松田道雄研究室

駄菓子屋楽校 ~愉快で,楽しく,どこからでも創造する生き方と社会づくりの活動記録~
*
2011-12-18

野菜を人間活動の媒介実験素材に


賢治の駄菓子屋に雪が積もりました。
動物の足跡もありました。この足跡は、何かのか、わかる人がいたら教えてください。

白菜も雪にすっぽり。

大根も、葉が雪のトンネルをつくっていました。

白菜も、大根も、まわりの畑は、もう収穫されています。白菜は、隣の前田さんと上の畑の方が、もらった苗の移植をしてくださいました。その白菜がちゃんと成長しました。どうも、ありがとうございます。人のお世話、大地の恵によって、生きたものをいただきます。
それを、明日、すぎなみ大人塾のもちつき大会に、よっこらしょと持参します。
育てる野菜は、それを職業にする場合は、お金に交換する商品作物です。
家で栽培する際は、自給の作物になります。
そのすきまに、分け合う贈与の作物にもなります。

新たな経済と人間関係による人間社会のあり方を探求する題材の一つとして、この大地の野菜を、これから活用していきます。
写真は、白菜の雪に描かれた圧痕です。

2011-09-17

秋を見つけた


連日、山形も30度を越す夏の暑さですが、不思議なことに、植物のほうは、ちゃんと季節のリズムで秋の風景になっています。「賢治の駄菓子屋」に行く小経沿いに、「村長」さんがみなが景観を楽しめるようにと植えている、ひまわりはすっかり枯れて、コスモスが満開です。

畑では、この夏、虫の食堂になってしまっていた、ブロッコリーに、ショウリョウバッタの親子がいました。子どもをオンブしているバッタを見たのは、もしかすると、子どもの頃以来かもしれません。
子どもの頃によく見かけた記憶があるのは、周囲がバッタがいるような草むらがまだある環境だったのか、大人になれば、仕事場などは、バッタが住む場所とは無縁のところを行き来するようになったのか…
この写真に、もう一匹、別のバッタ(トノサマバッタ?)も写っているのがわかるでしょうか?
子どもの頃によく見つけることができた「小さい秋」。大人社会の中でも見つけることができるような環境づくりをすれば、大人ももっと、物欲や金銭欲とは異なった生きることの豊かさを感じる社会になるのかもしれませんね。

2011-08-22

心の形?


山形では、夏の畑も終わり、秋冬の白菜などを植える畑の耕しの時期のようです。畑の衣替えといった感じです。
そんな夏の畑の終わりに、「賢治の駄菓子屋」に降りていくと、なんと、巨大な黒光しているズッキーニが置かれていました。
置いたのは、前田さん。彫りモノをするといい、と語りました。
この夏の収穫を、天に感謝するかのような、小さな神事のような造形です。
感謝、祈り、畏れ。これは、宗教や芸術以前の人間の原初の心性によるものではないかと感じました。
熱心な宗教の信者でもなく、芸術家でもない、私が、何気ないこの置物に、何か、心感じるものがある、その感じるものとは、どのような心なのか、自分で自分の心を探求しようとしても、なかなかわからないものです。
みなさんは、このような感情体験はありませんか?

2011-08-17

ダメージを受けつつ生きる


この夏、私が最も打撃を受けたことは、「賢治の駄菓子屋」で、初めて、種から育てて目をかけながら世話をして、もうまもなく収穫できて、みなに分けっこできるかな、と思っていた、ちょうどその時期に、それをみすかすように、カラスが、2うねのトウモロコシの実をすべて、食べちらかしていた風景です。(カラスのしわざとわかったのは、次の日に来てみたら、「どうだ、まいったか」と言うようななき声で、竹棒の上にいたのでわかりました。)
4月にこの大学に着たとき、道路で、カラスがクルマにクルミを割らせていた光景を見ました。(ブログに書きました)
畑を借りた日、キジとカラスが、ここはおれの土地だと言わんばかりに、顔を出していたのを思い出します。
それいらい、あまり目にしませんでしたが、私にトウモロコシを育てさせて、じっとうかがっていたのでしょう。
やっぱり、私より頭がいいんだと、妙に感心しました。
村長さんに言うと、農家の人もやられるとのことでした。
むざんなトウモロコシ畑をながめながら、カラスができなくて、人間しかできないこともできたら、とも思いました。その時、雑誌で、トウモロコシの皮でつくった人形を見たのです。
しかし、残念ながら、私には、そのアートの手わざも時間のゆとりもありません。

