漫画ゼミ開講 

みなさまこんにちは。

 

先日、漫画家の芳村梨絵さん、そして編集者の東原寛明さんをお招きして、ストーリーの作り方や漫画家と編集者のあり方などを講義していただきました。

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芳村梨絵さんと東原寛明さん

文芸学科には漫画家志望の学生も多く、教授陣らはプロットや物語構造などの指導もしております。漫画ゼミでは実際に活躍している漫画家さんをお呼びして、プロとしてのあり方や、技術面といったことを学びます。

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生原稿を持ってきていただきました!

授業では、過去作品のプロットを元に、漫画のストーリーを編集者とどのように作り上げていくのかを実演してくださいました。

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実際に書かれたプロット

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また授業後に、学生が持ってきたプロットの講評もしていただきました。

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学生のプロット

 

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指導を受ける様子

彼の講評は授業内で終わらず、その後も研究室で長時間にわたり指導をしてくださいました。

懇切丁寧な指導ありがとうございます。

 

漫画ゼミまた開講します!次回!

 

野上ゼミ 公開プレゼン

みなさまこんにちは。

寒い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか? 風邪をひきやすい時期でもありますので、どうかご自愛ください。

 

さて、文芸学科では3年生から各教員のゼミで、編集・創作と、それぞれの専門分野を学んでいきます。

この度、編集コースの野上ゼミでは、企画構想学科の夏目先生のゼミと共同で、山形県警察さんの採用パンフレットを製作することとなり、本日公開プレゼンを行いました。

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たくさんの取材陣が….
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県警の過去の採用パンフレット

公開プレゼンの様子

県警の方に、各ゼミそれぞれプレゼンを行いました。

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どういった紙面作りをしていくのかを提案しています
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採用パンフレットのキャッチコピーの提案
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表紙のイメージの提案

プレゼン終了後、警察の方を交えたディスカッションを行いました。

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ディスカッションの様子
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プレゼンでの意見を出し合いました

今回話し合ったことを元に、今後ゼミ内で採用パンフレットの構成をしていきます。

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取材を受ける佐久間くん(3年生)

公開プレゼンの様子は、本日の夕方山形の放送局で放送されるそうです。

みなさま採用パンフレットの続報をお楽しみに〜

 

副手

文芸ラジオイベント(9月30日)を終えて

 入学前スクーリングを終えた。私が大学生であったころ(大学院生であったころを含めてもいいが)と比較してもAO入試が活発になっている。AO入試は大学により実施時期が違うであろうが、うちの大学では秋に行われている。すると合格者は入学するまで半年もの時間を持て余すことになってしまう。別に持て余すこともなく目標に向かって日々を淡々と過ごしていく人はいいが、多くはそうではない。のかもしれない。したがってスクーリングというイベントが行われ、合格者が集められて、心構えだけではなく課題が出されることになる。このAO入試からスクーリングまでは1か月ほどしかない。合間に後期の授業がはじまり、忙しい日々にあっという間に飲み込まれて、気付いたら10月半ばになっているのだ。何を言いたいのかというとブログを放置していたということを述べているのである。

 9月30日に文芸ラジオ2号発売記念イベントが開催された。金曜日とはいえ平日夜にも関わらず多くの人に来ていただき、まことにありがたい。何がありがたいかというとうちの大学の公式twitterアカウントは全く告知に協力してくれなかったというのにサンライズの公式twitterアカウントは何度もつぶやいてくれたのは非常にありがたかった。鉄血のオルフェンズは毎週見ている。クラシカロイドは毎週見るべきかどうか悩んでいるが、ゼーガペインADPは見たい。サンライズ万歳。イベント自体は非常に興味深く、高島雄哉さんが創作に取り掛かる際、テーマを「問い」にするというのは面白い観点であった。自分自身も論文を書くとき、「テーマはとにかくシンプルに」を言い聞かせているし、学生にもそう言っている。しかし学生から「テーマと言われてもなあ」というリアクションをされることがないわけではないし、自分も若いころからきっちりとした輪郭を持っていたわけでもない。「問い」への変換はなかなか秀逸な考えかもしれない。

