「それでも僕たちは歩き続けるの、探し続けるの」

 よく雨が降り、風の吹く一日だった。今年の8月は例年よりも忙しく、前期授業終了後も採点、集中講義と続き、そのままお盆休みに突入してしまった。授業終了後の翌日がコミケ初日である。これはコミケ基準でなくとも、おかしくないか、と思うのだが、論理的に説明するよりも感情論が前に出てしまいそうである。そもそもコミケ初日には参加していないので感情も何もない。

 夏季休暇に入り、東京の自宅で過ごしているが、それほど暇になったわけではなく、コミケへのサークル参加、打ち合わせや会議、仕事の文章書きなどに忙殺されている。あとドラクエ11では勇者として仕事もしており、こっちのペースは遅い。勇者であるという事象に対し誰も疑問を示さないので、痣が光ればよいのなら勇者詐欺が蔓延してもおかしくない世界である。オーブを集めたので、そろそろ行かなきゃと思いながら、大事を前に小事である各地のクエストを消化しているので、勇者としての事務能力と処理能力の低さがここにある。そのような感じで、雨の続く東京を過ごしている。

 さて前期を備忘録のように振り返ると、今期は「物語に触れること」に注力した。何しろよほどの天才でないと「知らないものを書くこと」はできない。物語はメディアの差はあるが、細かいパーツに分割することができ、それをどう組み合わせていくのかが試される。もちろんキャラクター造形と物語構造は別物であるし、それぞれをどう切り取って、読み取っていくのかもまた違ってくるので、言うほど単純な作業ではないのは、その通りなのだが、まずは知ることから始めよう。そう考えて、今期はスタートした。したがって昨年度から開講している漫画ゼミでは、とにかく読むことを進めていった。これは教員としても実は大変な作業で、通常のゼミでも小説を一冊読み、漫画ゼミでは数十冊の漫画を読むことを毎週やっていると、「なぜ、こんな筋トレを……」みたいな感情が生まれてくる。以下は漫画ゼミの記録である(ちなみに通常のゼミの記録はこちら)。

 

・久米田康治『かくしごと』

 全く記録を取っていなかったので、ゼミ生に送ったメールを確認しているのだが、今年度はこれからスタート……? え……。

 

・眉月じゅん『恋は雨上がりのように』

 第二回にして最高の作品を取り上げている。のちにご本人にお会いする機会があり、「第一話が最高です! 過不足なくすべてが描かれていて、一ページごとに完璧です!」と話してしまったが、自分は何様なのだ。

 

・あずまきよひこ『よつばと!』

 初期から最近にかけての変遷とか、描き方の変化とか、コマの描き方とかいろいろと話したが、「あさぎはいいよね」しか覚えていない。誰にも同意されなかったが、あさぎ……。

 

・平野耕太『HELLSING』

 今さらかよ、という声が連続して届きそうだが、好きなものを描くことの追究と探求心の極致がここにある、ということを話した。

 

・古屋兎丸『帝一の国』

 実は読むのが一番つらかった作品。なぜ僕がそう思ったのかはゼミでは伝えたが、菅田将暉が太鼓を叩いているぐらいしか、もう脳内には残っていないし、それは映画版である。しかも映画は見ていない。

 

・柳本光晴『響~小説家になる方法~』

 文芸学科らしい……という体裁で、好きな作品を読んでいくスタイルである。

 

・白井弓子『WOMBS』

 これも同じく好きな作品を取り上げているが、SFに対する取っ付きにくさを少しでも払拭していきたいと常々思っているので、時たまSFを取り上げるようにしている。

 

・市川春子『宝石の国』

 これは構図もカメラワークも何もかも難しい。読むのは簡単でも、これは描けない。という話をした気がする。

 

・カトウコトノ『将国のアルタイル』

 新しくアニメがスタートする作品を読んでいこう第一弾。手探り状態で始まり、長期連載へとつながっていく過程が、物語作りとしては興味深い。

 

・つくしあきひと『メイドインアビス』

 新しくアニメがスタートする作品を読んでいこう第二弾にして最終回。最高。これほどまでにフェチズムに溢れていながら、性的な雰囲気を出さないのはすごい。そして2年ぐらい前に学生たちにこの作品を紹介したとき、「こんなマニアックなの読みませんよ……」と言われたのは、今でも忘れていない。

・荒川弘『鋼の錬金術師』

 前期最終回は最高の長編漫画を読もうぜ、というコンセプト。歌舞伎の見得のようなポージング、セリフ回しすべてが巧妙に計算されて、ダサくないのが素晴らしい。物語構成も微小と大局とを作者が完全に把握しているのがわかるので、読んでいて、感心しかしない。

 

BGM:miwa「Chasing hearts」

文芸ラジオブックス、スタート

文芸学科の学生作品を中心に発表する電子書籍レーベル「文芸ラジオブックス」がスタート!文芸ラジオブックスロゴ

文芸学科では、かねてより学生・教員が多数執筆・編集に参加する文芸誌『文芸ラジオ』を年1回制作しております。このたび、その電子書籍レーベル「文芸ラジオブックス」が4冊の新刊タイトルでスタートいたしました。

