研究室の机の足元と目の前の秘伝豆がにょろにょろと発芽しました。
土を押し上げて、葉を開こうとしています。
その部屋で、大学から見える西山の丘陵の中の三角山(富神山)をモチーフにふもとの菓子屋さんがつくっているサブレ(とんがり山サブレ)を
ぱくっ。
さくっ。
と、試食した2人がこれからしようとしている悪だくみではなく、善だくみは、その菓子屋さんが新たにつくった菓子のパッケージデザイン。もう1人参加予定です。
その店は、近所の人たちが買うことで成り立っている「地域の店」(コミュニティ・ストア)です。
新たな菓子の名前は、「陽だまり」。その地で生まれ暮らしている店主が「陽だまり」のイメージのもとになっている場所があります。
来週、その店と地域をフィールドワークして、菓子のパッケージデザインに取り組みます。その目標は、そのパッケージを通して、さらにその地域が生き生きしていく媒介物の一つになることです。それゆえに、ただ、図案を描いて終わり、ではありません。地域に参入して、その地域の活性に役立つフィールドアートとは?
冒険的企て(ベンチャー)が、一つ始まります。
今日は、本学のオープンキャンパスでした。1ヶ月遅れた授業開始から3週間たっただけの今日。美大のオープンキャンパスは、カーニヴァル的な賑わいでした。
私の役割は、3年生フィールドワーク担当が仕切った社会連携のフレームワークづくり。
モノ(素材)が登場したのは、金属パネル(アサヒ技研)、籐のかご(ツルヤ商店)、カーペット(穂積繊維)、コーヒー豆かす(珈琲哲学)、植物(ブフィエ)。
これからフィールドワークをしながら社会で活動していく前の出会いの場を見せたのが、今回の主題です。
それらの中で、最も人の応答が生き生きとあったのは、金属パネル、籐のかご、植物でした。
その理由は?
それを扱っている当事者の方が来られたからでした。
当たり前のことだったのかもしれませんが、人は人との応答によって、その場も、新たな活動も生み出されます。
しかし、人だけでは、机上の空論になりがちですが、ここは、手でモノを扱う美大ですので、「モノ+人」で、生き生きしてくる、という感じでした。
隣で、1年生が行なった、小麦粉粘土で世界をつくってみるワークショップも、同じことが言えました。
実は、その背後の部屋では、プロジェクトの作戦会議もさっそく開かれていました。尾花沢市にあるドームハウスの物産館をスイカの図柄で描くペイントアート・プロジェクト。6月半ばに描きに行く段取りをさっそく今週から始めます。学生にとっては、いよいよ社会をキャンバスとキャンパスにしていくデビューです。
追伸。
とは言っても、モノや自然が私たちに語りかける静の応答もまた、人間らしい精神性です。
アサヒ技研さんが置いていってくださった、アートパンチの作品を見たい方は、総合美術コース準備室か、松研にどうぞ。 ジョン・レノンもいます。イマジンでもかけようかな。
自宅から大学まで、短い時間をクルマで行く途中、先日のことです。道路わきの家の庭がきれいな花畑になっていて、そこにおじいさんが手入れをしていたので、クルマを道路わきに止めて、降りて、おじいさんに声をかけました。
てっきり、出荷する花かと思っていたら、自宅で植えている花とのことです。
20年前、友だちからもらったジャーマンアイリスだそうです。それが、どんどん増えたのだそうです。
ジャーマンアイリスは、似ているあやめなどと異なり、山野草なので、水も肥やしも必要なしなのだそうです。
88歳のおじいさんは、にこにこと語ってくださり、何と、自宅におじゃましてお茶もごちそうになりながら、昔のこの地域の話も聞きました。
戦後、乳牛も飼って、乳搾りした乳牛で田んぼを耕したのは、この近辺では、このおじいさんだけだったそうです。(普通は、馬で耕していました。)
「肥えあげ」って、知ってるべ?
と聞かれましたが、みなさんは、知っていますか?
