オビハチの蔵再生 談/小嶋正八郎
その6までの対談に登場した、ヤマガタ蔵プロジェクトのカフェ「オビハチ」は、蔵のオーナーである小嶋正八郎さんのご協力なしには実現できない試みでした。 学生たちの実験の場であった「オビハチ」はその後、小嶋さん経営のカフェ・レストラン 「蔵オビハチ(灯蔵)」 として生まれ変わり、山形市内の人々に強い印象を与えました。小嶋さんにお話を伺います。
商家としての小嶋家のルーツは江戸時代末期に遡ります。本家は総合商社のような商売をしていましたが、明治になると取り扱い商品ごとに暖簾分けをし、オビサン、オビロクといった屋号を持つ分家がたくさん生まれました。「オビ」 は商人が締める角帯のこと。明治42年、私の祖父は分家してこの十日町にやって来てオビハチを名乗り、肥料や米、雑穀を商い始めました。蔵プロの舞台となったこの蔵は、 商品を貯蔵しておく荷蔵でした。
私が物心ついたとき、すでにこの蔵は荷蔵としての役目を終え、単なる物置となっていました。覚えているのは外壁に空襲を避けるための黒い墨が塗ってあったのと、悪さをすると蔵の中の柱に縛り付けられて閉じこめられたこと(笑)。今となれば懐かしいですが、小さい頃の蔵は恐ろしい場所でした。いま89歳の母も店に改造してからはファンになったんですが、以前はいいイメージは持っていなかったようです。暗くて何が入っているのかよくわからない。いったん調べだしたら際限がないような気がして、手が付けられない。そんな存在でした。
平成に入り、敷地の中に道路が通るという計画が持ち上がったときから、蔵をどうすべきか思い悩むようになりました。そうしている間に道路ができて、屋敷の裏に隠れていた蔵が表に出てきた。外壁はボロボロだし雨漏りもする。あきらめて壊そうという気持ちが強くなったとき、東北芸術工科大大学院生の井手理恵さんと知り合ったんです。井手さんは研究テーマである蔵を使い、何か実践してみたいというささやかな夢を持っていました。最初は私も真剣に取り合わなかったのですが、よく話してみると非常に熱意を持っている。そこで 「蔵をプロジェクトの柱であるカフェ空間に提供してみよう」 と決めました。蔵を取り壊すにしても数百万円かかると聞いていましたから、「壊す」という後ろ向きの考えを「作る」という前向きの発想に転換しようと思ったんです。そのあたりから芸工大の山畑信博先生や竹内昌義先生が加わって、市民グループ「まちづくラー」も入ってきました。タイミングよくいろんな思いが同時に動き出したんです。
私の負担で屋根を葺き替え、外壁を直し、トイレを作るところまで造作しました。掃除や内装は学生やまちづくラーに頑張ってもらいました。物置でしたからいろんなものが出てきましたよ。私が捨てるつもりだったものの中には、学生たちが持ち帰ったものもあります。持ち主にとっては珍しくもなく価値を感じないものでも、若い学生の目には新鮮に映るものがたくさんあったんです。それがなかったら、蔵はこんなふうに生き続けることもありませんでした。
「オビハチ」として3週間カフェを開業している間、私は出張などがない限り毎日お客として顔を出していました。事業家としては、人がどんどんやって来るのを見て「うまくいくかもしれない」と直感しました。 何より、マスコミが敏感に反応して報道してくれる。こうした事業は時流に乗りそうだ、本格的に営業してみようと決心しました。開業にあたっては、さらに資金を投入して改修しました。世間に熱があるうちに営業を始めたかったので工期は一カ月と決めて、素速くオープンしたんです。テーブルは母や祖母が嫁入りのときに持ってきた長持です。壁のポスターは、荷蔵に入っていたものを学生が写真に撮って作ってくれたもの。オビハチのロゴマークも学生が作ってくれました。
現在、お客様の七割は女性です。女性は男性のようにお付き合いで店を選ぶことは少なくて、 本当に好きな場所にしか行かないですよね。居心地がよいと感じてくださっているんじゃないでしょうか。こうして開業できて本当によかった。実をいうと、私があまりさっさと決めたものだから家内や娘からの風当たりは強かったんですが、今では応援してくれています。
