寒いのか暑いのか

この時期、東京も山形も寒いのか暑いのかわかりません。

私は明日、山形へ向かうのですが、どの程度の服装で行ったらいいのか不明です。

学生がFacebookにアップした画像によると、山形の気温はなんと3℃!

寒いよそれ。冬だよ。

東京はもう桜が散り始めているというのに。

そういえば先週はお花見に行ったんです。

もう10年以上前から続いている、チームトゲヌキというライター・編集者の任意団体がありまして、その恒例行事なのでした。

せっかくなので写真を少々。

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きれいですね。

さてさて、文芸学科の新2年生が、フリーペーパーをつくったそうです。

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有志でつくったそうで、私は若干、印刷のことなどアドバイスしました。

「始まる」んですね。

そうです、新学期も始まります。

まだ中身は見ていないので、どんなフリーペーパーなのかはわかりませんが、いずれにしても何か印刷物をつくるというのは、いいことです。

編集のトレーニングにもなりますし。

やっぱり何か「つくりたい」という気持ちがあって初めて、クリエイティブは生まれてきます。

こんなに立派なものじゃなかったですが、私も大学時代にサークル内雑誌を月刊でつくっていました。

当時は・・・ワープロでw

いやあ、便利な時代になったものです。

その便利さをとことん活用して、学生にはいろいろなものをつくってもらいたいです。

文芸学科も同人誌制作を奨励していることですし!

「あなたはゆっくり立ち上がる」

 今頃、「今年の阪神はいけるでぇ!」と叫ぶ声が日本中(どちらかというと近畿地方中心)にあふれているのだろうか。確かに先発ピッチャーがメッセンジャー、藤浪、能見、岩田、藤川、岩崎…とコマがそろい、抑えもマテオが入ったことで何とか成立するのかもしれない。野手も、高山や横田などフレッシュな顔ぶれがスタメンを飾るようになっている。何より監督がアニキである。「超変革」というかっこいいのか判断がつきかねるスローガンを掲げるぐらいには従来と違うようだ。それでも実際に変化が起きているようにメディアを通じて受け取ることができる。

 フレッシュさというのは阪神だけではなくセリーグの監督が多く入れ替わり、そして若手になったことによるイメージ刷新による相乗効果が大きいであろう。特に現役時代を知っていると、選手ではなく監督業に従事しているという不自然さとともに、そのギャップを感じ取っている自分自身の年寄り臭さに閉口してしまう。何とも複雑である。どちらにせよ、私自身はオリックス・バファローズファンなのでご心配なく。いつも通り。あ、でも高山、4安打はすごいと思う。

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 監督がかわるだけで、こうも変わるというのは往々にしてありうることで、大学に関しては新しく入学した新入生がそれにあたる。この週末は入学式、保護者懇談会、教職員総会、教職員懇親会、1年生ガイダンス、2年生ガイダンス、3年生ガイダンス、4年生ガイダンスを連続してこなしていた。休みというものがなく、切れ目のない連続的な波状攻撃をくらっている気分である。同じ話を4回する身にもなってくれ、と言うわけにはいかない。

 新しいフレッシュな1年生には「がんばって友達を作ろうとするな」と言おうと思っていた。ほかの大学の状況を今は知ることが出来ないから判然としないが、スクールカーストとそれに伴うキャラ設定を大学にまで引き込んでしまっている新入生が少なからずいるような気がしてならない。もちろん、そこから脱却しようとして、それはそれで失敗する者もいるのであろう。でも、蛭子能収の『ひとりぼっちを笑うな』でもいいし、森博嗣の『孤独の価値』でもいいが、そこらへんを読んで欲しい。結局、そんなに周囲のことを気にしていては生きていけないぜ。

ひとりぼっちを笑うな (角川oneテーマ21)

孤独の価値 (幻冬舎新書)

