「ホフマン、満腹、マカロン、好き」

 全くもって難しいと思いながら、『ポッピンQ』を見ていた。ゼミでは定期的に映像資料を見て、物語を考える機会を作っているが、今週は発売されたばかりの『ポッピンQ』を視聴したのである。この作品は東映アニメーション60周年記念プロジェクトとして制作され、プリキュアシリーズを手掛ける宮原直樹さんが参加し、原作のクレジットネームはおジャ魔女どれみやプリキュア、そして明日のナージャと同じく東堂いづみ(さんを付けるべきなのか悩みどころである)、キャラクター原案は黒星紅白さんというラインナップである。何も言うことはない。そう思っていたが、適当にググってもらえばわかるように、ネット上では賛否両論どころか否が多すぎて、一体この作品のどこがそれほどまでに拒否反応を引き起こすのであろうかと逆に興味を持ってしまった。そこでブルーレイを購入し、20歳前後の皆さんと一緒に視聴したのである。

 個人的に登場人物たちが躍ったり歌ったりすると、何ともいえない気分になり、笑ってしまいそうになるというのは、何度もマクロスで経験してきたし、実はアニメのOPやEDで本編と関係なく登場人物が躍るだけで釈然としない気分になっている。今回も見始めたときはこれまでと同様であったのだが、途中から変化していった。これに関しては一つには数多く作られているアイドルをモチーフにした作品に慣れている人にとって、それほど気にはならない点かもしれない。そしてもう一つには、物語上、このダンスは必要であった点である。というのも時の崩壊を防ぐためにダンスで鎮めなければならない、という理屈を見せられた際に「なぜ?」という気持ちになったのだが、冷静に「これは神楽ではないか」と気付いた時点で、様々な気持ちが収束していき、物語に没入することができるようになった。

 しかし、ではどこまで楽しめたかというと非常に難しい。冷静に作品を検討している自分と受給者として口を開けてみている自分が有機的に結合しながら、感情をコントロールし物語に触れるのが常なのだが、その二面性が引き離されながら見ていた気がする。90分と限られた時間内で物語をいかに見せていくのかという意味において、この作品は極めて優れた完成度であることは確かだ。異世界へと飛ばされ、そして戻ってくるという古典的なファンタジーの構造を取りながらも、主人公の葛藤・転換・変化を見事に描き切っている点は高く評価すべきであろう。さらに言うと短い時間の中で5人の少女のキャラクターをかき分け、視聴している側がこの子(というよりこの色の子)はこうで、こちらはこうで、とストレスなく理解できているのである。5人もいて、ほとんど描かれていないにも関わらず理解できるというのは、なかなかできるものではない。

 しかし、キャラクターが深く描かれていないというのに理解ができるということは、物足りなさを誘発する。5人分のエピソードを物語がすべて飲み込むことはできない。何せ、劇場映画で90分しかないのだ。土台、無理な話である。さらには物語構成としても、プロットポイントからの話の変化が予想可能なものになっているというのは、対象年齢層が私より下である(のだと思うが違ったら申し訳ない)以上は仕方ないものかもしれない。それでも伏線を張って、物語をスムーズに動かそうという意図が見え隠れするので、「では、どうしたら面白くなるんだ」と視聴しながら自問自答していたが、なかなか難しい問題であった。答えがない。難しい、ハード。

 キャラクターの背景が描かれていないのに把握できていることの凄みに、それでもどこか違和感を覚えてしまうのは、逆にいうと少なくとも私自身がキャラクター偏重の物語に慣れ過ぎたせいではないかと終盤あたりを見ているときに考えていた。これは物事を多面的に見ていこうと心掛けている自分自身にとっては、それなりに衝撃的であり、それほどまでにキャラクター重視の物語に引き寄せられているのかと確認させられたのである。常日頃、ステーキしか食べていない人が白飯だけを口にしても違和感を覚えるようなものかもしれない。その意味において非常に勉強になった作品ではあるが、では学生の皆さんが、これを書いてきたら、やはりいろいろ述べてしまうだろう。それはやめなさい、と。

 さて、ここまでキャラクターが描かれているようでいないけどいる、みたいなよくわからないことを書いてきたが、『ポッピンQ』を見てしまったことで、我々は5人の少女の物語を共有してしまったのだ。つまり、続編はすでにキャラクター造形が我々の脳内で構築されたうえで見ていくことになる。続編があれば。そう。最後に数分流れたあの続編が作られれば、最高の物語になるに違いない。