ギャラリーもジャズライブもやる。ランチもあれば、ワインや焼酎もある。「品目を絞ったらどうか」とアドバイスしてくださる方もいるんですが、荷蔵はがらんとした空間だからこそ何でもできるんですよ。仮に完成された立派な座敷蔵だったら、提供するものは和風の雰囲気に合ったものに限られるでしょう。最初に、学生はジャズライブや落語、トークイベントなどいろいろな実験をしてくれて、何をやってもそれなりに楽しくて様になることが実証されました。 何も限定しない空間なんてほかにあまりないんじゃないでしょうか。事業として発展途上にあるのは承知の上ですが、 この形態でもうしばらく続けてみるつもりです。
[蔵オビハチの店内。古いものと新しいものがうまくマッチしている]
【この企画は今回でおわり】
明日からは通常営業しまっする。
蔵が持つ素材の力
司会
山畑先生は風土と建築をテーマにした研究をされてきました。世界中の建物をご覧になってきた観点から、蔵プロジェクトはどんな意味を持っているのでしょう。また、建築デザイナーとしてスタジオを持っている竹内先生にとってはいかがですか。
山畑
いろんな国の古い町を訪ねて、日本の町と最も違うなと感じるのは、素材の持つ力です。その素材で町全体の合意がなされているとでもいったらいいでしょうか。日本の町はインターナショナルな工業製品がいろいろ入ってきていますが、僕が興味を持つのは、地場の素材を使いながら、よく見ると新しいものも導入している建物なんです。
山形におそらく唯一残された、素材に力のある建物が、蔵なんです。蔵は磨けば磨いただけの美しさが出る建物です。古いものだけだと閉塞的になりがちなので、そこに若い人の新しいアイディアや、蔵主さんの思い、地域の人たちの思いが込められると、蔵は確実に再生していくでしょう。
竹内
よくヨーロッパでも観光客でごったがえしている町がありますよね。でも、健全な町の姿とはそうではなくて、地元の人がよく行くパン屋さんやギャラリーがあって、そこに観光客も行って楽しめる、そんなバランスのとれた町だと思います。 蔵プロがめざすのはそんな町づくりです。
建築デザインとは、与条件に応じて創り上げるものだとすると、新しいものを作るときと古いものを改築するときとの考え方に大きな区別はないんです。大切なのは、与条件に沿って何が必要で、そのために何をしなくてはいけないか。だから新しい建築をデザインするのも古い蔵を改築するのも、私の中では連続した考えなんですよ。蔵プロジェクトで面白いのは、古いものをつかって新しい価値観を作ること。 記憶の蓄積は後から追いかけてできるものではないから、記憶が蓄積された蔵の持つ価値は非常に大きい。私は残せる蔵は残すべきだと思うけれども、保存運動をやっているつもりはないんです。
蔵プロについてはもうひとつ、教員として関わることの面白さを実感しました。製図にはグラフィカルな能力を試されますが、蔵で人と相対して何かをしていくとなると、製図能力とはまったく異なる側面から学生の人格を見ることができる。この学生はこういう人なんだという新鮮な発見がありました。蔵プロの活動には、 相手とどうやって関係性を築き上げるか、いわゆる人間力がはっきり表れます。 外の方たちに育ててもらう部分が見て取れて、すごく興味深い。蔵プロに関わった経験は、 きっと将来どこかで役に立つでしょうね。
[オビハチで開催された蔵ネットジャズライブ]
司会
では最後に、これからの蔵プロジェクトについてお聞かせください。
山畑
願わくは、一般市民の方にもっと企画面で参加していただいて、芸工大単独ではなくて山形市の活動として広げていきたいですね。実際、当初は多くの市民の方々も参加していたんですよ。その運営方法は僕や竹内さんで考えていくことです。 具体的には「蔵座敷に泊まろう」という企画も考えています。蔵座敷は内部の造作に非常に手間が掛かっています。よい材質を使って、大工さんが技巧を凝らして作っている。ぜひこうした建築をみなさんに見てほしい。難しいかも知れないけれど、いつかは蔵座敷がネットワーク化されて市内に点在する民宿のようなものになるといいですね。
