『文芸ラジオ』6号が発売になりました。

東北芸術工科大学芸術学部文芸学科の学生・教員がお送りする『文芸ラジオ』6号が発売となりました。ぜひお買い求めください。

Guest Talk

夢眠ねむ「本でしか得られないことがあると思って、信じて本屋になった」

Creator’s Talks

三浦しをん「キャラクターの内面を描くうちに作者自身の理解が深まっていく」

今村翔吾×池上冬樹「情熱が才能を超えていく、作家になりたい気持ちを強く持つ」

楠章子「伝えたい気持ちがあれば自ずと体は動くはず」

猿渡かざみ「すべての物語からの着想が個性につながる」

西村博一(「yom yom」編集長)「“面白い”を貪欲に取り込むのが編集者の心得」

特集 同調圧力から離れる

Interviews
コナリミサト「抜け道をつくって、楽しく健やかに生きていこう」
朝比奈あすか「世の中はいろいろな見方ができる 本を読むことで世界が広がる」
住野よる「若い登場人物たちと同調圧」
丹羽庭「同調圧力の中、漫画家という道」

Column
文芸作品に学ぶ 同調圧力からの受け身の取り方

特集 おいしい食べ物の描き方

Creator’s Talk
角田光代×井上荒野×江國香織「「食」は背景を表すツールである」

Interview
神田桂一&菊池良「文体を解体して、クセを馴染ませる」

昆虫食を文豪風にレポート! 次世代の主食はこれ!? あの有名人が食べたら
文学から味覚を探せ! おいしい表現ランキング ベスト15
「おいしい表現」学生鼎談 読むだけでおいしい! 表現を食べるように読む

小説

木原音瀬「アナスタシア」
小嶋陽太郎「チチカ」
川崎昌平「愛、編む」
青羽悠「スローアウェイ」
オーガニックゆうき「喉仏」

佐藤苹果「午前3時のホットケーキ」
藤宮悠希「居場所」
佐藤宏哉「雪男の断崖」
宮崎晟汰「アマツカ先輩は空を飛ぶ。」

Book inBook 再録 文芸ラジオPetit Vol.01
執筆者紹介
編集後記・スタッフ紹介

作品読解第3回目(荻原浩「人生はパイナップル」)とオンライン授業の続き

もはや第3週目のことは遥か昔のことのように思えてしまうぐらい、今年の前期は大変であった。自分の記憶のはかなさを感じるのだが、それが前期の多忙さからきているのか、例年も気にしないだけで同様に忘れているのかは判然としない。今年度の学年暦第3週目はちょうど6月の第1週に当たるのだが、まだ長袖のシャツで過ごしていたような気がする。しかし6月のどこかの瞬間に半袖になり、そしてまた長袖に戻っていたので、あまり自信はない。

ただしzoomを使ってのオンライン授業は、少しずつ慣れてきた……というより慣れているかどうかではなく、機能を使ってできることをしようと慣れない脳内の認識範囲をフル活用して対応していたのだと思う。例えば教室で対面で話すことと、zoomで喋ることは大きく違っていて、そりゃ身体観はまったく違うのだが、そうではなく教員側としては根本的に発声という行為自体においては同じはずなのだ。同じだろう、そう思っていたのに、まったく違うのである。

学生のリアクションのあるなしが影響を与えているのかもしれないし、自宅で声を発すること自体に慣れていないというのもあるかもしれない。集合住宅だからか、授業で出しているような声は出せていない気がしている。もちろんこれは自己認識なので他者認識とは乖離しているかもしれない。どちらにせよ、オール巨人師匠に「もっと声を張れ!」と怒られるところである。

その作品読解第3回目で取り上げたのは、荻原浩さんの「人生はパイナップル」(『それでも空は青い』KADOKAWA、2018年)であった。子供と年寄りという価値観も身にまとっている文化もすべてが違う二人が、互いにキャッチボールを通じて会話をし、変化していく物語である。こう書くと普通の話ではあるが、主人公とは違う別の誰かの人生を仮託していくように読者に見せる形式というのは、創作の観点から考えるとなかなか難しい手法である。すでに他者が経験したことを、主人公が耳にし、血肉になるように身体化し経験していく過程は、本質では通じ合っても主人公と年寄りという若い頃の住んでいた場所・文化・風土すべてが違うなかで小説としての重厚さへとつながっている。という感じで取り上げてはいるが、授業登録をした多くの1年生にやはり様々な形式の作品を読んで欲しいというお節介な部分も存在している。

