本が出ました

2016年後半からずっと編集を行っていた単行本

『野生の衝動 東アジアの美意識』(黒川雅之 著)

が1月28日に発売されました。

この本は著者の黒川雅之さんから「出版したい」と相談され、いろいろ考えたところ、黒川さんご自身で出版するのが良いのではないかと思い、そういう提案をさせていただいて出版に至りました。

出版するシステム自体をプロデュースさせていただいたのですが、それは「文芸ラジオ」での経験と人脈があったからできたことです。本書が記念すべき1冊めであり、現時点で世界で一番小さい出版社ですが、これから黒川さんといろいろ出していこうと企んでいます。

プロモーションも自分たちで、ということで、異例ですが「編集より」という文章をAmazonの商品説明に掲載させていただきました。

以下に引用しますので、読んでみてください。

 

『野生の衝動 東アジアの美意識』

<編集より>
黒川雅之さんはすでに偉人である。政府や自治体やゼネコンなど巨大な組織と癒着せずとも自由に多彩な建築を創造し、大手メーカーと組まずとも自ら普遍的なプロダクトをデザインし、造り、売る。10人以下と決めた自身の会社は「小さいこと」を有利に働かせながら50周年を迎え、10年ほど前に70歳にして進出した中国では日本人として他の追随を許さない圧倒的な活躍をしてきた。そして、会えばいつもとろけるような笑顔である。
かつて黒川さんの著書『デザインと死』を手がけてから、ずっと年下の私に、黒川さんは友人のように接し続けてくれている。その黒川さんから本書の出版の相談を受けたとき、私は、黒川さんらしい出版をしてほしいと願った。いまや出版業界は「売れる本」との錦の御旗の下、「わかりやすく」「簡単で」「キャッチーで」「すぐに使える」本ばかりを生み出している。しかし黒川さんの原稿は、これだけですでにひとつの「文化」だった。そのようなものを既存の出版社で出せるのか。否。私の答えは、黒川さん自身が出版することだった。
だから本書は、黒川さんが主宰するデザイントープから発行された。黒川さんの会社K&Kで編集とデザインを行い、私も編集に参画し、日本出版販売の柴田さんや発売元の協力を得て、シナノで印刷し、皆様の手元に届く。出版するために、小さな出版社をつくったのである。それこそ黒川さんらしい出版だろう。私はそう確信している。
本書には創作・デザインにおける24の思想と、人類の自然思想の概説が記されている。本書のなかで黒川さんは「他者の本から得た思想の上に自分の思想を構築するのではなく、自分の思想を刺激するために他者の本を読む」という意のことを言っている。本書もそのようにして読まれるべきだと私は思う。
ひとりのクリエイターとして、私もそのように原稿を読んだ。1文字ごとに、なんと刺激的であったことか。自分のなかに眠る創作欲を呼び起こされる体験であった。まさに「野生の衝動」を感じた。
本書を手にとる皆様にも同じ体験をしていただきたい。老若男女問わずすべてのクリエイターに読んでほしい一冊が仕上がった。本書の編集に参画できたことを誇りに思う。

−東北芸術工科大学 芸術学部 文芸学科 専任講師 野上勇人

 

「今日だけは神様の事、みんな信じてる」

 2017年がやってきた。仕事が終わってなくとも、疲れ切っていても何にせよ暦はめぐっていく。平成何年かまたわからなくなるじゃないか。元号と西暦が並行世界の時間軸で進んでいくようで、みんなは混乱していないのだろうか。書類に向かうたびに困っているのは私だけか。年末年始はいつものように東京の自宅で静養につとめたので、体はすっかり通常運行となっている。山形の冬は寒く、理屈ではわかっている気温であっても体がついていくのが非常に難しいのだ。静養といいつつも大晦日は毎年、コミックマーケットに参加しているので紅白歌合戦から元日にかけては俗にいうところのコミケ疲れで朦朧としていた。ブースで売り子として座っている段階でそれなりに朦朧としているので受け答えも遅くなり、「あ、今、脳の反応が少し遅れたな」とかぼんやりと考えながらコミケでしか会わない人たちに挨拶をしていた。皆さん、ご無沙汰しています。お元気ですか。論文読みましたよ。あのアニメ見ました?

