松田道雄研究室

駄菓子屋楽校 ~愉快で,楽しく,どこからでも創造する生き方と社会づくりの活動記録~
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2011-08-31

思い出の夏の光

今日で8月も終わりですね。
みなさんは、この夏いかがでしたでしょうか?
たった今、毎月末締め切りの『社会教育』(全日本社会教育連合会)の10月号の連載、「発想する!授業」副題は、「生涯にわたって社会のいたるところで学ぶための方法序説」Lesson65を書き上げ送ったところです。
この長い副題は、『理性を正しく導き、もろもろの知識の中に真理を探究するための方法序説』(通称『方法序説』)という題名の本を著したルネ・デカルトに、長さだけまねしたものです。
何年か後には、できるだけ後世の役に立てるようなものに、まとめたいと思っています。
今号は、社会を教育で直に活性化させていくための方法論として、「駆けまわる経験主義学習論」のモデルを提示しました。
私からは、身近なこの夏の光を紹介します。

これは?!
なんとも抽象的なモダンアートのようなピンボケですが。山形市の花火大会を、悠創の丘から眺めてとったものです。ベンチには、仙台から来たという若いアベックの人が見ていました。

こちらは、今、大学キャンパスの夜、毎年恒例のライティング・オブジェの作品群が光っています。
夏の思い出の光になるようですね。

2011-08-29

駄菓子屋的芸術論


私が駄菓子屋を研究したことから、現代社会やまちづくり、新たな活動や若者の教育などに発展応用できること(アイデアのヒント、着想の種)は、たくさんあります。それらは初版『駄菓子屋楽校』に、てんこ盛りに入れ込みましたが、そもそも、教育者や研究者や商売人はいても、活動家という人はほとんどいないので、それらのアイデアは、まだ、眠っているものがたくさんあります。
この4月から、自分で書いたことは自分で実行していくことに心決めたので、着実に活動し始めています。
その中の新たな一つも、始めました。
種はすでにまいた活動で、芽が出てきた段階です。
それは、地域をフィールドワークしながら、現在のまち中から駄菓子屋的要素を見つけ出して、そこを何か生かすことができるかどうか、そこからなにか学ぶことができるかどうかを試みる活動です。
私が駄菓子屋に着目したのは、40歳前後ですので、今の20歳前後の大学生が、その意味性をすーっと感じることはなかなかできないでしょうが、小さな頃に食べた味が大人になってわかるように、今、体験しておくことで、のちにそれが何か影響されることがでてくるのではないかと思っています。
総合美術コース2年の、後期フィールドワークの授業の作品づくりの一つとして、地域を歩いて、自分なりの見方で見た世界を自分なりの表現で描くアートマップをつくります。そのフィールドワークを、9月の休み中にそれぞれ行なうように提示しました。
自分で自分の地域を歩いてもよし、他地域から来ている学生は、山形市内周辺なら私がおおまかに案内することにしました。
さっそく、先発3人組と出かけました。まずは、いつのまにか口コミで広がり、いつも昼前には売り切れるという、あんびんもちだけの小さな店です。翌日には硬くなるので、その日だけの賞味期限です。
店主のおばさんに尋ねると、もとは会計事務所に勤めていたけど、このような店をしたくてゼロから始めたそうです。もちのつくり方は、他のお菓子屋さんに教えてもらおうとしたけど、教えてもらえなかったので、自分で独学でつくり始めたとのこと。
おばあちゃんや大人にとっての駄菓子の役割。そして、個人経営で自力で営み、自分のできる範囲で行なうこと。それらからも、駄菓子屋マインドを見い出すことができます。
そして、人間と人間としてのつき合いによって、こちらの店にも、学生が何か、モノ(小作品・小商品)を置いてもらう相談もできまました。
店の看板もおばさんの手づくりだそうです。

次に、どら焼きで有名になった老舗のお菓子屋さん。それから、明治時代の県庁(文翔館)を自分たちで見てまわり、近くの「高校生の駄菓子屋」に集合しました。駄菓子屋的居場所は、年代によって変わります。
子どもにとっての駄菓子屋を、若者から大人までみんなが見る必要はありません。重要なのは、その視点で見直すと、それぞれ、自分たちにとっての駄菓子屋的場所は、どこなのだろうか、それらがなければ、それぞれに応じて、再生する試みをしてみよう、ということだと思います。
その点で、高校生にとっての駄菓子屋が、新たにここにできていました。
どんどん焼き。岩手出身のミホさんも、仙台出身のミチルさんも、アリサさんも、初めてとのことでした。