アマゾンでは、最も強い動物から、森のおいしい果実を食べ、最も弱い人間は、どの動物も食べない毒いもマンジョーカを、水さらしてあくぬきして食べ、その汁を調味料にまでするということを、アマゾン民族館で以前見たことがあります。
人間は、何かかにか自然の中でしようとして、必ず災害や他の動物からなどの思わぬことなどで、打撃を受けます。常に、多かれ少なかれダメージを受けつつも、それでも、また、なにかかにかしようとしていく…、これがよいか悪いかわかりませんが、人間の特徴のように思います。

私は、絵も描けません(かけば描けるのかもしれませんが)。時々、夕方、そこに居合わせた学生に、「賢治の駄菓子屋」から収穫してきた野菜を分けます。私にとっての他者に気軽に分けっこできる、自分が手がけた駄菓子的贈与物です。その際、学生には、時折、社会で生きていく力として、自分のアート(技芸)でも、手軽に駄菓子や野菜のように、他者に分けっこできるものを作っておこうと、提案しています。
なすが、3つとれたら、全部自分で食べずに、だれかに、分ければ、相手は、なすでない、何かをお返ししてくれるかもしれません。もしくは、根源的にだれかに何かを与えたいという人間の存在論です(一方で、とりたい・得たいという所得欲求もあるので、そのバランスの葛藤が人間の存在論です)。その微妙な人間関係づくりと存在論が、アルバイトや就職といった大きなマネー経済の外側にある、隠れてしまった人間関係経済の原理です。
どこの大学でも、経済学部でも、この生きた経済を教室で学ぶ科目はないでしょう。
しかし、このことこそ、生きていくための基本学習だと私は思っています。何年か後には、大きな思想書にまとめていきたいと思います。次世代のために。
ところで、この写真は、その時に、わけた野菜を学生がテーブルに並べていたら、「あっ顔だ」と言いながら、並べかえたところです。

2011-07-31

水墨画のような雲


今年の夏は、変な天気ですね。7月はじめに猛暑になったかと思うと、その後、雨続きの集中豪雨。昨日の雲は、天空のキャンヴァスに水墨画が描かれたようでした。
夏の入道雲は、今から見られるでしょうか?
空と雲と私。われわれは、いつも大空アート美術館の中にいますね。

2011-07-23

愉快な世界


朝、キャンパスを散歩していたら、もう制作している学生がいました。
この夏は、本学も節電のために、夜は9時までになり、その分、朝、6時30分から開放されています。朝型制作のライフスタイルのほうが、気持ちいい感じがします。
金属工芸の学生で、毎年恒例のライティングオブジェをつくっていました。
そのアトリエに、巨大な金属の虫が置かれていました。2年生の課題制作とのことです。
「これ、最後はどうなるの?」と尋ねると、
「自宅にも持っていけないし、スクラップゴミです」と。


ゴミになる前に、一つ借りることにしました。
ニコニコと親切な学生さんで、借りようとしたクモの足がとれていたので、その場で、すぐ、溶接をしてくれました。

さっそく、ずっしりと重いクモを抱えて、「賢治の駄菓子屋」に行き、草を刈って置いてみました。虫よけのお守りにならないかなあ。クマやカラスも、これをみれば、ちょっと驚くかもしれません。
大災害の中、東北に戻り、私が、これから生きる若者たちにつくっていきたい世界は、ようやく導き出されてきています。
愉快で楽しく、どこからでも創造することができる世界。

その素材や活動は、みのまわりにたくさんあります。
活動原理の小理論は、『関係性はもう一つの世界をつくり出す』に著したので、あとは、私自身がミツバチ(花粉媒介者:ポリネーター)のように、せっせと動き回り、人とモノと技術とイメージを組み合わせて、この世界をつくり出していきます。それが、すなわち『駄菓子屋楽校』の世界像です。

