品読解第3回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/755
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401

『文芸ラジオ』6号が発売になりました。

東北芸術工科大学芸術学部文芸学科の学生・教員がお送りする『文芸ラジオ』6号が発売となりました。ぜひお買い求めください。

Guest Talk

夢眠ねむ「本でしか得られないことがあると思って、信じて本屋になった」

Creator’s Talks

三浦しをん「キャラクターの内面を描くうちに作者自身の理解が深まっていく」

今村翔吾×池上冬樹「情熱が才能を超えていく、作家になりたい気持ちを強く持つ」

楠章子「伝えたい気持ちがあれば自ずと体は動くはず」

猿渡かざみ「すべての物語からの着想が個性につながる」

西村博一(「yom yom」編集長)「“面白い”を貪欲に取り込むのが編集者の心得」

特集 同調圧力から離れる

Interviews
コナリミサト「抜け道をつくって、楽しく健やかに生きていこう」
朝比奈あすか「世の中はいろいろな見方ができる 本を読むことで世界が広がる」
住野よる「若い登場人物たちと同調圧」
丹羽庭「同調圧力の中、漫画家という道」

Column
文芸作品に学ぶ 同調圧力からの受け身の取り方

特集 おいしい食べ物の描き方

Creator’s Talk
角田光代×井上荒野×江國香織「「食」は背景を表すツールである」

Interview
神田桂一&菊池良「文体を解体して、クセを馴染ませる」

昆虫食を文豪風にレポート! 次世代の主食はこれ!? あの有名人が食べたら
文学から味覚を探せ! おいしい表現ランキング ベスト15
「おいしい表現」学生鼎談 読むだけでおいしい! 表現を食べるように読む

小説

木原音瀬「アナスタシア」
小嶋陽太郎「チチカ」
川崎昌平「愛、編む」
青羽悠「スローアウェイ」
オーガニックゆうき「喉仏」

佐藤苹果「午前3時のホットケーキ」
藤宮悠希「居場所」
佐藤宏哉「雪男の断崖」
宮崎晟汰「アマツカ先輩は空を飛ぶ。」

Book inBook 再録 文芸ラジオPetit Vol.01
執筆者紹介
編集後記・スタッフ紹介

作品読解第3回目(荻原浩「人生はパイナップル」)とオンライン授業の続き

もはや第3週目のことは遥か昔のことのように思えてしまうぐらい、今年の前期は大変であった。自分の記憶のはかなさを感じるのだが、それが前期の多忙さからきているのか、例年も気にしないだけで同様に忘れているのかは判然としない。今年度の学年暦第3週目はちょうど6月の第1週に当たるのだが、まだ長袖のシャツで過ごしていたような気がする。しかし6月のどこかの瞬間に半袖になり、そしてまた長袖に戻っていたので、あまり自信はない。

ただしzoomを使ってのオンライン授業は、少しずつ慣れてきた……というより慣れているかどうかではなく、機能を使ってできることをしようと慣れない脳内の認識範囲をフル活用して対応していたのだと思う。例えば教室で対面で話すことと、zoomで喋ることは大きく違っていて、そりゃ身体観はまったく違うのだが、そうではなく教員側としては根本的に発声という行為自体においては同じはずなのだ。同じだろう、そう思っていたのに、まったく違うのである。

学生のリアクションのあるなしが影響を与えているのかもしれないし、自宅で声を発すること自体に慣れていないというのもあるかもしれない。集合住宅だからか、授業で出しているような声は出せていない気がしている。もちろんこれは自己認識なので他者認識とは乖離しているかもしれない。どちらにせよ、オール巨人師匠に「もっと声を張れ!」と怒られるところである。

その作品読解第3回目で取り上げたのは、荻原浩さんの「人生はパイナップル」(『それでも空は青い』KADOKAWA、2018年)であった。子供と年寄りという価値観も身にまとっている文化もすべてが違う二人が、互いにキャッチボールを通じて会話をし、変化していく物語である。こう書くと普通の話ではあるが、主人公とは違う別の誰かの人生を仮託していくように読者に見せる形式というのは、創作の観点から考えるとなかなか難しい手法である。すでに他者が経験したことを、主人公が耳にし、血肉になるように身体化し経験していく過程は、本質では通じ合っても主人公と年寄りという若い頃の住んでいた場所・文化・風土すべてが違うなかで小説としての重厚さへとつながっている。という感じで取り上げてはいるが、授業登録をした多くの1年生にやはり様々な形式の作品を読んで欲しいというお節介な部分も存在している。

〇これまでの作品読解の記録
2020年度
作品読解第1回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/722
作品読解第2回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/723
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401