雪がつもっている時期には、どこかで雪だるまを見かけます。だれかかれかが、何か形づくりたくなるのでしょうか?
雪だるまがあるところは、あらためて思うと、人がちょっと立ち止まるようなところです。
おおみそかの午後。
山形市内をながめるところにも、ゆきだるまがありました。
一瞬、私は縄文土器を連想する髪型ですが、つくった当事者は、きっと今のまわりの髪型を連想してつくったと思います。ということは、3000年前あたりの縄文人の髪型と今の女性の髪形は似ているところがあることになるのでしょうか?
偶然、ここで、液晶ディスプレイを研究しているという大学院生の人と出会いました。
ヒトは、カラスやクマとも異なり、さまざまな有形無形のものをつくり出し、どんどん発明・改良・進化させてきている宿命を持っています。
液晶ディスプレイは、今後、どのように進化していくのかも、ぜひ、聞いてみたかったと、帰り道に思いました。
みなさんは、どんなものをつくり出していますか?
お互いに、それを聞き合うような場も、新年はつくってみたいと思います。
昨日、真室川町の歴史民俗資料館で、のこぎりの技術革新を見てきました。
これは、歯を減らした窓のこという形で、歯を減らしたことによって、格段に木を切りやすくなり、その結果、これを開発した、この地ののこぎり製造の工場は、大正時代、全国から注文が殺到したそうです。
メイドバイ・マムロガワの製品が、全国に普及したことになります。
(続きは、いどばた楽校へ)
今日で、ほぼ前期の通常授業が終了しました。5月から始まった授業で行なってきたことが、今週も、次々に展開して、私が担当する分野フィールドワーク論の学習成果のような状況でもありました。
初版『駄菓子屋楽校』(新評論、2002年)に、かつて、教室の中を「這いまわる経験主義」とひやかされて消滅した、戦後の経験主義教育論を、社会の場さまざまな場と教室をネットワークとしてダイナミックに創造的につないでいく「駆けまわる経験主義」と提示した概念を、いよいよ、専門職として実践して、「人間活動論」という新たな学問領域を創出していく事例が、次々にわきおこってきたということが言えます。
(そこでの私の役割は、コトと人と技術とモノをつないでいく、花粉媒介者:ポリネーターです)。
8月23日(火)10月13日〜18日まで、山形市の十字屋デパートの特設会場で本コースが企画展を総合プロデュースさせていただくことになり、1年から3年までの代表メンバーが、現場の会場視察と担当者うちあわせをしました。
一般市民が利用する消費空間、デパートで、本コースの総合展示・共同開発商品販売を、本コース学生が総合力で行なう学習が、後期初めにすぐあります。
山形市内でも最も人通りのある通路のショウウインドウも、広報のために関連してディスプレイすることになりました。
翌日の授業では、学生たち自身でこの企画運営のための会議が開かれ、我々教員は、たちまち見えない日陰の存在になりました。
8月24日(水)この日は、前回ブログで紹介した、しめ飾りの最終見本検討会と、その後、スイカの箱のデザイン修正検討を、ダンボール会社、版下会社、インク製造会社の担当者が来訪されて、学生もその交渉現場を参観しながら行いました。まさに、企業の社会実習の場が教室で行なわれた感です。実社会では、計画通りにきれいごとにコトはなりません。いかに、修正・交渉・改善・新生していくか、の絶えざる反復です。
8月25日(木)
東根市のお菓子屋さんが、スイカスイーツの商品見本を昼に持参し、十字屋デパート販売に向けて、とりあえずの包装デザインを、ドームハウスのプレゼンデザインの中から使用させていただきたいと、検討しました。蓄積しつつあるデザイン群も、貯蓄資本として、いろいろ活用することができつつあります。
この日の夜、プロジェクトルームで、書道を習っているハルカさんが、ひたすら習字をしていました。十字屋デパートでも展示販売する、中山町商工会が企画した、スモモしょうゆのラベルデザインの商品名の題字です。
一体、何字、書いたのでしょうか?