〇これまでの作品読解の記録
2020年度
作品読解第1回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/722
作品読解第2回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/723
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401

『メディア・コンテンツ・スタディーズ』に寄稿しました(玉井建也「「歴史」をどこからみるか 『しまなみ誰そ彼』『織田信奈の野望』『ポプテピピック』から」)。

7月末に岡本健・田島悠来編『メディア・コンテンツ・スタディーズ 分析・考察・創造のための方法論』(ナカニシヤ出版)が発刊されました。玉井は「「歴史」をどこからみるか 『しまなみ誰そ彼』『織田信奈の野望』『ポプテピピック』から」という文章を寄稿しています。

目次など詳細はこちらから

http://www.nakanishiya.co.jp/book/b517076.html

この文章は卒業論文やレポートで歴史学の立場からメディア・コンテンツを考えるにはどうしたら良いのかというテーマで書いたものです。そのため文章の対象はもちろん大学生……さらに言ってしまえば、コンテンツ関係の卒業論文を書きたかったが、どうしたら良いのかわからなかった在りし日の自分に向けて書いています。そのため少しだけ意地悪な内容になっていて、この本を手に取る人はマニュアルのようなものを期待している人もいると思うんですよ。でも、ゲームの攻略本のようにパラメータやダンジョンのルート、職業やクラスごとのレベルアップボーナスなどがわかることは、恐らく学問においてはありえないと思っています。

そのためこの文章は学問の入り口にまでは導くのですが、そこから先は自分で考えろという内容になっています。その意味で「意地悪」なんですね。「いや、だからそこからどうするんだよ」と大学生の自分なら思うでしょう。そこからを知りたい。手短に終わらせたい。そのような人は試行錯誤を楽しんでください。

本自体は多様なジャンル、様々な角度から考えられており、卒論やレポートの執筆にはうってつけの内容になっています。皆さんもぜひ手に取ってみてください。

■横山秀夫と藤沢周平--大学の授業から(Twitter より+感想)

●大人気の横山秀夫、不人気の藤沢周平

▼大学のゼミで横山秀夫「陰の季節」をとりあげた。文藝春秋のホームページで無料で読めることを知ったので(6月19日まで公開)あわててテキストにしたのだが、大好評だった。あまりにも男くさい警察小説なので不安の部分があったのだが、「今年一番のテキストですね!」と女子学生がいってくれた。

▼2)今年といってもまだ5回目で、打海文三、佐藤正午、伊坂幸太郎(集英社のHPで無料で読める「逆ソクラテス」)、瀬尾まいこなどの緻密な作品もテキストにしているが、やはりドラマ性の強さだろうか。こちらの想像以上の昂奮ぶりで創作を学ぶ学生には視点、語り、主題などすべて刺激的のようだ。

▼3)ゼミでは横山秀夫の話はしているし、解説を担当した大傑作『第三の時効』(集英社文庫)を含めて推薦してきたのだが、やはり実物を与えないと駄目ですね。いや、本は大学の図書館に寄贈したのだが、警察小説に魅力を感じなかったのか。でも「陰の季節」で横山秀夫に目覚めたようだ。嬉しいね。

ということで、『第三の時効』の短篇をテキストにすることにした。ゼミと創作演習1(二年生)の授業で。

▼昨年の授業ではディーン・R・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』のある章をテキストにしたが、今年横山秀夫の作品(『第三の時効』所収短篇)をサブテキストに加えたら、急激に理解度があがった。大学二年の文芸学科の学生にとっては初めての横山秀夫体験なのですね。実に衝撃的だったみたい。

▼2)最初から最後まで緊張感が持続しているのが凄い、タイトルに二重の意味をもたせる劇的な展開に興奮した、警察小説は初めて読んだが、こんなに面白いとは思わなかった、あの場面のあの文章がいい、複数の事件が進行し、なおかつ大勢の人間が出てくるのに全く混乱しない、素晴らしい!と絶賛の嵐だ。

▼3)中には高校時代に祖母に、または小学4年のときに父親(刑事)に『64』を薦められたなどという話もあって、横山秀夫の人気の広がりと文芸学科の学生の背景(家庭環境)が見えて興味深かった。小説ファンには何をいまさらでしょうが、19歳の学生たちが手をとらないジャンルでもあるのです。