 それはそれとして、冬休みは暇だったのかというと、そうでもなく一つは卒業制作を読むことを行っていた。毎年のことながら学生の皆さんの作品を読んでいくと成長のあとが見られて、嬉しくなると同時に、もっと指導できたのではないかという自問自答が湧き上がってくる。まだまだ精進せねばならない。もう一つはシラバスをそろそろ書かないといけないので、次年度の下準備を行っていた。うちの大学はこれまで授業を受け持ってきた大学に比べるとシラバス執筆の締切が遅かったので2月3月にこの作業を行っていたのだが、今年はほかの大学と同程度の日程の締切が提示された。まあ、締切に関しては、そうですよね、と思うだけで特に不満はない。したがって学生の原稿を読み進めながら、来年度の授業で使おうかなと思っている作品を読み進めていたのである。

 もちろん仕事もしていた。思ったほど進んでいない原稿を前に明日から授業が再開するという現実をかみしめているわけである。ちゃんと書きます。はい。そして新年早々のブログ更新は宣伝で終わるのだ。まさかの大晦日発売となった大橋崇行・山中智省編『ライトノベル・フロントライン3』(青弓社、2016年)に「ゲームとライトノベルの関係性――ヒロインの選択をめぐって」という小文を寄稿したので、お時間ある人はご購入いただきたい。もしくは図書館に購入リクエストを入れていただきたい。ちなみにこの3号には本学の吉田正高先生の論考、そして夏の集中講義に来られている森田季節さんも「第2回ライトノベル・フロントライン大賞最終選考会」に登場している。うちの夏の集中講義メンバー勢ぞろいである。ということで今年もよろしくお願いします。

BGM:ユニコーン「お年玉」

「僕はここにいるよ、昨日までの悲しみ捨て」

 黒沢健一が亡くなった。中学生のころから聞いている人の声が、新曲が聴けなくなるという喪失感は思った以上にダメージが大きくて自分でも驚いている。当たり前のようにまだまだこれからも新曲が発表されて、私はそれを楽しんで生きていけると信じ切っていた。脳腫瘍のニュースを目にしていたというのに、治って元気にステージに立つものだと思っていた。それどころかL⇔Rが再始動するのではないかぐらいのことを考えていたのだ。愛媛県という片田舎で育った私にとってはL⇔Rが作り出すポップでアメリカンなメロディラインは遠い異国への憧憬のような感情を掻き立ててくれる素晴らしい作品群で、「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」でミリオンセラーをたたき出したときには拍手を送ったぐらいである。高校1年生のときかな。その後も立て続けにリリースされる新曲の完成度も高く、ヒットチャートにランクインしていく状況は単なるファンなのに鼻高い気分になっていた。まさしく高二病である。

 しかしアルバム『Doubt』でリリースがぴたっと止まってしまい、アホなファンである私はラストシングルとなってしまった「STAND」の歌詞にある「いつも通りにここで待ってみよう」を信じ、普通に待っていたのである。後から考えると「大金を稼ぐ。体重は増える。そしていつもいつも何か失う」の重要性を考えるべきであった。後年、インタビューを読むと当時の制作に対する悩みを述べるとともに、活動停止後は何をしているのかという質問に対し笑いながら「公園のベンチで酒を飲んでます」と言っていた。その時も苦しみの一端を垣間見ていたはずなのに大学生になった私はソロライブを見に行きながら、いつか活動再開するだろうと楽観視していたのである。何せソロライブなのにバックバンドにL⇔Rのベースである木下裕晴が参加していたから。