BGM:小清水亜美「けせら・せら」

文芸戦争と青色ラジオ その5 ―文芸ラジオ3号紹介―

 雑誌が発売になっても、他人ごとのように宣伝もせずに書店の皆さんにがんばっていただくわけにはいかない。そう考えてこのようにブログをつらつらと書き綴っているが、今回で終わりの予定である。とはいえ深夜に半分寝ながら書いていると、当然、次の日は眠くて仕方がない。日中に仕事をしているとき、眠気は存在しているが眠くなることはないという状況になるのが常なので、脳みその回転が遅くなっているだけになる。CPUの低下に対して違和感と焦燥感を覚えているのだが、学生の皆さんが華麗に授業中に寝ているのを見ると、それは技術としては見事だなとは思う。私は学生のとき、授業中に寝ることはほとんどなかったので、周囲に人がいる状況で気を抜いて寝ることができるのは一つの幸せかもしれない。もちろん私の授業内容の問題かもしれない。ちなみに今日は引用の話をした。ただいまネットで大炎上中の引用……の話を直接的にしなかったが、アカデミックライティングとしての引用に関する授業である。

 さて文芸ラジオは特集だけではなく、そこには収まらない作品もある。今回は光原百合さんにお願いし、小説を書いていただいた。よく言われる「昔の自分に言ってやりたい」とはまさしくこのことで光原さんの作品を読んでいた大学生の自分に言ってやりたい! 仕事で光原さんの作品を受け取ることになるぞ! と深夜にテンションを上げても仕方ないのだが、今回の作品は昔話を書き換える連作短編となっており、非常に面白い。誰もが知っている作品をプロが書き換えるとこうなるのかと感心した。なお文芸ラジオでは毎回、トリはプロに飾っていただく方針で進めている。これは学生の原稿で「うーん」と思いながら読み終わるのではなく、安定感ある作品を読んで余韻にひたって欲しいという考えによるもので、今回は光原百合さんにトリを飾っていただいた。ぜひお楽しみいただきたい。

 本学の夏と冬の集中講義に来ていただき、児童文学を教えていただいている楠章子さんにも作品をご寄稿いただいた。授業では非常に熱心に学生を指導していただいている、と聞いている。毎回、楠さんの集中講義の時間は裏で私自身も授業を行っているので、顔を出すことはできないことから伝聞状態になってしまうのだ。楠さんが昨年末に出された『ばあばは、だいじょうぶ』でも描かれた認知症の母親と主人公、父親、そしてよくわからない生き物……の物語である。絵本のほうも大いに話題になり、メディアで取り上げられたが、こちらの小説も洒脱な雰囲気でありながらも考えさせられる内容になっている。

 編集作業は教員だけで進めているわけではなく、学生主体となって依頼が行われるケースも多い。今回、エッセイを寄稿していただいた深町秋生さんと乗代雄介さんは学生側から書いて欲しい作家としてあがってきた。深町さんはご自身の経験談を踏まえながら、生きていく上での心構えが書かれている。タイトルに書かれている「そんぴん」が読む前はよくわからなかったのだが、そこは皆さんも一読して欲しい。この世にはいろいろなものが存在する。そして期せずして乗代さんのエッセイもまた音楽との関係性のなかで自らが語られていく。

 さて昨年9月に三宅陽一郎さん、高島雄哉さんと行ったイベント「創作・人工知能・SF―なぜ「書けないのではない、書かないだけだ」になるのか―」も今回収録した。既にこちらに関してはブログ記事を書いたので、そちらをご覧いただきたいが、SFを書き、『ゼーガペインADP』のSF考証をされている高島さんの創作理論が語られており、本誌に同じく収録している小説と一緒に読むと二度おいしい感じである。そしてAIと物語の関係は今や様々なメディアで引っ張りだこの三宅さんにも前号に続いてのご登場である。また前回一部で大好評だった黒木あるじさんと学生たちとの座談会も第二弾として収録した。今回も反響が大きければ第三弾がある……かも。

 雑誌は一人では作ることはできないというのは当たり前のことであるが、実際に制作してみると、その感慨は大きくなる。手を動かすこと、というのは、編集でも創作でも日々の生活の中でも一番重要なことである。脳内で考えるだけならだれでもできるし、細部に至るまで高い完成度を脳内で保つことのできる人は、ほとんどいない。この世には稀にそのように脳内で完全に作り上げて、さらには手も動かす人がいるので怖いものだが、凡人にはただただスクラップ&ビルドを繰り返すしかない。そろそろ、TBSラジオの『FINE!』が「おはようございます」と言い始めたので終わりにするが、3号は2号よりも完成度を高めていくことを目標にした。4号はまた別の目標を設定し、すでに始動しているので、お楽しみにしていただきたい。

