東北復興支援機構 | TRSO

未来へのじゃあにぃ展|報告:石巻のあのとき あれから それから それから

石巻市「日和アートセンター」をお借りして開催した『未来へのじゃあにぃ』展は、アーティスト・絵本作家の荒井良二さんとTRSOが開催した復興支援プロジェクトの報告展です。10日間という短い期間でしたが、多くの方に足を運んでいただきました。期間中の会場スタッフとして福興会議メンバーの鳥越渚さん、堆朱杏奈さん、大津悠美子さんの3名が石巻に滞在し、展覧会の管理・運営に携わっていただきました。展覧会の全日程を石巻で過ごした鳥越さんには「石巻商店街の今」を随時リポートしてもらい、TRSOのfacebookでご紹介しています。今回は未来へのじゃあにぃ展の報告として、鳥越さんの全リポートを掲載いたします。一緒に滞在した堆朱さん、大津さんの滞在リポートも福興会議HPでご紹介していますので、あわせてご覧ください。

ささやかではありましたが、石巻商店街の皆さんはもちろん、ワークショップ参加者の皆さんや、遠方からお越しくださった方も多く、出会いの場として良き報告展となりました。展示開催にあたり、会場をご提供頂いた日和アートセンターの立石沙織様、素敵なDMをデザインしてくださったアカオニデザインの小板橋基希様をはじめ、関係者の皆様に心より感謝申し上げます。

役野友美(TRSO事務局)

 +++++++++
◎『未来へのじゃあにぃ』展 報告リポート
鳥越 渚 (東北芸術工科大学 美術科 日本画コース3年)

2013年3月16日

石巻市は震災直後、テレビで被害が最も大きい街として報道がされ、「石巻」を見ない日はありませんでした。震災から2年が経ち、ヘドロや瓦礫が散乱していた頃から比べると石巻の街なかは普通の生活を取り戻しつつあります。駅前の商店街は再開発のため、道路の整備が急ピッチで行われていました。市では無料で住宅の解体を行っていましたが、昨年末に受付け終了となりました。それに合わせて、いっせいに見慣れた建物はなくなり、今では新しいお店ができている所もありました。

 そんななか、アイトピア通りという商店街にある日和アートセンターにて、今回、絵本作家の荒井良二さんとTRSOの復興支援プロジェクトの報告展覧会「未来へのじゃあにぃ」が行われています。初日から60名ほどの人が来てくれました。なかには、防災や災害のリスクマネジメント・支援活動などを被災地で学ぶツアーの団体や、テレビ番組の告知を見て仙台市からわざわざ来て下さった人もいました。「荒井さんのファンです。」と、目を輝かせてフラッグの原画を見つめる人が多くいらっしゃいました。展覧会3日目。地元の女子大生が来てくれました。彼女は、高校3年生の時に被災し震災後、石巻を離れ東京の美術大学に行く決断をしました。「東京の人には、石巻出身ということを言わないって決めたんです。震災のことを聞かれ、当時のことを話すと辛いことを思い出してしまうし、話しても理解はされないから。」と彼女は話しました。表情から、悲しさや怒りが伝わってきました。

 被災者と、そうでない人

 被災地と、そうでない土地

 「分かり合うことはない」という彼女のなかの外部に対する断絶に、私は目がくらむようでした。壊れてしまったものは、作り直したり修繕したりすることができる。産業は再び回復の兆しを見せ、生活はどんどん元通りになる。しかし、人の心にはまだまだ癒えることのない大きな傷があり、人それぞれのペースに合わせて復興していかなければならないと強く感じました。

 +++++++++

2013年3月21日

「未来へのじゃあにぃ」が開催されている日和アートセンターは、神奈川県横浜市と石巻市の文化芸術交流プログラムという事業の一環で、市やNPO、大学関係者などが2012年3月に空き物件をリノベーションして開かれたアートギャラリーです。ここを管理運営しているのが立石沙織さんという女性です。立石さんは静岡県の大学でアートマネジメントを学んだ後、アートで仕事ができる場を求め横浜へ移り住み、その後、日和アートセンターのスタッフとなりました。ほとんどの地元の人は立石さんを訪ねてやってきます。「立石さんいますか?」とギャラリーに顔を出す人々の中には、突然ギターを弾き始める少年、大好きな歌を披露する魚屋のお母さん、沢山の差し入れを持って来てくれる歯医者さん、自分の料理を振舞う洋服屋さんなど様々なかたがいらっしゃいます。立石さんの穏やかな性格や雰囲気に、人が自然と引き寄せられているように思えました。そして、それはそのままギャラリーの空気となり、展覧会の雰囲気も柔和なものになります。