朝早く、農家でない住宅をベコ連れてまわって、汲み取りさせてもらうのだそうです。それを田畑にまいて肥やしにして。
「今は浦島太郎のようだ。道も違うので、迷ってしまう。」
まだ、たった50年ほど前のことです。
行き先の時間に合わせて移動すると、その途中に道草することはできません。道草とは、偶然の発見のことですが、目的のところにだけ行き来することは、目的とはその時点で自分が知っていることの範囲なので、新たな発見はできないことになります。
新たな発見をしていくためには、それができる(できない場合もあることも含めて)、時間のゆとりと、自分で足を運ぶ行動力と、発見する能力が必要でしょう。
子どもだけでなく、大人も、道草は必要でしょう。それには、社会全体がそれを認める寛容の雰囲気と制度も必要のように思いますが。
4月から、この大学で、フィールドワーク論を担当する私の場合は、道草も重要な仕事時間になっています。
なぜなら、道草しなければ、新たな人・新たな技術・新たな素材・新たな活動を見つけることはできないからです。
さて、このおじいさんの話をうかがいながら考えた活動は、写真のないかつての時代の思い出を、文で記録するのも必要だけれども、絵で記録としても残していくこともできると思いました。
「語り絵」
青田(地区名、大学の前、今は住宅地)には、家が数件しかなく、見渡す限り、田んぼと畑。乳牛を引きながら田を耕している…。頭に浮かんでくるようです。
道草をするたびに、アイデアの貯金箱が殖え、それによって、いつでも、アイデアを引き出して使うことができます。私にとって、最も大切な仕事です。本を読むこと以上に。
夜のニュースで、福島県南相馬市の小学校の給食の食材がないことが報道されていました。パンと牛乳と果物だけなど。子どもたちは、「お腹すくけど、がまんしなないと。」「被災地の人は、おにぎり一個しか食べれないことを考えると、がまんしないと。」なんとも切ない気持ちになります。
私一人で、あの地域のすべての学校給食に充分な食材を提供することはできません。政治と経済の力と技で何とかしてもらいたい。
未来を生きる子どもと若者たちには、お金がない時でも(だからこそ)、時間がない時でも(だからこそ)、ファーストフードやチンの食品ではなく、限りなく自分で原料から調理して食べる、たくましい創造力を培ってほしいと思います。
賢治が農民芸術論を唱えたことに対して、私は、人間の生命的根源である「食べること」そのものに芸術的創造性を同時に息を吹き込むことを提唱します。
将来も、この心がけは、子どもや若者に何かしらの機会や方法で、体験提案していきます。
写真:焼いたパン(袋を見間違えて薄力粉を入れてしまって…あとで…)と手づくりジャム。つくったヨーグルト・アンド・ジャム。農家からもらったセロリで三種。 ちなみに、ここで自分がつくったのは、恥ずかしながら、失敗したパンだけ。
自分も、まだまだ食民芸術の力量は、まったく足りません。
今日の3年生の演習の時間、△と□の間を造形する課題制作の間に、3人の社会人が訪れて、総合美術による付加価値づくりのきっかけを持ってきてくださりました。
1人目。
尾花沢市の設計会社大達の藤井さん。発泡スチロールでできたドームハウスのスイカをモチーフにしたペイントの依頼の相談で見えました。岡田先生、花澤先生との相談のあと、岡田先生が3年生に投げかけたところ、10人が手をあげ、実施する方向で、これからやりとりしていくことになりました。実現なれば、総合美術が社会に出る大がかりなプロジェクトワークになりそうです。
2人目。
中山町の穂積繊維さんが、29日のオープンキャンパス展示用に、原料、機械、制作途中品、完成商品数枚、を持参してくださり、ドリルで糸を通す実演をしていただきました。
そして、実際に踏んで足の裏で感触を確かめて。
カーペットは、見る紙のグラフィックデザインではなく、足で踏んだ感触のデザインが最優先であることを、あらためて体験させていただきました。
3人目。
http://www.bouffier.jp/index.html
このHPを見てください。
この奇妙な名前。かつて、中学校教員をした時に、絵本『木を植えた男』を薦めたら、教え子の一人がそれに感動して、農学の大学に入り、今、この仕事をしています。この絵本の主人公をめざしています。その寺嶋たかし君がひょっこりと奇妙な植物を持参して訪れました。
29日のオープンキャンパスには、この植物も登場することになりました。一体、どんな風に?