文芸戦争と青色ラジオ その4 ―文芸ラジオ3号紹介―

 別に論争状態にあるわけではない。VSという表記を第三特集「有川浩VS.西尾維新」では使ったのだが、実はかなり迷った語句ではあった。このままでは対決をあおっているように受け取られてしまうのではないか。もしくは作品自体の対立ではなくとも、評論として対立軸が存在するという幻想を見せてしまうのではないか。と思い、何度か「VSではなく×はどうだろうか」と編集会議で発言すべきと思ったのだが、「×は×で、どちらが攻めでどちらが受けかの問題があるなあ、そっちのほうがダメだなあ」と自己完結して飲み込んでしまう日々を過ごしていた。

 何を考えるためにこの特集を組んだのかという論点に関しては特集の趣旨文に書いたので、実際に買ってご一読いただきたい。これまで文芸ラジオでは、なかなか評論特集を組むことができずにいたため、編集に携わりながらも忸怩たる思いがあったことは否めない。その意味において今回、有川浩と西尾維新というビッグネームを考える特集を企画することができたのは、これまでのつかえが取れ、大きな仕事をした気分である。まあ、私は一文字も書いていないけれども。

 有川浩に関してはトミヤマユキコさんと小新井涼さんに執筆をお願いした。トミヤマさんは著書『パンケーキ・ノート』の大ヒットでおなじみであり、近著の『大学1年生の歩き方 先輩たちが教える転ばぬ先の12のステップ』でもその鋭い着眼点がいかんなく発揮されているライター、研究者である。そして実は私の大学・大学院の同期。いや、同期であったというべきか。実は初めてお会いしたのは卒業後で、学部生時代の学籍番号に「98」が入っていることで同期だったことに気付いたのである。したがって同期というよりはエセ同期といったほうが適格である。さてそのトミヤマさんは日ごろから「岡田准一が好きというより岡田准一になりたい」とひらパー兄さんへの心情を吐露しているので、何も言わなくとも『図書館戦争』の話をしてくれるであろうと信頼して依頼をした。結果としてこちらの予想をこえる内容を提示してくれるのだから、さすがである。『図書館戦争』で描かれる男女関係が嫌味なく、不自然なく読むことができる(少なくとも私は)、その理由の一端が見えた気がした。

 小新井さんに初めてお会いしたのはコミケ会場である。Are you OTAKU? Yes! We are friends.な感じで今回、有川作品に関する原稿を依頼した。小新井さんはタレント活動をされる傍ら、北海道大学の博士課程に通われ学問にはげまれている才媛なので、私とはレベルの違う人なのだが、毎週放送されているすべてのアニメを視聴されているので、その意味でも段違いの方であった。この世は広い。さて小新井さんも『図書館戦争』を取り上げられているが、トミヤマさんとは読みも全く違っており、こちらも感心させられた。ご自身が経験されてきた社会的な流れと『図書館戦争』とをリンクさせる語りは見事というほかない。

 西尾維新に関しては玉川博章さんと山中智省さんに書いていただいた。玉川さんとはコミケでお会いし、というより毎回、サークル参加メンバーとして顔なじみである。たまに隣のブースになったり、二つ先になったり、別の島になったり、まあ、だいたいは同じ評論コーナーにいる。このように知り合いであるという点もあるが、玉川さんは西尾維新に関する先駆的な論考「青春の戯言―ライトノベルから見た西尾維新」(『ユリイカ』36巻10号、2004年)を発表されており、論考発表後の西尾維新の歩みを含めて、考察をしていただいた。ライトノベル研究だけではなく、メディア研究をメインで行っている玉川さんだが、お願いして書いていただき、まことにありがたい。山中さんは日ごろから同じ学術活動をしている仲間なのであるが、それはそれとしてやはりライトノベル研究の若手論者として非常に著名な方である。先日も山中さんにお会いしたのだが、その前に別の学問分野の方と話をしていると「山中さん、あ、ライトノベルの!」という感じで話が進む。もうエマーソン北村的な感じでライトノベル山中と改名しても違和感ない感じである(いや、嘘です)。著書の『ライトノベルよ、どこへいく―一九八〇年代からゼロ年代まで』は各所で引用され、世間の卒論でも多く参照されており、末永く読まれ続けるものになるであろう。その意味において西尾維新がラノベか否かという問題は山中さんだから、がっぷり四つで取り組めるものである。