 文芸学科生の作品を中心に、学科や『文芸ラジオ』に関わりのあるプロ作家・アマチュア作家による作品が、KindleやiBookstore、楽天Koboなど国内20以上の電子書籍店舗でダウンロードが可能です。なお流通は電子書籍取次のモバイルブック・ジェーピーを通じて行われます。

 皆様ご高覧くださいますよう、何卒よろしくお願いいたします。

 

[文芸ラジオブックス 第1弾 4作品]

01_hyoushi

 

 

 

 

 

 

 

星屑のブロンシュ

丸山千耀 著

文芸ラジオ新人賞受賞作「星屑のブロンシュ」を含む珠玉の短編集!

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友殺しの剣

平野謙太 著

「文芸ラジオ」に掲載された著者初の時代小説集!

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友殺しの剣

 

 

 

 

 

 

 

光と闇のボーイ・ミーツ・ガール

佐藤滴/大川律子/塩野秋/成田光穂/山川陽太郎 著

「出会い」をテーマとしたアンソロジー第一弾!

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友殺しの剣

 

 

 

 

 

 

 

どこかでオオカミが哭いている

森田一哉

80年代に活躍した「誰がカバやねんロックンロールショー」を率いたダンシング義隆の半生を描いたノンフィクション。

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[取材・内容お問い合わせ]

東北芸術工科大学 文芸準備室 文芸ラジオ編集部 野上勇人

E-mail bungeiradio@gmail.com

「汗をかいて走った 世界の秒針が」

 根本的な問題として、読書量が足りないのではないだろうか。学生を教えていて覚える違和感の根源が、この点だろうと最近、ようやく気付いた。とはいえ、読書などは放置していても、寝食を忘れて勝手に読み始めるものとばかり思いこんでいたので、言わないと読まない(もしくは物語を摂取しない)ことには頭が回らなかったというべきかもしれない。そこで今年度からは大学4年間で最低でも1000冊は読もうと言っている。最低レベルであるし、1日1冊読まなくとも、たどり着ける数字である。楽勝。

 1年生は1週間に1短編を授業で読んでいる。ということは3年生のゼミではそれ以上に様々なものを読むべきではないかと思い、今年度はできる限り毎週のゼミで小説を一冊読もうとしている。たまに他の事をしているので、毎週というわけにはいかないが、少しでも蓄積の足しになればと考えている。何せ、自分の中にないものを生み出そうとすることは、ごく少数の天才にしかできないし、本当に天才なら大学の授業など関係なく勝手にやっている。

 

カルロ・ゼン『幼女戦記』

アニメ化されたものを読もうというどうでもいい理由から出発した。個人的には興味関心のポイントが全く合わず、「ああ、アニメを違和感なく見られたのは上手い脚本と演出なんだなあ」と思う羽目になった。とはいえ作者の好きなポイントとそれを受け取る読者のポイントが合致しているという意味では間違ってはいないので、その点は考えるべきだと思う。

 

七月隆文『僕は明日、昨日のきみとデートする』

実写映画化されたベストセラーを読むんだぜ。という理由で選んだわけだが、いろいろと考えさせられた。時代が求めている空気を上手く読み取り、SF的要素で味付けしていったという意味では、ピンポイントで読者が咀嚼可能なものを提供するというプロの仕事ではある。なお以前、授業で梶尾真治の短編を取り上げたことがあったのは付記しておこう……。

 

野崎まど『パーフェクトフレンド』

みんな! 正解するカドは見ているかい!

 

上遠野浩平『あなたは虚人と星に舞う』

 2000年代初頭にまで、うじうじと残っていたセカイ系の作品群から一つ選んだわけだが、うじうじしているから読んでいてつらくなる。内省的であることは時代的な要請であったのかもしれないが、時間が経過するだけで簡単に劣化してしまう。しかし逆にいうとエンタメとはこうあるべきなのかもしれない。

 

多崎礼『夢の上』

 ここで一つファンタジーを読もうとセレクトした。ハイファンタジーの難しさは世界観の理解をいかにスムーズにしていくかが一つの要素のような気がするが、若いころに読んだときと今とではまたその能力も変化しているのだと痛感した次第。

 

馬場翁『蜘蛛ですが、なにか?』

 思っていた以上に面白かったので驚いた作品。個人的にセレクトした理由は、乙一がtwitterで言及していたからであった。物語が一直線になりがちなところを、様々な工夫で読者を飽きさせないようにしているので感心させられたのと、物語の構成がやはり連載前提になっているのは大きく違うものだと考えていた。

 

支倉凍砂『狼と香辛料』

 言わずもがなの大ヒット作品。今、読んでも非常に面白い。これを新人で書いていたのか、と思いつつ、ゼミでも少し述べたが、クライマックス部分は普通のアマチュアは商談成立とともに握手するシーンを持ってきてしまう。しかし、それでは読者層との乖離が大きくエンタメとしては何も意味しない。

 

川原礫『ソードアート・オンライン』

 これは今度のゼミで読む。

 