 三宅陽一郎さんによるAIと物語の関係に関する話も面白く拝聴した。フロアからの質問もあったが、「AIが物語をすべて生み出していく時代が来るのではないか」という疑念を抱く人は多いような気がする。しかし、結局のところツールでしかないので、いかに活用していくのかの問題だと個人的には考えている。変化に対応できる柔軟性に依拠しているだけではないだろうか。さておき終了後の会食のほうが盛り上がって、久しぶりに『かしまし~ガール・ミーツ・ガール~』の話をしてしまった。さあ、そろそろ気付いたであろう。『かしまし』といえば、「あのね」である。イベントの内容は『文芸ラジオ』3号に収録される予定である。あのね、

文芸ラジオイベント(9月30日)に向けて その3

 大学はついに後期授業が開始となった。大学により開始時期は違うので一概には言えないが、大体のところはもう始まっていると思う。夏休み中は大きくは動いていなかった文芸ラジオ編集会議も3号に向けて再スタートすることになる。夏休み明けというのは学生も教員もお互いまだ本調子ではない雰囲気が漂っており、おそるおそる歩み寄っている気がする。気がするだけかもしれない。気がするだけだろう。私の疲労はどうでもいい。日付がかわってイベントが明日に近づいてきた。恐らく私は上京する新幹線の中で泣きながらパワポデータを作っているか、アニメを見ているかになるであろう。基本的に山形新幹線内では唯一、アニメを見ているときだけが酔わないのである。読書も執筆も何もかも車酔いを招いてきたのだが、アニメだけは酔わないのだ。アニメは素晴らしい。データ作りは酔うにきまっている。

 文芸ラジオのイベントは、『文芸ラジオ』2号を読んでいる必要はないものにしようと考えている。企画意図を一つずつ説明していくと、まず玉井が文芸ラジオの状況とほとんどがアマチュアの書き手である学生たちの現状から創作や創作を考える上での悩みを共有し、会場の皆さんと一緒に考えようという内容である(これから作るけど)。そして高島雄哉さんをお招きしたが、小説家として実際に制作に携わっている立場からの経験値を出してほしいという、冷静に考えると手の内を明かすことになるので非常に厳しい無茶ぶりをお願いしてしまった。また私個人の観点として、これまで論文を書くときには受け手の視点を重視してきたのだが、文芸学科に赴任して一番変化したのは作品を読むと「ここはこういう意図があって、こういう効果を目指して」と創作理論から読むようになったことである。その点において高島さんのお話は本当に興味深いものになるに違いない。評論や批評、研究を志す人もぜひ耳を傾けてほしい。そしてなんと「当日公開開始の連載小説『エンタングル:ガール 舞浜南高校映画研究部』の企画から初稿までを解説」だそうでゼーガペインファンにはたまらない内容となりそう。

 トリは三宅陽一郎さんである。『文芸ラジオ』2号に評論を執筆していただいたので読まれた方もいるであろう。三宅さんには創作の周辺の動向というか、創作をめぐる新しい展開に関して話をして欲しいと考えてお願いをした。最近気になっているのはプロットを人工知能が作り、小説を中村航さん、中田永一さんが書かれた事例(『僕は小説が書けない』)のように、人工知能との付き合い方を考える時代は近づいてきているのではないかということである。

 以上は私がつらつらと考えているだけである。各発表者はそれぞれ思うところがあって話をするので、違っていても気にしないでいただきたい。要は創作に関して皆で考えようという会である。創作を志す人も創作を考える人も創作を眺める人も皆、気軽に参加して欲しい。9月30日(金)18時半からJR信濃町駅近くの芸術学舎204教室で待っております。イベント情報の詳細はこちらをご覧ください。なお当日になったら登録などすることなく、いきなり会場に来ていただいても構いません。よろしくお願いします。

文芸ラジオイベント(9月30日)に向けて その2

(以下は過重労働により互いを美少女に思い込んでしまうというNEW GAME!的世界の同位相にいる感じでお願いします)

 昨今、様々な媒体から「大学生のレポートでコピペが散見される」という話を目にする機会が増えたと思う。実際にニュースになったものからSNSで教員が愚痴を書いているものまで様々な位相で存在するから、なかなか根深い問題かもしれない。しかし個人的に、一段階さらに面倒だと思っているのは、「文芸学科に来る学生さんなら、コピペなんかしないでしょう?」と言われることが非常に多いという点である。特に同じ大学教員からそう聞かれることが非常に多い。場合によっては笑ってごまかすこともあるが、現実は皮肉である。文芸学科で文章に携わることを志している学生だからといって人間である。すべての人間に性善説は通用しない。