「あなただったら、この植物にどんな名前をつける?」です。
それには、この葉っぱを触ってみなければなりません。五感で感じたことを何かのイメージにして表現する。ことばの名づけも、人間のイメージの文化の重要な表れです。
たかし君は、どこにもないできるだけオンリーワンで、五感で楽しむ植物を卸していきたいそうです。現在は、出身の山辺町で栽培して、東京の太田市場に卸して、各地の花屋で小売されているそうです。
植物、花、感覚、匂いなどに関心ある学生は、たかし君とのコラボレーションが生まれるかもしれません。
この授業は、学校教育の最終段階に来た大学生にとって、社会の出島の役割も果たしています。
これから、各人、どんな方面への大航海時代に乗り出すことでしょうか。
今回、3人の方々は私たちと個別に応対しただけではありません。同じ場に出会うことになったので、3人のみなさんもお互いに名刺交換をして談義しました。
総合美術と1対1の対応ではなく、総合美術が触媒役になって、異業種交流も生まれる状況になりつつあります。交響する関係性が生まれそうです。
学校・大学で学んでいる基礎(ステップ1)は、素材や対象を自在に変えることによって(ステップ2)、社会に生かされ、役立つ活動になっていきます。
なぜなら、この世に、モノ(素材)は無限にあり、人間が行なっている仕事や営みも無限にあるからです。
一つの事例が試み始められました。
ステップ1
総合美術コースの1年生の基礎演習の最初の課題が、岡田先生から提示されました。
通常、白い紙に黒い鉛筆で描くことは、影を描くことなのだそうです(なるほど)。そこで、光があたっているところを描くために、黒い紙に白いペンで描いてみようと。課題「光のことば」。
その課題説明で、花澤先生が、レオナルドなどは茶色い紙に描いて、影も光も描いていたと、補足しました。
光と影、黒と白、紙とペン。自在に、光と影を描くことができるようになれば、画材を店から買わずに、画材を用いることができる経済活動現場を探せば、そこと組んで活動(社会活動の実績と仕事化をめざした)を生み出すことができます。
ステップ2
私がぱっと浮かんだのは、コーヒー豆のかす。世界中でコーヒーは飲まれています。ひいたコーヒー豆は、一度お湯を通されれば、捨てられてしまいます。毎日、世界中でどれほどのコーヒー豆がらがゴミに捨てられていることでしょうか?
それを、画材として、セカンドユーズできたら、どうでしょうか?