 などという言葉を新入生に送るわけではなく、『あさが来た』の田村宣のメガネの話から入ってしまった。想定外である。事前に喋ることを考えようなどと思ってはいけない。失敗した。しかし、のぶちゃんのモデルは、のちに日本女子大の学長になる井上秀である。女性が学問を修めるということ自体が大変であった時代にアメリカ、ヨーロッパと留学をし、母校に帰り教鞭をとるという、私には想定できないであろう困難を乗り越えてきた人物である。そののぶちゃんが作中でこのように喋っている。

「大学校は、ほんまに勉強したい人が入るとこです。必ず学んだこと身につけて、何かの役に立つようなるて、そないな覚悟持ったもんだけが入るとこなんやさかい、そんな中途半端な気持ちで入ったら、うち許さへん」

 さすがだ。メガネが素晴らしいだけはある。もうメガネが喋っているのではないか。学科の雰囲気は教員だけで作り上げることはできない。新入生が切磋琢磨して自然と出来上がっていくものである。のぶちゃんのようになれとは言わないが、皆さんに大いに期待している。

連続テレビ小説 あさが来た 完全版 ブルーレイBOX1 [Blu-ray]

BGM:LINDBERG「every little thing every precious thing」

every little thing every precious thing

入学式&ガイダンス

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保護者の皆様と
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新入生ガイダンス

東北芸術工科大学では昨日、入学式が行われました。

ういういしい新入生を迎えて、新しい年度の始まりです。

入学式後には保護者懇親会が行われ、本日は新入生へのガイダンスが行われました。

皆さんようこそ文芸学科へ!

「うつろいながらもきっと」

 たいていの大学では紀要と呼ばれる論文誌を発行している。学科やコースごとに発行している場合もあれば、大学単体で一つ持っている場合もある。持っていないと研究者同士の会話で「え、紀要ないすんか!?」と言われてしまうほどである。小学生のときにドラゴンクエストをやっていなかったら、「まじで! なんで?」と聞かれてしまうようなものである。昔はamazonなどなかったし、予約販売ということもなかった。並んで買うしかなかったのだ。小学生にはハードルが高いといえる。私は並びましたが。どちらにせよ、年度ごとに発行されるケースが多く、したがって3月という月は帳尻合わせのように紀要が多く発行される。

 昔の紀要は査読制度が課されておらず、奇想奇天烈な論文が掲載されてしまうことが多かった。数年前にネットで話題になった某大学の某論文がわかりやすいであろう。日本はムー大陸だったか、ユダヤ人の末裔だったかだそうだ(なんだってー!?)。最近はさすがにこのような論文が載るとブランド名を傷つけてしまう恐れがあるためか、純粋に学問上の知見のためか査読が行われるケースが散見されるようになっている。もちろん、本学紀要も査読が行われており、それをクリアした論文が掲載されることになる。したがって「STAP細胞はあります!」と書いても、掲載されないかもしれない。すべては査読次第である。

 ようやく本題だが、『東北芸術工科大学紀要』23号に文芸学科の紹介論文(というのだろうか)「文芸学科における授業構築・運営と展望」が掲載されている。最近の流れとして紀要論文は研究成果の社会還元の一つとして考えられており、オープンアクセスの傾向にある。本学もその流れの中にあり、23号からは完全電子化されたのである。ぜひ、ご一読いただきたい。

 もう一つ出ている。学習院大学東洋文化研究所の紀要である『東洋文化研究』18号に拙稿「物語文化と歴史イメージ、コンテンツツーリズム」が掲載されている。この雑誌は基本的に東洋史研究が多く掲載されており、フィールドが日本であり、さらにはエンターテイメントに関して述べた論文が掲載されていることは、ほとんどなかったのではないだろうか。私の論文だけが精いっぱい背伸びをし、ほかに引けを取らないように頑張って掲載されているような感じがしてならない。内容としては、ここ数年取り組んでいる歴史イメージに関して「岩」、「岩見重太郎」、「猿飛佐助」という三点から考え始め、コンテンツツーリズムの文脈を踏まえながら、物語文化と現実世界との連関性について述べたものになる。大学図書館や大きな公立図書館、国会図書館には所蔵されると思うので、近場にない場合は所属自治体や大学図書館を通じてコピー取り寄せを申請すると手に入る。