翌日、その膨大に生み出された文字の中から、一つが選ばれていました。ラベルデザイン会社への入稿作業も、教員指導のもとで学生が行います。
8月26日(金)この夏、本コースがデザインした、ドームハウスと箱のご縁で、スイカ結夏の生産者尾崎さんとスイカドームの藤井さんが、お昼トラックにスイカを積んで来校してくださいました。今週で、スイカの収穫も無事、終わったそうです。
来年は、東京の高級スーパー、関東のスーパーなどからの直接取引の依頼も生まれ、来年のさらなる共同展開が大いに楽しみになってきました。まさに、あの時の「困った!」コトが、災い転じて福となす。次の展開にステップすることができたのです。決してあきらめず。すべてに感謝。スイカの枝葉と実のように、これからも、どんどん社会に広がっていくことでしょう。
学食で、急遽、即興のスイカ展示とふるまいの場が生まれました。学生のみなさんの即興的な場づくりができるふるまいも立派でした。
尾崎さんは、スイカをたたいて、おいしいスイカの見分けかた実演も。来年からの年中行事にもなりそうですので、来年のスイカアートカフェは、どんな風になるのか、今から楽しみです。
あんなに大きな、あれだけたくさんのスイカを持参提供してくださり、私たちがありがたいばかりなのですが、尾崎さんからも帰りに、ご縁のおかげさまで楽しかったと感謝されました。
一体、この互恵関係はどのようなからくりなのでしょうか?
この関係原理こそが、新たな共生社会をつくり出していく理論の核心です。
これが、チームの中での私の専門担当分野の役割・仕事です。後期には、これらの事例を題材に、その原理(人間活動論)も講義で明かしていく予定です。
ここでは、私の立場から見た、今週の仕事(授業)風景を紹介してきましたが、それ以外にも、来訪者との別の打ち合わせや個別学生対応もさまざまあり、また、別の先生方は、専門実技指導や講評会などにあたられていました。
岡田先生、花澤先生、齋藤君、講師の先生、大学スタッフの方々、学生のみなさん、実社会のみなさま、前期チームワーク、まことにお疲れ様でした。ありがとうございました。
明日から、2年生後期フィールドワーク論に向けた山形めぐり実習を開始します。
だがしや楽校という活動を10年ほど前に始めて、その後、現実世界における、私が思い描いただがしや楽校は、世界中のみなさんが、それぞれのイマジネーションで行なってもらいたいと思い、私自身はやめて、考えと思い(思想)は、本に表現することにしました(『駄菓子屋楽校』など)。
その後、全国各地のみなさんが、本を読んでくださり、問い合わせがあったり、みなさんのところで行なわれたりなされています。
今も、このブログを読んでくださる方々から応答をいただき、世の中に種をまくと、どこかそこかで芽が出て、どなたかが育ててくれたりしてくださると感じます。
最も、よく尋ねられる「だがしや楽校とは何か?どのようにするのか?」という問いへの返答として、ひとまず、ここで、次のように述べておくことにします。
だがしや楽校3か条です。
私自身が行なった、だがしや楽校は、私自身、そして、これに参加する人が、みな、立場や職業や仕事を超えて、一人の人間としてつき合い合う創造的な場は可能か?という問いへの試みです。
抽象的には、自分の生き方と社会のあり方を問い詰める活動の原型体験をしたい、という哲学的な体験です。
具体的には、それは、子どもの遊びからの進化系です。大人が個人の余暇の自立して自己責任による「遊び」として、その場に集い合う。これを第一の基本に私は考えました。それゆえに、当時、中学校教師・大学院生だった私も、これは、職場から離れた、一人の市民・人間としての自己の遊びの延長として、行ないました。
もし、これが、自分の仕事の一部、授業、イベント、役職や会合として、行なえば、他の方は、対等な立場で参加することはできなくなります。
また、そのような仕事の一部としてしている場合は、仕事でないときにはしないことになるので、「えっ、だがしや楽校していないんですか?」と、他者は拍子抜けをくらってしまいます。
残念ながら、これは、簡単そうに見えて、最も大人ができないことでもあると思います。
その意味で、私が知っている、だがしや楽校で、最も当事者の人間存在の遊びとして、毎月定期的に、だれもこなくても行なっている、だがしや楽校は、東北芸工大前の公園で東海林さんが行なっている、らくがき・だがしや楽校でしょう。
この意味性では、だがしや楽校の共感性を探すのは、個人が職場や仕事と離れて、何か社会の場で開いて自立的にだれかと定期的に行なっているような活動です。
そうでない場合のだがしや楽校は、正確に言えば、
だがしや楽校の手法を生かした〜。ということになるのでしょう。
次に、最低異なる次元・要素・人が混在する「小さな世界」をつくる、ということです。
私が最初に試みたときには、大学は、1つではなく2つにチラシ置く。文系と理系、体育系とアート系など、異なる分野が共存するようにする。高齢者にも声かけて、子どもと若者と大人と高齢者の4世代が共存する場にする。日本人と外国人がそこに集う。そのために留学生会館に行って、個別にチラシを渡しました。子どもの遊びとともに、大人の仕事の部分もある。ボランティアと商売が混在する。教育学者、民俗学者、人類学者、経済学者、政治学者、社会学者、心理学者など、複数の異なる専門の学者が語れる…
そのような、「小さな世界」「小さな地球」をつくろうとする私自身は、最も中立的な空気のような存在でなければなりません。
これまで見渡してみて、私の役割をしようとする人は…?
