1971年の松下電器産業入社以来パナソニック一筋に歩んできた植松氏。デザイナーとして、マネージャーとして、社長として、さまざまな立場で携わってきたパナソニック社製品の一部。

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植松豊行教授の場合

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「サスティナブルデザイン」の牽引者が教授として就任。
社会やシステムが変革の時を迎えているように、
デザインにも大きな変革の予感がする。

植松教授。1948年生まれ、香川県出身。武蔵野美術大学造形学部産業デザイン学科卒業。1971年松下電器産業株式会社入社。2002年にパナソニックデザイン社社長に就任し、在任中にブランドの確立と松下産業株式会社のV字回復に貢献。

日本国内はもとより世界レベルで活躍する人物たちを次々に教授として迎えている芸工大。その中でも注目の一人が新任教授が植松豊行氏です。前パナソニックデザイン社社長として、パナソニックブランドの確立と松下電器産業株式会社のV字回復に貢献したとされる伝説的な人物。世界を舞台に活躍してきたグローバルな視点と経験、世界に張り巡らされた人脈とネットワークを活かし、大学院での「事業・商品開発論」「クリエイティブ・マネジメント論」などの講義への期待も高まります。

植松教授には、「デザイン哲学研究所教授」という肩書きのほかに、「サスティナブルデザイン研究センター長」というもう一つの顔があります。これは、植松教授が今後の社会に欠くことができない「サスティナブルデザイン」の研究機関。「サスティナブルデザイン」、今はまだ馴染みの薄い言葉ですが、最近少しずつ「サスティナビリティー」や「持続可能」というようなキーワードが使われるようになってきています。最初は耳慣れなかったエコロジーやバリアフリー、ユニバーサルデザインなどの言葉が今や常識の中に溶け込んでいるように、「サスティナブルデザイン」もまた日常的に使われるようになる日もそう遠くはなさそうです。

辞書によればサスティナブルは「存続可能な・持続可能な」などと訳されますが、持続可能な開発、持続可能な社会というように主に環境と経済の両立を目指す概念として使われることが多いようです。環境問題や高齢化など、人類がかかえるさまざまな課題に「ものづくり」の立場から取り組んでいこうという考えです。植松教授は、「国際サスティナブルデザイン会議」の主要メンバー。日本におけるサスティナブルデザインの第一人者がその研究機関として芸工大を選んだのです。「大学は研究機関である。そして、その成果を人の育成、教育とリンクさせていくことがあるべき姿」というのが、長年、ビジネスの第一線で活躍してきた植松教授の持論。

デザイン哲学研究所からはザインの本質を問う、『デザインの知』vol.2 2008が発行されている。定価:1680円(税込み)

学内外そして国内外の賛同者の協力を仰ぎながら研究を進め、人類がそれなりの発展を遂げながら、CO2削減などの課題をクリアしていくためには「ものづくり」はどうあるべきかを現時点ではなく、2020年、2050年を視野に、環境問題やユニバーサルデザインの手法、技法として提言していきたい考えです。そして、それらの研究成果を学生たちの育成につなげていきます。学生たちが社会に出て行く頃には「サスティナブル」という考えは基本中の基本になっているはず。地球上で私たちの生活を持続させていくためのデザインの本質を、しっかり身につけた学生を輩出することは、大きな社会貢献を果たすことにもなります。「ものづくり」をより広い視野で、より高い次元で考える「サスティナブルデザイン」は、芸工大だけでなく世界
にも大きな変革の波をもたらすものかもしれません。

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