こんにちは。
最近、日暮れに家の窓を開けていると、どこからともなくリコーダーの練習する音色が聞こえ平和だな〜と思うことが最近の些細な楽しみです。
さてさて、毎年恒例の勉強会である「モモ会」の季節が今年もやってまいりました。
この勉強会ではミヒャエル・エンデ著「モモ」の6章を取り上げ、時間や私たちの生活のあり方について考えていきます。
46年前に書かれた物語から私たちは何を学ぶのか…
写真引用 岩波書店 岩波少年文庫 モモ
https://www.iwanami.co.jp/book/b269602.html
みんなでまる読みをして、感想を書いて、共有!
私は「モモ会」2回目なのですが去年は気がつかなかった点に気がついたり、一年生の新鮮な意見に驚いたり、先輩の今までの勉強会を踏まえた上での感想に深くうなづいたり…と今年も盛り沢山でした。
では、みんなの感想をすこーし、紹介したいと思います。
○時間というのは人間が作り出した概念で、人部とは時間やカレンダーなどによって、それを見ようとしてきた。しかし、実際の時間というのは人の心の中にあるもので測れないということを表現したかったのだと思った。この話に登場する灰色の男たちというのは資本主義を表したもので著者は資本主義という考えは人々の生活をつまらないものにしてしまうぞということを言いたかったのかなと思った。
効率を求めてせかせか働くより、のんびり悠々と暮らすことを大事にしようというメッセージなのかな。(プロダクト 1年)
○灰色の男の話がすごく上手いと思った。具体的な数字を出すだけでなく、それを視覚化することで説得力を生み出す。また、相手に話す間を与えずどんどん話し圧迫することで精神的負荷をかけ、心を不安でいっぱいにさせることで脳に自分の言葉を入りやすくする巧みな作戦だと感じた。
他にも時間という目には見えないけれど確かに価値があるものに気がつかされることで、自分は今まで何をしていたんだという後悔を煽るのも上手いと感じた。
灰色の男がいなくなり記憶からもいなくなり、時間を節約することだけが残った社会。私たちが今、取り組んでいる芸術活動と呼ばれているものはきっと真っ先に消されてしまうんだろうなとおもった。それと同時に芸術活動は豊かな生活に必要不可欠だとも思いました。(日本画 1年)
○灰色の男は、あれも無駄な時間、これも無駄な時間と決めつけていたが、無駄なことは何1つなかったんじゃないか。経験したことは、何であれ誰にとっても経験したことであり、無駄になるかどうかはその人次第であって、その経験から学べることが何か1つでもあれば、それは無駄ではない。
むしろ、これも無駄、あれも無駄と決めつけて、切り捨てて行ってしまう方が、発見のない人生につながる。この効率化は、便利な現代社会のスマートフォンに当てはまるのではないか。もちろん、正しく使えば画面の向こうの人と知り合えたり、離れたところの人と話せたりするけれど、今の私たちは画面の中を大事にしすぎて現実が疎かになっている感じがする。(文化財 2年)
○僕は時間の節約が悪いとは思わないが、それが何のためかは考えた方がいいと思う。現代は量より質を求める時代なのだし、それぞれの幸せというのを見出すべきだろう。灰色の男たちの搾取などまっぴらごめんだろうし、自分のために使う時間というのは果てしなく、苦痛な程に感じる。しかし、義務や、他者の働きかけによって働かなければならない時間は逆だ。あっという間に過ぎるように感じる。後半部分で「人々が静けさを恐れた」とあるが、これは彼らが孤独を恐れているからだろうと考えた。少しでも時間を倹約しようとするあまり、大事なものもどうでもいいものも切り捨て孤独へ走っていった。本当は充実を得たかったはずなのに、節約と貯蓄こそ最善の道であると思い込んでしまったからだ。(文芸 2年)
○モモを読んで思うことは自分に当てはまることが多いと思った。背筋が寒くなる思いだ。日々の時間はなくなっていく。日々の作業は早さを求められる。なぜなら速くしないと終わらないからだ。無意識に新しいモノを受け入れたりするからだ。スマートフォンがない生活を思い出せない。便利を受け入れてしまったが自分に向き合う時間をいくつとっただろうか。自分や周りを見ることをせず。私は便利なことしか見てないのかもしれない。(工芸 3年)
○私は今日、モモ会に参加せず、おばあちゃんとそのお姉さんと会うことにしました。お姉さんとは10年ぶりに再会しました。お互いに嬉しくてギューーって抱きしめあったのですが、久しぶりに感じる人の暖かさは何にも変えられないくらい幸せな気持ちにさせてくれました。
モモ会に参加出来なかったことは残念ですが、2人に会うことにして後悔はありません。最近時間に追われて切羽詰まって、ネガティブ思考でしたが2人にあっていっぱいおしゃべりして笑って、今ゆっくりお布団で寝っ転がっていると心が豊かになっていく気がします。今も時計の針は止まらず、やっぱり〆切は近づいていますが大好きな人がそばにいてくれるだけで、こんなにも心にゆとりができるのだから、人と会うことは無駄ではないと感じました。(洋画 3年)
いかがだったでしょうか。
毎日、授業や課題に追われる生活の中で、このように一度立ち止まってゆっくりと時間や、今の生活、これからのことについて考えられる空間があることが私はとても幸せに感じます。
芸術学部 文化財保存修復学科 2年 鈴木千春