▼4)今年は初めて佐藤正午『ダンスホール』、瀬尾まいこ『優しい音楽』、横山秀夫『第三の時効』など文庫解説本をテキストにしたが(大好評)、問題は昨年初めて使った藤沢周平。芸工大でも非常勤の宮城学院女子大学でも不評。「隠し剣」シリーズ(藤沢周平のベスト3に入る)の名作を選んだのだが。

▼5)別の作品か? いやそんなことはないはずだ。学生たちの感想を聞くと、時代小説に初めて触れたらしく武家社会を理解していない。でもそんなことは予測ずみで、小説として優れているものを選んだのだが。もっと初期の暗い作品か、それとも市井ものか、あるいは晩年の心境小説風のものか。悩むね。

 

阿部智里さん、松崎夏未さん、堂場瞬一さん(twitter より。+感想)

●阿部智里さん&松崎夏未さん

▼東北芸術工科大学文芸学科のオープン・キャンパス2日目(8月2日)、「阿部智里×松崎夏未×池上冬樹トークショー」に多数のご来場ありがとうございました! お二人ともプロ中のプロ、全力で仕事に打ち込んでいる話がずしりと響きました。手応えのある示唆に富む話多数で、とても1時間では足りなかったですね。

▼2)本来なら昨日はせんだい文学塾で、お二人が講師を務める予定でしたが、コロナ感染者拡大のために中止。芸工大のトークショーはオンラインということで実現できましたが、いやあ、お二人のお話がすごく面白くて鋭く(ためになりました)、仙台か山形講座にもう一度お招きしなければと思いました。

阿部智里さんは、昨年の12月に「山形小説家・ライター講座」にお招きした(前半のテキスト講評はここ、後半のトークショーはここ)。そのときの司会進行は講座出身の紺野仲右ヱ門(夫婦作家)。紺野夫妻および受講生からは阿部さんの弾丸トークが素晴らしすぎる! という感想をいただいたのだが、まさにその片鱗が今回もうかがえた。松崎さんとは初対面だが、芯の太い堂々たる見方・発言で、阿部智里さんが尊敬の念を抱いているのがよくわかった。次回はぜひ僕が司会進行をして、お二人にあらためて詳しくお聞きしたいと思っている。

 

●堂場瞬一さん

▼今日(8月5日)は芸工大のゼミの前期最終日、堂場瞬一さん(&編集者2人)をお招きして特別講座を開催した。前半は池上ゼミ生3人のテキスト講評、後半はトークショーと小説家講座と同じ構成です。スポーツ小説の書き方、王道とは何か、作家9割が書く方法を選ばずあえて残り1割をとることの挑戦の意味とは・・。

▼2)パターン化する結末を避ける方法とは何か、細かいことは後回しでいい、とりあえず完成させることの重要性、さらに学生に対する助言としては、焦るな、経験をしろ、37歳デビュー説がある、大学卒業後12年間社会生活を送れ、誰よりも詳しい職業(ジャンル)を掴め、といい話を沢山してくれた。

▼3)あえて自分の話を書くなという大胆な言葉もあった。終わってすぐにゼミ生たちに感想を聞いたら、面白いことに印象に残った助言がみな違っている。書いているものと姿勢が異なるんだなあと改めて。今週は前期最後にあたり、ゼミ生以外の参加は無理かと思ったら駆けつけてくれた学生が20人近く。

▼4)他の授業を欠席して、僕のゼミにもぐりこんできれたのはありがたい。いや、ありがたいといえば、薄謝(文字通り薄謝)にもかかわらず、2時間近くも学生の相手をしてくださった堂場瞬一さんと編集者には感謝です。本当にありがとうございました! 勉強になりましたし、何よりも楽しかった。

▼5)言い忘れたが、堂場瞬一さんをお招きしての特別講座はリモートである。大学から交通費が出るとはいえ、わざわざ山形まで来てもらって半日つぶしての薄謝よりも、2時間だけ参加しての薄謝のほうが負担はかからない。作家を大学に招きやすくなったかも。とはいえ薄謝は本当に薄謝で、実に申し訳ない。