竹内
山形には本当に素晴らしい蔵座敷がたくさん残っていますよ。今すぐ活用できなくても、蔵主さんが壊さずに持っていてくれさえすればいいんです。私たちがこんなに蔵、蔵というのは、蔵がおそらく二度と作られない建造物だからです。蔵主さんはよく「その貴重さはわかっているけれど、維持が大変だから、自分が悪役になって潰すんだ」とおっしゃる。それもわからないことはない。でも、それよりも蔵を持っていることによって派生する価値について考えていただけたらいいなと思います。
蔵主さんあってのプロジェクトですから、蔵主さんが残そうという気になることが重要です。だから私からお願いしたいのは、たとえば蔵ツアーに参加した人がそこの蔵主さんに「いい蔵ですね」とか「こんな蔵があってうらやましい」とか、 とにかく蔵主さんが「わざわざ見に来てくれてありがとう」と喜んでくださるような言葉を一声かけてほしいということです。
司会
保存活用というだけでなく、新しい価値を見出し、新しい使い方を提案しながら新しい場所づくりをしているという点で非常に興味深いお話でした。どうもありがとうございました。
・・・その7へつづく
蔵が生む町歩きの楽しさ
司会
山形の蔵は通りから奥まったところにある場合が多いからこそ、郊外では体験できない歩いていく楽しみがあります。町歩きの楽しさと蔵の存在を、中心市街地の活性化問題と合わせて考えることができるのではないでしょうか。
竹内
中心市街地では住んでいる人の高齢化が進んでいます。高齢者向けマンションやコンビニエンスストアができる計画もあるようです。高齢者にとってコンビニは便利かもしれないけれど、とりたてて行きたい場所であるとは思えない。中心市街地の問題を語る際にはつい商業的な賑わいにばかり目が向きがちですが、むしろ街の中に人が行きたくなる場所をどれだけ持っているかの方が大事になってきますよ。その場所は誰が作るのかというと、 町の住人たちです。
何でも揃う郊外の大型店での買い物で満足している人たちは、もはや買い物のためだけに町中に来ることはない。したがって、中心市街地の店が郊外の商業施設と同じことをやっても勝ち目はない。郊外店舗には消費するものなら何だってあるけれど、 大人が満足できる雰囲気のいい空間はなかなかありません。大人が何に魅力を感じているかを突き詰めて考えると、蔵には大きな可能性があるといえます。
司会
子供を対象としたワークショップも開催していますが、 子供たちの反応はどうでしょう。
竹内
郊外のファーストフード店で満足している子供たちが蔵に来たらつまらないかというと、 そうでもないんですよ。「へえ、昔の建物なんだ」「ここにあるモノは何なの」なんて会話が成り立っています。利便性を追求して現在の暮らしができあがってきた文脈というか、自分たちの生活史を自然に理解できる場所なんですね。
[珍しそうに蔵を見つめる女の子。「蔵ネット蔵体験ワークショップ2」にて]
山畑
顧問として参加した山形県建設業協会の青年部でまとめた提言書があります。 そこには歩行者専用のフットパスや遺跡を結びつけて歩ける町にしようという内容も盛り込まれています。点在する蔵を繋ぎながら何か仕掛けると、歩いて楽しい、郊外の全国チェーンの店舗にはない、山形ならではの空間が生まれるでしょうね。
[蔵ネット蔵体験ワークショップにて。芸工生とこどもたち]
・・・その6へつづく
取り壊されるその前に
司会
ところで、 山形の蔵には何か特徴がありますか。
山畑
それが面白いんですよ。江戸文化の系譜である店蔵と、北前船と最上川舟運によってもたらされた上方文化の蔵座敷が、この山形の地で交流しているんです。これは、二十数年前に山形県が行った調査報告書にも記載されています。全国的に地域づくりに生かしているのは店蔵が多いですが、山形では敷地の奥にある蔵座敷や荷蔵が多い。店蔵だともともと通りに面しているから使いやすいのに比べ、蔵座敷や荷蔵は道路に面していない。商用への転用が難しいのはそのためです。