 なお、この論文のなかで言及した作品で、純粋に好きな作品は『朝霧の巫女』と『花咲くいろは』である。『花咲くいろは』はクラムボンの主題歌もいい。

BGM:クラムボン「はなさくいろは」

はなさくいろは

新入生と学生の皆さんへ

最初にして最後の投稿になりますが、どうも4年間文芸学科の副手をしていた池谷です。

私は静岡から芸工大に進学して、大学院に進み最初の就職も芸工大で

してしまったので足掛け10年間山形で過ごしました。

 

何を書こうか色々考えていたのですが、有益な情報というか、ここ行っとくと山形楽しいよ

スポットを書いてみようかと思います。

 

1、八百坊

芸工大から一番近い源泉掛け流しの公衆浴場です。お湯は熱めでぬるっとしてます。

気分転換に良い。あと風邪の初期に効く。湯冷めに気をつけて!

 

2、百目鬼温泉(どめきおんせん)

車が無いと行くのが無理ゲーな公衆浴場。お湯は濁っていて鉄分豊富。

畑を掘ったら温泉が出たなんとも山形らしい。間違ってもアクセサリーつけたまま

入っちゃ駄目。関節に効きます。

 

3、三百坊(蕎麦屋)

大学の裏山にあるおそば屋さん。建物も古民家を移築してあり庭を眺めながら食べる

お蕎麦は絶品です。静岡生まれとしては固い蕎麦よりこれぐらいがちょうど良い。

注文してから打つから時間の余裕のある時に!

 

4、肘折温泉 カルデラ温泉館

めずらしい炭酸質のお湯が楽しめるカルデラ館。木造の建物で午後に入ると日差しが

お湯に入り込んでノスタルジーに浸れます。あと、肘折に行ったら絶対羽賀だんご店の

お団子食べて下さい>< 私は山形で一番美味しいと思ってます。

あと出来たら宿泊して朝市行ってみてー地元の山菜とか売ってて凄い楽しいから。

 

 

都市部から来た学生の皆さんは色々戸惑うことが多いと思いますが皆さんも

これからの4年間自分だけのお気に入りの山形を見つけて楽しんで下さい。

最初で最後のブログがこんなんで良いのか?と若干思いますが、まぁこれはこれでのご愛嬌。

 

これからも学科のブログを宜しくお願いします。新しい副手のブログをお楽しみに!

 

 

「これから始まるのが太陽と雨のメロディ」

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 まさか喉と腹痛が来るとは思ってもいなかった。私ほどの風邪引きのプロになると、だいたいのことは経験しているのである。西日本の暖かい地域で思春期まで育った私はこれだけの雪を見ることは山形に来て初めての経験であったし、最高気温が0℃ということも初めてであった。というより最高気温がこれだけ10℃を下回ることですら経験していなかったのである。そして何が起きるかというと初年度はとにかく体を壊した。悪化した風邪がどれだけ大変かということも初体験であった。

 したがって長期休暇の際には、基本的に東京の自宅で過ごして、体を休めているのである。氷河にくらった傷を癒すために火山で過ごしていた一輝のような感じである。そう、常に瞬のことを気にかけているのである。東京はすでに暖かく、桜がついに満開になっている。気が付いたらプロ野球が開幕しているし、気が付いたら2015年度が終わりそうである。『あさが来た』も終わってしまうのだ。

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 先週末は高校生向けの講座を行ってきた。何がすごいかというと、すべて即興で行ったのである。学科長がミュージシャンなだけはあって最早、ライブと言ってよい。参加された皆さん、お疲れ様でした。そのために暖かい東京から山形に移動をし、山形駅に降り立った私は、自分の体が寒さに全面降伏するのを感じ取ってしまった。これは何も抗えない。マフラー一つでは無理だ。日本は南北に長い。そして見事に体調不良に陥り、しかし、頭痛や発熱ではないので、とりあえず仕事をしているのが、今週になるわけである。