 12月に入り、これから就活を始める学生と面談をするようになると高確率で言われるのが「どこでもいいです」、「なんでもいいです」、「生きることさえできれば、こだわりはないです」ということだ。私だっていつしか仕事をするようになり、忙しさに楽曲を聞く時間が奪われていくようになっている。いや奪われているのは時間ではなく、心の余裕かもしれない。限られた時間の中で何ができるのかという効率化のなかで体力的な衰えをどうカヴァーしていけばいいだろうとオッサンのようなことを考えるようになってしまった。中学生のときは中西圭三と久保田利伸の声の区別はすぐについたのに、今はRADWIMPSとBUMP OF CHICKENの区別がつかなくなってしまった。あれだぜ、大学生のときにバンプのCDを普通に買ってるぐらいだったのにだ。人間、流されて生きていくのは楽かもしれないが、そんなに放棄することもないだろう。そんなことしているとラッドとバンプの区別もつかなくなってしまうぞ。たまには立ち止まって考え、情報収集し、また考え、戦略を練るのも悪くない。学生のみんなも冬休みに入るが、ゆっくりするとともに数年後に何をしていたいか、どうしたいかをたまには考えるのも悪くないんじゃないか。あの時、もっと考えていればよかったという後悔は陳腐なんだ。いつかL⇔Rへのインタビューをしようと思っていた私が言うのだから間違いない。

BGM:L⇔R「HELLO, IT’S ME」

著作権講義を行いました

去る11月17日に、弁護士の吉澤尚先生を特別講師にお招きして、著作権に関しての講義を実施しました。

1年次向けの「編集概論」の授業の一環です。

なんとなくわかったような気になっている「著作権」ですが、いざ「これはどうなんだろう?」というグレーゾーンに直面すると、簡単にはOKとNGの判断が下せません。

「軽い気持ちで」使ってしまった他人の著作物が、あとあと損害賠償などの大きなトラブルに発展することもないとは言えません。そうならないような注意点をきちんと教えていただきました。

また、大学生は在学中に論文やレポート、創作小説などをたくさん書きますが、そこで他人の文章を「引用」するにはどうすればいいかについても、きちんと教えていただきました。

 

講義ではそうした「NG」に関することだけでなく、吉澤先生から、いまITなどの現場でどのように著作権がビジネスに活かされているか、著作権をどのように使うと新しいビジネスにつながるかといった、明るい話もたくさんありました。

小説を書く、本や雑誌をつくるといった活動において、著作権は切っても切れない必須の知識です。1年生の皆さんは授業内容をよく復習して、今後につなげてください。

 

ところで、実は吉澤先生は野上の中学・高校の同窓生です。

久しぶりに会えて、ヤキトリ四丁目で旧交を温めることができたのも非常に良かったです。

それから弁護士である吉澤先生と会った山川先生、石川先生が、揃って「もし何かあった時にはよろしくお願いします」と同じ挨拶をされていらっしゃったことをここにご報告しておきます。

何か身に覚えがあるのでしょうかね???

 

「頼みもしないのに朝はやって来る」

 先日、大学の図書館より「教員それぞれが感銘を受けた作品の紹介文をつけて展示する」ので、何か書くようにという連絡がきた。実は私は誰かに作品を薦めることや紹介することが苦手である。その理由として感銘を受けることや心に残るということを精緻に考えれば考えるほど、有機的につながっているものであって一つの作品のみで切り取ることなど無理なのではないだろうかという疑問がぬぐい取れないからである。小学生のときに何度も読んだ北杜夫の自伝的小説『楡家の人びと』や友野詳のライトノベル作品『コクーン・ワールド』というように、ただ読んだだけなら硬軟関係なくいくらでも紹介することはできる。しかし、それが果たして私の人間形成にどこまで影響を与えたのかというのは非常に難しい問題である。もしかしたら『夜と霧の隅で』の脳みその描写かもしれないし、『怪盗ジバコ』シリーズの喜劇風味に影響を受けたのかもしれない。『ロードス島戦記』シリーズも何度も読んだし、あのとき買っていた『ゴクドーくん漫遊記』の印税は作者に豪遊費として使われていたことを後年知ったときは何とも言えない気分になったものである。小学生が買った本の印税である。

 諸々逡巡してしまうもう一つの理由は誰かに紹介されることなく、自分で探して読んだ方が面白いという経験からくる疑問である。大学生のときなど暇すぎて年間数百冊の本を読んでいたが、それでも足りなかったと思っている。速読を身につけて、年間数千冊を読むべきであった。とはいえ大学院生ぐらいになったときは、複数の読書手法を同時並行で行えるようになったので、比較的多くのものを読めるようになってはいた。それはさておき、図書館にある本を右から左に読んでいけばいい。『スレイヤーズ』で獣神官ゼロスが指一本を右から左に振るだけで数百もいるドラゴンを倒していたように、とりあえず手に取ったものを読んでいくと楽しいのではないだろうか。