この店の駄菓子屋的特徴のさいたるところは、ポストイットに、自由に落書きをして、貼られているところです。これは、以前にもブログで紹介しました。
そこで、自分たちもかいていこう、と提案したら、何とまあ、表現をメインに学習している美大生は、たいした集中力で感心しました。


私が、今回の小さな旅で、最も感じたことは、この笑作品です。これは、まったくの大作や、正規の授業の作品ではなく、まさに、駄菓子屋的作品ですが、自分の技量で、わずかな手間で小さな安価でだれかをほっとさせたり和ませてくれる作品をつくって他者にその心を与えることができることこそ、普通の活動とともに、あったらいいなと私が思う駄菓子屋文化的活動です。
さっそく、このどんどん焼き屋さんで、この駄菓子屋的らくがきアート展を提案したところ、店主のおばさんも大賛成してくださいました。
後期、10月あたりに、軽くやってみますか。

最後に、もう一軒。おじいさんのせんべい屋さん。私もひさしぶりに訪ねました。手づくりでせんべいを焼いています。小麦粉と砂糖で焼く、九州から伝わったというせんべいです。大正時代からの二代目で、もし、このおじいさんがやめれば、この店もなくなってしまいます。スーパーやコンビニができる前、40年ほど前は、山形市内にも、かりんとう屋や、せんべい屋や、あめ屋など、八百屋や魚屋と同じように、たくさんの個人商店がありました。駄菓子屋もその中の一つです。
個人商店文化は、もうなくなっていくのでしょうか?
そして、みな、組織社会文化の中で、サラリーマンになるのでしょうか?
個人の創造性を表現しようとする芸術活動の基本は、組織文化以前の個人商店文化に共通の土台があるのではないかと思いますが、それも、個人商店的芸術ではなく、組織文化的芸術に、しらずしらず変容しているのかもしれません。
科学なども同じでしょう。
ここ、すみたやさんには、たくさんの焼き印があり、それを見せてもらいました。

そうそう。ここに、私があつらえた焼き印もありました。私が人生勉強の座右の銘にしていることば(半分造語)です。これをせんべいに焼いてもらって、私は、このせんべいを人生勉強の「教科書」に用いています。
みなさんのところでも、人生勉強の教室を開いた際には、私がうかがうときに持参するのは、この「食べ合う教科書」です。

駄菓子屋文化の未来社会と自分の人生への意味合い。
現代の女子大学生には、どこまで感じてもらったかわかりませんが、私が駄菓子屋文化体験で伝えたいことは、大きな組織社会が機能しなくなったり、自分が一時的に順応できなくなったときに、大きな組織社会にたよらずとも、個人対個人の創意工夫した思いやる関係性づくりの中で生きていくことができる「もう一つの生きる力」です。それは、現代社会では、非常用電源的な意味合いしかないようにも見えますが、じつは、こちらこそが、最も生きる根源的な力ではないかと、私は考えています。

2011-08-26

駆けまわる経験主義

今日で、ほぼ前期の通常授業が終了しました。5月から始まった授業で行なってきたことが、今週も、次々に展開して、私が担当する分野フィールドワーク論の学習成果のような状況でもありました。
初版『駄菓子屋楽校』(新評論、2002年)に、かつて、教室の中を「這いまわる経験主義」とひやかされて消滅した、戦後の経験主義教育論を、社会の場さまざまな場と教室をネットワークとしてダイナミックに創造的につないでいく「駆けまわる経験主義」と提示した概念を、いよいよ、専門職として実践して、「人間活動論」という新たな学問領域を創出していく事例が、次々にわきおこってきたということが言えます。
(そこでの私の役割は、コトと人と技術とモノをつないでいく、花粉媒介者:ポリネーターです)。

8月23日(火)10月13日〜18日まで、山形市の十字屋デパートの特設会場で本コースが企画展を総合プロデュースさせていただくことになり、1年から3年までの代表メンバーが、現場の会場視察と担当者うちあわせをしました。
一般市民が利用する消費空間、デパートで、本コースの総合展示・共同開発商品販売を、本コース学生が総合力で行なう学習が、後期初めにすぐあります。

山形市内でも最も人通りのある通路のショウウインドウも、広報のために関連してディスプレイすることになりました。
翌日の授業では、学生たち自身でこの企画運営のための会議が開かれ、我々教員は、たちまち見えない日陰の存在になりました。

