昨日、図書館2階の展示を見てきました。総合美術コース2年生6人が、自分たちで自主的に制作展示したものです。
芸術家ではない私が感心したのは、6人がみなそれぞれ、自分の作品について、自分の考えの移ろいを自分のことばでしっかりと表現していることでした。
さらに、常に毎回の奇妙な哲学的な制作課題が3週間くらいの制作時間を置いて課せられ、そのうえに、さまざまな分野の課題図書を読んでレポートを書くことも課せられている中で、自分たちでグループ展示を企画し、時間を見つけて集中して独自の作品づくりをして展示したという行動力にも感心しました。6人は、みな女子学生です。
この作品は、その場に居合わせた松田りえさんの作品です。彼女は、その時、こんな本を持っていました。これが、自分の考えに最も共感するものなのだそうです(それは一人一人みな違うでしょう)。
ふと、りなさんに、「卒業後はどうするの?」と尋ねると、学校の美術の先生と答えました。
大変、意欲的で熱心なので、先生にもぴったりでしょう。
でも、この作品の感性や考えは、現在の管理的な学校教員には、必要ないことですし、否定される感性かもしれません。
そこで、
「この作品の感性と学校の先生とは、どう関係づけるの?」と尋ねると、
両者は、まったく別と答えてくれました。
確かに、仕事と趣味や生きがいやライフワークを分ける生き方もできます。
しかし、まだ、2年生なので、両者を融合させようとするもがき、試みを学生時代にトライしてみることも、意義あることだと思う、と提案しました。
新たな社会や新たな時代をつくるのは、このような行動して社会に発信するマージナルマン(マージナルウーマン)なのかもしれません。
あなたのまわりには、どんな偶然があるか、探してみてください。もしくは、あなたは、どれくらいの偶然によって、今いるのかを。
研究室に荷物をどやどや運んで、かたづけている時に、何という偶然がおこりました。研究室の窓側の壁面です。初めに部屋に用意されていたのは、机だけです。向こう角に、畳を横に一畳敷きました。畳は、自宅に敷いてあって、床張りにしたので使用しなくなったものを持ってきました。
その隣に、御茶箱を置きました(教材用の糸など入れています)。これは、30年前の学生時代にお茶屋から買ったものです。
その隣に、4月初めに卒業生が廃棄に出した大量の画材の中から一枚ひょいともらって敷きました。
その隣に、3月まで東京上野の部屋で使っていたカラーボックスを置いて、プリント資料などを入れました。
その隣に、20年前に壊した家で使っていた、大工さんにこしらえてもらったソファーの台部分を立てて、積ん読棚にしました。
すると、まったく計算したわけでなく、置いたところ、何と、ぴったりと治まってしまったのです!
そう言えば、研究室に自宅の書棚からも運んできた中に、思わぬスクラップブックを見つけました。
大学生(人文学部美学専攻)の時に、教育学部美術科の仲間と、夜、連日、談義をして、山形に総合的な芸術の場をつくる提案をしようと、芸術新潮などのバックナンバーなどをあさりながら、日本・世界の美術館を調べて、メモ書きしたものです。
20歳前後の若い時期は、「疾風怒涛時代」とかつて言われたように、何かに熱く燃えて、もがき・あがき(ギリシャ語でアゴン)試みようとすることができます。
あーあ、自分もそう言えば、そんなことしたっけなあ、となつかしく思い出しながら、ふと、この部屋の自分に、われに返ると、何と、総合美術コースという新たに開設された教員にまぜていただいています。
このスクラップブックの試みは、地下組織や秘密結社や子どもの秘密の基地遊びの続きのような試みだったので、まったく、履歴書や実績には出ていませんし、私も語ってもいませんでした。
これも、何と言う巡り合わせの偶然なのでしょうか。
こちらのほうは、
総合芸術空間を考える会 → インターデザインプロジェクト → 総合生活環境芸術創造集団「蒼」(壁画とニットプロジェクト) → セレンキッズ・プロジェクト → 駄菓子屋楽校・だがしや楽校 → …
と、活動が変容しながらも、その考えや心は蓄積されてきているのかもしれません。
あなたの偶然を探してみてください。
30年後のあたなは、今のあなたと、どんなつながりがあるでしょうか?
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