松田道雄研究室

駄菓子屋楽校 ~愉快で,楽しく,どこからでも創造する生き方と社会づくりの活動記録~
*
2012-05-19

こんな人がいた、こんなことがあった


人と話していると、その人の人生経験のなかで、こんな人がいた、こんなことがあった、という想い出があります。
いま、長野県安曇野市の方から聞いた印象深い話を忘れないうちに、メモしておきます。

30年前の高校で、陸上部の先輩が、走り幅跳びの砂場の隣を、鍬で耕し始めて、スイカを育てたそうです。
練習しながら、スイカが実るのを眺めていたそうです。
学校の先生たちも、好意的に声かけしてくれたそうです。

戦後、公民館に映画
上映会があったそうです。
まるで、ニューシネマ・パラダイスのような。

写真は、NHKの朝ドラマの「おひさま」の舞台になったところです。今も、観光客が来ていました。
藤森さん、青柳さん、案内ありがとうございました。

2012-04-15

フレッシュマンの君に

T君へ

新年度の近況ありがとうございます。
新芽が土から出ようとするような、生命の活力ある、みずみずしい毎日ですね。

本人は、毎日が無我夢中かと思いますが、そこでの新鮮な感動や思いこそが、今でしか味わうことのできない財産です。
ちょっとした失敗などもたくさんあるでしょうが、一切気にする必要がありません。

失敗を受け止めて、もっとこうすればよかったと熟慮するのは、私くらいの歳になっても十分ですし、私の歳で、毎日、ちょっとしたことの反省ばかりです。

それは、無我夢中で取り組む感動体験がなくなった後で生まれる態度です。ですから、先輩や大人は、自分がいつも失敗をくよくよ反省しているので、若者にも自分と同じ者のつもりで言います。

フレッシュマンの体験は、一生に何回もあるものではなりません。初めて、社会人になった時の体験は、一生に一度です。

毎日が疲れて、ばたんと寝て、翌朝でしょうが、本当は、一行でも、その毎日のみずみずしい感動を、日記のように残しておけば、一生の人生勉強の財産になります。

昔は、自分のノートに書く日記しかありませんでしたが、今は、ソーシャルネットがあります。

フレッシュマン・ウーマンがお互いに、日々のちょっとした感動を書き合う、「フレッシュ日記」のような共同コーナー
を、フェイスブックなどに設けては、どうですか?

社会人1年目の毎日の感動は、来年以降は、同じ感動体験はありません。消えてなくなります。

ほろ苦い失敗は、山菜のきどさと同じです。
大きくなった山菜は、もはや食べることはできません。
1年目の体験を、ぞんぶんに味わってください。

2012-04-13

あらゆることを**する


3月と先日の2回、この会社に訪問して、専務さんから学んだこと・共感したことは、
常にイノベーションしていかねばならない
若者に雇用の場をつくらねばならない

ある社会的な課題を解決するための仕事を、ソーシャル・ビジネスと、あえて強調されていますが、(グラミン銀行のように)
多かれ少なかれ、企業や行政や個人の仕事には、そのような思いは必ずあることでしょう。

まったく、自分のためだけの追求は、基本的に自分のためだけに限定されるので。

ものづくり、しくみづくり、ソフトなこと、ことづくり、…あらゆることがらについて、ごちゃごちゃと、新たなことを生み出し革新していく、そういう行為の中に、創造性の発露としてアートの心と技が生かされるような、ソーシャルアートも、これから、もっとおこってくるかもしれません。

ハワイの展望台のどこかや、スカイツリーの展望台のレストランのなにかなどに使われるという、この会社のさらなるものづくりも楽しみです。

人生勉強なる人や会社や仕事など、ぜひ、教えてください。学んだことは、みなさんにお伝えします。

2012-03-12

生命の振動


今から伸びて生きようとしている葉っぱが、揺れている。そう聞いて、よくよく見ていると、アジアンタムの若芽の葉っぱが、春の陽を浴びながら、ふるえています。地震で家が揺れているわけでもありません。
生命の振動は、植物だけでなく、動物や人間にもあるかもしれません。生命の躍動(エラン・ヴィタール)というほどではまったくありませんが、身震いしたり、心臓の鼓動が高鳴ったり、人間も、生きよう、成長しようというときは、どこか、生命の振動が表れるのではないでしょうか。

2012-01-09

富士山を探せ!


