2015年11月26日から12月6日までの11日間、東京都美術館にて「東北画は可能か?―地方之国構想博物館―」の展覧会が開催されました。「東北画は可能か?」は、日本画コースの三瀬夏之介教授と洋画コースの鴻崎正武准教授により、2009年に旗揚げされたチュートリアル。自然に囲まれた環境のなか、作家として何が表現できるのか議論を重ねながら、学生や教員がそれぞれの「東北」を描き、展示し続けてきました。そして今回、そこで生み出された作品を「もし東北が独立した国だったら?」という構想のもと改めて再配置。2011年3月11日から物語がはじまった「地方之国の博物館」という形で披露されました。序章からはじまる会場内の展示は第1章~第6章、終章と続き、最後にこの展覧会の構想に関わる資料が並ぶ資料室へたどり着く構成です。
「第1章 はじまりの物語」として会場の中心に据えられていたのは、東日本大震災が起きた2011年に描かれた「方舟計画」という作品。「ここ東北から未来に遺していきたいものは何なのか」をテーマに共同制作されたものです。方舟の上には、遺したいものとして、日常的で身近な存在である田畑の風景や山形の街並み、そして長年信仰の対象となってきた出羽三山などが描かれていることを、今回キュレーションを担当した大学院日本画領域1年の石原葉さんと、同じく2年の久松知子さんが教えてくれました。会期中に行われたイベントでは、参加者とともに会場内をまわり、作品が描かれた背景や当時の学生の心情などについて解説した2人。さらに三瀬教授・鴻崎准教授とのギャラリートークや、東北の世界観を音楽と朗読で表現したライブパフォーマンスなども行われ、熱を帯びた充実の時間となりました。
そして、この展覧会で大きな特徴となっていたのが、会場内のどこにも作品のタイトルや作者名が掲げられていないこと。その理由を久松さんが語ってくれました。「今回のテーマは、誰かの作品じゃなくて『皆でつくった作品』なんです。個人の想いの集合でありながら、誰のものでもないことを表現したかったのでキャプションはつけませんでした。代わりに作品には番号を振って、作品ガイドと照らし合わせることで初めて、誰がどんな気持ちで描いた絵かがわかる仕組みにしました」。それはつまり、学生たちが描いた作品とともに、画壇を牽引する教員たちが描いてきた作品までもが匿名となって同等に飾られるということ。しかし三瀬教授は、「全く抵抗がない」と言って笑顔を見せます。「確かにギャラリーにはいい顔をされないこともあります(苦笑)。作家性を崩壊させていくようなものですから。でも、これまでの活動と作品をまとめたアーカイブブックが完成してからは、一気に風向きが変わりましたね。それに学生と密にやっていれば、その分、彼らとの距離はどんどんなくなってくる。そうすると学生は僕に意見を言ってくるようになるし、僕が知らないことを言ってきて触発し合うようにもなる。そういうやりとりが行われるのって、僕はすごく健康的なことだと思っています」。
そんな東北画ならではの気風のなか、精力的に共同制作に取り組んできた石原さん。「やっぱり、初期の頃の先輩たちがつくった作品と震災直後につくった作品、そして今の作品とでは形が変わってきますし、震災のあった東北にずっと住んできた子とそうじゃない子とでは、想いも全然違ってきます。そういう状況のなか、みんなで『地方之国という理想郷をつくっていこう!』と言って東北の固定概念だけぶつけ合っても、結局答えは見つかりません。なので、拡張していく東北というか、『私はこういう東北を見たよ。あなたはどういう東北を見たの?じゃあ何ができるかな』という会話がそこから生まれてきたらいいなと思っています」。
いま東北に住んでいること、そしてモノをつくり発表する意味について何度も話し合い、ひたすら手を動かしながら東北画は可能か問い続けてきた学生たち。その問いにまだ答えはありません。でもだからこそ、未来へ向けて前に進んでいけるのかもしれない。そう思える空間がこの展覧会には広がっていました。