うんどう

東北芸術工科大学の柳川郁生の周りで展開する『うんどう』のブログです。
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2010-12-17

つぶやきカルテ(12月16日)


つぶやきカルテ2010(12月16日)

 うっすらと雪景色の寒い朝でしたが、「うんどうのオフィスアワー」のころにはすっかりと青空が広がっていました。

 さあ、年末最後のオフィスアワーです。

1.どんなことをしていましたか(子)


 なかなかみんな集まってこないので、ゆっくりとしたスタートになりました。

 どうなるのかな?と思ったりもしたのですが、前回のデバイスを自然とアレンジしながらコースづくりが始まっていった感じです。

 「スラローム」
 子どもたちの目線になってスタートラインに立って見ると、どんな並べ方がジグザグに走りたくなるような気持を引きだせるのかイメージしやすくなりました。

 トン・トン・ターンとリズムをつくっての「横跳び」
 前回から継続させることで、運動のねらい(願い)が子どもたちに少しずつ伝わっていきそうです。

 鉄棒の「前回り」
 ちょっとずつ、ちょっとずつ鉄棒と仲良くなってください。

 連続の「支え跳び」
 支えてフワッとなった時の感覚が、少しずつ子どもたちのからだに理解されてきたようです。
 だから見た目は地味で単純な運動ですが、熱心に取り組めるんですね。



するとこんな感じで跳べちゃったりもしました。

 そしてお母さんたちは大変ですが、壁登りは人気です。
 全身を使った感覚は、外遊びが制限されてくる冬の時期に大切な運動かもしれませんね。

 それからここのところ継続的にコツコツと倒立に取り組む子どもたち。
 これが“うんどう”と向き合う意識の始まりですよね。
 この子どもたちの意識と意欲を大事に大事につなげていきたいと思っています。
 そしてきっとそれはもうすでにお母さんたちにある‘願い’でもありますよね。

 やはりなぜか「後ろ返し」
 やはりこうなってしまうのならもう少し肘をピンと伸ばした状態でできるものをつくってあげたいですね。
(ちょっと中途半端でモッタイナイかも)
 
2.どんなこと(関わり)をしていましたか(母)


 このお母さんたちのまなざしが、きっと子どもたちの‘逆立ち’をやがて‘倒立’へと誘ってくれるでしょう。

 そしてこうやってお母さんたちが子どもたちの運動に寄り添っていくことで、だんだんと『まなざしカルテ』の記述の中にどうやって子どもたちが“運動の感覚”を発見していくのかがつづられています。
 すばらしい観察と記述の力が備わってきています。
 そしてさらに、そのことをもっともっと実証するために、柳川郁生はまだまだ勉強をして力をつけなければいけないと感じてしまいました。
3.運動面において気づいたこと、変化はありましたか


 じゅんこさんが言っていましたが「少し後退してしまった」。
 そう、子どもに限らず覚えたての運動はまたできなくなってしまうことが大人になってもたくさん現象として起こります。
 やっとできた〜と思ってまたそれを再現しようとしても、さっきのようにやってみようと思えば思うほどどうするんだっけ?と分からなくなってしまう。またさっきできたことに新たになにか新しい感覚をプラスしようとすると、いっぺんに運動のやり方がすっとんでいってしまう。そんな経験ありませんか?
 「いま私は目の前に落ちてくるシャトルを打とうと思っているんだから、左手の使い方とか、足のステップのこととか余計なことを意識していられないのっ!」って感じで、それを意識するとからだが硬くなってしまい、今まで楽しく羽根つきしていたのに全くそれができなくなってしまう。
 それを運動学では『意識化による分裂現象』といいます。
 なんか後ろ向きなイメージをもたせる言葉ですが、私はこの言葉が大好きです。つまりこの『意識化による分裂現象』というのは「運動の覚えたてのころにこまかいことを意識するとうまくいかなくなってしまうことがありますよ」、「それが覚えたてということですよ」と考えるからです。だからうまくいかないときは「あ〜、まだ意識化による分裂現象を起こしてしまう段階なんだ。だったらもう少し余計なことを意識しないで、じっくりと今の状態を試していこう」と思うのです。
 そうすると一度できなくなってしまった運動がまた再構築される『再統合』というものが起きます。この『再統合』によって再びできるようになった運動は、強い意識の記憶に裏付けられるためとても壊れにくい運動としてからだに定着します。
 だから‘少し後退した’ということは覚えたての頃のあたりまえの特徴であり、しばらくして運動のやり方を獲得した時にとても得をします。