 そして紹介文を書くテンションが一気に下がってしまった最大の理由は、漫画はNGという点である。もちろん図書館として漫画は置かないというのは仕方のないことであろう。とはいえ、個人的には小説より漫画を読んできた量が多いので、影響の割合的には漫画のほうが大きい。しかも、この10月からは漫画ゼミをスタートしたので、すでに大学内で学生たちと漫画を読んでいるのだ。通常のゼミが終わったあとに希望者と一緒に毎回ゼミ活動を行っている。やっていることは漫画制作を希望している学生はネーム指導・講評をし、それ以外は漫画作品を講読している。本当は月に一回ぐらい、ゆるゆるでやっていくつもりだったが、なぜか毎週やっている。毎週、漫画について喋ってしまっていて時間が足りない。漫画は物語やら世界観やらという中身の問題だけではなく、カメラワークやコマ割りという描き方の問題も含めて複合的に考えていく必要のある媒体である。喋ることは非常に多い(という理由もあるが、実は単に漫画について喋っているのが楽しい)。これまで読んだのは冨樫義博の『幽遊白書』、『HUNTER×HUNTER』、米代恭の『あげくの果てのカノン』になる。ゼミでは何だかいろいろと喋ったが、ここに書くのは面倒なので、そのうち直接聞いて欲しい。前回は漫画家の芳村梨絵さんと編集者の東原寛明さんをお招きして特別講演および公開講評をしていただいた。次回は九井諒子の『ダンジョン飯』を講読する予定なので各自読んでくるように。

 ちなみに紹介文はどうしようかと考えているうちに締切が過ぎてしまったことをここに付記しておく。

BGM:keno「おはよう」

漫画ゼミ開講 

みなさまこんにちは。

 

先日、漫画家の芳村梨絵さん、そして編集者の東原寛明さんをお招きして、ストーリーの作り方や漫画家と編集者のあり方などを講義していただきました。

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芳村梨絵さんと東原寛明さん

文芸学科には漫画家志望の学生も多く、教授陣らはプロットや物語構造などの指導もしております。漫画ゼミでは実際に活躍している漫画家さんをお呼びして、プロとしてのあり方や、技術面といったことを学びます。

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生原稿を持ってきていただきました!

授業では、過去作品のプロットを元に、漫画のストーリーを編集者とどのように作り上げていくのかを実演してくださいました。

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実際に書かれたプロット

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また授業後に、学生が持ってきたプロットの講評もしていただきました。

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学生のプロット

 

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指導を受ける様子

彼の講評は授業内で終わらず、その後も研究室で長時間にわたり指導をしてくださいました。

懇切丁寧な指導ありがとうございます。

 

漫画ゼミまた開講します!次回!

 

野上ゼミ 公開プレゼン

みなさまこんにちは。

寒い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか? 風邪をひきやすい時期でもありますので、どうかご自愛ください。

 

さて、文芸学科では3年生から各教員のゼミで、編集・創作と、それぞれの専門分野を学んでいきます。

この度、編集コースの野上ゼミでは、企画構想学科の夏目先生のゼミと共同で、山形県警察さんの採用パンフレットを製作することとなり、本日公開プレゼンを行いました。

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たくさんの取材陣が….
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県警の過去の採用パンフレット

公開プレゼンの様子

県警の方に、各ゼミそれぞれプレゼンを行いました。

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どういった紙面作りをしていくのかを提案しています
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採用パンフレットのキャッチコピーの提案
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表紙のイメージの提案

プレゼン終了後、警察の方を交えたディスカッションを行いました。

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ディスカッションの様子
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プレゼンでの意見を出し合いました

今回話し合ったことを元に、今後ゼミ内で採用パンフレットの構成をしていきます。

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取材を受ける佐久間くん(3年生)

公開プレゼンの様子は、本日の夕方山形の放送局で放送されるそうです。

みなさま採用パンフレットの続報をお楽しみに〜

 

