明日は、オープンキャンパスです。
総合美術コースは、3年生が中心になって制作した、石焼き芋や中華そばの屋台(と言っても学生のみなさん世代は知らないと思いますが)ならぬ、ワークショップの屋台が登場しました。どんなワークショップかと言うと…。
興味ある方は、立ち寄られてください。
自然の造形から触発されて、何かを生み出した、ということは、数限りなくあります。
人間が何か創造しようとした時、お手本になりそうなものは、身近になる自然がまず一番かもしれません。
数学のフラクタルから、デザインの三宅一生キャベツチェアから、自然から学ぶことはたくさんあります。
あなたは?
2月も今日が最後ですね。今年の大雪も、もう峠を越えたと思います。
今年は、雪だるまをそこいらで見かけましたが、雪で何かをつくっている学生を見かけました。
近くまで行ってみると、あの大きな木を取り囲むようにして、子どもの雪像を、2人の学生が熱心にまるでアトリエで制作するような態度でつくっていました。そして、その周りには、こども芸術大学の子どもとお母さんが取り巻き、ある子は、せっせと雪を学生(芸術家)に運んでくれていました。
久しぶりに見た、こども芸術大学の子どもと美大生の放課後の関わり風景でした。
夕暮れ時、子どもも美大生の姿もなく、雪の子どもたちが、環になって大きな木を囲んでたたずんでいました。
明日は、気温が高くなるそうです。雪の子どもたちは、どうなるかなあ。
山形市内も今日の朝には、数センチの雪が積もりました。
昼ごろ大学に行くと、楽しそうな笑い声が聞こえてきました。制作の合間の休憩でしょうか。
3人の学生が雪だるまをつくっていました。
今年は、どれくらい、どんな、雪の造形をそこいらで見ることができるのか楽しみです。
なんとも、雪国の美大ですね。
冬は、東京などの太平洋側は、からからの青空で東京から富士山も見える日が続きますが、東北の日本海側は、どんよりした雲と雪の日になります。
でも、昨日、今日は、山形も晴天で、大学から月山もきれいに見えました。
そんな中で、私自身の研究室の中味は、そこにいる自分自身の思いが、ふつふつと発酵しています。
知的好奇心の象徴としての「駄菓子屋」から、対話とアイデアの引き出しをめざす「喫茶店」に変容しつつあります。
前職の高千穂大学に勤務していた時に、最もよく読んだ本は、プラトン全集です。
そこに記されたソクラテスと相手の対話から、ソクラテスの哲学の方法論であった、産婆術(ソクラテスのお母さんは産婆さん。自分は相手の中にあるアイデアを対話を通して引き出す、と語っています)の実際を探りたいと思ったからです。
「ソクラテスのカフェ」という、フランスの哲学カフェの本がありますが、哲学カフェでは、愛とか正義とか、あるテーマで哲学談義をします。
でも、私の研究室は、あるテーマの談義ではなく(それもあってもいいですが)、この部屋に来室された、学生、社会人と対話をすることを通して、その人の中にあるアイデアを引き出してあげることができなないか、という、創造性開発の実践研究の場です。
もし、みなさんも、自分の中の考え(アイデア)を外に出してみたいという方は、どうぞ、お気軽におこしください。
どこまで、ソクラテスになれるかわかりませんが。
楽しく、アイデア談義をしましょう。
先日、来室された高校の先生とは、2人乗り自転車、ツーリズム、地元資源、出会いと創造性、… 四方八方に広がるアイデア談義をしました。
今日は、ゼミのオカンさんと、どんな創作をしたいのかから、個と多、きたないと美、…いろいろな二重性の思いを掘り下げました。
明日は、だれとどんな対話が生まれるのでしょうか?
アボガドの種を発芽させたことは、大学生時代から試みて、最長、私の背の高さ以上になりました。それは、以前の職場に置いてきたので、どうなったか…。
それまでは、種が成長しやすい春から初夏にかけての時期ですが、
冬に向かう今、なんと、種が割れて、根が出てきました。はたして、芽が出てくるでしょうか?
何でも、種は芽が出てきます。
だがしや楽校HPの管理人の小林さんのHP「食える種蒔き図鑑」をどうぞ。
みなさんも試してみてください。
今日で8月も終わりですね。
みなさんは、この夏いかがでしたでしょうか?
たった今、毎月末締め切りの『社会教育』(全日本社会教育連合会)の10月号の連載、「発想する!授業」副題は、「生涯にわたって社会のいたるところで学ぶための方法序説」Lesson65を書き上げ送ったところです。
この長い副題は、『理性を正しく導き、もろもろの知識の中に真理を探究するための方法序説』(通称『方法序説』)という題名の本を著したルネ・デカルトに、長さだけまねしたものです。
何年か後には、できるだけ後世の役に立てるようなものに、まとめたいと思っています。
今号は、社会を教育で直に活性化させていくための方法論として、「駆けまわる経験主義学習論」のモデルを提示しました。
私からは、身近なこの夏の光を紹介します。
これは?!
なんとも抽象的なモダンアートのようなピンボケですが。山形市の花火大会を、悠創の丘から眺めてとったものです。ベンチには、仙台から来たという若いアベックの人が見ていました。
こちらは、今、大学キャンパスの夜、毎年恒例のライティング・オブジェの作品群が光っています。
夏の思い出の光になるようですね。
大学のある敷地内で、アゲハチョウのきれいな幼虫を見つけました。
はじめ、一匹目が留まりましたが、なんと!よく見ると、いるはいるは。アゲハのハウスです。このアゲハの家は、ハーブのフェンネル。幼虫がせっせと葉を食べているので、茎ばかりのような状況です。
このフェンネル、5年前に、私が別のところに種をまいたのが出てきて、毎年、種がとんで、ここに自生していたようです。
アゲハチョウの家を提供したことになったようです。
アゲハの家に、何匹のアゲハが住んでいるのか、この写真で見つけられるだけ見つけてみてください。
そういえば、今日は、大学の建物のところで、長い触角の虫を見つけました。これは、カミキリムシでしたっけ?(ゴミブリじゃないですよね。)
身の回りに、たくさんの生き物がいっしょに生きているという感覚は、何やら、うれしくなります。このワクワク感は、生命体の本能から湧き上がってくるように思います。
夕暮れ時、アトリエから外を見ると、空が真っ赤に染まっていました。
あの一本の木のところで、夕焼けの写真をとっている学生がたくさんいました。
思わず、赤い空から誘われるようにして、悠創の丘にのぼりました。ここにも、アベックをはじめ、何人かが夕焼けを眺めていました。
手前の畑はすでに暗闇です。
また、明日、昇る日とともに生きよう!
かつて、高度経済成長期に、「上を向いて歩こう」という歌が大ヒットしました。
今、日本はそれと反対で、下を向いて歩くような気持ちの人がたくさんいるような状況です。
しかし、下を見ることは、悪いことではありません。自分の足元を見つめ、大地を見つめることこそ、そこに創造的な発見をするものです。
あれっと、思うことにもたくさん出会うでしょう。
上を向いて、生きる希望を抱きながら、下を向いても、生きる不思議さと楽しさを見つけていきたいものですね。ちなみに、このたんぽぽは、6月に見つけたものです。
おまけ。しゃがみこんだら、テントウムシとアブラムシにも出会いました。
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