2020年度前期「作品読解」(玉井担当)で取り上げた作品

作品読解は毎年前期に行っている授業で、一年生向けに開講されている。今年はコロナ禍によりオンラインで行われ、何が何だかわからないまま時間が過ぎ去っていった。

書いている今は12月31日の大晦日なのだが、前期のことは遠く霞がかっており何も覚えていない。『孤独のグルメ』が横で流れているだけである。今年も例年のごとく備忘録のように記録するとしても、ここまで忘れているとは思わなかった。それだけ新しい経験をしていたら良いのだが、多くは授業準備をしていた記憶しかない。自転車操業のような忙しさは身に染みている。

  • 相沢沙呼「卯月の雪のレター・レター」(『卯月の雪のレター・レター』創元推理文庫、2016年)

毎年のように高校生を主人公とした作品を、初回に取り上げている。つい先日まで高校生であった学生の皆さんは読みやすいのではないか。もしかしたら、少し変化していて客観視できるようになっているのではないか。そう思いながらのセレクトであった。新しい一歩を踏み出すこと、変化への恐れをきれいに描き出した短編である。

  • 似鳥鶏「論理の傘は差しても濡れる」(『目を見て話せない』KADOKAWA、2019年)

新入生といったら自己紹介。どこへ行っても新人は自己紹介である。もちろん受講生もどこかで自己紹介をさせられるに違いない。そう思って取り上げたのだが、すべてがオンラインになるとは思わなかった。2020年が終わりそうな時期のメンタリティだとオンラインは適当に流せるから、自己紹介という意味では少し楽という感じではある。とはいえあの当時は緊張状態であったから、どうだったのだろう。コミュ障の主人公を描いた作品であるが、「コミュ障」という言葉に彩られた側面に着目し、そして引っ張られてしまうとテーマ性を見失ってしまう。

  • 荻原浩「人生はパイナップル」(『それでも空は青い』KADOKAWA、2018年)

このような物語の作り方もあるよ、という提示の意味も込めている。主人公の視点から祖父の生き方を見て、自らに重ね合わせていく方法は、取り組んでみると難しい……ので、簡単に取り上げるものではなかったのかもしれない。とはいえ数多くの作品に触れて、自らの血肉にしていくのは重要である。

  • 畑野智美「肉食うさぎ」(『海の見える街』講談社文庫、2015年)

たまには恋愛を描いた作品を取り上げよう。取り上げた理由はそれだけであったのだが、皮肉にも社会の階層間をめぐる関係性を解き明かしている作品をみんなで読むことになってしまった。階層の問題を頭で理解するのではなく、体感するのはなかなか難しい。しかしこれは恋愛物語の古典的な構造かもしれない。

  • 彩瀬まる「シュークリムタワーで待ち合わせ」(『まだ温かい鍋を抱いておやすみ』祥伝社、2020年)

家族観や恋愛観は別に画一的でもなく、一様でもない。多様な考えがあり、その各々がそれぞれに生きていけばいいじゃないか。と思って取り上げた作品になる。思想性が全面に押し出されているわけでもないのに、ここまで力強い小説は素晴らしい。ライフスタイルの選択も、その生きづらさもすべてが詰まっている。

  • 桜庭一樹「冬の牡丹」(『このたびはとんだことで 桜庭一樹奇譚集』文春文庫、2016年)

女性の生き方もまた社会の変容により評価自体も変わっていく。それは時にアイデンティティの揺らぎにつながってしまう可能性を含んでおり、生きにくいものになっていく。学校、大学、会社とライフコースの選択が迫られ、そのたびに他者評価が変化する可能性もある。という話を大学一年生にするのであった……。

  • 凪良ゆう「あの稲妻」(『わたしの美しい庭』ポプラ社、2019年)

さて生き方は多様である。けれどもそれを選択する強さも求められる。その不確かさは時間を経るごとに変化してきて、桜庭さんとこの凪良さんの作品では同じテーマを描いているように思えるけど、アプローチも描き方もキャラクターもすべて違っている。どちらが良いということもない。

  • 乙一「陽だまりの詩」(『ZOO 1』集英社文庫、2006年)

数週間にわたって、いろいろな話をしてしまったので、王道のテーマをエンターテイメントとして描いた作品を取り上げた。乙一作品の妙ともいうべき、物語構成の見せ方がよくわかる。普遍的なテーマなのに、なぜ面白いのか。なぜ面白く思えるのかは考える必要がある。

  • 恒川光太郎「死神と旅する女」(『無貌の神』角川文庫、2020年)

この作品は単行本で読んでいたのだが、ステイホーム中に文庫本が出てしまい、買いなおしたほうが良いのかどうかと思い悩んでいたことを覚えている。あのときは1週間に1回か2回、散歩に出て、数キロ先にある書店に行くのが日課だったので、その体験は鮮明になっている。書店の新刊コーナーでうなりながら眺めていた。作品はもちろん乱歩作品を下地にしつつも、SF的な仕掛けで非常に面白い。

  • 深緑野分「片想い」(『オーブランの少女』創元推理文庫、2016年)

少女小説の話をにこやかにしてしまったが、よく考えたら学生たちは同時代的に消費をしているわけではないので(おそらく)、なかなか難しいものであったかもしれない。そう思うのは半年も経過したからである。少女と少女の物語である。

  • 米澤穂信「伯林あげぱんの謎」(『巴里マカロンの謎』創元推理文庫、2020年)

よく考えたら「日常の謎」自体は、この授業の最初のほうの回で取り上げているのに! 授業ではくどくどと話してしまった。この作品は短い尺の中で「日常の謎」が本当にぎゅっと詰め込まれており、登場人物たちによる行動もセリフも必然性に裏打ちされていて本当に完成形といえる。

  • 北村薫「六月の花嫁」 (『夜の蝉』創元推理文庫、1996年)

そして「日常の謎」の元祖ともいうべき人の作品を取り上げたのであった。古典芸能への知識が背景に存在し、そこを基軸にしながら描いていくのは「わかっていると、そのアクロバティックな感じにしびれてしまう」のである。

  • 伴名練「ひかりより速く、よりゆるやかに」(『なめらかな世界と、その敵。』早川書房、2019年)

こちらもSFネタが散りばめられた作品。もうタイトルが示唆的ではないか。さておき作品としても驚異的に面白く、現在性も多義的に付与されている物語は今しか味わえないと思い、セレクトしたのであった。

  • 櫻木みわ「夏光結晶」(『うつくしい繭』講談社、2018年)

南島文化と女性同士の関係性を描くことが連動しており、なるほどと頷いてしまった作品である。しかも南島を描くことの意義が背景化しているようで、消去されていない雰囲気も考えさせられる。

  • 高山羽根子「オブジェクタム」(『オブジェクタム』朝日新聞出版、2018年)

この作品はすごい。ここまで断片化された個人の記憶が、アーカイブ的なものと絡まりながらも立体的に浮かび上がっていく作品はなかなか存在しない。というより普通は描けない。すっと読むと何を書いているかわからなくなってしまうけど、よく読むとちゃんと書いている。でも書いていることの絶対性だって存在している証左ではないと考えると知的好奇心が刺激されてしまう。

〇過去の作品読解
2019年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/668
2018年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/591
2017年度(途中まで) http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/531
2016年度 http://blog.tuad.ac.jp/tuad_bungei/archives/401