副手

文芸ラジオイベント(9月30日)を終えて

 入学前スクーリングを終えた。私が大学生であったころ(大学院生であったころを含めてもいいが)と比較してもAO入試が活発になっている。AO入試は大学により実施時期が違うであろうが、うちの大学では秋に行われている。すると合格者は入学するまで半年もの時間を持て余すことになってしまう。別に持て余すこともなく目標に向かって日々を淡々と過ごしていく人はいいが、多くはそうではない。のかもしれない。したがってスクーリングというイベントが行われ、合格者が集められて、心構えだけではなく課題が出されることになる。このAO入試からスクーリングまでは1か月ほどしかない。合間に後期の授業がはじまり、忙しい日々にあっという間に飲み込まれて、気付いたら10月半ばになっているのだ。何を言いたいのかというとブログを放置していたということを述べているのである。

 9月30日に文芸ラジオ2号発売記念イベントが開催された。金曜日とはいえ平日夜にも関わらず多くの人に来ていただき、まことにありがたい。何がありがたいかというとうちの大学の公式twitterアカウントは全く告知に協力してくれなかったというのにサンライズの公式twitterアカウントは何度もつぶやいてくれたのは非常にありがたかった。鉄血のオルフェンズは毎週見ている。クラシカロイドは毎週見るべきかどうか悩んでいるが、ゼーガペインADPは見たい。サンライズ万歳。イベント自体は非常に興味深く、高島雄哉さんが創作に取り掛かる際、テーマを「問い」にするというのは面白い観点であった。自分自身も論文を書くとき、「テーマはとにかくシンプルに」を言い聞かせているし、学生にもそう言っている。しかし学生から「テーマと言われてもなあ」というリアクションをされることがないわけではないし、自分も若いころからきっちりとした輪郭を持っていたわけでもない。「問い」への変換はなかなか秀逸な考えかもしれない。

 三宅陽一郎さんによるAIと物語の関係に関する話も面白く拝聴した。フロアからの質問もあったが、「AIが物語をすべて生み出していく時代が来るのではないか」という疑念を抱く人は多いような気がする。しかし、結局のところツールでしかないので、いかに活用していくのかの問題だと個人的には考えている。変化に対応できる柔軟性に依拠しているだけではないだろうか。さておき終了後の会食のほうが盛り上がって、久しぶりに『かしまし~ガール・ミーツ・ガール~』の話をしてしまった。さあ、そろそろ気付いたであろう。『かしまし』といえば、「あのね」である。イベントの内容は『文芸ラジオ』3号に収録される予定である。あのね、

文芸ラジオイベント(9月30日)に向けて その3

 大学はついに後期授業が開始となった。大学により開始時期は違うので一概には言えないが、大体のところはもう始まっていると思う。夏休み中は大きくは動いていなかった文芸ラジオ編集会議も3号に向けて再スタートすることになる。夏休み明けというのは学生も教員もお互いまだ本調子ではない雰囲気が漂っており、おそるおそる歩み寄っている気がする。気がするだけかもしれない。気がするだけだろう。私の疲労はどうでもいい。日付がかわってイベントが明日に近づいてきた。恐らく私は上京する新幹線の中で泣きながらパワポデータを作っているか、アニメを見ているかになるであろう。基本的に山形新幹線内では唯一、アニメを見ているときだけが酔わないのである。読書も執筆も何もかも車酔いを招いてきたのだが、アニメだけは酔わないのだ。アニメは素晴らしい。データ作りは酔うにきまっている。

 文芸ラジオのイベントは、『文芸ラジオ』2号を読んでいる必要はないものにしようと考えている。企画意図を一つずつ説明していくと、まず玉井が文芸ラジオの状況とほとんどがアマチュアの書き手である学生たちの現状から創作や創作を考える上での悩みを共有し、会場の皆さんと一緒に考えようという内容である(これから作るけど)。そして高島雄哉さんをお招きしたが、小説家として実際に制作に携わっている立場からの経験値を出してほしいという、冷静に考えると手の内を明かすことになるので非常に厳しい無茶ぶりをお願いしてしまった。また私個人の観点として、これまで論文を書くときには受け手の視点を重視してきたのだが、文芸学科に赴任して一番変化したのは作品を読むと「ここはこういう意図があって、こういう効果を目指して」と創作理論から読むようになったことである。その点において高島さんのお話は本当に興味深いものになるに違いない。評論や批評、研究を志す人もぜひ耳を傾けてほしい。そしてなんと「当日公開開始の連載小説『エンタングル:ガール 舞浜南高校映画研究部』の企画から初稿までを解説」だそうでゼーガペインファンにはたまらない内容となりそう。