 以上のようにゼミで読む作品はエンタメに特化しているので、それ以外を読みたい場合は自力で探してほしい。エンタメばかり読んでいるから楽しそうに思えるかもしれないが、自分に合わなくても読み続けなければならないのは苦痛でしかないので、見た目ほど手を抜くこともできないし、楽しくもない。その先に通じる自らの創作や評論にまで目を向けたとき、はじめて立体化し、体感できるものである。

 

BGM:LiSA「Catch the Moment」

「全部過去になる前に見つけに行こう」

 入学したての一年生向け授業として「作品読解」というものを行っている。ということは、このブログで再三書いてきたが、もちろん今年も行われている。そのうち一つを私が担当しているのだが、備忘録として今回も書いておこう。以下は取り上げた作品を授業の順に書いている。一回につき一短編である。

 

山本弘「生と死のはざまで」

 昨年は『シン・ゴジラ』がヒットしたので怪獣小説を読もうか、という短絡的な発想が初発であった。それはそれとしてラストのオチは秀逸であり、かつ二度は使えない気がするので、引き出しとして入れておくべきものだと思う。

 

中田永一「少年ジャンパー」

 問答無用で私は乙一ファンなのだが、実はこの授業で取り上げるのは初めてである。ほかの授業ではテキストとして取り上げているので、かなり使っている気分であった。とはいえ、ここで別ペンネームのほうを取り上げるのは少しひねくれているのかもしれない。乙一作品は物語が理論的に構築されており、読むだけで有意義な気分になれる。そして理論的でありながら、ではやってみろと言われるとできないのが素晴らしい。物語としては初回から続けてオタクが主人公である。学生の皆さんがよく書いてくる「オタクで教室の隅に生息しているスクールカースト下位の男子高校生だが、何もせずに、いつの間にかに女の子にモテている」という小説を嫌と言うほど読まされてきたので、それはもうやめてくれという意思をこの作品のチョイスに込めている。

 

朝倉かすみ「あたしたちは無敵」

 ここから女性が主人公の物語を読むことにした。まずは小学生。とはいえ少し不思議な話を持ってきたのは、この前二回分の授業との連続性を意識している。作品のテーマを考えるにあたって、少なくとも今の我々は東日本大震災のあとに生きていることを無視することはできない。それを意識下に置くか、無意識下にするかは個々人の自由である。

 

柚木麻子「フォーゲットミー、ノットブルー」

 オタクを主人公とした話が多い、と書いたが、同じぐらい学生の皆さんが書いてくるのは女子高生を主人公とした何も起こらない小説である。換言すると何かが起こっている気持ちで書いているかもしれないが、客観的には何もない小説とすべきかもしれない。多くの人の個人経験が実体験と読書量で構築されているとしたら、少ない実体験から抽出しようとしているのではないだろうかと、私はいつも思っているがどうであろう。何はともあれ、教室内のスクールカーストとそれを基本とした関係性の構築の物語を読むことにした。あと個人的には家の近所が舞台であるので、その意味において微妙にポイントが高い。

 

彩瀬まる「龍を見送る」

 女性を主人公にした作品を読もうシリーズ三回目。三回で終わり。昨年は女性が仕事をしている小説を読んだら、学生の皆さんには少しイメージしにくかったようだ。これも経験値不足によるものである。さらには都内の大学生女子の作品も読んだら、同様の反応であった。悩んだ挙句、今年は学生と同年代の女性を主人公とした創作者の物語にした。自らを重ねることはできたのであろうか。

 

山内マリコ「地方都市のタラ・リピンスキー」

 山形という地方の一都市に住んでいる以上、その文化的状況は考えなければならない。その意味において現在の郊外論を背景に作品を書いている山内マリコは読むべき存在であろう。そう考え、セレクトしたが、うーん、という感じであった。よく考えると郊外論やショッピングモール論は結局、都会に住むエリート研究者によるものではないか、という気持ちにもなったので、そっとしておきたい気分にもなっている。

 

北村薫「夜の蝉」

 北村作品は、ほぼ毎年取り上げているような気がする。すべてが秀逸である。もう何も言わない。分析すればするほど重厚な人間関係と物語構成を結び付けているので溜息しか出ない。なお、円紫さんと私シリーズの主人公は私の出身大学に通っているので、無駄に親近感がある。この短編は関係ないけれども。

 

米澤保信「いまさら翼といわれても」

 先週はこの作品を読んだ。著名な「氷菓」シリーズの最新作。今度、実写映画化されるらしいが、見に行くべきか悩みどころである。そして悩んでいる時点で、見に行かないような気もする。さてタイトルチューンのこの短編は、今後、学生の皆さんにしみこんでいく作品ではないだろうか。選択肢が増えていくことは当然、責任も増えていく。省エネ主義を標榜している主人公がラストで声をかけずに、黙って待っていることの重さは素晴らしく、よくこれが書けるものだと感心してしまう。

 