水墨画ならぬ、コーヒー画。コーヒーで描く。コーヒー染めの紙に描く。
先の課題をこなした総合美術生なら、自在に表現することができることが期待されます。
そして、単に自分が描くだけでなく、だれもが描くことができる画材づくりをすることこそが、最も有望なビジネス化(仕事づくり)のチャンスです。
始めは、お粗末な実験かもしれませんが、試行錯誤を繰り返してものめりこむ人が出てくれば、いつか商品になるものができることを期待します。
さっそく、本日、埼玉・群馬のカフェレストランチェーン「珈琲哲学」様から、豆がらを提供送付したというメールをもらいました。
第一次公開は、5月29日のオープンキャンパスの総合美術コースのブースでお披露目します。ご関心ある方は、どなたでもどうぞ。
そのような発想をすれば、三陸のかきの貝殻を砕いて白墨をつくって… とか、いろいろな画材づくりが考えられます。
あとは、試行錯誤の実験あるのみ! ですね。
いつの世も、あらゆるものごとは、このような手を動かした試行実験から生み出されてきましたよね。
松田道雄 東北芸術工科大学総合美術コース教授
dagashiyamatsuda@gmail.com
「賢治の駄菓子屋」に、朝、はじめて鍬を持って行った時、キジがケンケンと鳴きながらいました。
もともとここに住んでいるのは、おれだというのを見せるためか、新たな新参者の顔を見に来てくれたのか。
この写真のどこにキジがいるか、探してみてください。
昨日、大学のキャンパス内で、じっと止まっているチョウを見つけました。カメラを近づけても動きません。
何やら、荘子の胡蝶の夢のような感覚にかられてきます。
昼に「賢治の駄菓子屋」に行くと、つがいのチョウが戯れていました。
地球ということばを使うと、地球上の生命は多様で、人間だけが主役ではないと言われます。
ところが、社会ということばにすると、それは、もともと人間の社会という土俵を前提にしているので、あくまで主役は人間になり、人間に都合のいいように解釈して実際に社会をつくり変えていきます。
同じ大地や環境も、地球という土俵で語る場合(理科系など)と、社会という土俵で語る場合(人文系など)がありますが、結局、人間中心の社会ということばの土俵にいる時間が、私たちは圧倒的に長いし、その土俵の時間に大地を改変してしまうので、人間以外の生き物は、どんどん追いやられてしまっています。
さて、どうしたらいいのでしょう?
その土地に生きるということの現われとして、大地に根を張って毎日、毎年、生き続けている木を、自分の心に投影するということがあるように思います。
この3月まで2年間、毎日、上野公園を通ってJR上野駅から通勤していた時には、公園にある1本の木を通りがかりに見て写真をとっていました。イチョウの木でした。ある時から、その木の背後に、ニョキニョキと竹の子のように伸びてきたのが、ツカイツリーです。ちなみに、今、上野公園は大改修中でしたが、どんな風になったのでしょうか?
4月1日に、この大学に来て、目がとまったのは、この木です。4年前、2年間、こども芸術大学の研究センターに勤務していた時は、この木を下から見上げて写真をとっていました。
4月中は、まだ学生もいなく、泰然と立っている木は、鳥の巣にもなっていました。緑の葉が一気に現われたのは、連休後です。授業が始まり、天気のいい昼休みには、この木の下で弁当開きや昼寝や読書をしている学生がいます。
私も、さっき、この木の下で、デザインの学生と話してきました。
この木の写真をとっていたら、声をかけてください。
みなさんには、「私の1本の木」はありますか? お互いに1年間、とり続けた「私の1本の木」写真展 なども、いつの日か、開いてみたいものだと思います。
(映画『風とともに去りぬ』にも、スカーレットが大地に生きる決意をした時に、1本の木が映し出されました。)
天気のいい日は、この木の下で、チュートリアルや社会活動のランチ会議をしていくことにしますよ。
山形市の西の丘陵に、三角形の山があります。富神山です。古来、里の一番ふもとの三角形の山は、人が亡くなるとまずそこに霊が昇ると信じられてきた信仰の山です。とがみ山という名称は、全国各地にあります。この山ふもとにも、かつて、古墳時代の豪族の古墳跡が残っています。
この富神山ふもとの街道沿いの集落に、かつての地域社会のコミュニティが形成される重要な役割を果たしていた姿が今も残っていて、これからの少子高齢化する地域社会を再生していく手がかりになるものとして、見つけました。山形市内の門伝という地域の古い街道沿いです。