蔵が数多く残っているのは、幸運にも山形市では大地震や水害が少なかったからです。江戸の文化も京都の文化も入ってきてる全国的にも珍しい町ですから、住人自身が買い物でもお茶でも十分楽しめる町になるといいですよね。それが結果として、町に観光客を呼ぶきっかけとなれば……。
竹内
蔵座敷は生活の場であり、昔は冠婚葬祭の場でもあった。それだけに、蔵座敷に今でも暮らしているおばあちゃんが亡くなったときどうするかがターニングポイントとなります。蔵主さんの選択としては、維持費も大変だし、処分して駐車場にしてしまおうとなりがちです。蔵座敷はこうやって敷地の裏手にひっそりと建ってひっそりと消えていくから、地元の人たちも意外とその存在に気が付かない。 とにかく建物の維持費は間違いなくネックとなっていますね。
司会
蔵を地域文化資源と考えるならば、行政がある程度の維持費を負担すべきという考えもあるのではないでしょうか。山形県金山町のように、町で産する金山杉を使った金山型住宅を建てると補助金が下りる例もあります。
山畑
行政が明確に蔵という私的財産を公共的に価値のある建造物とみなして、 保存するという強い意志があれば可能でしょう。ただ、現在の厳しい税収のなかでの実現は難しいかもしれません。
竹内
蔵の維持で最も経費が嵩むのは外壁。漆喰の補修です。屋根の多くは金属葺きですから、建築から数十年もたつと葺き換える必要が出てくる。せめて蔵に関する固定資産税を減免するなどの措置があれば、保存状況はだいぶ違ってくると思いますよ。
だけど、保存するには行政の対応を待つよりも、蔵主さんが「うちに蔵があるのはいいことだ」と誇りを持つ方が確実です。もともと蔵はステイタスの象徴だったんですよ。なのに、維持費の問題などがネガティブに捉えられて、厄介者のようになっています。これでは仮に補助制度があったとしても、めんどうな手続きをして補助金をもらうよりも壊した方が簡単だとなって、いずれはすべての蔵が取り壊される運命となります。
山畑
景観法や登録文化財での優遇措置を利用するという方法もあります。登録文化財になると固定資産税が減免されます。築後50年たつと登録条件の一つを満たすので、 おそらく山形市内にも登録できる蔵があるはずですよ。
竹内
蔵のある町並み景観や蔵を利用したお店の雰囲気が楽しめれば、一般の人たちも蔵がある町に住んでいるという誇りが生まれるでしょう。すると、蔵は個人の所有物でありながら共有財産となる。町にそんなキャパシティがあってもいいと思います。
司会
きちんと手入れをするとして、 蔵の耐用年数はどれくらいなのでしょう。
竹内
程度によります。左官屋さんによると、メンテナンスのための手入れと、綺麗にするための手入れは根本的に違うのだそうです。もとの姿に戻して綺麗にするには1000万円単位の金額が必要だけど、メンテナンス目的ならそれほどでもない。重ね塗が必要でない程度の痛み具合なら、負担も軽くて済む。つまり、どれくらいお金を掛けるのかは、その空間をどう使うかによるんです。蔵オビハチも正面の漆喰を塗って屋根を葺く補修に留めたおかげで、歩けば床がギシギシ鳴るという古さがいい具合の、たまらなく味のある空間となった。こんなふうに、まず蔵主さん自身が蔵の魅力に気づきさえすれば、私たちも使い方や保全のための提案やお手伝いができます。
山畑
意外だったのは、若い人が「古いのがいいね」といってくれたこと。蔵主さんが最も気づいていないところを若い人たちが評価した。でも、ただ古いだけじゃだめです。手入れされて丁寧に掃除されるなど、大切にされていることがすごく大事。そんなに難しい話ではないでしょう。ふつうに新しい建物を綺麗にしてるのと同じことですからね。
・・・その5へつづく
蔵ツアーの魅力
司会
その後はどんな展開をしてきたのでしょう。