8月24日(水)この日は、前回ブログで紹介した、しめ飾りの最終見本検討会と、その後、スイカの箱のデザイン修正検討を、ダンボール会社、版下会社、インク製造会社の担当者が来訪されて、学生もその交渉現場を参観しながら行いました。まさに、企業の社会実習の場が教室で行なわれた感です。実社会では、計画通りにきれいごとにコトはなりません。いかに、修正・交渉・改善・新生していくか、の絶えざる反復です。
8月25日(木)
東根市のお菓子屋さんが、スイカスイーツの商品見本を昼に持参し、十字屋デパート販売に向けて、とりあえずの包装デザインを、ドームハウスのプレゼンデザインの中から使用させていただきたいと、検討しました。蓄積しつつあるデザイン群も、貯蓄資本として、いろいろ活用することができつつあります。

この日の夜、プロジェクトルームで、書道を習っているハルカさんが、ひたすら習字をしていました。十字屋デパートでも展示販売する、中山町商工会が企画した、スモモしょうゆのラベルデザインの商品名の題字です。

一体、何字、書いたのでしょうか?
翌日、その膨大に生み出された文字の中から、一つが選ばれていました。ラベルデザイン会社への入稿作業も、教員指導のもとで学生が行います。

8月26日(金)この夏、本コースがデザインした、ドームハウスと箱のご縁で、スイカ結夏の生産者尾崎さんとスイカドームの藤井さんが、お昼トラックにスイカを積んで来校してくださいました。今週で、スイカの収穫も無事、終わったそうです。
来年は、東京の高級スーパー、関東のスーパーなどからの直接取引の依頼も生まれ、来年のさらなる共同展開が大いに楽しみになってきました。まさに、あの時の「困った!」コトが、災い転じて福となす。次の展開にステップすることができたのです。決してあきらめず。すべてに感謝。スイカの枝葉と実のように、これからも、どんどん社会に広がっていくことでしょう。
学食で、急遽、即興のスイカ展示とふるまいの場が生まれました。学生のみなさんの即興的な場づくりができるふるまいも立派でした。
尾崎さんは、スイカをたたいて、おいしいスイカの見分けかた実演も。来年からの年中行事にもなりそうですので、来年のスイカアートカフェは、どんな風になるのか、今から楽しみです。

あんなに大きな、あれだけたくさんのスイカを持参提供してくださり、私たちがありがたいばかりなのですが、尾崎さんからも帰りに、ご縁のおかげさまで楽しかったと感謝されました。
一体、この互恵関係はどのようなからくりなのでしょうか?
この関係原理こそが、新たな共生社会をつくり出していく理論の核心です。
これが、チームの中での私の専門担当分野の役割・仕事です。後期には、これらの事例を題材に、その原理(人間活動論)も講義で明かしていく予定です。
ここでは、私の立場から見た、今週の仕事(授業)風景を紹介してきましたが、それ以外にも、来訪者との別の打ち合わせや個別学生対応もさまざまあり、また、別の先生方は、専門実技指導や講評会などにあたられていました。

岡田先生、花澤先生、齋藤君、講師の先生、大学スタッフの方々、学生のみなさん、実社会のみなさま、前期チームワーク、まことにお疲れ様でした。ありがとうございました。

明日から、2年生後期フィールドワーク論に向けた山形めぐり実習を開始します。

2011-08-24

2012年賀正・祈りの形


大震災によってJR復旧しない山形に3月31日の夜に着き、4月1日から東北芸術工科大学に勤務して、ゼロから人づき合いを始めて、私の研究室への最初の訪問者になってくださった、尾花沢市でしめ飾りをつくられている猪俣商事さん。
その猪俣さんから、まったく今までのしめ飾りの概念を超えた、斬新な発想のしめ飾りを、東北の未来への復興をも祈って考えてもらいたい、という、私の役割である、本コースへの最初の依頼があってから、しめ飾りのつくり方もフィールドワークし、何度もやりとりをして、ようやく、最終段階の見本を、今日、猪俣さんが持参しての検討会をしました。

総合美術コース3年生で、このしめ飾りデザインに挑戦したのは4人。合計で60もの基本形のアイデアスケッチから、最終的に猪俣さんが選んだのは、アイさんの3つの基本形です。これに職人のおばあさんたちが装飾をして店頭販売する案を持参してくれました。アイさんの3つの作品は、それぞれに、音・匂い・動きというテーマで、祈りを形づくったとのことです。
ここから、さらにデザインに磨きをかける検討です。まず、猪俣さんが持参されたのが、今生育している稲穂。これをどのように、どのくらい配置するか?