この街道沿いに、店が何軒かあります。昔はもっとあったそうですが。昨年の暮れ、12月30日に、この通りを通った時のことです。どの店にも、人がいるので、びっくりしました。一軒のお菓子屋さんに入ると、近所の方々がお茶を飲んでいます。
「まず、一服」とお茶を出してくださります。そして、なごなごと世間話をした後に、買い物をしていくのです。ここの地域の店は、単にモノを機械的に買う店ではありません。喫茶店でもあり、相談所でもあり、デイケアセンターのような役割もあり、まさに、毎日の家庭の食卓の必需品を買う、生きるための生命的な場所が、人と人がつながる潤いのオアシスにもなっている、近所地域のコミュニティショップなのです。
この店、新清堂さんに昨日、うかがってきました。新しいお菓子を開発し商品に出したというのです。何とも、この道といい、この店構えといい、なつかしい(きっと、コンビニで育った若者には新鮮な)、心がほっと温まるような店ですよお。
菓子をつくっているのは、3代目のご主人の丹野順一さん。おじいちゃんが和菓子を、ご主人が洋菓子をつくられています。にこにこと温厚なご主人さんです。
その新商品は、きなこを入れた生地であんをつつんだ菓子です。商品名は「陽だまり」。すでに、この地域をイメージした菓子をいろいろつくられています。三角の富神山をモチーフにした「とんがり山サブレ」のパッケージの図案は、ご主人がデザインしたのだそうです。そこに生まれ育ち住んでいる人ならわかる富神山ふもとの風景が図案化されています。近所の方がお客さんであるこの店にとっては、この地を図案の素材にしていくことは、重要なコミュニティの媒介物になります。印刷会社に図案も頼んで、パソコンのソフトにある図柄を適当に雰囲気にあうようにして、さっとつくるのとは、決定的に異なります。土着の地域性(ゲニウスロキ:ラテン語で、土地の精霊)があるかどうかです。
さて、新商品、「陽だまり」は、とりあえず、既成品のビニルパックに入れて販売を始めていますが、この図案を、頼まれました。なぜ、この話になったのかも、私から提案したのですが、そのやりとりは土着性による人のつながりづくりから発芽したものです(その原理は授業などで話します)。
この新清堂さんの新商品「陽だまり」のパッケージを描きたい学生を募集します!
この図案の趣旨は、「地域のコミュニティづくりの媒介物になるフィールドアート活動の試みの一つ」です。
この地を自分でも歩き、地域の人と語り合い、ご主人が陽だまりを連想した場所(ちゃんとあります)を聞いてそこも訪れ、ご主人や店の想いもくみ取り、それらを総合して、自分がこの地とこの図案化に共感した「コミュニティの参画者」人が、描く資格者になります。
ちなみに、近所のおばあちゃん、おじいさんたちの駄菓子屋にもなっているこの店は、この地域の子どもたちにとっての駄菓子屋でもあります。店の前に置いている子ども向けの駄菓子を並べた台は、ご主人の手づくりだそうです。
この店と、この通りは、「駄菓子屋楽校」の原風景を今も残しているところです。山形市内にもあるんですよ〜。
芸術とデザインを学ぶこの大学は、中味と環境の一体化もはかる心配りも感じられます。
空間のデザインそのものを体感できる場の一つに、授業が終わって本館の建物を正面玄関から出る時があります。
水を張った上の橋を歩いていく正面には、山形盆地の西山の稜線に夕日が沈む風景が浮かびます。
まるで水面を歩いていくかのように橋を歩いていくと、その先に、水面の三角が山形市内の空中に浮かんでくるように現れます。
天気と時間によって、その水面は夕日に照らされ、正面の山の向こうの空の夕日との二重唱で迎え包んでくれます。
その背面には、垂直の三角の大学本館があることは、そこを出て頭も体も疲れた身体には意識されません。無意識の中で、三角の学び舎が投影され、明日の朝、再び、この橋を向こうから歩いてきて三角の本館の中に入って、芸術とデザインを学ぶことを祈るかのように、三角は空中に水平に浮かび上がります。
そして、その三角は、山形の象徴であり、実際に、大学本館の裏手の三角山と、盆地の正面の西に見える三角山を結ぶようにして、この三角の学び舎は位置していることがわかります。
明日は、この西の山丘陵に見える三角山、富神山のふもとからの商品づくりに関わる求人募集をお話します。
みなさんは、どんな空間環境体験がありますか?