堂場瞬一さんは海外ミステリの大ファンであり、評論家以上に海外ミステリの新作を読んでいるかもしれない。その意味で、作家と評論家という立場よりも、海外ミステリファンの同士という印象が強い。話をしていても簡単に通じることが嬉しく、堂場瞬一さんは「山形小説家・ライター講座」「せんだい文学塾」の常連講師になってもらっている。
山形→仙台→山形→仙台と毎年のようにお招きしていたが(たとえばテキスト講評はここ、トークショーはここ)、今年度は難しかった。どこかのタイミングでお招きできないかと考えていたが、コロナによるオンライン授業の普及で、逆に垣根が低くなった。文藝春秋の会議室で、堂場瞬一さんと対談したこともあるが、リモートの一般化で、上京しなくても対談ができるようになるかもしれない。嬉しいことですね。

 

新人賞に応募するときに知っておくべきこと、あれこれ。

Twitter はおもに仕事情報の告知にしているのだが、ときどき仕事の延長で思ったことを呟くことがある。7月上旬に、ある新人賞の下読みで経験したことを呟いた。

▼新人賞の下読みで、これは最終候補に残るだろう、いや、間違いなく受賞するかもと思って上にあげたら、「すでに電子書籍になっているので外します」と編集者から連絡があった。電子書籍にしたものを応募するなよ。応募するなら本になっていないものを。本にするのは落ちた後でいいではないか。残念。

僕が世話役をつとめる「山形小説家・ライター講座」や「せんだい文学塾」、教えている東北芸術工科大学や非常勤の宮城学院女子大学の創作の授業でも普通に話をしている情報だが、これがなぜかバズった。7月12日に投稿して、30日段階でリツイート数662、いいね数836。その後も増えているのかもしれないが、ともかくはじめてバズるというものを経験した。
で、いいねやリツイートをする人をみていると、作家志望者が多い。そうか、彼らは知らないのかと思った。山形や仙台の講座や大学に来てくれたらいくらでも教える(教えている)のだが、そうもいかないだろう。だったら、講座や大学でいっていることを連続ツイートしようかなと思って、新人賞に関するツイートを投入した。その数16本。以下に、まとめてみます。

▼公募の新人賞・文学賞の原稿は基本的に「未発表作品」。だから不特定多数の目にふれた作品(紙&電子書籍)はNG。投稿サイトに掲載されたものもNG(OKとするところもある)。ただし閉じられたサークル(小説家講座、何々教室など)での発表作品はOK。不特定多数の目にふれてないから。

▼電子書籍を賞の候補から外すのは当然だが、某新人賞の2次選考に上がった(最終候補ではない)という理由で落とす賞も増えてきた。かつては問題なかったが、誰もが検索できる時代では、A賞の2次通過作品がB賞の候補になっていると格好が悪い。編集部が完全な新作を求める傾向にもあるけれど。

▼2)応募者もその辺の検索事情を知っていて、別の賞に名前と作品名をかえて応募してくる。で、見つからないかというと見つかるのである。僕も他の評論家もそうだが、みな賞の下読みを複数している。「あ、これ某賞の下読みで読みましたね」と気づく。編集者に伝えて、その作品はボツになる。

▼最終候補作を決める予選会議(評論家と編集者の合同会議が多い)で一度も最終候補にならない書き手の話で盛り上がるときがある。みな複数の賞の下読みをしているから“常連” に詳しい。あの人は毎回同じ書き方で丁寧だけど面白くない、書く方法を変え、題材を別にすればいいのに、なんて話になる。

▼2)力はある、でも孤独に書いているし、あまり本を読まないからレベルアップしない。で、A賞で落ちたらB賞、B賞で落ちたらC賞、C賞で落ちたらD賞と送り先をかえるだけ。ABCD賞の下読みをやっている評論家たちの話題になるだけ。山形や仙台講座に来てくれたら詳しく書き方を教えるのに。

▼文学賞の下読み(一次または二次選考)・予選委員(最終候補作を選ぶ)をしていると「運」を考える。最終候補作が決まった後に問題(二重投稿など)が発覚してボツに。代わりに一作上にあげるのだが、こんなものをあげても選考委員は推さないだろうと思ったものが受賞作となったりする。過去に二回。

▼2)でも、そういう作家が意外と化けたりするから面白い。編集者としかと向かい合い、相手のいうことをきちんと聞き、書き直しにも何回も応じて仕上げるからだろう。運というものが、実は、その人の性格によって生かされるものであることがわかる。名前はいわないが、直木賞作家にもなった。