さらに、巻く紙は何色のどのような紙にしたらいいか?…。いろいろ、こまかなところを吟味していきます。こうして、今日の検討で最終改善をした商品見本を、翌週かその後、県外外のスーパーのバイヤー(仕入れ担当者)に、猪俣商事さんが持参して、商品提案・商談してくるそうですが、そこに、我々学生も同行して立ち会って説明の補足をしつつ、商品開発と流通の現場も実体験で学んできます。
生産者の猪俣さんがOKを出しても、仕入れて消費者に販売する店が採用しなければ、商品にはなりません。道のりはまだまだ続きます。商品の契約がなれば、次に、店頭に並べてくれる店に、この商品を説明するPOPをつくります。
これらも、すべて、この4人が最後まで、2012年賀正しめ飾りプロジェクトとして、行ないます。
東北の若者(美大生)による、人々の生活の復興と自分たちが生きる新たな未来への祈りを形づくった商品開発の学習。もしかすると、その後、50年、100年、500年後まで、発展継承されていくかもしれない、新たな未来への人間の文化創造の試み。着実に前進しています。
夏の余韻もまだある今、さまざまな生産現場では、この冬の商品づくりが真っ盛りです。
私たちは、未来を祈りつつ、未来を創造していきます。
みなさんのところの店でも販売してもらいたい、という要望があれば、
http://www.shimekazari.net/
(有)猪俣商事(山形県尾花沢市)さんに、問い合わせしてみてください。

2011-08-22

心の形?


山形では、夏の畑も終わり、秋冬の白菜などを植える畑の耕しの時期のようです。畑の衣替えといった感じです。
そんな夏の畑の終わりに、「賢治の駄菓子屋」に降りていくと、なんと、巨大な黒光しているズッキーニが置かれていました。
置いたのは、前田さん。彫りモノをするといい、と語りました。
この夏の収穫を、天に感謝するかのような、小さな神事のような造形です。
感謝、祈り、畏れ。これは、宗教や芸術以前の人間の原初の心性によるものではないかと感じました。
熱心な宗教の信者でもなく、芸術家でもない、私が、何気ないこの置物に、何か、心感じるものがある、その感じるものとは、どのような心なのか、自分で自分の心を探求しようとしても、なかなかわからないものです。
みなさんは、このような感情体験はありませんか?

2011-08-21

こんな教師もいるんだなあ


一週間のお盆休みも終わり、明日から授業が始まります。前期終了まで、もう少しあります。
現在は、企業も行政も教育現場も組織社会はどこでも、職員の勤務自己評価などがあります。また、教育現場では、学習者(学生)による評価もあります。何でも、なにかすれば、評価評価とつきまとう世の中になっています。メタボの検査などの健康評価もどんどん増えていきます。きっと、これから、もっともっと増えていくことでしょう。

さて、4月から山形の大学に勤務し、自分の専門担当で、ゼロから活動を生み出しながら、働いてきて、自分なりの仕事の自己評価を端的に示す写真を1枚と言われたら、これをあげます。
「一体、なんだ!これは?」と思われることでしょう。正式な大学の教員自己評価にも、この写真を載せることはありえないでしょうが、これこそ、私の現在の仕事の独自性を端的に表す1枚です。
6月16日、本コースでペイントすることになった尾花沢市のドームハウスの下見にフィールドワークした時に、ドームハウス壁画の次に思い描いた、スイカの箱のパッケージをデザインしたいスイカ農家がいるかどうか、頼んでいたら、箱を必要とする農家の方がいるというので、そのまま、スイカ農家の畑に行って、大学の公用車の後ろに積んでいた、学生のドームハウスのデザインのプレゼンボード7枚と、既存の農産物のダンボールを、実際に農家の方に、その場で見せたところです。
農家の方は、学生のデザインに感動して、即、スイカの箱のデザイン受注が決まりました。
その経過と成果は、これまでのブログに紹介した通りです。
スイカ農家の方は、本学にまだこられた時はありません。当然、美大生の制作や作品も見たことがありません。美大生も、作品は美術館やギャラリーに展示するものなので、スイカ農家の方のところに行くこともありません。
これまでは、同じ地球上に住んでいながら、両者は別々の世界に生きていて、出会うこともありませんでした。
美術科に美術をしない教員がいて、学生の作品を大学の公用車につけて、農村をまわって見せて、商談をとる。
単にミュージアムのクルマが地方をまわって巡回公開するのではなく、両者をドッキングさせる新たな学社連携の共同事業をおこす。
ちょうど、クルマの移動八百屋さんが村をまわっていくような感じですが、フィールドワーク・社会関係論の教員として、私は自分で実践事例をつくってみせて、そのノウハウと背後の論理を学生に教えていきながら、次は学生もともに活動し、後に、将来、自分ひとりで、このような社会関係をつくり出していくことができるようにすることが、私の教員としての役割です。
ということで、東北芸術工科大学という名前が書かれたクルマで、学生の作品をのせて、いたるところ営業する。
クルマで地方をめぐって料理をするテレビ番組もありますが、こちらは、アート版です。
こんな風変わりな教師もいるんです。そんな役割の教師を採用してくれた大学も、また風変わりなのか、どうなのか?
その成果は、これからです。