 『文芸ラジオ』2号は今年5月に発売となったが、複数の新聞や雑誌から取材を受けるなどおかげさまで好評であるといえよう。ただし直接、私に伝える言葉でマイナスな側面をてんこ盛りにしてくる人はなかなかいないので、結果として「いやーいいですねー。大変ですねー」ぐらいの言葉になっている。もちろん「大変ですねー」の部分はカットして、「いいですねー」を脳内に保存している。極めて恣意的なカットアンドペーストである。私も気持ちよく、他人の言葉をペーストしているのである。しかもコピーはしていない。コピーはそのままではないか。ちなみにこれはコピペを肯定しているわけではないのであしからず。皮肉にもなっていない皮肉というやつである。さあ、みんなで反省だ。

 いろいろなリアクションをもらうなかで、2号に「人工知能が拓く物語の可能性」を執筆していただいた三宅陽一郎さんから「何かイベントをやらないのですか?」という質問をもらった。これはもう即答で「一緒にやりましょう」である。すみません。即答ではなく、編集会議にかけて、やっていいですか? いいですよ。というやり取りを経た上でゴーサインである。ただ私と三宅さんが話をしても、それは2号に掲載された論考の延長線上になり広がりが感じられないので、どなたか紹介していただけますか? と無茶ぶりを重ねてしまった。そして紹介されたのがSF作家の高島雄哉さんである。

 高島さんは『ゼーガペインADP』のSF考証を担当されているだけでなく、今度から矢立文庫ではじまる『ゼーガペイン』の小説版も担当されるという。すでにwebでいくつか連載を目にすることができるので、ぜひイベントに参加される人は読んでほしい。

世界を設定する SFアニメ現場レポート

想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして

 もちろん心を舞浜サーバに置いてきた人も参加して欲しい。エンタングルだ。正直、『文芸ラジオ』2号は読んでなくてもいいが、『ゼーガペイン』は見よう。絶対見よう。そんなイベント情報はこちら。東京の信濃町駅から徒歩10分弱ぐらいのところにある芸術学舎で待ってます。

(その3に続く予定。NEW GAME!的世界観は本文と関係ないので保持しません)

文芸ラジオイベント(9月30日)に向けて その1

 諸君、私はラジオが好きだ。諸君、私はラジオが好きだ。諸君、私はラジオが大好きだ。朝のラジオが好きだ。昼のラジオが好きだ。夜のラジオが好きだ。ロックで、ポップスで、お笑いで、トークで、情報番組で。この地上で放送されているラジオ番組はだいたい好きだ。この四月から伊集院光が始めた朝の番組を、全く活性化していない脳みそで聞くのが好きだ。授業のない曜日にたまむすびを、研究室でコーヒーを飲みながら聞いているのが好きだ。原稿を書きながら深夜番組を聞いたり、道を歩きながら録音したラジオ番組を聞いたりするのが好きだ。もちろん文芸ラジオが一番好きだ。

 文芸ラジオというタイトルをつけたように、雑多な情報がページをめくるたびに目に飛び込んでくるようにしたいという意識はある。それでも手掛けている人間がいる以上はある程度の偏りは仕方ないとは思っている。フラットでありながら尖がっていることはできないのだろうか。難しい。ハード。これは日常的に行っている会議では発言しないが、背景に押しやっている悩みの一つではある。情報が飛び込んでくることと、そこから読み進めていくだけの内容があることを同時に行っていくことは難しい。自分が雑誌を買う際には、たった一つの評論や論文が入っているだけで、たった一つの短編小説があるだけで満足できてしまう。やはり難しい。

 夏季休暇は原稿書きを主に行い、あとは仕事と積読の処理に明け暮れている。そして沙村広明の『波よ聞いてくれ』をようやく手に取った。Kindleだから物理的に手に取ったのではなくダウンロードして読んだというのが正解ではある。何でもいいのだが読むのに1年間かかったのだ。そしていつものことであるが、もっと早く読んでいればと後悔するのである。作品はラジオを主題にした物語だが、もはやカレー屋の話のほうが多い。いや、カレー屋というより主人公の姐ちゃんの話というべきか。キャラクターで物語を作り、引っ張っていくということを、テンポよくやっている。この会話だけで生み出すテンポの良さは見事すぎて感嘆しかない。そしてテンポの良さで見えにくくなりがちではあるが、話がどれだけ脱線しようとも主人公のキャラクターがぶれることはない。