2011-07-18

命の仕組み


連日の暑さで、カンカンに乾いた土の畑を朝見に行きました。「村」の長老のおじいさんがいつものようにいて、水やりはしなくていいのか尋ねると、「根っこがからからでも、街路樹が枯れないように、ちゃんと生きる。水をかけたら、いつもかけてやらなければならなくなる。幼い時だけは、ちゃんとかけて世話をしなければならない。」と教えてくれました。まるで、人間の育ちそもののを聞いているようでした。
みなさんは、トウモロコシの受粉を知っているでしょうか?
山形で生まれ育ちながら、恥ずかしながら、これまでよくわからず、それを知ったのは、何と、新宿の高層ビルを眺めながら屋上栽培をした高千穂大学での菜園体験学習の時でした。
これが、雄花。幹をゆすると、煙のように花粉が舞います。


それが、下にヒゲのようにのびた雌花(ベタベタしている)にくっつくと受粉して、そのヒゲがふくらんで実になっていくのです。雄花の花粉は、隣の他のトウモロコシの雌花に受粉するのだそうです。
それぞれ、この地球上に育った数多の動植物は、それぞれの命の仕組みを営々とつくりあげてきています。それらを体感できるのは、話を聞いたり、文字で読むだけでは不十分で、その営みに参画してこそなのでしょう。
人間社会への社会参画も必要ですし、地球生命への「命の参画」もまた、この地球上の生きている一員として、必要なことでしょう。
そして、そこから、茎の利用なども考えるなどしていくことで、命の連鎖、つながりが見えてきて、エコシステム(エコロジー)の全体感覚が磨かれていくのだと思います。
イネ科のトウモロコシは、日本人のイネの多面的利用と同じように、いろいろな活用を考えることができそうです。

2011-07-05

キャベツと青虫とボク


先日のことです。時間がとれずに何日かぶりに「賢治の駄菓子屋」に行って様子を見てみたら、キャベツの葉がほとんどありませんでした。
よくみると、青虫がたくさん。まわりは、青虫のふんだらけ。
そこに、畑の師匠の前田さんが来て、「青虫のためにキャベツを植えているのか?」と、
「そうじゃないんだけど」と言いつつ、頭はくるくるまわり、心のどこかで奇妙な安堵感を覚えました。
まわりの草は、まったく青虫に食べられず、キャベツだけが…。
よっぽど好きなのでしょう。やがて、このまわりが蝶の楽園になる光景を思い浮かべました。
日頃、私たちが食べているキャベツは、よほど殺虫剤をかけているのでしょう。
青虫クンの絵本がありましたが、きっと、今の農家のキャベツ畑では、ありえないことなのでしょう。
丹念に青虫は割り箸などでとるしかない、と教えてもらいましたが、その時間もないボクは、結果的に青虫のために貢献したことで、自分を安心させました。
でも、青虫もボクのことをちょっとでも気遣って、少し残してほしいと思うのですが。
青虫とボクとキャベツが共生できる世界は、あるのでしょうか?
賢治の「注文の多い料理店」や、荘子の「胡蝶の夢」のような主客転倒の世界は、ちょっとのことで体験することができますよ。

2011-06-10

クマさんの来訪?


借りた畑は、コミュニティを考える体験教室の場です。
この方が、この周辺の借りている人たちの中の長老です。どこか、かつての村山首相を彷彿させるような…。
この畑から山形市内を一望して眺めることが、一番の健康法と言います。
キュウリと支柱をわらで結んでいました。わらだと自然にくさるからいいと。


夕方、前田さんが、新たに3畝分、土をうなってくれていて、佐藤さんからいただいた、ネギと枝豆の苗を植えました。
前田さんの説明の途中に、
「クマの足跡があったと佐藤さんが語っていた。芸工大には、クマの先生いたんでなかったっけ」と、佐藤さんのジャガイモの畝の間に、足跡が伸びていました。

夜中にクマも、のそのそ畑に来たのでしょうか?
もしクマなら、どれくらいの大きさかな?