かつて、松下幸之助も、大八車に自室でつくった二股ソケットを積んで営業をしました。
その昔には、近江商人が全国、山形などにも来て、モノ売りをしました。「相手よし、自分よし、世間よし」の「三方よし」は、社会関係の基本原理でしょう。
「生産者よし、学生よし、消費者よし」の「三方よしのアートデザイン」を生み出すべく、明日からも、もしかすると、そこいらにフィールドワーク・アンド・セールスしているかもしれません。
もし、自分のところにも来てほしい、という方がいらっしゃったら、お声かけください。
シルクロードや大航海時代、人類の歴史と発展すべては、壮大な交易の産物です。
活動の果実を生むために、ブンブンと花粉媒介者(ポリネーター)として、私も飛び回りたいと思います。

  松田道雄 dagashiyamatsuda@gmail.com

2011-08-20

人生いつでも大学生


かつて、戦後から高度経済成長をへて、約50年くらい、私たち日本人の一般的な人生の共通イメージは、高校から、できれば大学に入学して、60歳までの終身雇用の会社に就職して、結婚し、家を建て、安定した生活を過ごす。というイメージでした。
よい悪いの是非は別にして、そのイメージはほとんど影が薄くなりました。
仕事は、人生の中で複数の職業につくことが一般的になり、不安定ゆえに、つねに新たに学ぶ必要性が出てきました。
前向きによい面でとらえると、受験の15歳、18歳の時に、不十分・満足ならないで、自分の能力を発揮できなかった人は、かつての安定社会では、路線が一生決まっていましたが、今は、どこからでも、自分の能力を新たに身につけ社会に何度でもトライするチャンスがある社会になった、ととらえたほうがいいでしょう。

すべては、悲観・否定ではなく、楽観・肯定でとらえたほうが、人生の道は開けていく可能性があります。
私も、社会人で大学院に入学し、「駄菓子屋の教育的意義」の論文をベースにまとめた本『駄菓子屋楽校』が発端となって、転職をして、人生の進路が現在に至っています。もともと、大学の時に、たくさんの分野の本を読みながら、自分の人生については、一度限りの人生なので、一つだけではなく、複数の仕事をしよう(賢治やウイリアム・モリスやベンジャミン・フランクリンなどのように、と夢見つつ、なまけものなので寝てばかりいましたが)と考えていたので、自分にとっては、自然な成り行きでもあります。

50歳になって、山形の大学に戻ってきて、今度は、私が、みなさんの、人生いつでも大学で学ぶことを応援する講座を開きたいと思い、まず、今年度後期、以下の講座を本学で開設してもらうことになりました。
http://www.tuad.ac.jp/plusart/program/artcommu/index.html
036 ウオーキングをよくする人、まちづくりに関わりたい人、まち歩きが好きな人、自分で地図をつくってみたい人など…
037 自分の特技でさらに人とつながりたい人、自分の持ち味をさらによく人に紹介できるようになりたい人、コミュニケーションの原理を学びたい人、自分の趣味でコミュニティづくりをはかりたい人など…
038 農業など自分で生産物をつくっている人、それを紹介したい人、何か売りたい商品がある人、営業・セールスマンでよりよく商品を紹介できるようになりたい人、自分を語るための書くこと・話すことをあらためて学びたい人など…
このイラストマップは、私のチュートリアル生が描いたものですが、だれでも、自分なりの見方・感じ方で、自分の地域を描くこともできます。まち歩き地図づくり講座は、各人こんな地図を描くことができるようにします。