 この主人公のように噛まないで喋るということは、かなり難しいのだが、それでも日ごろは教壇に立って話をする立場なので比較的訓練はされているかもしれない。と思ったあなた残念でーしーた。夏季休暇明けの教員は引きこもりからの脱却中で、それほどスムーズには話はできない。9月30日(金)に東京の信濃町にある芸術学舎にて開催される文芸ラジオ2号発売記念イベントで、ぜひその雄姿を見ていただきたい。入場無料である。そして中身の話までいかなかったので、続きは後日更新する予定である。

「けだるい空は飛んでゆけるんだ」

 対象との距離感は当然ながら人によって違ってくるものではある。その違いをどのようにしてクリアにしていくか、もしくはしなくてもよいと考えるのかは大きな問題かもしれない。ということを松井雪子の『ぐうたら山暮らし』(イースト・プレス、2013年)を読みながら思っていた。この後書き部分では、編集から単行本タイトルとして「ぐうたら山暮らし」を提案された作者が「自分では山の厳しい自然とたたかっている」内容と認識していたと述懐している。この差異は非常に面白く、印象に残った。

 作品は作者の体験記で、冬は雪に埋もれる土地で山小屋というかロッヂ(というのか?)で生活をした日々の出来事がつづられている。町内の温泉に毎日のように通い、自家栽培で野菜を作り、薪ストーブ用の燃料を作り、近所との持ちつ持たれつの関係を維持していく。読者である私自身にとっては、描かれるすべての事象が遠い距離感の感じるものとして消化されている。要は経験のない出来事であり、剣と魔法の世界を体験しているのと認識的には大差ない。しかし、最近、山形に来て初めて雪というものを経験してしまったので、その距離感が変化してしまい困惑しているのも、また事実である。

 読者の延長線上には存在している編集側も同様に思ったのであろう。日々の生活や自然環境の厳しさは遠くに追いやられて、その根幹に位置するところを「ぐうたら」という四文字で掬い取ろうとしたのである。ただエッセイ漫画ではあるが、やはりノンフィクション形態ではない以上、フィクションとしての作品構成は行われているであろう。嫌な面や厳しい面は自然環境だけではなく社会環境も含めて多くの点で存在しているはずだ。しかし、そこだけを描くことなく、フィクションとしていかに描いていくのかを考えた際に、ピックアップ(もしくは排除)していった要素や採用した物語の起伏をつき合わせて、できたのが作品である。

 文芸学科は長期休暇にも課題を出している。自分自身が大学生のとき課題は自分自身で見つけて取り組んでいくものだったので、教員から課せられるとなると時代は変化したものだと思う。思うだけで、課題提示をやめるわけではない。そのなかで一年生向けの必修授業で、担当教員それぞれが推薦した新書や一般向け研究書をレビューし、同様に推薦した映画作品をレビューするというものがある。そこで私が今年選んだ映画作品は「その街のこども 劇場版」、「リトル・フォレスト 夏/秋 冬/春」、「転々」である。去年が「幕末太陽傳」、「隠し砦の三悪人」「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」だったので、この変わり様は何だという感じである。

 去年は好きな時代映画(であり諸々のアニメなどのエンタメ作品の元ネタ)という選定基準だったが、今年は物語の抑揚を読み取って欲しいという意図がある。「その街のこども」や「転々」はロードムービー風ではあるが、会話だけで物語を動かしていくことをしている。これは簡単そうに見えて、非常に難しい。別に「けいおん!」や「たまこラブストーリー」でもよかったのだが、それは別の読み取り方をされそうであったので脳内会議の結果、却下した。「リトル・フォレスト」の原作は五十嵐大介の漫画作品になる。何度も読み返しているので五十嵐作品の中で一番好きかもしれない。世界を描くのに遠い別世界を構築する必要はない、ということをシンプルにこの作品は教えてくれるからだ。この『リトル・フォレスト』も私にとっては距離感の大きい世界を描いている。しかし、その距離感を同じように受け取ろうとする必要はない。