山畑
最初の試みが成功したことで、「うちの蔵も活用していきたい」「どうしたらいいんだろう」 という相談が舞い込むようになりました。 そこで、2004年は市内に点在する5つの蔵に呼びかけてイベント「蔵ネット」を仕掛けました。
[蔵ネットでの左官体験。初めての壁塗りを体験]
蔵プロとして面的な展開をすれば相乗効果が出るのではないかという考えからです。 オビハチさんではドキュメンタリー映画の上映、香味庵まるはちさんでは小学生対象のワークショップ、ギャラリー卿自楽さんでは木地玩具のイベント、のむらやさんでは落語会、文庸蔵さんでは本の展示、そして山銀本店さんでは古道具ポスター展……。市内の蔵マップも作って配布しました。ただ、メインの5軒は地理的にちょっと離れていたので、思惑どおりの賑わいにはならなかった。それから、立地条件や蔵主さんの意向があるから、必ずしも蔵オビハチのような展開ができるとは限らないとわかりました。
一方、一般の参加者を募って蔵を見学する「蔵ツアー」を始めました。蔵ツアーは毎回盛況です。なんといっても、よそのお宅の蔵の中を覗けるのがいい (笑)。 普段はよほど親しい近所の人だって蔵の中なんて見せてもらえませんからね。
竹内
わくわくして面白いよね。
司会
最近の活動はいかがですか。
山畑
今年2006年6月には、太田三郎さんという切手を素材とするアーティストを呼んで「おのや」さんでアーティスト・イン・レジデンスを展開しました。 一週間にわたって蔵を制作場所とし、 蔵をテーマに作品を制作していただきました。 また、 趣味で絵を描いていて、 蔵を増築してちゃんとしたギャラリーにしたいという蔵主さんがいて、 まさに今それを形にするギャラリープロジェクトが進行中です。
竹内
蔵プロとは別に進んでいた話なんですが、相談を持ち掛けられたことから、学生がどんどん提案していったんです。私たちが思っている以上に学生たちと蔵主さんは仲がいいですよ。大学のキャンパスでは触れ合えないような方たちと親しく話ができたり、一緒に考えながら活動できている。 当初より地味ではあるけれど、人的なつながりという点では大きなうねりが生まれている。蔵プロでの接触がきっかけとなって、町では確実に何かが始まろうとしているんです。
山畑
ただし、一番怖いのは学生の甘えです。大人の社会から見たら許されないことをやってしまった場合、「君らのやっていることは間違っているぞ」 ときちんと叱ってくださる方もいますが、 全員にそんな優しさを期待してはいけません。 そのあたり、 学生たちはきちんと心してかからないと。
司会
学生たちは次々と卒業していきますが、蔵プロはうまく続いています。 理念がきちんと継承されているんですね。
山畑
学生たちは放っておいても勝手に動いて、毎年独自の試みに挑戦しています。 不思議なことにちゃんとリーダーが登場して自然に世代交代しているんですよ。 ただ、フリーペーパーやウェブでの情報発信、それから人気のある蔵ツアーなど、誰もがわかる蔵プロの柱となる活動は続けていくべきですよね。そのうえで、今年の学生たちがめざすのはこれです、 と打ち出していくといい。
司会
毎年、 蔵が一つ一つ自立していく姿がイメージできますが。
山畑
いや、そこは頭の痛いところです。なぜなら、蔵が自立していく速度より、蔵がなくなっていく速度のほうがずっと速いんですよ。もっと何とかできないかという思いは常にありますね。
竹内
私たちは必ずしも山形全部の蔵を蔵プロに巻き込もうとは思っていません。 蔵を使った飲食店でも洋服屋さんでも、 いろんな形態の営業があっていい。 オーナーさんが蔵に価値を見出して、 使うことによって保存ができて、 なおかつ地域の人に親しまれながら営業していける蔵がたくさんあれば、 街全体にとって非常に好ましいと思っています。
・・・その4へつづく
蔵オビハチとの出会い
司会
最初、カフェ空間として蔵を提供してくださったのは、オビハチという屋号を持つ小嶋商事の小嶋正八郎さんでした。メインストリートから一本入った道路に位置していますね。なぜこの蔵に着目したのでしょう。
