「桜が咲いて散ったその後で、何が真実なのかは」

 今年のオリックスバファローズはいけるだろうか。メディアを通じて情報を手に入れるだけで特にキャンプ地に取材に行ったわけではないが、少し心配なのは福良監督が選手たちに対して怒りの鉄槌を食らわせるキャラクターになっていることである。それが良いのか悪いのかは、簡単に判別できない。一つ心配なのは怒りの感情を表出しなければならないほどチーム内に自律的な活動を見込むことができないのだろうかという点である。練習試合でミスした選手には昼飯抜きの特打を課し、体重管理ができていない選手には二軍行きを命じる。それが最終的に何かを生み出したとしても、それでいいのだろうか。このように考えてしまうこと自体が極めて大リーグの個人主義的な練習方法に依拠しており、日本のプロ野球とは違うのだと言われてしまえば、特に評論家でもない自分はそうですかとそっと目を閉じるだけである。

 とはいえ、もしかしたらチーム内の空気はそのような感じではなく、福良監督を胴上げするんだ、と皆さん、意気込んでいるかもしれない。どっちであろうとも応援することには変わらないし、現にWBCで平野佳寿がセットアッパーとして投げるのを見るだけで、「この時期にオリックスの選手をテレビで見られるとは」と感謝している。WBCは従来であれば球数制限の影響で先発、第二先発とスターターの二枚看板で試合を構成していたのが、手探り状態(なのかはわからないけど)の指揮の中で、先発と第二先発の間に平野が一イニングだけ投げ、相手をシャットアウトすることで試合の流れを見事に自陣に引き戻している。さすが。

 自律的な活動に期待することは非常に難しい。文芸学科に所属していると、よく言われるのが「どうやって教えるのですか?」ということである。そしてこの言葉の裏には「物語なんか論理的に教えることなんか無理でしょう?」という意図が隠れている。100年以上前から物語論の研究蓄積があり、さらにはハリウッドでの映画の脚本理論が体系化され、日本にも輸入されている状況でありながら、なぜか物語を紡ぐことは論理的に行うわけではなく心の行くまま天真爛漫に出来上がっていると思われる。野球を教えるのに誰も「飛んでくるボールにバットを当てるだけですよ」とか言わないだろう(そのような人がいるといえばいるが……)。サッカーを教えるのに「ボールを蹴るだけです」とか言わないし、ゲームを作るのに「敵を出せばいいんですよ」とはならない。つまり物語の研究蓄積はまだまだ普遍化されていないことになる。

 ただしもちろん理論を学べば誰でもできるわけではない。スポーツ科学を学べば、誰もがイチローになれるわけではないのと同じように、誰もが西尾維新になれるわけではないし、村上春樹になれるわけでもない。大学に来て学んだところでゼミや講義で教えられるのは週に一回である。あとの時間はすべて自らの管理下に置かれる。野球で言えば自主トレの時間が延々と続いているのである。では自主トレをさぼって何もしていない学生に対して私は怒っているのか。福良監督のように「よーし、晩飯抜きで今から君の目の前にいる教員の心理描写をしてみようか」と青筋を立てて特別課題を出したところで何かが起こるのだろうか。怒りはしない。なぜなら基本的に文章など書かなくても死ぬことはないから。エッセイでも随筆でも評論でも小説でも、それらを書かなくても人間は日々生きていくことができる。それでも気付いたら勝手に書いている人が、勝手に頭を回転させている人が、結局、書き続ける人になる。そのような感じで何かを書いていている人を文芸学科では歓迎している。心が揺れ動く高校生はまずは3月25日(土)に開催される「春休みストーリー創作講座」に参加しよう。なお事前申込制で期限は3月22日(水)までになっている。ちなみに私も参加するようにと連絡がきたのだが、大学のサイトには名前がない(3月18日現在)。概ね事務はそのような感じなので、参加される高校生の皆さんも目くじらを立ててはいけない(というのは嘘で昨年は事務手続きがごたごたしてすみませんでした……)。

開催日時 2017年3月25日(土)10:00~15:10

参加費  無料(学食ランチ・チケットをプレゼント)

応募条件 本や漫画を読んだり映画やアニメを観たりするのが好き、物語を空想することが好きな高校生

会場 東北芸術工科大学(〒990-9530 山形市上桜田3-4-5)

持ち物 筆記用具、メモをとるノート

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BGM:UNISON SQUARE GARDEN「桜のあと(all quartets lead to the?)」