世界は幼なじみではない―幼なじみ萌え補遺3:広く浅くどこまでも

 どこをどう切っても研究書であってはいけない。ということは編集から言われた大前提として存在していた。この点は書き手としては、なかなか難しい問題で、学術論文のような内容を書くことはできない。しかしながら「一般向け」というターゲットもまた簡単なようで、「一般」という概念は結局、何でも当てはまることになる。つまり「広く、浅く」という内容で良いのだろうか。

 生前に文芸学科に来られていた松智洋さんが「自分の作品に対して浅いや薄っぺらいと評されることが多いが、それは逆に深いマニア的な読み手に対して届けようとは思っていないからだ。なので、そのような評価は逆に自分の作品がぶれていないことになる」のようなことを述べていて、感心したことがある。今回の『幼なじみ萌え』は別に松智洋さんに従っていったわけではないが、この本を入口として学問や物事を考えることに繋げるようにと心掛けて書いていった。したがって「薄い」と思った人は、それは正解と言えるし、その感想を抱いたあなたは優秀な人物といえる。

 さて、それでも「一般」って何? という疑念が解消されたわけではない。「一般」というのは誰でも当てはまるといえば当てはまるわけで、逆に当てはまらない人はそれこそ研究者や評論家、もしくは幼なじみマニアの方々ではないだろうか。マニア向けではない、としたときに、編集さんと話していたのは「大学を卒業して数年後に何となく手に取って、忘れていた向学心に火をつける感じで」というものであった。そのために文章中に参考文献をカッコ書きで入れるということもしている(上手くいっているかはわからないが)。したがって本書を読み、足りない点を学術論文として世に出していきたいと思った方は、ぜひ各雑誌に投稿していただきたい。

 テレビではちょうどM-1グランプリが放送しているが、特にこのオチのない文章をつらつらと書き始めてしまった自分自身を反省している。まあ、要は自分自身が一番薄っぺらいということである。