▼3)毎回予選委員が強く推しても賞をとれない最終候補作家もいる。何回も受賞できないと迷走して、受賞できるような作品を狙ってくる。でも大抵はつまらない。個性をなくした作品で逆に最終候補にあげられない。他賞を狙っても賞がとれない。実力はあるのに腐り、そのうち消えてしまう。

▼文学賞をとったもののフェイドアウトした人が、昔の栄光を求めてまた文学賞に応募してくる。元受賞作家たちが彷徨っている。でも賞をとって2、3作で消えた作家は伸びない。書けないからだ。編集者の要求に応えられない。元作家にはハンデをつける。よほどの傑作でなければ最終候補に辿りつけない。

▼いくら中身がよくても書き出しが悪ければ「作家は冒頭の1行で読者に見捨てられる運命にある」(打海文三)。それをもじるなら「新人賞の応募原稿は冒頭の20頁で判断される運命にある」。冒頭が退屈な原稿の9割は凡作。書き方を心得ている者は冒頭から惹きつける。その考えがないのは全くの素人。

▼新人賞の応募作で「これは三部作の第一部です」と記す人がいるが、作品が完成しているときは記さないほうがいい。三部作の第一部とは要するに「この原稿は完成していない」と選ぶ側は考える(そして落とす)。構想を語る新人の小説に傑作なし、と経験上いえる。未完成の作品がほとんどだから。

▼1作を後生大事にして各賞に送るのも困るが、毎年ではなく毎賞ごと新作を送りつける書き手も困る。新作が次々に書けるのはいいのだが、すべて薄味。作者の個性がなく、何でも(薄く)書けることをアピールしてどうする? 何でも書けることよりも、このジャンルは自分が一番だと思わせる傑作を書け。

▼A賞の落選作を書き直してB賞に送るのはいい。100枚削るのもいい。でもストーリーを改変していないなら書き直したとはいわない。それは同じ原稿。100枚削れるならもっと削れるかも。80枚の短篇ネタを400枚書いてくる応募者が実に多い。短篇ネタなのか長篇ネタなのかを考えてほしい。

▼大学の授業で逢坂剛『水中眼鏡(ゴーグル)の女』をテキストにした。大評判。『ミステリーの書き方』(日本推理作家協会編、幻冬舎文庫)で作者が語っているようにB・S・バリンジャーの作品のトリックを使ったものだが、ミスリードを含めて実に巧みではるかに劇的。特に脇役が誤導に効果を発揮している。

▼2)RTした山下達郎の言葉ではないが、詞・曲はもちろん大事だが、編曲も大事。逢坂剛「どんでん返し--いかに読者を誤導するのか」(『ミステリーの書き方』所収)でも語られているが、トリックの引き出し、またはジャンルの結合の仕方に新しさがある。逢坂さんの作品はいつも新鮮で驚きがある。

▼応募作の原稿の中に手紙が同封されていることがある。手紙を開くと大抵写真。全員女性の応募者なのだが、顔写真どころか水着写真だったりもする。なぜか背景がホテルの廊下だったり(何を考えてるの?)。いうまでもないが、小説を選ぶのであって顔は選ばない。水着になる暇があったら推敲しなさい。

以上の16本もけっこう話題になり、いいねやリツイートされた。そうなると作家志望者の期待に応えたい気持ちが出てきて、わりと積極的に、芸工大の授業内容についても言及するようになった。その辺の話も、いずれ、まとめて記載したいと思う。

8月1日(土)・2日(日)はwebオープンキャンパスです。

来る8月1日(土)・2日(火)にオープンキャンパスが開催されます。今回も前回に引き続きオンラインでの開催になります。文芸学科では下記のイベントを行いますので、ぜひともご参加ください。参加に関してはこちらのサイトをご確認の上、Lineの友達登録などをお願いします(イベントに関しては高校生以外の方も参加可能です)。

〇8月1日(土)

〇卒業生作家×特別講師の師弟対談

11:00-12:00
猿渡かざみさん(『塩対応の佐藤さんが俺にだけ甘い』×森田季節さん(『スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました』)