 今回の評論特集は有川浩と西尾維新というビッグネームに対し、様々な角度から挑んだ意欲的な評論が並んでいるだけではない。もちろん、その点も大いに評価すべきなのだが、今後も参照され、卒論や修論、学術論文などで引用されるに堪えうるものである。その意味においても今回の特集を企画してよかったと編集者としては感謝している。ちなみに今回のブログの連作タイトル「文芸戦争と青色ラジオ」は有川作品と西尾作品をもじっていることは、一応ここで述べておく。

(その5へ続く予定)

文芸戦争と青色ラジオ その3 ―文芸ラジオ3号紹介―

 「未来はさ、チューブの中に車が走ってるんだよ」と手塚治虫作品みたいなことを言っていたら、学生から白い目を向けられた。「そこはアーサー・C・クラークだろ(しかも車じゃなくて電車だろ)」とか、「『メトロポリス』を挙げるよりはましな発言だ」などというツッコミはなく、自然に流された。そう、私は第二特集「僕らのいなくなった世界〜22世紀を考える〜」の主担当ではなく、野上勇人先生に任せていたので気楽なことが言えるのだ。言えるはずだったのだ。

 この特集は編集部内では通称22世紀と呼ばれていたため、恐らくは誰も正式名称は覚えていないだろう。私も忘れていて自分で書いた目次のブログ記事を見に行ったぐらいである。しかし気を抜いて取り組んでいたわけではなく、この特集は最初からインタビューを行っていこうと意欲的に立ち上がっていった企画である。遠い未来の話をするというのは、今生きている人のほとんどが死滅する世界の話をすることになる。つまり、そこまで距離感が出れば、お話いただく皆さんの個性がより発揮されるのではないか、となり、実際、三者三葉の内容になった。

 特に深くコミットしていかないつもりであったが、根本的にファンである米代恭さんのインタビューが執り行われることになってしまったので私もいそいそと参加したのである。お会いした米代さんは現在連載中の『あげくの果てのカノン』の主人公カノンのように可愛らしく、しかしカノンよりはるかにクレバーな方であった(と書くとカノンに申し訳ない……のだろうか)。近未来を取り上げたSFを描く方だから、という安直な考えで依頼した我々が恥じ入ってしまうぐらい、面白いインタビューとなったので、ぜひ一読して欲しい。個人的には『あげくの果てのカノン』を私のゼミの講読テキストとして取り上げたことをご本人に伝えられたので満足である。続いては中沢健さんである。松井玲奈が出演したドラマにもなった『初恋芸人』を書かれているが、それよりは動く待ち合わせ場所としてメディアに取り上げられていることで存じ上げていた。こちらに私は参加していないので印象論だが、『初恋芸人』を書かれている人がこのように考えているのか、というよりこうなってああなってデビューしているのか、と感心してしまった(悪い意味ではないです)。インタビューの最後は本学建築環境学科の教授であり、みかんぐみのメンバーとしてエコハウスの開発を行い、豊洲問題でも活躍中の竹内昌義さんである。今さらの感想かもしれないが、建築というものは人々の思想や地域・社会・文化をダイレクトに反映しているので、様々な文化の混在する高度な事象なのだということが再確認できた。インタビューを行った学生も自分の知識のなさを再考したのではないだろうか。

 この特集はインタビューだけではなく、エッセイも小説も掲載している。エッセイを寄稿していただいた相沢沙呼さんは、デビューから応援し作品が出れば買うポジションに脳内的に位置しており、私が担当する授業で講読テキストとして取り上げたことがある。3号はそのような感じで私の好きな作家への依頼が行われたものが多くみられ、「これが編集長ということか、チョーがつくとすごいな」と客観的な感想を抱いてしまっているが、別に不健全な会議で議論が進んでいったわけではない。はず。さておき相沢さんのエッセイは今回のテーマに真正面から向き合っていただいた内容で頭の下がる思いである。そして小説は本学科の卒業生で今は編集者として活動している荒川匠さんが書いている。『ガンスミス』の人である。そのうち仕事をください。

(その4に続く予定)