 授業はようやく折り返し地点を越えたところである。まだまだ続くのだ。学生の皆さんには多くの作品を読んで欲しいと九官鳥のように何度も言っている。たかだか15本の短編を15週かけて読んでいてはいけない。一日一冊ぐらい学生時代に読んでもいいではないか。私が大学生のときは週に5、6冊ぐらいしか読んでいなかったので(ちなみに漫画は別腹)、もっと読めばよかったと今、後悔している。

 

BGM:ChouCho「優しさの理由」

「ホフマン、満腹、マカロン、好き」

 全くもって難しいと思いながら、『ポッピンQ』を見ていた。ゼミでは定期的に映像資料を見て、物語を考える機会を作っているが、今週は発売されたばかりの『ポッピンQ』を視聴したのである。この作品は東映アニメーション60周年記念プロジェクトとして制作され、プリキュアシリーズを手掛ける宮原直樹さんが参加し、原作のクレジットネームはおジャ魔女どれみやプリキュア、そして明日のナージャと同じく東堂いづみ(さんを付けるべきなのか悩みどころである)、キャラクター原案は黒星紅白さんというラインナップである。何も言うことはない。そう思っていたが、適当にググってもらえばわかるように、ネット上では賛否両論どころか否が多すぎて、一体この作品のどこがそれほどまでに拒否反応を引き起こすのであろうかと逆に興味を持ってしまった。そこでブルーレイを購入し、20歳前後の皆さんと一緒に視聴したのである。

 個人的に登場人物たちが躍ったり歌ったりすると、何ともいえない気分になり、笑ってしまいそうになるというのは、何度もマクロスで経験してきたし、実はアニメのOPやEDで本編と関係なく登場人物が躍るだけで釈然としない気分になっている。今回も見始めたときはこれまでと同様であったのだが、途中から変化していった。これに関しては一つには数多く作られているアイドルをモチーフにした作品に慣れている人にとって、それほど気にはならない点かもしれない。そしてもう一つには、物語上、このダンスは必要であった点である。というのも時の崩壊を防ぐためにダンスで鎮めなければならない、という理屈を見せられた際に「なぜ?」という気持ちになったのだが、冷静に「これは神楽ではないか」と気付いた時点で、様々な気持ちが収束していき、物語に没入することができるようになった。

 しかし、ではどこまで楽しめたかというと非常に難しい。冷静に作品を検討している自分と受給者として口を開けてみている自分が有機的に結合しながら、感情をコントロールし物語に触れるのが常なのだが、その二面性が引き離されながら見ていた気がする。90分と限られた時間内で物語をいかに見せていくのかという意味において、この作品は極めて優れた完成度であることは確かだ。異世界へと飛ばされ、そして戻ってくるという古典的なファンタジーの構造を取りながらも、主人公の葛藤・転換・変化を見事に描き切っている点は高く評価すべきであろう。さらに言うと短い時間の中で5人の少女のキャラクターをかき分け、視聴している側がこの子(というよりこの色の子)はこうで、こちらはこうで、とストレスなく理解できているのである。5人もいて、ほとんど描かれていないにも関わらず理解できるというのは、なかなかできるものではない。

 しかし、キャラクターが深く描かれていないというのに理解ができるということは、物足りなさを誘発する。5人分のエピソードを物語がすべて飲み込むことはできない。何せ、劇場映画で90分しかないのだ。土台、無理な話である。さらには物語構成としても、プロットポイントからの話の変化が予想可能なものになっているというのは、対象年齢層が私より下である(のだと思うが違ったら申し訳ない)以上は仕方ないものかもしれない。それでも伏線を張って、物語をスムーズに動かそうという意図が見え隠れするので、「では、どうしたら面白くなるんだ」と視聴しながら自問自答していたが、なかなか難しい問題であった。答えがない。難しい、ハード。

 キャラクターの背景が描かれていないのに把握できていることの凄みに、それでもどこか違和感を覚えてしまうのは、逆にいうと少なくとも私自身がキャラクター偏重の物語に慣れ過ぎたせいではないかと終盤あたりを見ているときに考えていた。これは物事を多面的に見ていこうと心掛けている自分自身にとっては、それなりに衝撃的であり、それほどまでにキャラクター重視の物語に引き寄せられているのかと確認させられたのである。常日頃、ステーキしか食べていない人が白飯だけを口にしても違和感を覚えるようなものかもしれない。その意味において非常に勉強になった作品ではあるが、では学生の皆さんが、これを書いてきたら、やはりいろいろ述べてしまうだろう。それはやめなさい、と。

 さて、ここまでキャラクターが描かれているようでいないけどいる、みたいなよくわからないことを書いてきたが、『ポッピンQ』を見てしまったことで、我々は5人の少女の物語を共有してしまったのだ。つまり、続編はすでにキャラクター造形が我々の脳内で構築されたうえで見ていくことになる。続編があれば。そう。最後に数分流れたあの続編が作られれば、最高の物語になるに違いない。