本当に見つけたいもの(真実、目標、幸せ、宝…)は、だれもがわかるように目の前にどんとあるものではないのでしょう。
私たち普通の人にとっては見つけることのできない原始の人たちが使っていた石器も、旧石器時代の考古学者にとっては、見つけることができます。
同じ土を見ているはずなのに…。

富士山を見るところに住んでいない日本人にとっては、富士山というと、あの山の形の風景が心に刻まれています。

でも、実際の富士山(あなたが見つけたいもの、めざしたいもの、夢、目標)は、場所、置かれている状況、見るところによって、みな異なります。

みなさんも、自分の「富士山」を見つけてください。ほかの人は見つけたいとは思わないかもしれない、あなただけの「富士山」を。

今年初めの、「あなたの富士山」探しの練習に、この写真のどこに富士山があるか探してみてください。
じっと、目を凝らして。
見つけた人は、今年、「あなたの富士山」も見つかるかもね。
12月に、山梨市での「自分史学習講座」にうかがった時に見た風景です。ここに住む人たちにとっての富士山は、この風景なのだそうです。

2011-12-29

駄菓子屋楽校の教育目的?


今年は、世田谷区でも大人の学び舎の講座がありましたが、世田谷区で、吉田松陰先生の神社を見ました。
松下村塾の教育目的として、3つ掲げられていましたが、それに照らして、駄菓子屋楽校?(それは特段どこにあるというわけでもありませんが)の、強いて言えば、教育目的といったことに対応させてみると、

1 名刺や上下関係ではなく、人間個人と人間個人の関係性と関係づくり(それがコミュニティ原理でもあります)

2 日本と外国の違いとともに普遍性、地球市民性

3 特別な人だけでなく、だれもがそれぞれに持っている特徴ある能力

といったことになるでしょうか。

もし、みなさんが私塾を開くとしたら、どんな教育目的を定めますか?

2011-10-22

高齢社会は、ダガシヤがクール!


人類の歴史上はじめての体験である、日本、中国など、これから世界中が、高齢社会になっていくにあって、これまでだれも着目しなかったことに、驚くべきパワーと効用と可能性があるものを、人文社会系で一つ見い出したのが、駄菓子屋です。
9月の夏休み中のことですが、全国、世界の高齢社会の高齢者の生き方の見本になるような駄菓子屋を訪問してきました。
静岡市清水区二の丸町に、ご自宅の車庫を改装して駄菓子屋を開いた植田さんの店、めだか屋です。

元保育士の植田さんと、元看護師の市川さんと、元中学の理科の先生の横山さんが、チームで経営しています。無理せずに、火、木、土の午後だそうです。

お年寄りどうしだと、病気と亡くなることと嫁さんの愚痴しか話題にならなくて暗い話ばかりなのに、駄菓子屋を開くと子どもから元気と若さをもらうようになったとか。子どもももちろん、くつろぐ場になっていますし、近所のコミュニティの場にもなっているそうです。
一石何丁でしょうか?
社会制度から介護されるという受身の態度のまま人生を終えるのではなく、人生の終活(しゅーかつ)として、自立的に駄菓子屋を開いたという植田さんの店は、これからの高齢社会のモデルになるに違いありません。
ぜひ、訪ねてみてください。
そして、みなさんのところでも、どんどん高齢者の駄菓子屋開き、いかがでしょう?
それは、かつての高度経済成長期の子沢山時代の駄菓子屋と同じ内容ではなく、高齢者も集う、高齢者が楽しむ手わざ(高齢者同士の遊びグッズ)も置かれたり売っているのもあるような、高齢社会ならではの駄菓子屋です。

ちなみに、この時の主たる任務は、放課後の子どもの仕事づくり支援活動もされているまちなびやさん主催の会議でした。
アクティブに地域活動している駄菓子屋兼地域活動団体のまちなびやさん、街中にある山、やづやまの冒険遊び場、広場で毎月開かれているだがしや楽校、近くのアート塾、千代田スクールのたたらさんの教室で夜開かれる、大人のいざかや楽校。この見事なコミュニティができつつあるところに、おじゃましました。夜の談義は、静岡おでんを囲んでの語らい、音楽でした。たたらさんのお母さんにも大変お世話になりました。

いつも静岡市でコーディネートしてくださる生涯学習課の日野さんによって、めだか屋さんに出会うことができました。ありがとうございます。
自立し、次世代と共生しながら人生の終活をするダガシヤ。高齢社会でスーパー・クールですね!