文芸戦争と青色ラジオ その2 ―文芸ラジオ3号紹介―

 文芸ラジオの編集作業は教員と学生が行っている。時に書き手も学生になるので、家内制手工業のようになってしまうことが多く、教員が上手く動かしていかないと迷走どころか激突して消えてしまいそうになる。これは特集作業も同様で、複数の人間による共同作業であり、メンバーの能力・気力が不均衡でいびつなパラメーターを描いている状況で行わなければならない。別に嫌だとか、諦めているとか、それでも頑張ろうとか、意味のない感情を上乗せしていく問題ではなく、現実としてそうなっているという話である。

 今回の巻頭特集は猫である。そのために表紙では押切もえさんに猫を抱いていただいたわけだが、中身もまた猫をめぐって複合的な内容を目指している。まずは旅作家である小林希さんから旅先で出会った猫写真をご提供いただいた。もう、これだけでお腹いっぱいなのだが、小林さんには短編小説も書いていただき、まことにありがとうございますという感じである。そして写真というメディアだけではなく、イラストも様々な方に描いていただいた。『月詠』の大ヒットでおなじみであり、最近は川崎フロンターレの公認キャラクター「カワサキまるこ」を手掛けられている有馬啓太郎さん、少女漫画で活躍され、『世界の歴史』も描かれている芳村梨絵さん、実は私の大学の同期であり、『NEWまんが日本の歴史』などの歴史漫画でもおなじみの小坂伊吹さん、猫といえばかわいらしい猫を描かれていて、ぜひこの人にお願いしよう! と思った鈴木ネコさん……とプロの方々だけではなく、学内外のアマチュアの方にもお願いをしている。

 小説は既述の小林希さんだけではなく、昨年9月の文芸ラジオイベントにもご登壇いただいたSF作家の高島雄哉さん(なのでこの作品は同じく3号に収録している講演録と同時に読むと、なお面白いです)、『薬屋のひとりごと』シリーズが大好きで、この人には絶対ご依頼しようと思っていた日向夏さん(新刊『カロリーは引いてください! ~学食ガールと満腹男子~』が富士見L文庫から発売中)からご寄稿いただいた。また私は創刊号から『文芸ラジオ』の編集に関わっており、創刊号では小松エメルさん、二号では秋山香乃さんと時代小説・歴史小説を手掛けられている方にご登場いただいている。これは端的に時代ものが好きなので、もっとジャンルとして大きくなって欲しいという極私的な願いも込めている。そして今回の3号では谷津矢車さんからエッセイをご寄稿いただいた。最新作『おもちゃ絵芳藤』(文藝春秋)では歌川国芳の弟子である芳藤を主人公に描いているが、今回のエッセイは国芳の猫ですよ。

 前号2号の表紙といえば小橋めぐみさん。私がファンということももちろんあるが、本を愛する人たちというのは、問答無用で応援すべき存在である。今回も猫とからめながら本をめぐるエッセイをお書きいただいた。そして猫に関して評論が欲しい。猫と人間の付き合い方を考えている人はいないだろうか、ということで、早稲田大学の真辺将之さんに近代から現代日本における猫と人との関係について書いていただいた。素晴らしい。この評論により骨子が定まった気がして、原稿を受け取った際、感動したことを覚えている。お会いしたことはないのだが、実は大学の先輩なのでお名前は以前より存じ上げていた。この世は様々なところでつながっている。

 それ以外にも学生の小説と漫画も掲載されており、そちらに関する私のコメントは個々人に直接、伝えていければと思う。これは編集者というよりは教育者としての活動である。

 さて特集のタイトルは「猫というメディア」である。何がどうメディアなのかは巻頭文に書いたので、そちらをお読みいただきたい。どう受け止め、考え、収録作品を読んでいくのかは皆さん次第である。

(その3へ続く)

文芸戦争と青色ラジオ その1 ―文芸ラジオ3号紹介―

 『文芸ラジオ』3号が発売になる。一年に一回、毎年のように販売されていくことができればよいと考えながら編集作業を行ってきたが、これで三回目。次の号が出れば、後世からカストリ雑誌と呼ばれることはないだろう。何より大学という公共性の高い組織の発行物である。売上や流行の影響はそれなりに受けるだろうが、それでも変わらずに出し続けるように尽力したい。というより公共空間を背負っている以上はすぐに辞めてしまっては、信頼が地に落ちてしまうし、何よりカッコ悪い。……と、これ以上書くと愚痴になっていく気がするので、『文芸ラジオ』3号の内容を紹介しながら思うところを書いていくことにする。肩の力を抜いて書くので、読む人もまあ、気楽にして欲しい。アニメを見ながら読んでもいい。