もはや、これからの社会では、ますます、だれもが一生の中で、何度でも、どこの大学の講座で学んで、それを自分の新たな仕事づくりや生活や人生に生かしていくような、平行学習社会になります。
みなさんも、新たな未知の可能性を発掘するために、活用されてみるのもいいと思います。
もし、私の講座に関心ある方は、本学生涯学習プログラムに問い合わせてください。
また、こんな講座を受けたいという希望もどうぞ。
県外の方で、夏休みや正月休みなどで、山形に来て、滞在型の集中講座を受けたい! という方は、そのような希望提案もどうぞ。
成人講座の醍醐味は、私たちが小学校から大学まで受けた教育のスタイルのイメージと全く異なる、それぞれ人生経験のある大人の学習ならではのスタイルと楽しみがあるということです。この成人教育のあり方は、今からの時代に「普通」になることですが、今はまだ発芽中のような段階のようです。その醍醐味も体験してみたい方は、どうぞ。
また、子どもの学校教育の教師になるには、きちんとした教職課程の専門制度ありますが、成人教育の専門資格制度はまだありません。
もし、みなさんの中で、そのような成人教育の技法やノウハウも経験していきたいという方も、いっしょに学び合いたいと思います。

人生は、生涯、楽しい勉強ですね。

2011-08-18

まだ実現ならない、だがしや楽校とは?


だがしや楽校という活動を10年ほど前に始めて、その後、現実世界における、私が思い描いただがしや楽校は、世界中のみなさんが、それぞれのイマジネーションで行なってもらいたいと思い、私自身はやめて、考えと思い(思想)は、本に表現することにしました(『駄菓子屋楽校』など)。
その後、全国各地のみなさんが、本を読んでくださり、問い合わせがあったり、みなさんのところで行なわれたりなされています。
今も、このブログを読んでくださる方々から応答をいただき、世の中に種をまくと、どこかそこかで芽が出て、どなたかが育ててくれたりしてくださると感じます。
最も、よく尋ねられる「だがしや楽校とは何か?どのようにするのか?」という問いへの返答として、ひとまず、ここで、次のように述べておくことにします。
だがしや楽校3か条です。

私自身が行なった、だがしや楽校は、私自身、そして、これに参加する人が、みな、立場や職業や仕事を超えて、一人の人間としてつき合い合う創造的な場は可能か?という問いへの試みです。
抽象的には、自分の生き方と社会のあり方を問い詰める活動の原型体験をしたい、という哲学的な体験です。

具体的には、それは、子どもの遊びからの進化系です。大人が個人の余暇の自立して自己責任による「遊び」として、その場に集い合う。これを第一の基本に私は考えました。それゆえに、当時、中学校教師・大学院生だった私も、これは、職場から離れた、一人の市民・人間としての自己の遊びの延長として、行ないました。
もし、これが、自分の仕事の一部、授業、イベント、役職や会合として、行なえば、他の方は、対等な立場で参加することはできなくなります。
また、そのような仕事の一部としてしている場合は、仕事でないときにはしないことになるので、「えっ、だがしや楽校していないんですか?」と、他者は拍子抜けをくらってしまいます。
残念ながら、これは、簡単そうに見えて、最も大人ができないことでもあると思います。
その意味で、私が知っている、だがしや楽校で、最も当事者の人間存在の遊びとして、毎月定期的に、だれもこなくても行なっている、だがしや楽校は、東北芸工大前の公園で東海林さんが行なっている、らくがき・だがしや楽校でしょう。
この意味性では、だがしや楽校の共感性を探すのは、個人が職場や仕事と離れて、何か社会の場で開いて自立的にだれかと定期的に行なっているような活動です。
そうでない場合のだがしや楽校は、正確に言えば、
だがしや楽校の手法を生かした〜。ということになるのでしょう。

次に、最低異なる次元・要素・人が混在する「小さな世界」をつくる、ということです。
私が最初に試みたときには、大学は、1つではなく2つにチラシ置く。文系と理系、体育系とアート系など、異なる分野が共存するようにする。高齢者にも声かけて、子どもと若者と大人と高齢者の4世代が共存する場にする。日本人と外国人がそこに集う。そのために留学生会館に行って、個別にチラシを渡しました。子どもの遊びとともに、大人の仕事の部分もある。ボランティアと商売が混在する。教育学者、民俗学者、人類学者、経済学者、政治学者、社会学者、心理学者など、複数の異なる専門の学者が語れる…
そのような、「小さな世界」「小さな地球」をつくろうとする私自身は、最も中立的な空気のような存在でなければなりません。
これまで見渡してみて、私の役割をしようとする人は…?
よく、コーディネーター養成講座のようなことが、行政でよくありますが、最も、有効なコーディネーター学習は、これでないかと思います。
コーディネーターとは、まったく異質の人を集めること、未知の人を出会わせること、新たなことを生み出す人です。私の身の回りでは、まだ、この人はコーディネーターだね、という人には出会ったことがあるかなあ?