2011-08-20

人生いつでも大学生


かつて、戦後から高度経済成長をへて、約50年くらい、私たち日本人の一般的な人生の共通イメージは、高校から、できれば大学に入学して、60歳までの終身雇用の会社に就職して、結婚し、家を建て、安定した生活を過ごす。というイメージでした。
よい悪いの是非は別にして、そのイメージはほとんど影が薄くなりました。
仕事は、人生の中で複数の職業につくことが一般的になり、不安定ゆえに、つねに新たに学ぶ必要性が出てきました。
前向きによい面でとらえると、受験の15歳、18歳の時に、不十分・満足ならないで、自分の能力を発揮できなかった人は、かつての安定社会では、路線が一生決まっていましたが、今は、どこからでも、自分の能力を新たに身につけ社会に何度でもトライするチャンスがある社会になった、ととらえたほうがいいでしょう。

すべては、悲観・否定ではなく、楽観・肯定でとらえたほうが、人生の道は開けていく可能性があります。
私も、社会人で大学院に入学し、「駄菓子屋の教育的意義」の論文をベースにまとめた本『駄菓子屋楽校』が発端となって、転職をして、人生の進路が現在に至っています。もともと、大学の時に、たくさんの分野の本を読みながら、自分の人生については、一度限りの人生なので、一つだけではなく、複数の仕事をしよう(賢治やウイリアム・モリスやベンジャミン・フランクリンなどのように、と夢見つつ、なまけものなので寝てばかりいましたが)と考えていたので、自分にとっては、自然な成り行きでもあります。

50歳になって、山形の大学に戻ってきて、今度は、私が、みなさんの、人生いつでも大学で学ぶことを応援する講座を開きたいと思い、まず、今年度後期、以下の講座を本学で開設してもらうことになりました。
http://www.tuad.ac.jp/plusart/program/artcommu/index.html
036 ウオーキングをよくする人、まちづくりに関わりたい人、まち歩きが好きな人、自分で地図をつくってみたい人など…
037 自分の特技でさらに人とつながりたい人、自分の持ち味をさらによく人に紹介できるようになりたい人、コミュニケーションの原理を学びたい人、自分の趣味でコミュニティづくりをはかりたい人など…
038 農業など自分で生産物をつくっている人、それを紹介したい人、何か売りたい商品がある人、営業・セールスマンでよりよく商品を紹介できるようになりたい人、自分を語るための書くこと・話すことをあらためて学びたい人など…
このイラストマップは、私のチュートリアル生が描いたものですが、だれでも、自分なりの見方・感じ方で、自分の地域を描くこともできます。まち歩き地図づくり講座は、各人こんな地図を描くことができるようにします。

もはや、これからの社会では、ますます、だれもが一生の中で、何度でも、どこの大学の講座で学んで、それを自分の新たな仕事づくりや生活や人生に生かしていくような、平行学習社会になります。
みなさんも、新たな未知の可能性を発掘するために、活用されてみるのもいいと思います。
もし、私の講座に関心ある方は、本学生涯学習プログラムに問い合わせてください。
また、こんな講座を受けたいという希望もどうぞ。
県外の方で、夏休みや正月休みなどで、山形に来て、滞在型の集中講座を受けたい! という方は、そのような希望提案もどうぞ。
成人講座の醍醐味は、私たちが小学校から大学まで受けた教育のスタイルのイメージと全く異なる、それぞれ人生経験のある大人の学習ならではのスタイルと楽しみがあるということです。この成人教育のあり方は、今からの時代に「普通」になることですが、今はまだ発芽中のような段階のようです。その醍醐味も体験してみたい方は、どうぞ。
また、子どもの学校教育の教師になるには、きちんとした教職課程の専門制度ありますが、成人教育の専門資格制度はまだありません。
もし、みなさんの中で、そのような成人教育の技法やノウハウも経験していきたいという方も、いっしょに学び合いたいと思います。