文芸学科の卒業生である猿渡かざみさんと本学科で特別講師として教鞭をとられている森田季節さんの対談になります。高校生の皆さんからの質問も受け付けますので、創作活動に関する取り組みから日ごろの生活にいたるまで様々な話が聞けるかと思います。

〇卒業生編集者・コンテンツクリエイター対談

12:30-13:30
城下透子さん(Webコンテンツクリエイター)×松本裕のさん(編集者)

文芸学科を卒業した学生同士の対談になります。特に編集者およびweb関係に興味ある人におすすめです。編集コースで培ったノウハウを、どのように現場に活かしているのかが聞けるかもしれません。

〇8月2日(日)

〇小説家 阿部智里さん×漫画家 松崎夏未さん×池上冬樹教授トークショー

「小説家、漫画家のプロになるには」
11:00-12:00

八咫烏シリーズでおなじみの阿部智里さん、そして阿部さんの作品『烏に単は似合わない』のコミカライズを担当している松崎夏未さんをお迎えしてのトークショーになります。本学科の池上冬樹教授により、小説家・漫画家のプロにいたる道を聞き出していきます。

〇両日共通

〇総合型選抜[専願型]入試体験「昔話のリライトを体験しよう」

13:30-14:30

総合型選抜入試[専願型]で行われるグループワークを実際に体験していただきます。入試の内容を把握できる唯一の機会です。

〇在学生に聞く!入試対策相談会

14:30〜15:30

受験を経験した現役の学生に、入試の体験を聞くことができます。入試の内容自体もさることながら、当日までどのような準備をしたのか、入試会場に行くまでの交通や宿泊、当日の休憩時間の過ごし方など、様々な話が聞けるはずです。

そのほか学科紹介の動画、文芸学科の入試解説動画、創作・編集に関する動画、就職に関する取り組みを解説した動画などはこちらのサイトからご覧ください。また文芸学科教員への面談予約も同じくオープンキャンパス全体のサイトから受け付けております。

作品読解第2回目(似鳥鶏「論理の傘は差しても濡れる」)とオンライン授業

はるか昔の出来事のような記憶になりつつあるが、まだ2か月前のことである。授業をオンラインで進めることになり、1週間のテスト期間を経て2回の授業をしてもまったく慣れておらず、もはや何に対して戸惑っているのかすらわからないまま、とりあえず日々の授業と会議をこなしていた。twitterをのぞくと、様々な大学の学生が課題の多さに対する怨嗟のつぶやきをし、さまざまな大学の教員もまた単位評価のために課題を出さなければというつぶやきをしているのを、よく目にしたことを覚えている。

その点では東北芸術工科大学の文芸学科において、課題の分量はリアル世界で授業をしていたときからまったく変化していない。毎週(授業によっては隔週ぐらいで)課題が出され、毎週(結局、どれかの授業で課題を出しているので)課題への講評書きを教員である自分はしている。リアルだろうが、オンラインだろうが、授業としての作業量はあまり変わらず毎週大変なだけである。この作業量に関して、過去、何名かに「そんなにやってどうするんだ」のようなことを言われてしまったし、「でも楽勝でしょ」のようなことも言われたりもした。

そんなことを言われるたびに、何年かこなして作業に慣れたとはいえ、まだまだ時間のかかる自分自身に不甲斐なさを感じたりしていたのだが、オンラインに移行し、他の大学の教員が課題を出し、フィードバックに苦労しているのを見ると「同じですね」と思ったりしている。もちろん僕に言った人が直接twitterでつぶやいているわけではないので(そもそもtwitterをやっているのかも知らない)、自分自身の性格の悪さをそのまま書いているだけである。だからといって何かの優劣が出来上がったりすることはなく、毎週の授業をこなしていくだけである。そうはいうものの自分自身は録画・録音を事前にし編集作業を行っているわけではない。そのような人は事前準備の仕事量が膨大になっているであろうから頭が下がる。

大学に入ると様々な人がいて、いろいろなことを考えている。もちろん教員の中にも何年も前に言われたことを、うじうじとブログに書いている人もいる。別に何が良いも悪いもないので、臆することなく存在すればいい。という意味を込めて、第2回目の授業は似鳥鶏さんの「論理の傘は差しても濡れる」(『目を見て話せない』KADOKAWA、2019年)を取り上げた。ネットスラング的な意味においての「コミュ障」な主人公が、推理をし、日常の謎を解決していく作品である。この作品のポイントはもちろん「コミュ障」になる。