 3号の表紙は押切もえさんである。押切さんは皆さん、ご存知の通りモデルであり、タレントであり、そして小説家でもある。押切さんを初めて認識したのは『英語でしゃべらナイト』ぐらいからなので、実は遅い。ファッション誌を読む習慣がないのと、バラエティ番組を見ていなかったのでタレント活動を始められたときは目に入っていなかったが、次第にテレビで見かけるようになり、著名なモデルさんということは理解していた。そして2016年、『永遠とは違う一日』を手に取り、『文芸ラジオ』の活動でお会いすることになってしまう。

 ということは何があるかというと、特段、緊張することはなく、話を聞くことが出来て、良い経験だったのである。一番、驚いたのは『浅き夢見し』が初めて書いた小説だということ。その後、『永遠とは違う一日』まで作品レベルを一気に高めることができることを考えると「文化資本とは一体……」という気分になったものである。あのとき会場にいた人はほとんど気付いていないだろうが、ナチュラルに「この人、すげえ」と私は思い、凍り付いていた。さて緊張しなかったと書いたが、実は裏方的には冷や冷やする出来事がたくさん起こり、その一つは表紙に友情出演の猫のサンちゃんである。

 サンちゃん(猫)はその女優っぷりを遺憾なく発揮していただきまして、編集部メンバーおよび押切さんやスタッフの皆さんが逃げる彼女を追いかけたのである……。サンちゃん(大女優)が機嫌を損ねると面倒ということがよく分かったが、最後には押切さんとカメラマンの西槇太一さん、お二人のプロの仕事により、ベストショットが仕上がった。表紙で押切さんの頭が切れてしまっているのは、本当にギリギリのカットだったのだ。ファンの皆さん、すみません。でも中身には様々な押切さんの写真が掲載されているので楽しみにして欲しい。もちろん少しだけサンちゃん(空前絶後の大女優)もいるよ。

 もう一つドキドキしたのは、グラウンドでの撮影の際、「野球好きなんです」と仰る押切さんである。もう皆さん、ご存知だろうが、押切さんの旦那さんは千葉ロッテのエースピッチャー涌井秀章さんなのだが、この撮影時はまだそうではなく……。どう会話を繋げと。「わたしはオリックス・バファローズのファンなんです」という返事ではないだろう。それは敵ではないか。いや、そもそもいいのか? うーん、何がというか。と煩悶としていたら、カメラマンの西槇さんが「スポーツお好きなんですね」と切り返していた。さすが、プロだ。そして今年のロッテは心配だが、私はオリックスファンである。お互い、それどころではない。

(その2に続く予定)

文芸ラジオ3号が発売されます。

5月25日に『文芸ラジオ』3号が発売になります。今回も特集に小説・評論・エッセイ・イラスト・写真・漫画と盛り沢山になっております。書店で見かけた際には、ぜひ手に取り、お買い求めください。

内容紹介記事はこちらになります。「その1」、「その2」、「その3」、「その4」、「その5

目次

Guest Talk 押切もえ 自分の内面に、正直に向き合う

特集 猫というメディア

イラスト
有馬啓太郎・芳村梨絵・小坂伊吹・鈴木ネコ・佐々木智世・mokuchin09・齋藤日香莉

小説
シエル 小林希
猫のための小説 高島雄哉
我輩はジロウである 日向夏
猫による猫のための 菅澤大樹
死にたがりとアンデッド 有谷亨

エッセイ
歌川国芳の猫と、近世江戸メディア史の闇 谷津矢車
咲くのを待ちながら 小橋めぐみ

評論
猫、その受難の歴史―日本近現代史のなかで― 真辺将之

漫画
ネコ・ホーダイ 雨下

 

特集 僕らのいなくなった世界〜22世紀を考える〜

インタビュー
米代恭 今の時代は過渡期、将来はもっとフラットな社会に
中沢健 「永遠の命」が生み出す様々な可能性
竹内昌義 思考を止めた日本の羊たち

エッセイ
22世紀の居場所 相沢沙呼

小説
偽りのトニー・バートンと 荒川匠

漫画
一億総◯◯社会 ゴトウトシキ

評論特集 有川浩VS西尾維新

トミヤマユキコ「〈少女マンガ〉として読む『図書館戦争』」
小新井涼「『図書館戦争』を通して見えた景色」
玉川博章「西尾維新における作家とジャンル」
山中智省「「戯言シリーズ」は「ライトノベル」ではない」

