19歳の学生作家デビューと大沢在昌の名作たち

 集英社の読書情報誌「青春と読書」3月号の見出しを見たときに、あれ? と思った。「第31回小説すばる新人賞受賞対談 増島拓哉『闇夜の底で踊れ』 大沢在昌×増島拓哉」とあるからである。受賞記念の対談といったら、受賞者と選考委員が対談するのが決まり。小説すばる新人賞選考委員は五木寛之、阿刀田高、北方謙三、宮部みゆき、村山由佳であって、大沢在昌は選考委員ではない。なぜ大沢さんなのだろう? と思って、ひもといたら、すぐにわかった。受賞者の増島さんが熱烈な大沢ファンなのである。

 「・・第31回小説すばる新人賞受賞作『闇夜の底で踊れ』は、抜群のリーダビリティとテンポの良さをもった長編小説。そのハードな内容とクオリティの高さと同時に、作者の増島拓哉さんが十九歳の大学生だったことも選考委員を驚愕させた。その増島さんがあこがれの作家として真っ先にその名を挙げたのが大沢在昌さん。緊張気味の新人作家の問いに応え、ベテラン作家が語った「作家という生き方」とは」というのが、リード文。

 このあと本文で、ベテラン作家と新人作家の対談が始まるのだが、これがなかなかおもしろい。そもそも受賞作品が、小すば新人賞にしては珍しいノワールで、パチンコ依存症の無職の男が、風俗嬢に入れ込んで借金を作り、暴力団の抗争に巻き込まれていく話である。

  というと、やや通俗的な題名もあってありきたりの物語と思うかもしれないが、そうではない。前半はやや新鮮味に欠けるものの、抗争の構図があらわになってから会話もキャラクターも弾けるし、意外な事実が次々と明らかになっていく終盤は緊迫感に包まれてわくわくする。黒川博行に迫る笑いにみちた会話、作者が多大な影響を受けたという大沢在昌の優れた語りと人物像の創出が、陰惨な暴力劇を調子のいいピカレスクに仕立てあげている。才能にみちた出色の新人のデビュー作だ。何よりも十九歳というのがすごい。

 これは僕だけの感想ではなく、大沢在昌もそう。「十九でこれだけ書けるの。すごいね。キャラクターの描き分けも上手いし、この風貌から思いつかないぐらいヤクザ業界のことをちゃんと書けている。この子は一体どういう育ち方をしたんだろうと思ったけど(笑)」といったあと、もういちど具体的にキャラクターの良さに触れ、自分のデビュー時を思い返す。 「選考委員が評価したのは、やっぱりキャラだと思うんだよね。主人公の伊達雅樹も面白い男だけど、伊達がパチンコ屋で知り合う平田っていうおっさんとか、伊達にからんでくるいいろいろなタイプの極道とか、登場人物一人一人の個性が立っている。「役」じゃなく「キャラ」になっているんだ。とても十九歳の筆とは思えないね。俺も十九のときに小説を書いてたけど、とてもじゃないけどこんなものは書いてなかったし、デビューしたのが二十三で、あなたより四歳年上だったけど、それでも今のあなたにかなうレベルじゃなかったなってつくづく思った」

 ほめすぎではないかと思うかもしれない。でも、大沢在昌の言葉に嘘はないだろう。一九七九年、二十三歳の時のデビュー作は、小説推理新人賞を受賞した「感傷の街角」で、失踪人調査のプロである佐久間公の登場作。受賞作をタイトルにした第一作品集が上梓されたのが、三年後の一九八二年で、現在角川文庫に収録されている。ちなみに解説は、僕である。解説者の僕からみても、文体の瑞々しさという点では大沢在昌に魅力があるけれど、キャラクター描写に関してはやはり増島拓哉のほうが勝っている。本当に驚くほど増島は巧い。

 一方、増島は、大沢在昌の小説の魅力を、一気読みさせる力だという。「小説を一気読みすることってあまりしないんですけど、大沢さんの本はほとんどすべて一気読みしています。どれもぶっちぎりで面白いんです」といい、「俺の作品のなかで何が一番好きなの?」と聞かれて、「シリーズものを除けば『ライアー』ですね」と応えている。 この返答を読んで、おお、増島君(と急に親しみを覚えた)、君は小説のことをよくわかっているね! といいたくなった。「どれもぶっちぎりで面白い」が、その中でも『ライアー』(新潮文庫)は抜群なのである。これはもう必読の名作といっていい。

 物語の主人公は、大学教授の夫と小学生の息子との三人暮らしをする神村奈々。「消費情報研究所」に勤務しているが、実はこれは政府の非合法組織で、国家に不都合な人物を「処理」するのが任務。そのことを夫には秘密にしていたけれど、夫の事故死のあと、身辺が慌ただしくなり、謀略に巻き込まれて死の危険にさらされていくという内容だ。

 設定だけ紹介すると、やや安手の印象を与えかねないが、最後まで読めば、おそろしく深く、実に遠いところまで読者を運んでいることに気づくだろう。組織内部の凄まじい暗闘、ヒロインの切々たる女性性の葛藤、深く響きわたる家族の愛などが、激しく胸をうつのである。ここ十年の、海外と日本のエンターテインメントの変質の中で、いかに『ライアー』が際立つ傑作であるかを、僕は解説に書いた(そう、言い忘れたが、解説担当は僕である。大物作家の輝かしい第一作品集の解説も名誉だが、個人的には『ライアー』という歴史的傑作-詳しくは解説参照-を担当できたことが本当に嬉しい)。ぜひ読んでほしい傑作中の傑作だ。

 ところで、この対談のはじめのほうで、大沢在昌が「小説家という仕事はずっと続くから、これから十年、二十年、三十年先、その時々にどんなものを書いていくが重要だと思うんだよね。いま、人生設計で、ある程度決まってることってある?」と聞くと、「いま大学二年生なんですが、卒業したら就職はしようかなと思っています」と増島拓哉はこたえている。これは大沢在昌が授賞式の二次会で、「企業と組織を知ることが作家として強みになる」と助言したからだという。大沢在昌も新人賞を受賞したとき、新聞社から内定をもらっていたが、作家の道を選び、就職しないできたことを後悔したという。

 数あるエンターテインメントの新人賞のなかで、小説すばる新人賞は打率の高さ(受賞作家のその後の活躍の度合い。大きな文学賞の獲得やベトスセラー作家への足掛かり)ではナンバーワンであり、増島拓哉は作家として十二分に活動していけると思うが、あえて就職の道を選ぶあたりが、ますます頼もしい。学生のみなさん、就職活動をしましょうね。

 さて、申し遅れたが、すでに玉井先生の文章にもあるように、四月から東北芸術工科大学の文芸学科で教えることになった。本欄でも、さまざまなことを書いていきたいと思う。どうかよろしくお願いいたします。