BGM:小清水亜美「けせら・せら」

文芸戦争と青色ラジオ その5 ―文芸ラジオ3号紹介―

 雑誌が発売になっても、他人ごとのように宣伝もせずに書店の皆さんにがんばっていただくわけにはいかない。そう考えてこのようにブログをつらつらと書き綴っているが、今回で終わりの予定である。とはいえ深夜に半分寝ながら書いていると、当然、次の日は眠くて仕方がない。日中に仕事をしているとき、眠気は存在しているが眠くなることはないという状況になるのが常なので、脳みその回転が遅くなっているだけになる。CPUの低下に対して違和感と焦燥感を覚えているのだが、学生の皆さんが華麗に授業中に寝ているのを見ると、それは技術としては見事だなとは思う。私は学生のとき、授業中に寝ることはほとんどなかったので、周囲に人がいる状況で気を抜いて寝ることができるのは一つの幸せかもしれない。もちろん私の授業内容の問題かもしれない。ちなみに今日は引用の話をした。ただいまネットで大炎上中の引用……の話を直接的にしなかったが、アカデミックライティングとしての引用に関する授業である。

 さて文芸ラジオは特集だけではなく、そこには収まらない作品もある。今回は光原百合さんにお願いし、小説を書いていただいた。よく言われる「昔の自分に言ってやりたい」とはまさしくこのことで光原さんの作品を読んでいた大学生の自分に言ってやりたい! 仕事で光原さんの作品を受け取ることになるぞ! と深夜にテンションを上げても仕方ないのだが、今回の作品は昔話を書き換える連作短編となっており、非常に面白い。誰もが知っている作品をプロが書き換えるとこうなるのかと感心した。なお文芸ラジオでは毎回、トリはプロに飾っていただく方針で進めている。これは学生の原稿で「うーん」と思いながら読み終わるのではなく、安定感ある作品を読んで余韻にひたって欲しいという考えによるもので、今回は光原百合さんにトリを飾っていただいた。ぜひお楽しみいただきたい。

 本学の夏と冬の集中講義に来ていただき、児童文学を教えていただいている楠章子さんにも作品をご寄稿いただいた。授業では非常に熱心に学生を指導していただいている、と聞いている。毎回、楠さんの集中講義の時間は裏で私自身も授業を行っているので、顔を出すことはできないことから伝聞状態になってしまうのだ。楠さんが昨年末に出された『ばあばは、だいじょうぶ』でも描かれた認知症の母親と主人公、父親、そしてよくわからない生き物……の物語である。絵本のほうも大いに話題になり、メディアで取り上げられたが、こちらの小説も洒脱な雰囲気でありながらも考えさせられる内容になっている。

 編集作業は教員だけで進めているわけではなく、学生主体となって依頼が行われるケースも多い。今回、エッセイを寄稿していただいた深町秋生さんと乗代雄介さんは学生側から書いて欲しい作家としてあがってきた。深町さんはご自身の経験談を踏まえながら、生きていく上での心構えが書かれている。タイトルに書かれている「そんぴん」が読む前はよくわからなかったのだが、そこは皆さんも一読して欲しい。この世にはいろいろなものが存在する。そして期せずして乗代さんのエッセイもまた音楽との関係性のなかで自らが語られていく。

 さて昨年9月に三宅陽一郎さん、高島雄哉さんと行ったイベント「創作・人工知能・SF―なぜ「書けないのではない、書かないだけだ」になるのか―」も今回収録した。既にこちらに関してはブログ記事を書いたので、そちらをご覧いただきたいが、SFを書き、『ゼーガペインADP』のSF考証をされている高島さんの創作理論が語られており、本誌に同じく収録している小説と一緒に読むと二度おいしい感じである。そしてAIと物語の関係は今や様々なメディアで引っ張りだこの三宅さんにも前号に続いてのご登場である。また前回一部で大好評だった黒木あるじさんと学生たちとの座談会も第二弾として収録した。今回も反響が大きければ第三弾がある……かも。

 雑誌は一人では作ることはできないというのは当たり前のことであるが、実際に制作してみると、その感慨は大きくなる。手を動かすこと、というのは、編集でも創作でも日々の生活の中でも一番重要なことである。脳内で考えるだけならだれでもできるし、細部に至るまで高い完成度を脳内で保つことのできる人は、ほとんどいない。この世には稀にそのように脳内で完全に作り上げて、さらには手も動かす人がいるので怖いものだが、凡人にはただただスクラップ&ビルドを繰り返すしかない。そろそろ、TBSラジオの『FINE!』が「おはようございます」と言い始めたので終わりにするが、3号は2号よりも完成度を高めていくことを目標にした。4号はまた別の目標を設定し、すでに始動しているので、お楽しみにしていただきたい。

文芸戦争と青色ラジオ その4 ―文芸ラジオ3号紹介―

 別に論争状態にあるわけではない。VSという表記を第三特集「有川浩VS.西尾維新」では使ったのだが、実はかなり迷った語句ではあった。このままでは対決をあおっているように受け取られてしまうのではないか。もしくは作品自体の対立ではなくとも、評論として対立軸が存在するという幻想を見せてしまうのではないか。と思い、何度か「VSではなく×はどうだろうか」と編集会議で発言すべきと思ったのだが、「×は×で、どちらが攻めでどちらが受けかの問題があるなあ、そっちのほうがダメだなあ」と自己完結して飲み込んでしまう日々を過ごしていた。