山畑
もともと屋敷の裏手にひっそり建っていた荷蔵なんですが、道路整備によって敷地が分断され、蔵が道路に面することになった。小嶋さんご自身、この機会に蔵を何とか利用できないかと思案していたという背景がありました。小嶋さんは屋根を修繕し、上下水道のインフラを整えて、道路に面する部分に漆喰を塗って、その先の学生たちができるところは何でも造作していいよといってくださったんです。
僕らがまず取りかかったのは大掃除。 初日は市民グループ 「まちづくラー」 が率先して手伝ってくれた。 次にカフェとして必要な厨房を作ったり、 トイレにペンキを塗ったりという作業に取りかかりました。トイレの施工や什器の製作は山形県長井市にある山形工科短期大学の学生が担当してくれました。実際に図面を書いてものを作るという経験のない学生が取り組んだので、それ自体も面白かったようです。 ただ、図面が読めない学生もたくさんいたから大変だった。
竹内
学生の設計図をもとに椅子を作ってみると、できあがったのはとてもじゃないが座れない(笑)。お金がないから自分たちで手を掛けるしかなくて、トライアンドエラーをくり返したんですよ。一つ一つ丁寧にやるしかないので、余計なことまで手が回らない。余計なことができない状況が功を奏したんです。いい雰囲気のカフェができたのは、そのおかげですよ。
山畑
学生たちは最後の方は相当疲労困憊していたけれど、三週間の営業で什器の材料費くらいは賄える収益がありました。身びいきではなく、芸工大の学生ってすごいなあと感じ入りましたね。 一人の学生がそれぞれネットワークを持っているんですよ。 陶芸を専攻する友人がコーヒーカップを作り、 彫刻を学ぶ学生は鉄製の照明器具を作った。グラフィックデザインを学ぶ学生はロゴマークや暖簾を作ってくれた。建築専攻の学生とは違う視点からカフェづくりにどんどん参加してくれたんです。大人との繋がりもあったので、プロとして活躍しているミュージシャンを呼んでジャズライブをしたり。学園祭とは違う、普通に町中の「みんなの行きたい場所」になっていましたよね。
[「ヤマガタ蔵プロジェクト」ポスター]
竹内
学生は学生なりに、蔵主さんは蔵主さんなりに「何かができる」という実感を得たんです。小嶋さんはこの試みの後、さらに蔵に手を加えて 「蔵オビハチ(灯蔵)」として営業を始めました。音楽ライブやアートの展覧会もするなど、持続した空間として自立しています。
・・・その3へつづく
ここ2ヶ月ほど引っ張り続けてきた「ヤマガタ蔵プロジェクト」に関するご紹介。
年末年始にブログが全く更新されないのもせつないので、この蔵プロジェクトに関する記事を中心にできるだけ更新する予定です。
えぇ、あくまでも予定。
ちなみにこの記事は、東北文化研究センターが発行している東北文化友の会 会報誌「まんだら」に掲載された内容です。
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明治時代、二度の大火に見舞われた山形市の商家では、伝統的な耐火建築である蔵がさかんに建てられました。土壁を厚く塗って開口部を最小限におさえた蔵は、現在でも市内に約400、中心市街地だけでも150あまり建っていますが、老朽化や道路整備の影響などにより、次々と取り壊されているのが現状です。東北芸術工科大学の学生が中心となった「ヤマガタ蔵プロジェクト」 は、町から消えつつある蔵を地域資源として有効に活用し、中心市街地に活気を取り戻そうという主旨で、 2003年にスタートしました。その継続的な活動は、 2005年には日本都市計画家協会賞の「学生まちづくり部門賞」を受賞しています。日本の町づくりにおいては、 もはや大きく新しい建物を建てることではなく、すでにある古い建物を掘り起こし、新たな資源として再生させることが鍵となっているのです。 今回は、プロジェクトの発足当初より学生を支え、建築の視点から深く関わってきた本学の山畑信博助教授と竹内昌義助教授が語り合います。司会はプロジェクトへの参加経験を持つ東北文化研究センターの飯田恭子研究員です。