よく、コーディネーター養成講座のようなことが、行政でよくありますが、最も、有効なコーディネーター学習は、これでないかと思います。
コーディネーターとは、まったく異質の人を集めること、未知の人を出会わせること、新たなことを生み出す人です。私の身の回りでは、まだ、この人はコーディネーターだね、という人には出会ったことがあるかなあ?
最後に。この活動自体も遊びとして、いろいろ同時に異なる条件や場で試みるということです。学問にしても、あらゆる知的好奇心は、比較体験です。
私がだがしや楽校をした時には、駄菓子屋のある公園とともに、駄菓子屋がない公園でもしてみました。第2土曜日をだがしや楽校にしたら、第4土曜日を、公民館でのてらこや楽校と名づけた集いもしました。
外のだがしや楽校だけでは、自分の屋台に来る人との流動的なやりとりで、じっくり語り合ったり、教わったり、学んだりということには不向きです。そこで、公民館の中でじっくり遊び学びつくり合う場も、平行して実験しました。こちらは、現在、高齢者や主婦のみなさんなどが主に、元木公民館で、おしゃべり手芸の会として、一つのテーブルを囲んで、異なる技芸を学び合いながら、語り合っています。
だがしや楽校は、その形式だけが単独に存在するのではなく、補完し合う形式と共存することで、効果と意味性が出てきます。コミュニティの場づくりを考える際の基本になります。
さらに、だがしや楽校やてらこや楽校でもできないこともあります。それは、実際に大人の働く現場に出向くことです。人を集めるのではなく、こちらから、いろいろな人がそこにいるところに出向く。ワークツアーズと称した、体験ツーリズムも実験して行いました。
残念ながら、だがしや楽校を語る方で、このようないろいろな比較体験をして、その意味性を広く考えようという方もまだいません。
また、自分の職場や仕事にも生かすことも必要です。私の場合には、中学校の授業で、国際交流の集いをだがしや楽校形式で行なったり、PTAの方々の職業をだがしや楽校形式で体育館で体験し合ったり、経済の体験学習を行なったり、という試みもしました。さらには、隣家の畑に隣接する校庭で畑を耕し、ちょうど、駄菓子屋のおばあちゃんと子どもの共生関係性を、学校でもさりげなくつくろうと試みたり。
このような職場への応用は、企業などさまざまな現場でも生かすことができます。(具体的なアドバイス提案もします。)
だがしや楽校と名乗る必要もなく、その心と形を生かすことは、無限にありますが、そのように愉快に創造的に活動なされている方は、いらっしゃるでしょうか。
私自身は、まだ、そのような方には、出会っていないように思います。
私の感性と共感なる方とは、きっと、のり蔵さんのスイカドームを見て、「愉快な未来の村の駄菓子屋のようだねえ」と感じてくれる方かもしれませんし、畑を「賢治の駄菓子屋」と名づけても汲み取ってくれる方でしょう。
(もちろん、人それぞれの感性の集合体が世界なので、異なる感性もたくさん見せてもらいたいと思います。)
いずれにしても、だがしや楽校は、まだ、始まったばかり、と言えますね。
みなさんに、発想する視点を一つ提案します。
おとといの本学のオープンキャンパスは、過去最高に賑わいだったとのことでしたが、総合美術コースのワラを用いたワークショップのテーブルには、いろいろな1年生がつくったワラアートの小さな作品も、混在していました。
農村社会からはるかに離れてしまった現代の都市生活で生まれた若者にとって、ワラ細工は、まったく初めての体験だったと思いますが、いつの間に、空き時間でよくつくったと感心しました。
その中に、小さく、ペットボトルを包むワラ細工の断片が目立たなくひっそりとありました。
私は、それに目がとまり、これは、今年の節電の夏に、ペットボトルをつつむワラカバーは、最もおしゃれでエコグッズになると思いました。ペットボトルを手に持つ部分が自然なワラであったら、とても気持ちいいものでしょう。