小説
もやり草 楠章子
どっとはらい。 光原百合
追惜のならわし(Traditional realfun) 焼坂しゅり
邪悪なる眠り 藤田遥平
からくりオルゴール 丸山千耀
切っ先を君に 海谷南津子
恋する凡人 井伊遼
花筺 塩野秋
私 成田光穂
夕方四時半はエメラルド・ステイトの上に落下する 永尾天晴
いろづく白 川村萌華
石壁の煙 遠藤千帆

エッセイ
ステイ・ハングリー、ステイ・そんぴん 深町秋生
月と純金 乗代雄介

第2回文芸ラジオ新人賞発表

黒木あるじの怪談教室

講演録
創作・人工知能・SF―なぜ「書けないのではない、書かないだけだ」になるのか―
高島雄哉・三宅陽一郎・玉井建也

執筆者紹介
編集後記・スタッフ紹介

「実はまだ始まったとこだった」

 もう5月になろうとしている。4月の山形の気温は、私が育った西日本での基準だとまだ2月前後のもので「ああ、寒いなあ。冬だなあ」と思う日々が続いていた。もちろん、それなりに暖かくなっているのだが、東京と比較しても3月の気温と変わらず、驚いたことに4月なのに桜が咲いている。気温の数値としては間違っていないのだが、もはや春とは何なのだろうか。そうこうしているうちに前回のブログ更新から高校生向けのスプリングセミナー、入学式、ガイダンス、新入生との研修旅行と様々なイベントが過ぎ去っていた。そして何より学科としては文芸棟ができたことが大きい。このように様々なものがぎゅっと圧縮されたので、内的時間は2週間ぐらいの経過なのだが、外的には1か月以上の時間が経過している。おかしい。もう連休だ。

 今年の研修旅行は松島、石ノ森章太郎ふるさと記念館をめぐり、二日目に仙台にて授業課題である取材を行うというコースであった。思うことは様々あるが、一番残念であったのは記念館で復刊されていた『墨汁一滴』が売り切れていたことである。以前、販売されているという情報を手に入れたので、いつか行く機会ができたら買おうと脳内データに刻んでいた。それから数年後、ついに行くことになり、ようやく脳内データを消去できることになると意気込んでいたら、ただ意気込んだだけで終わってしまった。残念。本当に残念。やはり景色を眺めることや行ったことのない空間に足を運ぶことに新規性と強い動機を見出せないので、このような直接的かつ即物的な目標がないと個人としては意味がない。付け加えておくと教員としての意義づけは別の話である。

 新入生が研修旅行に行くように、在学生も進級し(てない人もいるが)、ゼミ活動も刷新していく。毎年勘違いしている人がおり、そしてやんわりと伝えるようにしているが、基本的に私が喋ることは別段、何かの回答やゴールを示すものではなく、スタート地点を呈しているだけである。つまり、まずはここまで這い上がってこい、本論はそこからだ、ということなのだが、おおむねそのように受け取られることは少ない。まあ、とりあえずそれが「正解」だと思った人は、自らの肥大した何か(もしくは足りない何か)を反省したほうがよいかもしれない。もちろん別に反省をしなくても私自身には何ら問題はないし、恐らく日々は変わることなく進んでいく。この連休は暖かくなった東京の自宅で過ごしている。暖かければ、だいたいのことは許せる。

 

BGM:藤原さくら「春の歌」

AbemaTV Special2チャンネルにて4/23(日)夜9時~『徹の部屋#13』に > 山川健一教授が出演がします。

みなさまこんにちは

AbemaTV Special2チャンネルにて4/23(日)夜9時~『徹の部屋#13』に
 文芸学科学科長 山川 健一教授が出演します。
GA3Z4pC6

以下のURLから視聴予約をし、是非ご覧ください。
 http://bit.ly/2nWSuXI

 <番組概要>
 出版業界の革命児・見城徹がホストを務める、2時間生放送のトーク番組! 毎回、
 見城徹が「今、一番会いたい」ゲストを招き、内臓と内臓をこすり合わせる様な
 熱狂トークを披露する。 若手タレントから超大物ゲストまで、見城徹の幅広い
 人脈だからこそ呼べる、珠玉のゲストたちが登場します。 テレビでは中々話す
 ことが出来ないゲストたちの本音にも迫りながら、 AbemaTVだから出来る、そし
 て生放送だから出来るギリギリなトーク内容も展開! 加減の利かない魂100%の
 コメントで、ズバッスバッと切り込んでいきます。 さらには視聴者たちからも、
 リアルタイムで質問を大募集! 視聴者との間で、ド直球で偽りのないやり取り
 を展開します。 そんなトークを彩るのは、見城徹ならではの上質で大人な空間。
  業界怖いもの無しの見城徹が、とにかく話しまくるスリリングな対談ショー!