 何を考えるためにこの特集を組んだのかという論点に関しては特集の趣旨文に書いたので、実際に買ってご一読いただきたい。これまで文芸ラジオでは、なかなか評論特集を組むことができずにいたため、編集に携わりながらも忸怩たる思いがあったことは否めない。その意味において今回、有川浩と西尾維新というビッグネームを考える特集を企画することができたのは、これまでのつかえが取れ、大きな仕事をした気分である。まあ、私は一文字も書いていないけれども。

 有川浩に関してはトミヤマユキコさんと小新井涼さんに執筆をお願いした。トミヤマさんは著書『パンケーキ・ノート』の大ヒットでおなじみであり、近著の『大学1年生の歩き方 先輩たちが教える転ばぬ先の12のステップ』でもその鋭い着眼点がいかんなく発揮されているライター、研究者である。そして実は私の大学・大学院の同期。いや、同期であったというべきか。実は初めてお会いしたのは卒業後で、学部生時代の学籍番号に「98」が入っていることで同期だったことに気付いたのである。したがって同期というよりはエセ同期といったほうが適格である。さてそのトミヤマさんは日ごろから「岡田准一が好きというより岡田准一になりたい」とひらパー兄さんへの心情を吐露しているので、何も言わなくとも『図書館戦争』の話をしてくれるであろうと信頼して依頼をした。結果としてこちらの予想をこえる内容を提示してくれるのだから、さすがである。『図書館戦争』で描かれる男女関係が嫌味なく、不自然なく読むことができる(少なくとも私は)、その理由の一端が見えた気がした。

 小新井さんに初めてお会いしたのはコミケ会場である。Are you OTAKU? Yes! We are friends.な感じで今回、有川作品に関する原稿を依頼した。小新井さんはタレント活動をされる傍ら、北海道大学の博士課程に通われ学問にはげまれている才媛なので、私とはレベルの違う人なのだが、毎週放送されているすべてのアニメを視聴されているので、その意味でも段違いの方であった。この世は広い。さて小新井さんも『図書館戦争』を取り上げられているが、トミヤマさんとは読みも全く違っており、こちらも感心させられた。ご自身が経験されてきた社会的な流れと『図書館戦争』とをリンクさせる語りは見事というほかない。

 西尾維新に関しては玉川博章さんと山中智省さんに書いていただいた。玉川さんとはコミケでお会いし、というより毎回、サークル参加メンバーとして顔なじみである。たまに隣のブースになったり、二つ先になったり、別の島になったり、まあ、だいたいは同じ評論コーナーにいる。このように知り合いであるという点もあるが、玉川さんは西尾維新に関する先駆的な論考「青春の戯言―ライトノベルから見た西尾維新」(『ユリイカ』36巻10号、2004年)を発表されており、論考発表後の西尾維新の歩みを含めて、考察をしていただいた。ライトノベル研究だけではなく、メディア研究をメインで行っている玉川さんだが、お願いして書いていただき、まことにありがたい。山中さんは日ごろから同じ学術活動をしている仲間なのであるが、それはそれとしてやはりライトノベル研究の若手論者として非常に著名な方である。先日も山中さんにお会いしたのだが、その前に別の学問分野の方と話をしていると「山中さん、あ、ライトノベルの!」という感じで話が進む。もうエマーソン北村的な感じでライトノベル山中と改名しても違和感ない感じである(いや、嘘です)。著書の『ライトノベルよ、どこへいく―一九八〇年代からゼロ年代まで』は各所で引用され、世間の卒論でも多く参照されており、末永く読まれ続けるものになるであろう。その意味において西尾維新がラノベか否かという問題は山中さんだから、がっぷり四つで取り組めるものである。

 今回の評論特集は有川浩と西尾維新というビッグネームに対し、様々な角度から挑んだ意欲的な評論が並んでいるだけではない。もちろん、その点も大いに評価すべきなのだが、今後も参照され、卒論や修論、学術論文などで引用されるに堪えうるものである。その意味においても今回の特集を企画してよかったと編集者としては感謝している。ちなみに今回のブログの連作タイトル「文芸戦争と青色ラジオ」は有川作品と西尾作品をもじっていることは、一応ここで述べておく。

(その5へ続く予定)

文芸戦争と青色ラジオ その3 ―文芸ラジオ3号紹介―

 「未来はさ、チューブの中に車が走ってるんだよ」と手塚治虫作品みたいなことを言っていたら、学生から白い目を向けられた。「そこはアーサー・C・クラークだろ(しかも車じゃなくて電車だろ)」とか、「『メトロポリス』を挙げるよりはましな発言だ」などというツッコミはなく、自然に流された。そう、私は第二特集「僕らのいなくなった世界〜22世紀を考える〜」の主担当ではなく、野上勇人先生に任せていたので気楽なことが言えるのだ。言えるはずだったのだ。