 なんとなくできちゃった人と、苦労をしてできた人、どっちが得?と言われたらどっちも得と考えてしまえばいいということでしょうか(笑)

 いやむしろ柳川郁生の場合は、後者の方が得と考えています(個人的に)。
4.次回のオフィスアワーに向けて

 そしてだいち組を意識して、こんな感じでたてよこに跳び箱をつなげて開脚とびのきっかけをつくってみました。
 今回もデバイスつくりと、大きな子ども(お母さん)と子どもたちが体育館の中で迷子になることなく「うんどう」に取り組んでいました。取り組みと言ってもまじめにやるというのではなく、いっしょに食卓に着くといった感じですね。子どもたちがおいしそうに食べているときは笑顔で見守り、残さず食べたり、嫌いで食べられなかったものにも箸をつけたらほめてあげたり、そしてそんな様子を見守りながら次にご飯をつくるときにはもっと……とか、もう少し……なんてイメージをもってみる。そして食卓から離れて遊ぶ子どもに、あそこに座って食べなさいと外から指示するのではなく、こっちにおいでよと中から誘ってくれる。そんな雰囲気がいいんじゃないでしょうか。
 それからこのオフィスアワーの時間を、お母さんたちがどんどんと広げていってくれます。
 
 かおりさんも、もう体育館に来る前からすみれちゃんと、しんくんとオフィスアワーをスタートさせてくれていました。
 食べる話ばかりで申し訳ありませんが、「今日の晩ごはんはお楽しみ〜♡」というのもいいけれど、「今日は〜、買ったばかりのタマネギをこまかく刻んでハンバーグに入れて〜、まあるく輪切りにしたニンジンとホクホクに温めたジャガイモを添えて〜……、スープは……」なんていっしょに想像しながら帰ってきたらなんかいつもの晩ごはんが楽しみになってきませんか?

 なんか最近そんなふうに準備してくれているお母さんたちが増えたように感じます。

 そしてこの時間のあとも「うんどう」をもち帰って、お家や公園など身近な生活の中でもどんどん運動の体験を広げていってくれています。

 そんなお母さんたちのコメントが増えてきました。
 それからそれから、もっとほめたいことがありました。

 えつこさんまきこさんかずよさんなど、まるで選手とコーチのような関係になっていたりします。
 単なる指示で運動をさせるのではなく、お母さん自身が思ったこと、感じたことを子どもにやらせてみる。そして「ダメだったな」、「違ったな」と思ったら、やめて違うやり方を探してみる。これが指導者としての正り方ではないでしょうか。
 悪口みたいになってはいけませんが、指導力のない指導者はよく怒ります。自分のやり方でやってできない子どもは、能力が足りなかったり、努力が足りなかったりと子どものせいにするのです。そうすれば自分の威厳は守られるわけです。
 でも私は教えていて「ゴメンナサイ」と謝るときがあります。「あ〜、そうじゃなかったか」と思ったら、また違う方法を探します。すると「お〜!これだ〜!!」といったやり方が新しく見つかり、それが子どもと私の喜びになるのです。

 そんな関係も生まれてきていますよね。
 いやあ土曜出勤して書きはじめたら、また止まらなくなってしまいました。

 本当はもっともっと現場で話したいことなのですが、子どもたちが運動している中でそうじっくり話すこともできないのでしょうがないですね。
 でもここのところお母さんたちが“仲良く”相談(話)をするようになってきて、オフィスアワー全体の空気感が変わってきました。決してカーテンを開けて明るくなったからではないですョ。共通演習「芸術と子ども」の第2回ワークショップのブログでも触れていますが、準備する側が仲良くなるということがとても重要ですね。
 そんな仲間の輪の中に私もどんどん入れてほしいと思っています。
 なんだか「これでいいのかな〜……」なんてコソコソ自信なさそうに相談しないで
「せんせ〜ぇ、こんなんでどう?」みたいな感じで……

 というわけで、また来年みんなといっしょに仲良く『うんどう』できることを楽しみにしています。

「良いお年を」

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