蔵プロジェクト、 始動
司会
ヤマガタ蔵プロジェクト(以下、蔵プロ)は2003年から、東北芸術工科大学の学生たちが中心となって展開してきました。皮切りは、荷蔵を改修してオープンした期間限定の 「オビハチ」でした。 私も蔵の隣の空き地にこしらえたかまどで、ドイツケーキを焼いたりしました。 後に「オビハチ」 はオーナーさんの経営によってカフェ・レストラン 「蔵オビハチ (灯蔵)」として営業を始め、今に至っています。 それまで眠っていた建物が、使うことによって息を吹き返した、保全された例ですね。
山形には中心市街地だけでも150の蔵が残っているそうですが、これほど多くの蔵があるとは地元でも意外と知られていません。お二人はなぜ蔵に着目したのでしょう。 蔵プロの誕生経緯についてお聞かせください。
山畑
まず前段があるんです。 1994年、山形市の委託事業によって芸工大の環境デザイン学科が市内の建造物の調査をした際、土壁と漆喰で作られた蔵の存在が大きく浮かび上がりました。山形市内には明治・大正に建てられた蔵が数多く残っていることが改めて明らかになったんです。
2000年には山形県・山形市・芸工大が連携して、地域社会とアートを結びつける「環境アート推進協議会」が発足し、そのとき、蔵でアーティスト・イン・レジデンスの活動をしてはどうかと企画しました。そこで翌年、追調査をしてみると、前回洗い出したもの以外にもあること、そして環境アートや蔵の利活用に興味を示す蔵主さんが多いことがわかりました。 ただ、蔵の総数はだいぶ減っていましたね。
司会
蔵プロへの伏線があったわけですね。
山畑
そんなとき、卒業研究のテーマで悩んでいた学生に、蔵をテーマに研究したらどうかとアドバイスしたんです。彼女は東京生まれで、山形で初めて蔵に触れた。そして、その空間自体に新鮮な衝撃を受けた。机上の提案だけでなく、蔵を活用して何かしてみたいという強い思いがわき上がってきたようです。
建物をリノベーション(改築・改修)して新しい空間を創るには独自の方法論があると思ってはいたのですが、明確に説明できなかった。学生と何度も話しているうちに、じゃあ実際の空間を作ってやってみようとなったわけです。すると、いろんな学生たちが集まってきました。その中にカフェをやってみたいという学生がいたので、プロジェクトの核として取り上げました。
竹内
そのあたりから私は建築デザイナーという立場で関わるようになりました。いったい何ができるのか、何をやったら面白いのか。そんな模索をしつつ、蔵プロが始動しました。常々、山形という地だからこそできる建築の実験をしたいと思っていたんですが、このとき私は、何かを始めるときに必要なのは潤沢な資金ではなく、素直な思いとか地道に手や体を動かすことだと学生たちに気づかされました。
司会
そんななかで気になるのは、最近、蔵がどんどん姿を消していることです。 それについてはいかがですか。
山畑
急激に減ってきたのはここ一〇年ですね。近郊に続々と大型店舗ができるのと比例するように、町中の空き店舗が増加して居住人口が減り、中心市街地が空洞化していった。道路整備事業の影響もありました。ところが、今度は中心市街地整備改善活性化法が施行されて、山形市もこの基本計画を提出したので、逆に郊外に店舗を出しにくいという状況になっています。 現存する蔵を活用することによって中心市街地に元気を取り戻し、蔵の消失を食い止めることができるかもしれません。
竹内
すでに郊外へと向かっている流れをこれから止めるのは至難の業だと思うんですが、中心に戻ってきたい人と、現存する蔵をどう結びつけて、人を呼び込むか。そんな観点からも蔵プロがお手伝いできたらと考えています。
・・・その2へつづく
入試課ブログも2度目の年越しを迎えます。
山形市はこのままだと雪なしの年越しかな?