最後に。この活動自体も遊びとして、いろいろ同時に異なる条件や場で試みるということです。学問にしても、あらゆる知的好奇心は、比較体験です。
私がだがしや楽校をした時には、駄菓子屋のある公園とともに、駄菓子屋がない公園でもしてみました。第2土曜日をだがしや楽校にしたら、第4土曜日を、公民館でのてらこや楽校と名づけた集いもしました。
外のだがしや楽校だけでは、自分の屋台に来る人との流動的なやりとりで、じっくり語り合ったり、教わったり、学んだりということには不向きです。そこで、公民館の中でじっくり遊び学びつくり合う場も、平行して実験しました。こちらは、現在、高齢者や主婦のみなさんなどが主に、元木公民館で、おしゃべり手芸の会として、一つのテーブルを囲んで、異なる技芸を学び合いながら、語り合っています。
だがしや楽校は、その形式だけが単独に存在するのではなく、補完し合う形式と共存することで、効果と意味性が出てきます。コミュニティの場づくりを考える際の基本になります。
さらに、だがしや楽校やてらこや楽校でもできないこともあります。それは、実際に大人の働く現場に出向くことです。人を集めるのではなく、こちらから、いろいろな人がそこにいるところに出向く。ワークツアーズと称した、体験ツーリズムも実験して行いました。
残念ながら、だがしや楽校を語る方で、このようないろいろな比較体験をして、その意味性を広く考えようという方もまだいません。
また、自分の職場や仕事にも生かすことも必要です。私の場合には、中学校の授業で、国際交流の集いをだがしや楽校形式で行なったり、PTAの方々の職業をだがしや楽校形式で体育館で体験し合ったり、経済の体験学習を行なったり、という試みもしました。さらには、隣家の畑に隣接する校庭で畑を耕し、ちょうど、駄菓子屋のおばあちゃんと子どもの共生関係性を、学校でもさりげなくつくろうと試みたり。
このような職場への応用は、企業などさまざまな現場でも生かすことができます。(具体的なアドバイス提案もします。)

だがしや楽校と名乗る必要もなく、その心と形を生かすことは、無限にありますが、そのように愉快に創造的に活動なされている方は、いらっしゃるでしょうか。
私自身は、まだ、そのような方には、出会っていないように思います。
私の感性と共感なる方とは、きっと、のり蔵さんのスイカドームを見て、「愉快な未来の村の駄菓子屋のようだねえ」と感じてくれる方かもしれませんし、畑を「賢治の駄菓子屋」と名づけても汲み取ってくれる方でしょう。
(もちろん、人それぞれの感性の集合体が世界なので、異なる感性もたくさん見せてもらいたいと思います。)

いずれにしても、だがしや楽校は、まだ、始まったばかり、と言えますね。

2011-08-17

ダメージを受けつつ生きる


この夏、私が最も打撃を受けたことは、「賢治の駄菓子屋」で、初めて、種から育てて目をかけながら世話をして、もうまもなく収穫できて、みなに分けっこできるかな、と思っていた、ちょうどその時期に、それをみすかすように、カラスが、2うねのトウモロコシの実をすべて、食べちらかしていた風景です。(カラスのしわざとわかったのは、次の日に来てみたら、「どうだ、まいったか」と言うようななき声で、竹棒の上にいたのでわかりました。)
4月にこの大学に着たとき、道路で、カラスがクルマにクルミを割らせていた光景を見ました。(ブログに書きました)
畑を借りた日、キジとカラスが、ここはおれの土地だと言わんばかりに、顔を出していたのを思い出します。
それいらい、あまり目にしませんでしたが、私にトウモロコシを育てさせて、じっとうかがっていたのでしょう。
やっぱり、私より頭がいいんだと、妙に感心しました。
村長さんに言うと、農家の人もやられるとのことでした。
むざんなトウモロコシ畑をながめながら、カラスができなくて、人間しかできないこともできたら、とも思いました。その時、雑誌で、トウモロコシの皮でつくった人形を見たのです。
しかし、残念ながら、私には、そのアートの手わざも時間のゆとりもありません。