 <出演者>
 見城徹
 大石絵理
 小林希
 山川健一

 ■以下のURLから視聴が可能です。
 「AbemaTV」 https://abema.tv/
 Google Play https://play.google.com/store/apps/details?id=tv.abema
 App Store
 https://itunes.apple.com/us/app/abematv/id1074866833?l=ja&ls=1&mt=8

 ■一般的な視聴方法
 ・スマートフォンの場合
 ①       上記のURLからAbemaTVをダウンロード
 ②       右側に表示される番組表と検索タブをタップ
 ③       日時、チャンネルから番組を探しタップ、または右上の虫眼鏡マークから検索
 ④       「視聴予約をする」をタップ(今回のみ・毎回どちらかを選択)→当日通知が
 届く
 ⑤       当日は、アプリを起動し、「Special2」チャンネルに合わせる

 ・PCの場合
 ①       AbemaTVを開く
 ②       上部に表示されている番組表タブをクリック
 ③       日時、チャンネルから番組を探す、または左上の虫眼鏡マークから検索
 ④       「視聴予約をする」をタップ(今回のみ・毎回どちらかを選択)→当日通知が
 届く
 ⑤       当日は、「Special2」チャンネルに合わせる

「とびきりの長いお説教は短めにして」

 しまった。やられた。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』48話「約束」を見たときに素直にそう思ってしまった。ずっと1期から視聴し、ヤクザ映画の物語構成を活用させていることに気付いていながらも、この48話のラストの可能性を無意識に脳内で削除していたのである。ガンダムというフォーマット、というかエンターテイメントでの物語構成を考えた場合は禁じ手ともいうべき物語の選択と言うしかない。そしてこれを躊躇なく選択肢に浮上させ、選ぶということは、残り2回の物語に自信があるのだろう。楽しみで仕方ない。どのような物語になるのであろうか。48話の放送日は3月19日、次の日は卒業式である。つまり体をプリインストールされた式次第に合わせて自動的に動かしながら、脳は延々とオルフェンズについて考えるしかなかった。

 4年生の皆さんは卒業後も自らを成長させるべく、手を抜かずに生きて欲しい。固い言い方をしてしまうと卒業式に出席したからといって勉学から卒業したわけではなく、今後も続いていく。社会人になるとこれまでと違い、様々な年代の人や様々な社会的背景を持つ人に出会うことになる。正直なところ何年経っても同じ話をしている人や同じギャグしか言わない人、同じ音楽を聴いている人もいる。若いうちは「うわ、おっさん、またゴルフの話をしてるよ」とか思って終わるかもしれないが言っておこう、気を抜くと君たちもすぐにそうなってしまう。会社の上司にそういう人がいたら10年後、20年後の自分かもしれないと思っておこう。そして勉学は本を読めば解決する問題でもない。読書によるインプットなど海水の塩分濃度よりも低い割合で情報が自分の中に蓄積されるだけだ。インプットだけではなくアウトプットも同時並行で行わないと、ほとんどが自分のなかを通り過ぎていく。誰かに話す、誰かに向かって書く。それだけで大きく違ってくる。引き続き皆さんは物語を受け止め、考え、自分の物語を紡いでいく、その連鎖を続けて欲しい。だからオルフェンズを見ても、ただ見るだけではなく、めちゃくちゃ考えてくれ。

 というようなことを卒業式において学生の皆さんに話をしたが、要はオルフェンズが面白かったということを述べたいだけである。そして数日経過した今は『けものフレンズ』を見てくれ、も付け加えておこう。『けものフレンズ』に関しては、キャラクター消費が先行している気がして毎回、きちんと見ながらも心の距離を置いておこうと言い聞かせていた。セーブしないとはまって抜け出せなくなる未来が容易に見える。そう、サーバルちゃんがどれだけかわいくても、と思っていたところに11話がやってきた。かばんちゃん……。かばんちゃん……!

BGM:みゆはん「ぼくのフレンド」