主に入学したばかりの一年生が受講する「作品読解」を、今年も担当している。授業の内容は例年と変わらず、短編小説を読み、要約するというものである。入学したてだと、この基礎能力をまずは鍛える必要があり、なぜかというと「一寸法師」の物語を「鬼の話ですよね」というような要約をしてくる人がいるからである。タイトルの一寸法師は何処に行ったのか(『深夜の馬鹿力』の「あの歌は~」のコーナーみたい)と思ったりもするが、心配することはない。できないことがあれば、できるようになれば良いだけである。ただし計画的・理論的に詰めていく必要がある。
要約をするためには物語の内容把握が必要なのだが、この一点だけでも複層性が含まれており、ストーリーラインを把握するという基礎訓練から、そのシーンがなぜそこに存在しているかやキャラクター造形はどうなっているのかを考えたり、作品のテーマや背景としている価値観や概念・思想まで踏み込んでいくことができる。ということは要約なんか簡単だよ、と適当に済ますこともできるのだが、そう簡単にいかない面だって存在していることになる。
どの授業もそれなりの奥深さがあり、その「奥深さが存在すると感じ取る」に到達できるかどうかは受講生自身の取り組み次第でしかない。例えば事前に関連論文を調べて読んでいったりすると、当然ながら授業の理解度も変化していく(実は学生時代、そんなことをしていた……あの時は真面目であった……)。ここらへんを抜かして、ただ課せられたことだけをこなしているだけだと、次第に「この授業は何のために行われているのか」を見失ってしまう。さらには「直接的に役立つこと以外はやりたくない(ので全部説明しろ)」と思うようになる。大変危険である。
どちらにせよ、個々人の自由なので、手を抜いて何となくこなしていき、単位だけもらっていくこともできる。それはそれで一つの手段であるし、自ら取り組みたいことが明確にある場合はすべてに全力投球をする必要がないのも確かである。今月末に新人賞の締切があるから作品執筆に注力したいとなったとき、優先順位をどうするかは決まっているだろう。とはいえ世の中、そんな人ばかりではない。
作品読解の初回で取り上げた作品は相沢沙呼さんの「卯月の雪のレター・レター」(『卯月の雪のレター・レター』創元推理文庫2016年)である。周囲の人たちから自らに降り注ぐイメージと自己認識のギャップに悩み、さらにはどこに向かってどのようにして一歩踏み出せば良いのかに悩む少女の物語である。芸術系の大学に入ると周囲の人たちは常に何かに取り組んでいて、常にやりたいことが存在し、常にキラキラ輝いて見えるかもしれない。もちろんそのような人もいるし、それはそれで良いのかもしれないが、そのような人ばかりではない。文芸学科に入学したのに果たして自分は何を書いたら良いのだろうか。そう悩む人だっているだろう。
そのような人の背中をそっと押すつもりで、この作品を取り上げた。タイトルに「卯月」とあるように時期もちょうど良い。とシラバスを書いているときに思っていたら、コロナ禍により初回授業は五月となってしまった。さすがに予想外であった。
〇これまでの作品読解の記録
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401