本気で取り組めば、大きな需要が生まれるかもしれません。
明日の中心は、今日の周辺のどこかにひっそりとあります。
昨日は、最上地方に、副手の齋藤君の紹介でフィールドワークに行ってきました。クルマに乗りながら、何とまあ遠いのかと思いつつ、ふと、最上の山々に囲まれたところに点在する家々を見て、こちらの人にとっては、ここが中心であり、ここの人から見れば、山形に行くことは、何とも遠いと感じることでしょう。
人の立場と見方によって、どちらが、周辺か中心かは、相対的なものです。
相手の立場や、みなが共感できるものをつくり出していくには、自分にとって中心のものに合わせるのではなく、自分にとっては、周辺のことがらに着目しつつ、それを自分もふところ広く受け入れていくことができることによって、明日の未知の活動を生み出すことができると、私は考えています。
周辺反転理論から次々生み出される活動を、これからも紹介していきます。
みなさんも、実践いかがでしょうか?
あちこちとすることがふえてきて、手足頭が追いつかなくなってきました。梅雨に雑草があっという間に伸びるようにして、することも殖えました。
その中で、合間の時間で、寝ている時間以外は、スイカドームを、どのように変容させて発展展開させていくかを、思案しています。
みなさんなら、どんなアイデアが浮かびますか?
一つの芽生えが、社会の四方八方に展開する。思案しながら、さまざまな方面に打診しています。
どんな活動が生まれていくか、楽しみにしていてください。
30日まで、さらにじっくりと熟考します。
あらゆることがらは、内容・技術・対象・場所・人・素材…などを変えていくことによって、連動しながら変容していくことができます。
私の考えを大学生のみなさんが読んで考え、自分でも試行実践してみることができるような「教科書」としてまとめてみたのが、『関係性はもう一つの世界をつくり出す』です。
私という存在が、この世で生きることは、地球上のあらゆるモノ、人類がつくりあげてきたモノとの関わりとともに、人間どうしの関わりの総合的な営みによります。
通常、モノを相手にする原理は、工学などの理系学問が代表的です。これに対して、人を相手にする原理は、心理学などの文系学問が代表的です。
とかく、私たちは、分かれた学問をそれぞれに学んでいるように、モノと関わることと、人と関わることを、別々に分けて学んでいます。
しかし、…。実際の私たちの生活は、みな、一体として関わっています。
それらを、これまでの大学生との試みの事例なども踏まえて、まとめてみました。
総合美術コースでの私の実践は、この本が隠れた教科書になっています。読んでみたい人は、研究室「ブックカフェまつだなるど」にどうぞ。
この本の表紙の絵は、この春卒業した本学デザイン工学部生の馬飼野華恵さん。こども芸術関連の私の授業に受講した馬飼野さんが、手をあげて制作しました。
私が条件に出したのは、本の中味(私の考えをまとめたもの)を一枚の絵に、自分なりにとらえて表現してみること。
何度も、何度も、直しての作品でした。
実は、この表紙づくりの先行事例があります。
この本です。この本の中味(私の創造のための想像的試論)を、表紙に1枚の絵に表現してくださいと、山形市内の独立系デザイナーに依頼しました。
この時には、表紙の絵を見せて立てることができるよう、1冊ずつのダンボールの梱包も、開いて開けて折り返すと、写真立てならぬ本立てになるよう、ダンボール会社とも試作お願いしました。
文字通り、「絵になる本」がコンセプトでした。
文字の列記だけなら、iPadで、いいでしょう。とすると、本は、これから、ますます物質としての魅力づくりも付加した本づくりが必要になることでしょう。ここにも、アートの出番はありますね。
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