人生は、生涯、楽しい勉強ですね。

2011-08-14

30点主義

人とつながり、だれかとともに活動をつくり出していくための心の持ち方の一つに、私は30点主義を、いつも心がけるように最近しています。
人はだれでも、100点をとりたいとめざします。自分だけの活動の場合は、そうでもいいのでしょうが、(私は自分だけの場合でも、70点主義でいっています。根が元来道楽で無理をしない・でできないからなのでしょう。)
ところが、共同で行なう場合には、自分だけが100点をめざそうとすると、我がぶつかり合うことになります。そこで、2人の場合は、自分半分・相手半分。つまり、自分は50点くらいの満足で、相手も同じく満足してくれれば、合わせて100点分になります。
3人の場合は、みな、33点分の満足。4人なら、お互い、25点分の満足となります。

30点というと、何とも物足りなく不十分・不本意に、自分自身は思えますが、集団活動の場合は、それくらいでちょうど。それゆえに、いかに、実のある30点にするか、そして、不十分な残り、70点を、だれがどのように補ってくれるのか、また、のちに、どのように今ならないことを、将来していくか、という、未来の70点への準備をしていくかが、たった30点でも、次につながり、広がる30点になると、私は思っています。

前期、長野県生涯学習推進センターと、熊本県生涯学習推薦センターで、講義とワークショップをしてきましたが、このことを語る時間がありませんでしたので、ここで、つまらぬ信条を補足する次第です。
長野県では3者の話し合い、熊本県では4者の話し合いを、あらためて実験してみました。
人間社会では、話し合いは、一番の活基盤になります。そこで、一人だけが自分の考えを100点めざして出そうとすれば、全体の話し合いは空虚なものになります。
いかに、みなが、全体の充実感(全員が100点以上の満足を得るには)、自分は自分の論の体系100点分の中から、30点くらいでちょうどよく、その30点分を、真剣に、その場の話し合いの中で最も有益な30点分を出していくことが、チームワークなのだと思います。
長野県でも、熊本県でも、実に、円滑に会話のパスワークをまわしながら、各グループで話し合いを充実なされていました。
話し合いは、何気なく、いつでも、どこでも行なわれていますが、それゆえに、それが創造的・成長的か、そうでないかで、人間社会・私たちの人生の活動は大きく異なっていくことのではないかと思います。
ちなみに、同じく県の生涯学習推進センターでも、長野県は、教員研修宿泊施設もある見晴らしが抜群の山ふところにあり、熊本県は、熊本城前のにぎやかな繁華街のど真ん中の老舗デパートの上の階に、他のセンターと複合してありました。
低迷する国内経済の活性化のためにも、互いの県の生涯学習推進センターで学び合う広域連携事業なども、今後、大いにあればいいのではないかと思います。
なにはともあれ、人生を豊かに生き合うのは、一つの統一理論ではなく、無数の人生信条の響かせ合いではないかと、私は考えているのですが…
みなさんの人生信条は、どんな「?」主義ですか?

2011-06-15

人もだれでもが地球上の花になる


ふと身のまわりを見渡してみると、何とたくさんの花があるのだろうか?
今日、自分が歩いたところに咲いていた花を数えてみると、いくつの花に出会ったのだろうか?
一体、この地球上には、いくつの花があるのだろうか?
どうして、こんなに、さまざまな花があるのだろうか?
なぜ、花を咲かせるのだろうか? 
一体、だれのために見せているのだろうか?

踏みつけてしまいそうな足元に咲いている花

コンクリートのスキマに生きて咲いている花

枯れそうになっていたのを、光を当ててもらい水やりをしてもらい目をかけてもらって咲いた花

大切に育てられて値段をつけられた有用植物の花

背は低くても太陽に向かってさんさんと開いた花

家族といっしょに住む庭に植えられている花

実はだれもが知っているけれども、その前の姿はそれを育てている人しか知らないかもしれない花
花の咲く時期はさまざま。
人も同じように、だれもがこの地球上の花になる。

(ぼくの花がさくのは、まだまだ先かなあ。)

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