大学事務局は、12/28(木)~1/4(木)の間、年末年始の休業となります。
お電話やメールでの入試に関するお問い合わせ、願書等の資料請求受付も上記期間中はお休みです。
休業期間中にいただいたお問い合わせや資料請求には、1/5(金)以降、順次対応させていただきます。
でも、このブログはちょっとネタをためこんでいるので、休業期間中もできるだけ更新するつもり。
っていうより、記事はもう準備できていて「公開」ボタンをポチッと押すだけにしてるので、年末年始も入試課ブログを見てちょ。
年末年始用にネタを投下。
○↓メディア・コンテンツデザイン学科未来デザイン学系サイトが更新されとります
http://www.future-design-johokeikaku.jp/index.htm
○2005年度大学院洋画修了 佐藤さんの作品が「ART-SCHOOL12月リリースシングル・ジャケットデザインコンクール」にて約1000点応募の中から1点選ばれ、「ART-SCHOOL」ニューアルバム「テュペロ・ハニー」2006年12月20日発売のCDジャケットに採用。
http://www.art-school.net/dis_single.html
○MUJI AWARD 01・良品大賞にて銅賞受賞
プロダクトデザイン学科3年生5名とプロダクトデザイン学科助手によるグループ「5+2」の作品「SORI 少し反った画鋲」が、株式会社良品計画主催の「MUJI AWARD 01・良品大賞」で「銅賞」を受賞。
2006年11月23日~2007年1月9日まで、無印良品有楽町店内Atelier MUJIにて受賞
作品展を開催。また、2007年のイタリア・ミラノサローネにて展示発表を予定。
http://www.muji.net/award/results.html
そいではみなさま、よいお年を。
毎年恒例「柳川杯」。
(なんで「柳川杯」か、っていうと、主催してくださっているのが体育の柳川先生だからなのよ)
バリボー大会です。
学科・コースやサークルや友達どうしなどでチームを作って参加したのが24チーム。
先々週のことになってしまうけど、日本画コースAO入試ですでに合格が決まっている方々の「入学前課題講評会」が大学で開催されました。
早い時期に合格が決まってしまうAO合格者に対してモチベーションをしっかりたもってもらうとともに、スキルアップをはかってもらうことが目的です。
はじめに岡村先生から日本画コースの先生紹介がありました。
各人に対して課題が与えられていたので、それを個別講評です。
この辺は普通の授業ともう変わらない感じ。
その後ちょうど行われていた大学院1年レビューを岡村先生の解説で見学し、
アトリエ見学のついでに3年生課題の古典模写を見たり。
最後に1年生の授業「動物制作研究会」に混じって
芸工日本画授業の生の雰囲気を味わいました。
ってわけでオチも特にないレポートでした。
さて、のだめ見ようっと。
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