学生の皆さんは気楽にコミュ障という言葉を使っている。もちろんそれこそがスラングである所以なわけなので別に良いのだが、とはいえ創作する段階になって突然、等身大の自分自身を反映させた主人公を描こうとしてしまう。すると出来上がるのは、自ら行動に移すことのない消極的な人物が、なぜかいざという時に活躍するという物語である。普段ダメなやつは、いざというときもダメに決まってるじゃないか。

この作品はその点を上手くクリアしていて、コミュ障であるがゆえに大学生活の初日から自己紹介が満足にできず、lineのID交換を誰ともできない。目から汗が出る事態である。しかし、謎に対する嗅覚と解決に希求していく姿勢は、非常に秀逸であり、物語を支える主人公の行動規範となっている。そう、変なやつだけど、すごいんだよ。この作品を取り上げた理由は、決して「コミュ障でもいい」とかいう短絡的なものではない。このような主人公を描くことの大変さを、創作する側として考えて欲しいという点のほうが大きい。

〇これまでの作品読解の記録
作品読解第1回目 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/722
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401

作品読解第1回目(相沢沙呼「卯月の雪のレター・レター」)と入学後

主に入学したばかりの一年生が受講する「作品読解」を、今年も担当している。授業の内容は例年と変わらず、短編小説を読み、要約するというものである。入学したてだと、この基礎能力をまずは鍛える必要があり、なぜかというと「一寸法師」の物語を「鬼の話ですよね」というような要約をしてくる人がいるからである。タイトルの一寸法師は何処に行ったのか(『深夜の馬鹿力』の「あの歌は~」のコーナーみたい)と思ったりもするが、心配することはない。できないことがあれば、できるようになれば良いだけである。ただし計画的・理論的に詰めていく必要がある。

要約をするためには物語の内容把握が必要なのだが、この一点だけでも複層性が含まれており、ストーリーラインを把握するという基礎訓練から、そのシーンがなぜそこに存在しているかやキャラクター造形はどうなっているのかを考えたり、作品のテーマや背景としている価値観や概念・思想まで踏み込んでいくことができる。ということは要約なんか簡単だよ、と適当に済ますこともできるのだが、そう簡単にいかない面だって存在していることになる。

どの授業もそれなりの奥深さがあり、その「奥深さが存在すると感じ取る」に到達できるかどうかは受講生自身の取り組み次第でしかない。例えば事前に関連論文を調べて読んでいったりすると、当然ながら授業の理解度も変化していく(実は学生時代、そんなことをしていた……あの時は真面目であった……)。ここらへんを抜かして、ただ課せられたことだけをこなしているだけだと、次第に「この授業は何のために行われているのか」を見失ってしまう。さらには「直接的に役立つこと以外はやりたくない(ので全部説明しろ)」と思うようになる。大変危険である。

どちらにせよ、個々人の自由なので、手を抜いて何となくこなしていき、単位だけもらっていくこともできる。それはそれで一つの手段であるし、自ら取り組みたいことが明確にある場合はすべてに全力投球をする必要がないのも確かである。今月末に新人賞の締切があるから作品執筆に注力したいとなったとき、優先順位をどうするかは決まっているだろう。とはいえ世の中、そんな人ばかりではない。

作品読解の初回で取り上げた作品は相沢沙呼さんの「卯月の雪のレター・レター」(『卯月の雪のレター・レター』創元推理文庫2016年)である。周囲の人たちから自らに降り注ぐイメージと自己認識のギャップに悩み、さらにはどこに向かってどのようにして一歩踏み出せば良いのかに悩む少女の物語である。芸術系の大学に入ると周囲の人たちは常に何かに取り組んでいて、常にやりたいことが存在し、常にキラキラ輝いて見えるかもしれない。もちろんそのような人もいるし、それはそれで良いのかもしれないが、そのような人ばかりではない。文芸学科に入学したのに果たして自分は何を書いたら良いのだろうか。そう悩む人だっているだろう。

そのような人の背中をそっと押すつもりで、この作品を取り上げた。タイトルに「卯月」とあるように時期もちょうど良い。とシラバスを書いているときに思っていたら、コロナ禍により初回授業は五月となってしまった。さすがに予想外であった。

〇これまでの作品読解の記録
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401