 この特集は編集部内では通称22世紀と呼ばれていたため、恐らくは誰も正式名称は覚えていないだろう。私も忘れていて自分で書いた目次のブログ記事を見に行ったぐらいである。しかし気を抜いて取り組んでいたわけではなく、この特集は最初からインタビューを行っていこうと意欲的に立ち上がっていった企画である。遠い未来の話をするというのは、今生きている人のほとんどが死滅する世界の話をすることになる。つまり、そこまで距離感が出れば、お話いただく皆さんの個性がより発揮されるのではないか、となり、実際、三者三葉の内容になった。

 特に深くコミットしていかないつもりであったが、根本的にファンである米代恭さんのインタビューが執り行われることになってしまったので私もいそいそと参加したのである。お会いした米代さんは現在連載中の『あげくの果てのカノン』の主人公カノンのように可愛らしく、しかしカノンよりはるかにクレバーな方であった(と書くとカノンに申し訳ない……のだろうか)。近未来を取り上げたSFを描く方だから、という安直な考えで依頼した我々が恥じ入ってしまうぐらい、面白いインタビューとなったので、ぜひ一読して欲しい。個人的には『あげくの果てのカノン』を私のゼミの講読テキストとして取り上げたことをご本人に伝えられたので満足である。続いては中沢健さんである。松井玲奈が出演したドラマにもなった『初恋芸人』を書かれているが、それよりは動く待ち合わせ場所としてメディアに取り上げられていることで存じ上げていた。こちらに私は参加していないので印象論だが、『初恋芸人』を書かれている人がこのように考えているのか、というよりこうなってああなってデビューしているのか、と感心してしまった(悪い意味ではないです)。インタビューの最後は本学建築環境学科の教授であり、みかんぐみのメンバーとしてエコハウスの開発を行い、豊洲問題でも活躍中の竹内昌義さんである。今さらの感想かもしれないが、建築というものは人々の思想や地域・社会・文化をダイレクトに反映しているので、様々な文化の混在する高度な事象なのだということが再確認できた。インタビューを行った学生も自分の知識のなさを再考したのではないだろうか。

 この特集はインタビューだけではなく、エッセイも小説も掲載している。エッセイを寄稿していただいた相沢沙呼さんは、デビューから応援し作品が出れば買うポジションに脳内的に位置しており、私が担当する授業で講読テキストとして取り上げたことがある。3号はそのような感じで私の好きな作家への依頼が行われたものが多くみられ、「これが編集長ということか、チョーがつくとすごいな」と客観的な感想を抱いてしまっているが、別に不健全な会議で議論が進んでいったわけではない。はず。さておき相沢さんのエッセイは今回のテーマに真正面から向き合っていただいた内容で頭の下がる思いである。そして小説は本学科の卒業生で今は編集者として活動している荒川匠さんが書いている。『ガンスミス』の人である。そのうち仕事をください。

(その4に続く予定)

文芸戦争と青色ラジオ その2 ―文芸ラジオ3号紹介―

 文芸ラジオの編集作業は教員と学生が行っている。時に書き手も学生になるので、家内制手工業のようになってしまうことが多く、教員が上手く動かしていかないと迷走どころか激突して消えてしまいそうになる。これは特集作業も同様で、複数の人間による共同作業であり、メンバーの能力・気力が不均衡でいびつなパラメーターを描いている状況で行わなければならない。別に嫌だとか、諦めているとか、それでも頑張ろうとか、意味のない感情を上乗せしていく問題ではなく、現実としてそうなっているという話である。

 今回の巻頭特集は猫である。そのために表紙では押切もえさんに猫を抱いていただいたわけだが、中身もまた猫をめぐって複合的な内容を目指している。まずは旅作家である小林希さんから旅先で出会った猫写真をご提供いただいた。もう、これだけでお腹いっぱいなのだが、小林さんには短編小説も書いていただき、まことにありがとうございますという感じである。そして写真というメディアだけではなく、イラストも様々な方に描いていただいた。『月詠』の大ヒットでおなじみであり、最近は川崎フロンターレの公認キャラクター「カワサキまるこ」を手掛けられている有馬啓太郎さん、少女漫画で活躍され、『世界の歴史』も描かれている芳村梨絵さん、実は私の大学の同期であり、『NEWまんが日本の歴史』などの歴史漫画でもおなじみの小坂伊吹さん、猫といえばかわいらしい猫を描かれていて、ぜひこの人にお願いしよう! と思った鈴木ネコさん……とプロの方々だけではなく、学内外のアマチュアの方にもお願いをしている。

 小説は既述の小林希さんだけではなく、昨年9月の文芸ラジオイベントにもご登壇いただいたSF作家の高島雄哉さん(なのでこの作品は同じく3号に収録している講演録と同時に読むと、なお面白いです)、『薬屋のひとりごと』シリーズが大好きで、この人には絶対ご依頼しようと思っていた日向夏さん(新刊『カロリーは引いてください! ~学食ガールと満腹男子~』が富士見L文庫から発売中)からご寄稿いただいた。また私は創刊号から『文芸ラジオ』の編集に関わっており、創刊号では小松エメルさん、二号では秋山香乃さんと時代小説・歴史小説を手掛けられている方にご登場いただいている。これは端的に時代ものが好きなので、もっとジャンルとして大きくなって欲しいという極私的な願いも込めている。そして今回の3号では谷津矢車さんからエッセイをご寄稿いただいた。最新作『おもちゃ絵芳藤』(文藝春秋)では歌川国芳の弟子である芳藤を主人公に描いているが、今回のエッセイは国芳の猫ですよ。