 何が言いたいのかというと、たかだか2年ぐらいの風邪引きでは、まだまだプロとは呼べないのである。蝉も取れないセミプロな感じである。明日から新年度に入るので、何かをがんばろうと思う人も多いであろう。時間の流れは同じだというのに、年度がかわるというだけで何かを一新した気分になれるので、人間とはちょろいもんである。来年度はもっと体調をコントロールしたい。私もちょろい人間である。

 

BGM:サニーデイ・サービス「太陽と雨のメロディ」

太陽と雨のメロディ

スプリングセミナー開講しました!

 

去る3月26日、スプリングセミナー「春休みストーリー創作講座」を開催いたしました。

総勢約70人もの参加者が、みんなでわいわいと意見を出し合いながら、長編とショートストーリーを組み立てました。

物語論を知り、それをもとにストーリーを構築していくことは、文芸学科の創作の授業でよく行っています。

今回のセミナーでは、そうした文芸学科の授業の一端をお見せすることができたのではないかと思います。

参加してくれた皆さん、ありがとうございました!

また会いましょう!

 

「数えきれない意味を」

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 私にはできないことがたくさんある。というより、できないことだらけだと言ってもよい。教員としても反省すべき点は多々あるであろう。それ以前に人間として反省すべきかもしれない。だいたいは反省などしないで前だけ向いて生きているので、そのようなことは考えないのだが、編集の仕事をしていると一人では何事もできないと痛感する。能力が不足しているのではなく、単純に自らの能力が同じ象限にないのか、もっと端的にベクトルの方向性が違うと表現したほうがよいのだろうか。

 たまに「『文芸ラジオ』の編集は大変でしょう」ということを聞かれることがある。「やめたらいいんじゃないですか」とは言われないので、大変な作業だが何とか成立はしていると思われているようだ。すでに公言しているが、この編集作業に関して労働代は発生していない。さらには創刊号に論考を寄せたが原稿料も発生していない(蛇足ながらすでに創刊号の論考は全部書き直したい気分である……というより再考した論文がそろそろ別媒体で出るはずである)。もちろん学生編集委員や原稿を書いていただいた方々やインタビューをお受けいただいたみなさんにはすべてその対価を支払っているので、自分を含む教員は無料ということである。要はこの仕事で金銭面での充足を求めることはできないのだ。

 では何をしているのかというと、私が読みたい人に原稿を依頼したり、会いたい人にインタビューを行ったりして精神的な充足を求めているのである。『文芸ラジオ』2号が書店流通するのは5月頃を予定しているが、その2号で私がぜひインタビューをしたいです!と編集会議で連呼していたのが小橋めぐみさんである。連呼しすぎて学生もうんざりしていたであろう。ちょうど『恋読』を発売されたばかりであったので、説明しやすかった。そうでなければ、『トリック2』で初めて認識して……という自分語りをしなければならなかったかもしれない。そしてますます学生はうんざりしたであろう。ところが実際にお会いした際に、『ウルルン滞在記』の話になり、小橋さんの出演回を偶然、私が見ていたことに気付いたので、深層心理的にはそちらが最初かもしれない。言われた瞬間にニューロンがスパークしたように映像が頭の中に浮かんだので人間、覚えているものである。