この畑の水は、長老(この「村」の村長さん)が掘った水溜りからもらって畑にかけるのだそうです。
トノサマガエルがたくさんいた、ビオトープの池のような感じです。

前田さんからは、作物の植え方だけでなく、ここを借りているにあたっての共同地の暗黙のマナー(コミュニティの共通感覚:コモンセンス:常識)も教えてもらいました。
みなが通る道は、3回に1回くらいは、自分も草を刈るよう心がける。自分の借りている土地は、下の畑の斜面まで。だから、そこの斜面も草を刈っておく。自分の畑をきれいにするのは、周囲の人への配慮もある。…
すでに、周辺は、地主の岡崎仙人が、きれいに草を刈っていてくれました。
暗くなったので、作業はここまで。夜景が見え始めました。


コミュニティの体験とは、共有地への参加を意識すること。自分の所有物をおすそ分けできること。ではないかと、あらためて感じました。コミュニティ学習は、この機会をいかに設けていくかがカギだと思います。
家の食卓に、前田さんからおすそ分けいただいた、イチゴがクンと香りました。この味は、市場を経由したものではないなあ、とあらためて実感。
自分も人におすそ分けできる日は、いつのことやら。
道のりは、ゆっくりと長く。

2011-05-17

不思議な物語の始まり


奇妙な名前のカテゴリーが生まれて、不思議な物語(ノンフィクション)が始まりそうです。
ことの始まりは、東京から山形の家に戻ったら芽を出したジャガイモがあったので、それを研究室に持ってきて水栽培をしていたことからです。どんどん芽が伸びてきたので、いつまでもここままにするわけにもいかないかなと思いながら、日曜日に大学裏手の悠創の丘ふもとのはたけを散歩していたら、畑仕事をしていたおじさんに出会い、突然、とんとんと畑を借りることになってしまいました。
バンダナを頭にまいた、そのおじさんの行動は迅速で、すぐ地主さんに交渉してくれてOK。地主さんにあいさつにうかがうと、何と、初対面の私に抹茶を立てて出して、山形に来るクラシック音楽会はみな聞いていること、遊びが大切なこと、農業は育てるだけれども、今の教育は教えるしかしていないことなど、にこにこ笑顔で語ってくれました。
翌日には、竹林から竹の子をもらいました。何やら、ふわふわと千人のような地主さんです。芸工大の敷地の一部も、この地主さんの土地だったそうです。

今日の朝6時半、紹介してくれたおじさんに畝づくりを教えてもらいました。牛フンの堆肥も分けてもらい、耕運機で耕してもらって、まず、2畝。「OK牧場」のしぐさをもらいました。人のためにさっと労力を手助けしてくれるその速さは、戦国時代の前田けいじが定年退職して農業したらこうなるのかなと思いながらみていました(名前は前田さんです)。
それから、この借りている農村の町内会長さんのような長老さんに引きあわせてくれて、あいさつをしました。元村山総理にそっくりのおじいさん。実は、5年前、私がこども芸術教育研究センターの研究員で、野外授業をした際に、おじいさんがクルマを脱輪していて、学生といっしょに手助けをして知り合いになったおじいさんでした。
肌に風があたっていたにもかかわらず、竹林がなびいているのを見て風を感じ、身体の感覚と環境の不思議なポリフォニーを、さっそく体感しました。

まじめに教育を考える人なら、このはたけで様々なことを感じ考えるこの場を、賢治の学校、賢治の教室 と呼ぶでしょうが、私には、ここは、秩序正しい学校教育というより、駄菓子屋的知の起源を感じ取るような場になりそうな予感がします。
日本の小学校の国語で最もよく読まれているのは、宮沢賢治の作品だそうですが、そのわりには、宮沢賢治のような人間は学校からなかなか育たない感じがします。
「もし、現代に賢治がつくった羅須地人協会があったら?」どんな活動をしていたのでしょうか?
実際の賢治の時代の岩手の農民の生活は苦しく、賢治の活動もつらく苦しいことがたくさんあったことがうかがえ、現代の、余暇で畑仕事を気楽にすることで、賢治の「農民芸術論」の意味合いが体得できるとは思いませんが、想像していく手がかりに、突如この場所が現われました。
土地に根をはる東北人(それゆえ、都市の遊牧民的行動をとることができないのでしょうが)に、一歩、足を入れつつあります。家が裕福だった賢治は、よく東京にも行っていましたが、賢治自身は、農耕と遊牧、形而上と形而下のマージナルマン(境界人)のような葛藤もあり、そこから作品が生まれていったのではないかと、思い巡らしています。

コミュニティを体験学習していく場が一つ増えました。 

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