アマゾンでは、最も強い動物から、森のおいしい果実を食べ、最も弱い人間は、どの動物も食べない毒いもマンジョーカを、水さらしてあくぬきして食べ、その汁を調味料にまでするということを、アマゾン民族館で以前見たことがあります。
人間は、何かかにか自然の中でしようとして、必ず災害や他の動物からなどの思わぬことなどで、打撃を受けます。常に、多かれ少なかれダメージを受けつつも、それでも、また、なにかかにかしようとしていく…、これがよいか悪いかわかりませんが、人間の特徴のように思います。

私は、絵も描けません(かけば描けるのかもしれませんが)。時々、夕方、そこに居合わせた学生に、「賢治の駄菓子屋」から収穫してきた野菜を分けます。私にとっての他者に気軽に分けっこできる、自分が手がけた駄菓子的贈与物です。その際、学生には、時折、社会で生きていく力として、自分のアート(技芸)でも、手軽に駄菓子や野菜のように、他者に分けっこできるものを作っておこうと、提案しています。
なすが、3つとれたら、全部自分で食べずに、だれかに、分ければ、相手は、なすでない、何かをお返ししてくれるかもしれません。もしくは、根源的にだれかに何かを与えたいという人間の存在論です(一方で、とりたい・得たいという所得欲求もあるので、そのバランスの葛藤が人間の存在論です)。その微妙な人間関係づくりと存在論が、アルバイトや就職といった大きなマネー経済の外側にある、隠れてしまった人間関係経済の原理です。
どこの大学でも、経済学部でも、この生きた経済を教室で学ぶ科目はないでしょう。
しかし、このことこそ、生きていくための基本学習だと私は思っています。何年か後には、大きな思想書にまとめていきたいと思います。次世代のために。
ところで、この写真は、その時に、わけた野菜を学生がテーブルに並べていたら、「あっ顔だ」と言いながら、並べかえたところです。

2011-08-16

足で生み出す


今日、お盆にどれくらいの賑わいで、どんな反応だったのか、尾花沢市のスイカドームに、フィールドワークに行きました。
途中、尾花沢市徳良湖を過ぎた道沿いで、おばあさんが2人、日陰で休憩していました。カゴメトマトの契約栽培のトマト畑で、何とも、絵になる風景なので、写真をとらせていただきました。残暑の中、2人のおばあちゃんの笑顔が何とも、日本の未来をほのぼのとさせてくれる感じがしました。

昼休みに、銀山温泉のにぎわい状況も視察に行きました。かつての鉱山坑道ものぞいてみると、前で見ていた家族の男の子が、「3D見ているみたい」と歓声あげました。何とも幻想的な視覚空間です。

肝心のスイカドームの反応は? 東京などからの銀山温泉帰りの家族連れなどが次々と立ち寄り、ドームの前にのり蔵さんが機転をきかせて置いたベンチに座って、記念写真をとっていく人がたくさんいました。こちらも、絵を描いた建物は、確かに「絵になった風景」になったので、写真をとる人が多いのでしょう。
 あれあれ。ドアのガラス部分には、のり蔵さんのリクエストで、のり蔵さんが描かれました。この画材は、ガラスに描いて、さっと消すことができるキットパス(日本理化学工業株式会社)です。
 なかなか上手ですねえ。この画材に関心持たれた子どもとお母さんもいたようです。のり蔵さんは、カールおじさんを超えるキャラクターになる資質充分です。
スイカのほうも、好調に売れていました。特に、結夏のダンボールによって、贈答用のスイカが増えたそうです。


帰りに、生産者の尾崎さんからスイカ畑で、米ぬかで微生物を育てたふっくりした土を、ちょっとだけいただきました。微生物によって豊かになる大地。最も気になることがらです。
今日のフィールドワークでも、直接対面で、過去の事業の評価を肌で聞き取り、同時に、未来の事業創出の話もいろいろしました。つまるところ、何かことを行なうこと(事業)の評価と創出は、日常的な出会いの中でなされます。
営業担当者が細かに顔を出しながら世間話の中でも、事業の展開をはかるのと同じようなことでしょうが、「足で活動を生み出す」ことこそ、フィールドワークの原点でしょう。
10年後、このスイカドームは、どのようになっているのか、楽しみです。

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