 展覧会6日目、私は「立町ふれあい復興商店街」という仮設の商店街に行きました。そこにあるパン屋さんが目当てでしたが、あいにくの臨時休業。せっかくだったので、商店街の人に色々お話を聞きました。被災したお店の8~9割のかたは再建したいという意思を持っています。しかし、店主の高齢化や後継者不足、資金面などの問題があるようです。また、各商店で再建や復興のモチベーションも違うため、とある商店がうまくいったとしても、別の商店はそうはいかず、商店街全体として、とてもちぐはぐな状態にあります。

 そのような話を聞いたとき、私は日和アートセンターを思い浮かべました。地元の人も、外の地域から訪れた人も、隔たりなく穏やかなコミュニケーションをとれるこの場所は、商店街に暮らす人々の繋がりを作るきっかけとして、とても重要な場であると思います。立石さんのいる日和アートセンターを中心として、商店街が日常を取り戻していくことを日々感じ取っています。

 +++++++++

2013年3月26日

今回の展覧会を通して私が感じたことは、石巻の人たちは「震災」が日常になっているということです。地元のおじいさんたちの会話から、テレビから、ラジオから、支援がしたいとやってきたボランティアの人たちから、「震災」について話を聞かない日はありません。

 展覧会8日目。石巻市鹿妻地区に住む二人組の女性と出会いました。「私の家は床下浸水だったんです。近所のコンビニには車が何台も突き刺さっていました。でも、ある日、何も無くなってしまった土地の上に立っているおばあさんを見たんです。そのおばあさんは、『全部無くなって、片付ける手間がいらなくなって、あーせいせいした』と言っていました。それを聞いて、強いなぁと思いました。」と話してくれました。このような話は石巻滞在中によく耳にしましたが、その度に返す言葉や正しい言葉が見つからず、ただ黙って相槌をうつことしかできませんでした。どこへ言っても聞こえてくる「震災」の話。石巻の人にとってはそれが当たり前であり、それが日常です。東日本大震災で変わってしまった現実と日々向き合うということを必要とされるのです。

 石巻を2年間見続けてきて気付いたことがあります。私は災害ボランティアをはじめた頃、石巻市大街道地区の現場に入っていました。その頃は震災から2ヶ月が経ち、街全体は埃っぽく乾燥していて独特のヘドロの匂いと魚の匂いが漂い、商店は全てシャッターを降ろし、通りには人影が全くありませんでした。誰もいなくなった廃墟のような「街」に恐怖と違和感を覚え、「街」とは、そこに住む人がいて初めて「街」と呼べるのだと実感しました。今では大街道地区では早朝からガソリンスタンドやファーストフード店やコンビニがお店を開け、活気を出し、日中になると個人商店も開きます。人がいるだけで、こんなにも街の印象が変わるものなのだと感じました。また、石巻出身の若い人は進学などを機に都会へ出て行ってしまうのに対して、都会から移住してくる若い人も相当数います。「震災後、ボランティアをきっかけに石巻に来ました。今はこちらで仕事を見つけて生活しています。」、「仕事の関係で移住してきました。」という人をちらほら見受けました。誰もいなくなった街に、今では外から移住する人もいて、街に住む一人ひとりが今の石巻を構成しています。その移り変わりから、震災で起きた悲しい現実と向き合い乗り越えようとするエネルギーを感じました。

 たった10日間ですが、石巻に住み、街を見て回り、様々な人と出会いました。荒井良二さんの優しい絵と、穏やかな石巻の人たちに助けられながら毎日を過ごせたことに感謝いたします。また石巻の人たちに会いに行きたいと思います。

 +++++++++
◎『未来へのじゃあにぃ 「荒井良二とふらっぐしっぷ」と「東北未来絵本」展』
会期:2013年3月16日[土] – 3月24日[日]
会場:日和アートセンター
主催:東北芸術工科大学 TRSO[東北復興支援機構]
協力:アカオニデザイン、山形新聞社、田宮印刷株式会社、立石沙織、福興会議