 トリは三宅陽一郎さんである。『文芸ラジオ』2号に評論を執筆していただいたので読まれた方もいるであろう。三宅さんには創作の周辺の動向というか、創作をめぐる新しい展開に関して話をして欲しいと考えてお願いをした。最近気になっているのはプロットを人工知能が作り、小説を中村航さん、中田永一さんが書かれた事例(『僕は小説が書けない』)のように、人工知能との付き合い方を考える時代は近づいてきているのではないかということである。

 以上は私がつらつらと考えているだけである。各発表者はそれぞれ思うところがあって話をするので、違っていても気にしないでいただきたい。要は創作に関して皆で考えようという会である。創作を志す人も創作を考える人も創作を眺める人も皆、気軽に参加して欲しい。9月30日(金)18時半からJR信濃町駅近くの芸術学舎204教室で待っております。イベント情報の詳細はこちらをご覧ください。なお当日になったら登録などすることなく、いきなり会場に来ていただいても構いません。よろしくお願いします。

文芸ラジオイベント(9月30日)に向けて その2

(以下は過重労働により互いを美少女に思い込んでしまうというNEW GAME!的世界の同位相にいる感じでお願いします)

 昨今、様々な媒体から「大学生のレポートでコピペが散見される」という話を目にする機会が増えたと思う。実際にニュースになったものからSNSで教員が愚痴を書いているものまで様々な位相で存在するから、なかなか根深い問題かもしれない。しかし個人的に、一段階さらに面倒だと思っているのは、「文芸学科に来る学生さんなら、コピペなんかしないでしょう?」と言われることが非常に多いという点である。特に同じ大学教員からそう聞かれることが非常に多い。場合によっては笑ってごまかすこともあるが、現実は皮肉である。文芸学科で文章に携わることを志している学生だからといって人間である。すべての人間に性善説は通用しない。

 『文芸ラジオ』2号は今年5月に発売となったが、複数の新聞や雑誌から取材を受けるなどおかげさまで好評であるといえよう。ただし直接、私に伝える言葉でマイナスな側面をてんこ盛りにしてくる人はなかなかいないので、結果として「いやーいいですねー。大変ですねー」ぐらいの言葉になっている。もちろん「大変ですねー」の部分はカットして、「いいですねー」を脳内に保存している。極めて恣意的なカットアンドペーストである。私も気持ちよく、他人の言葉をペーストしているのである。しかもコピーはしていない。コピーはそのままではないか。ちなみにこれはコピペを肯定しているわけではないのであしからず。皮肉にもなっていない皮肉というやつである。さあ、みんなで反省だ。

 いろいろなリアクションをもらうなかで、2号に「人工知能が拓く物語の可能性」を執筆していただいた三宅陽一郎さんから「何かイベントをやらないのですか?」という質問をもらった。これはもう即答で「一緒にやりましょう」である。すみません。即答ではなく、編集会議にかけて、やっていいですか? いいですよ。というやり取りを経た上でゴーサインである。ただ私と三宅さんが話をしても、それは2号に掲載された論考の延長線上になり広がりが感じられないので、どなたか紹介していただけますか? と無茶ぶりを重ねてしまった。そして紹介されたのがSF作家の高島雄哉さんである。

 高島さんは『ゼーガペインADP』のSF考証を担当されているだけでなく、今度から矢立文庫ではじまる『ゼーガペイン』の小説版も担当されるという。すでにwebでいくつか連載を目にすることができるので、ぜひイベントに参加される人は読んでほしい。

世界を設定する SFアニメ現場レポート

想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして

 もちろん心を舞浜サーバに置いてきた人も参加して欲しい。エンタングルだ。正直、『文芸ラジオ』2号は読んでなくてもいいが、『ゼーガペイン』は見よう。絶対見よう。そんなイベント情報はこちら。東京の信濃町駅から徒歩10分弱ぐらいのところにある芸術学舎で待ってます。

(その3に続く予定。NEW GAME!的世界観は本文と関係ないので保持しません)