 前号2号の表紙といえば小橋めぐみさん。私がファンということももちろんあるが、本を愛する人たちというのは、問答無用で応援すべき存在である。今回も猫とからめながら本をめぐるエッセイをお書きいただいた。そして猫に関して評論が欲しい。猫と人間の付き合い方を考えている人はいないだろうか、ということで、早稲田大学の真辺将之さんに近代から現代日本における猫と人との関係について書いていただいた。素晴らしい。この評論により骨子が定まった気がして、原稿を受け取った際、感動したことを覚えている。お会いしたことはないのだが、実は大学の先輩なのでお名前は以前より存じ上げていた。この世は様々なところでつながっている。

 それ以外にも学生の小説と漫画も掲載されており、そちらに関する私のコメントは個々人に直接、伝えていければと思う。これは編集者というよりは教育者としての活動である。

 さて特集のタイトルは「猫というメディア」である。何がどうメディアなのかは巻頭文に書いたので、そちらをお読みいただきたい。どう受け止め、考え、収録作品を読んでいくのかは皆さん次第である。

(その3へ続く)

文芸戦争と青色ラジオ その1 ―文芸ラジオ3号紹介―

 『文芸ラジオ』3号が発売になる。一年に一回、毎年のように販売されていくことができればよいと考えながら編集作業を行ってきたが、これで三回目。次の号が出れば、後世からカストリ雑誌と呼ばれることはないだろう。何より大学という公共性の高い組織の発行物である。売上や流行の影響はそれなりに受けるだろうが、それでも変わらずに出し続けるように尽力したい。というより公共空間を背負っている以上はすぐに辞めてしまっては、信頼が地に落ちてしまうし、何よりカッコ悪い。……と、これ以上書くと愚痴になっていく気がするので、『文芸ラジオ』3号の内容を紹介しながら思うところを書いていくことにする。肩の力を抜いて書くので、読む人もまあ、気楽にして欲しい。アニメを見ながら読んでもいい。

 3号の表紙は押切もえさんである。押切さんは皆さん、ご存知の通りモデルであり、タレントであり、そして小説家でもある。押切さんを初めて認識したのは『英語でしゃべらナイト』ぐらいからなので、実は遅い。ファッション誌を読む習慣がないのと、バラエティ番組を見ていなかったのでタレント活動を始められたときは目に入っていなかったが、次第にテレビで見かけるようになり、著名なモデルさんということは理解していた。そして2016年、『永遠とは違う一日』を手に取り、『文芸ラジオ』の活動でお会いすることになってしまう。

 ということは何があるかというと、特段、緊張することはなく、話を聞くことが出来て、良い経験だったのである。一番、驚いたのは『浅き夢見し』が初めて書いた小説だということ。その後、『永遠とは違う一日』まで作品レベルを一気に高めることができることを考えると「文化資本とは一体……」という気分になったものである。あのとき会場にいた人はほとんど気付いていないだろうが、ナチュラルに「この人、すげえ」と私は思い、凍り付いていた。さて緊張しなかったと書いたが、実は裏方的には冷や冷やする出来事がたくさん起こり、その一つは表紙に友情出演の猫のサンちゃんである。

 サンちゃん(猫)はその女優っぷりを遺憾なく発揮していただきまして、編集部メンバーおよび押切さんやスタッフの皆さんが逃げる彼女を追いかけたのである……。サンちゃん(大女優)が機嫌を損ねると面倒ということがよく分かったが、最後には押切さんとカメラマンの西槇太一さん、お二人のプロの仕事により、ベストショットが仕上がった。表紙で押切さんの頭が切れてしまっているのは、本当にギリギリのカットだったのだ。ファンの皆さん、すみません。でも中身には様々な押切さんの写真が掲載されているので楽しみにして欲しい。もちろん少しだけサンちゃん(空前絶後の大女優)もいるよ。

 もう一つドキドキしたのは、グラウンドでの撮影の際、「野球好きなんです」と仰る押切さんである。もう皆さん、ご存知だろうが、押切さんの旦那さんは千葉ロッテのエースピッチャー涌井秀章さんなのだが、この撮影時はまだそうではなく……。どう会話を繋げと。「わたしはオリックス・バファローズのファンなんです」という返事ではないだろう。それは敵ではないか。いや、そもそもいいのか? うーん、何がというか。と煩悶としていたら、カメラマンの西槇さんが「スポーツお好きなんですね」と切り返していた。さすが、プロだ。そして今年のロッテは心配だが、私はオリックスファンである。お互い、それどころではない。

(その2に続く予定)