 夏季休暇も残り1週間を切っている。まだ課題に手を付けていない学生はただやらされているだけ、という感覚を捨てて、自分自身の活動に活かしていくにはどうしたらよいのかを考えていこう。森羅万象、すべてが血肉になる。

BGM:FLOWER FLOWER「夏」

押切もえさん来校! 9月17(土)14:00〜

告知ポスター押切もえさん

●芸工祭「文芸ラジオイベント」のお知らせ

昨年度の芸工祭では、文芸ラジオイベントとして吉木りささんを呼び、公開インタビューを行いました。

今年度は昨今山本周五郎賞候補になるなど小説の執筆活動をされている「押切もえさん」を芸工祭に呼び、公開インタビューを行います。

皆さん、よかったらいらしてください。

文芸ラジオトークイベント

押切もえさん公開インタビュー

日時:9月17日(土)14:00〜

場所:芸工大本館207講義室

イベント主催:文芸ラジオ編集部

イベント責任者:森悠(2年)

イベント司会:松本裕の(2年)、野上勇人

インタビュアー:森悠(2年)、加藤菜乃波(1年)、池田雄一、玉井建也

『文芸ラジオ』2号発売記念イベント「創作・人工知能・SF―なぜ「書けないのではない、書かないだけだ」になるのかー」のお知らせ

東北芸術工科大学芸術学部文芸学科の教員・学生が編集作業を行っている文芸誌『文芸ラジオ』ですが、昨年に引き続き2号が無事、発売となりました。そこで今回は発売記念としまして創作を多方面から考えるイベントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

○概要

イベントタイトル:「創作・人工知能・SF―なぜ「書けないのではない、書かないだけだ」になるのかー」
場所:東京芸術学舎外苑キャンパス204教室
日時:9月30日(金)18時半~20時15分
登壇者:玉井建也、高島雄哉、三宅陽一郎(登壇順)

○参加費

無料

○参加登録サイト

こちらより参加登録をお願いいたします。

○タイムスケジュール

18時30分-18時40分:挨拶
18時40分-19時:第一報告(玉井)
19時-19時20分:第二報告(高島)
19時20分-19時40分:第三報告(三宅)
19時40分-20時15分:総合討論(会場からの質問)

○講演内容

玉井建也「「頭の中には文庫本10冊分の壮大な物語があります」にどう対応しているのか―『文芸ラジオ』での編集活動を通じて―」
文芸ラジオおよび文芸学科での活動を通じて創作初心者である学生たちが何に躓くのか、何を悩むのかを皆さんと共有し、考えていくことができればと思います。その際、『文芸ラジオ』での編集活動を通じて、どのような対応を行っているのかを提示していきます。

高島雄哉「言葉を継ぐために 構想と執筆の想像力」
構想をどのように連続的に執筆に繋げていくのかをテーマに、情報収集の方法や執筆環境の構築なども合わせてお話しいたします。実践として、当日公開開始の連載小説『エンタングル:ガール 舞浜南高校映画研究部』の企画から初稿までを解説。創元SF短編賞と星新一賞にも触れたいと思います。

三宅陽一郎「人工知能と物語自動生成の歴史とゆくえ」
人工知能は少しずつクリエイティブな分野に進出していますが、それはまったく人間とは真逆の方向から創作する形になります。これまでの人工知能による物語生成の歴史から、これからの創作の可能性について、俯瞰的なご説明を行います。

○登壇者紹介

玉井 建也(たまい たつや)
1979年生まれ。愛媛県出身。専門は歴史学・エンターテイメント文化研究。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
東京大学大学院情報学環特任研究員などを経て、東北芸術工科大学芸術学部文芸学科専任講師。著作に『戦後日本における自主制作アニメ黎明期の歴史的把握 : 1960年代末~1970年代における自主制作アニメを中心に』(徳間記念アニメーション文化財団アニメーション文化活動奨励助成成果報告書)、『坪井家関連資料目録』(東京大学大学院情報学環附属社会情報研究資料センター)など。日本デジタルゲーム学会第4回若手奨励賞、日本風俗史学会第17回研究奨励賞受賞。twitter:gyoxay

