うんどう

東北芸術工科大学の柳川郁生の周りで展開する『うんどう』のブログです。
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2011-06-13

つぶやきカルテ2011(6月9日)

つぶやきカルテ2011(6月9日)

 どうしても週を越えてのブログアップになってしまいます。

 もっと効率的に片づけたいのですがやはり気持重視なので、
愛情たっぷりに書くということでお許しください。

 それと休日に仕事を片づければ捗るかもしれないのですが、
それだとあれからの自分の生き方に反するので、
極力仕事の持ち込みは避けて、
隙あらば楽しい遊びを企もうと思っています。

 ということで

 そうそう今週末は中体連の大会を終えた後……♡
 その次の週末は土曜日に練習して日曜日は……♡

なんて感じです☆?☆
1.どんなことをしていましたか(子)


 「支える」感覚の基本となるデバイスですね。

 途中からたいよう・ほし組のたまり場みたいになっていました。

 こちらも「支える」感覚です。

 こうやって4つ足で進んだり

 横向きに4つ足で進んだりするのは、からだに自然と体重がのる感じを気持ちよく受けとめられる感覚がついてきたということですネ。

 そうでなければ立ち上がって歩いて渡ってしまいますから……

 だからほし組の子どもたちの方が平均台のように歩いて渡ってしまうのです。

 でも「支える」心地よさが分かってくると、自然と4つ足での運動にはまっていきます。


 そしてここは「跳ぶ」と「支える」でしょうか……


 そしてここは前回のブログを見てお母さんたちが意識的に準備したのでしょう。

 踏み切り板の‘弾む感覚’を出現(再現)させるようなデバイスになっていました。

 この踏み切り板がビョ〜ンと弾ませてくれる感覚、その感覚がピ〜ンと伸びたつま先につながってくる感覚、ヨイショではなくト〜ンとける感覚など、忘れてしまった感覚を思い出すのにちょうどいいかもしれません。


 そして「支える」逆立ち(倒立)のコーナーや

 鉄棒

 ジグザグ走のコーナーなどがあり、それぞれみんな今日はゆったりとした感じで楽しんでいました。


 それからこんなふうにフープを並べはじめたせれんちゃん

 しっかりと“うんどう”のイメージができているからこんな場づくりができてしまうんですネ。

 スゴイことです!


 そしてこんなふうに

 お母さん(すいません名前が読めませんでした×)といっしょに楽しんでいました♡


 それからなんとなく今日のデバイスは淋しかったので、ちょっとだいち組の男の子を意識して柳川郁生がこんなのをつくっておきました。

2.どんなこと(関わり)をしていましたか(母)

 なんとなくブログのつぶやき(つぶやきカルテ)にこたえるような、
お母さんたちのねがいが感じられるデバイスづくりはいいですネ。

 でも廃れてしまった(子どもたちがあまりやってくれない)デバイスを
放置してしまっているのがもったいないです。

 まるでやりっ放しの公共事業みたいですよ(笑)

 ですから、いろいろと工夫をしながらいじってみて、
子どもたちがまた集まってくるようなデバイスを探ってみたり、
片づけて新たなデバイスをつくるなりしてみてはどうでしょう?

 「どうしてダメなんだろう?」、「こうするとどうなんだろう?」、
逆に「なんであれは楽しいんだろう?」などといろいろ観察していると、子どもたちの好き嫌いや志向性のようなものが少しずつ見えてくるはずです。

 かおりさん、いい感性の表れががちかづいて来たのではないでしょうか。

 違和感に気づくということが、感性の出現の第一歩だったりします。

 しんくんの感じていることと、かおりさんの感じていることにギャップがあるということにまず気づいたわけですから。

 私もチラッとその様子は見ていましたが、跳び箱を跳ぶしんくんの手のひらと肩の上にはまだ体重が気持ちよくのった感覚が感じられていません。

 だから本人にとって「上手に跳べなかった」ことは跳べたことではないのでしょう。

 ようするにたまたま形通りに書けた絵をほめられるのと、思い通りに描けた絵をほめられるのといっしょだと思います。

 そんな思い通りの絵を描けた時に「上手に書けたね」と言うのではなく「楽しそうな絵だね」とか「優しい気持ちになっちゃうね」なんて言ってあげられたら嬉しいと思いませんか。

 だから“まなざしカルテ”なんです。

 愛をこめた‘まなざし’で見ていればだんだんとギャップの様なものが見えてきて、少しずつそこをつなぐ子どもの気持ちや、つながりが見えてくるのだと思います。

 ですからかおりさんは反省せずに、一歩前進ですョ。

 えつこさん、できないことをできるようにという積極的な意識っていつできるんでしょうね?

 やっぱり人それぞれの体験の中で急に訪れたりしますよね。

 ちなみに柳川郁生は、その「やればできるかもしれない……?」という心ができたのは中学校1年生の時でした。

 それまで中学校に入るまでは、なにをやってもできっこないと思ってはじめからあきらめていましたから。

 それでも今は運動を楽しめるようになっています。

 無理に周りと競争したり比較することなく運動を楽しめるのも良いのではないでしょうか。

 でも、なにか目標をもったときに栄養となるような動感素材を、いまのうちにたくさん体験しておきましょう。

 それでいいんだと思います。

3.運動面において気づいたこと、変化はありましたか


 やっぱりこうすると

 いい感じですよね。

 そしてお母さんもこんなふうにフワッと踏み切れるから


 こんなにダイナミックに跳べちゃうんですネ。

 子どもたちもいいけど、お母さんたちももっといいですネ。

4.次回のオフィスアワーに向けて

 お母さんたちに課題をだそうかなと思っています。

 まずだいち組のお母さんたちには栄養たっぷりの手料理のような、これを食べれば元気がでるコースを考えてもらいたいと思っています。

 お題は
「跳び箱を使わない、跳び箱のためのデバイス」です!
 そしてたいよう組とほし組はお母さんとシェアしながら食べる、おいしさを共有できるコースを考えてもらいたいと思っています。

 お題は
「我が子といっしょに手をつないでできるコース」です!!
 どちらもあまり頭を悩ませすぎないで、すぐにでも柳川郁生とお話しましょう。

 お母さんたちから呼んでもらえれば、
わたしもお話しやすいですから……遠慮なさらずにどうぞ。

 
 ということでさらっと片づけようと思った『うんどうブログ』でしたが、お母さんたちの書いたまなざしに応えたいと思うとこうなってしまいました。

 それから

 あきこさん、柳川郁生は「この運動はできないから。」と思ってあきらめていることはいっぱいあります。

 誰だってそんなに好き嫌いなく、なんでもいっぱい食べられるわけでもなく、
人それぞれですから。

 でもあえて思っていること、そしていつも子どもたちに伝えていること、
それは大学生でも小学生でも、体操選手でもいっしょ
「“できない”というのはゴールではなくスタートなんだよ」
ということです。
 とりあえずスタートをきってみて、

「あ!無理だ」ってことに気づくこともあるだろうし、
「あ!もしかしたら」なんて思うこともあるかもしれません。

 どっちだってやっぱりスタートにしてみないと分からないので、
「なんでもやればできるんだぁ!!」なんて強引に考えずに、
「できないことに気づければそれもいいんじゃないかな」なんて思っています(かな?)。

 このへんのことは書き尽くせないので、いつかじっくり腰を据えて……

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