恋読  本に恋した2年9ヶ月

 さて上記の記念写真を見ていただければわかるように、インタビューと写真撮影を行うだけでも様々な人が関わっているのがわかるであろう。私たち教員だけではなく、インタビューを快く引き受けていただいた小橋めぐみさん、デザイナーさんにカメラマンさん、もちろん学生編集委員、そしてスマホのシャッターを押している(具体的には画面をタッチしている)小橋さんのマネージャーさん、コーヒーを入れてくれた店員さん、何より場所をご提供いただいたkate coffeeさん(雰囲気のよいブックカフェでした!)と多くの人の力により今回のインタビューは無事に始まり、無事に終わったのである。私一人では到底できないことである。内容に関しては先述したとおり5月に流通する『文芸ラジオ』2号を楽しみにしてほしい。本好きの人と本について話をするのは非常に楽しいひと時であったことはここで述べておこう。

 そして2日連続で学科ブログを更新してしまったので、そろそろ仕事と原稿に戻らないと怒られそうである。何もできなくても、そのぐらいはできないといけない。

 

BGM:鬼束ちひろ「流星群」

the ultimate collection

「やがて闇はかならず明けていくから」

 自分自身が学生であったときには卒業式には出ていない。あとで事務所に行って、学位記をもらってきただけである。これだと5分で終わる。時間の使い方としては非常に合理的である。しかし教員となるとそうはいかない。私自身が専任教員になって2回目の卒業式が先日執り行われた。出席をし、行事をこなしていくだけで一日がかりの仕事になるのだ。

 卒業式を終えた皆さんはこれからそれぞれ旅立っていくのであろう。大学という場所に同じようにいることはできない。もう一度、入学しなおしたとしても、そこで見えるのは違う景色である。大学院も修士、博士と通ってしまった私が言うのだから間違いない。なお学問の道に進みたいのであれば、一度、立ち止まって考えたほうがよい。相談にも乗ろう。これも長く通ってしまった身からのアドバイスである。さて、その皆さんに教員としてコメントを送るというのが、どうもこのような日には必要らしい。説教くさいことは何も必要はないと思っているし、他者の言葉に動かされていてはダメだろうぐらいしか感想も出てこない。

 したがって本当にその場に行くまで何も考えていなかったし、自らの言葉を自分で探してくださいぐらいを言って短く終えようと思っていた。ところが私の前に話していた教員が春休み中、何をしていたのかという話から始めたので、即興で春休み中に読んだ本の話をしてしまった。

 

「後藤さん、クレームなのに、どうしてヘコまないんですか」

 新人が客を怒らせた場合、私のところに回ってくる。私は平謝りし、上司にクレームであったことの報告をする。新人は新人で、自分で食い止められなかったことに少しは悪いと思うらしい。昼休みなどに、よく謝られたうえに前述の質問をされる。

「ぜんぶ、ハットリくんの声と言葉に変換するの」

(宮木あや子『憧憬☆カトマンズ』MF文庫ダ・ヴィンチ、12ページ)

 

憧憬☆カトマンズ (文庫ダ・ヴィンチ)

 これから就職をし、社会に出ていく(としておこう)皆さんは初めて自分に向けられる悪意や強烈な嫉妬などに直面するかもしれない。これまでは何だかんだ言いながら教員も職員も学食の人も購買部の人も親御さんもすべてが皆さんの味方であった。しかし庇護のないところで精神的にも孤立し、ただひたすら悪意を身に浴び続けなければならない日がこれから起こりうるかもしれない。その時は、宮木あや子の作品で描かれているように受け流して欲しい。他者の悪意をすべて受け止める必要はない。どうせ言葉は通じないのだ。ハットリくんでも地底人でも何でもテキトーに変換しておくといい。戦略的撤退だってありだ。ただし責任もすべて自分で取る必要がある。したがって、単なる撤退ではなく戦略的であることが望ましい。できれば最後は勝ちに行こうぜ、ぐらいのテンションである。

 のようなことを喋った気がする。何せ前の晩にゲームをしていたら睡眠時間を大幅に削ってしまい非常に眠かったのだ。ブログを更新するのだから卒業式に関する写真ぐらい撮っておけばよかったのだが、それも思いつかないほど眠かった。

 

BGM:今井美樹「PIECE OF MY WISH」

PIECE OF MY WISH