高島 雄哉(たかしま ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(Kindle等で電子書籍化)。同年、「わたしを数える」で第1回星新一賞入選(『折り紙衛星の伝説 年刊日本SF傑作選』所収)。2016年10月15日より劇場公開の『ゼーガペインADP』のSF考証を担当(http://www.zegapain.net )。 現在「想像力のパルタージュ」(2015年4月より「東京創元社webミステリーズ!」にて)、「世界を設定する」(2016年8月より「SFマガジンcakes版」にて)、「エンタングル:ガール 舞浜南高校映画研究部」(2016年9月30日より「サンライズ矢立文庫」にて)3本同時連載中。

三宅 陽一郎(みやけ よういちろう)
京都大学で数学を専攻、大阪大学大学院物理学修士課程、東京大学大学院工学系研究科博士課程を経て、人工知能研究の道へ。ゲームAI開発者としてデジタルゲームにおける人工知能技術の発展に従事。国際ゲーム開発者協会日本ゲームAI専門部会設立(チェア)、日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員。共著『デジタルゲームの教科書』『デジタルゲームの技術』『絵でわかる人工知能』(SBCr) 、著書『人工知能のための哲学塾』(BNN新社)、『ゲーム、人工知能、環世界』(現代思想、青土社、2015/12)、最新の論文は『デジタルゲームにおける人工知能技術の応用の現在』(人工知能学会誌 2015年、学会Webにて公開)。ツィッターアカウント @miyayou

○主催:文芸ラジオ編集部

「放物線描いて、記憶の奥へ飛んだ」

バッテリー (角川文庫)

 遅ればせながら、あさのあつこの『バッテリー』を読んでいる。遅ればせと書いたのは、もはや私が説明するまでもないぐらいに売れに売れているシリーズだからであるが、なぜこれまで私は手に取らなかったのだろうか。一つの理由としては野球が好きすぎて、野球を題材にした作品にまで手がのびにくいというのがあるかもしれない。要は小説や漫画に至るまで野球では息が詰まるということである。これは逆に、その程度のファンでしかないと言うことはできる。私がファンであるオリックス・バファローズは、今年もいい感じで最下位になっている。と突き放して見ているぐらいのファンである。

 もう一つは手に取りやすい文庫版のリリース時は忙しい大学院生であったというのもあるだろう。今から考えると、それなりに暇な時期ではあったのだが、その当時はキャパシティの限界もあり、それはそれでみたいな生き方をしていた。あとなぜか文芸誌で取り上げられる作家たちを読んでおり、エンターテイメント分野の小説はラノベレーベルのみを読んでいた。これは今でもなぜかわからない。息苦しかったのであろうか。

バッテリー 1(イベントチケット優先販売申し込み券付)(完全生産限定版) [Blu-ray]

 今回、『バッテリー』を読もうと思った契機は、今まさに放送中のアニメ『バッテリー』を見始めたことによる。そして、すぐに打ちのめされてしまった。何がいいかって、第1話からキャラクター造形が完璧なのである。主人公の巧の物語内の欲求とそれに伴う行動。そして他者もが評価する図抜けた能力と、それを支えるだけの気力、そして真逆ともいえる性格の悪さ。すべてがシンプルでかつ研ぎ澄まされている。しびれてしまった。

 それとともに心配してしまうのが、エンターテイメントであるアニメ作品としては大丈夫だろうかという物語の起伏の薄さである。なんせ数話経ても、試合すらしないのである。ずっと試合していても困るが、この作品は野球自体にスポットを当てているものではないという解釈も可能である。主人公や登場人物たちの感情の起伏を読み取っていくことが一視聴者として映像の前で座りながらすべきことではないだろうか。と思いながら、毎週見ている。

 見始めたもう一つの理由としてはゼミ生が読んでおり、このような作品が書きたいと言っていたこともある。指導教員としては各ゼミ生がやりたいこと、書きたいことがあれば、一応、一通りは目を通している。その理由は研究だとわかりやすいかもしれないが、先行研究を読むことで今、学界が何を問題視し、解き明かそうとしているのかを把握していく作業と同じである。今、エンタメの商業レベルでは何が描かれ、何が出されているのか。というわけで、『バッテリー』が読み終わったら、次に読もうと思い蒼山サグ『ステージ・オブ・ザ・グラウンド』(電撃文庫)を買ってきた。まったく、やきゅうはさいこうだぜ!

ステージ・オブ・ザ・グラウンド (電撃文庫)

BGM:松たか子「明日、春が来たら」

明日、春が来たら