2月も今日が最後ですね。今年の大雪も、もう峠を越えたと思います。
今年は、雪だるまをそこいらで見かけましたが、雪で何かをつくっている学生を見かけました。
近くまで行ってみると、あの大きな木を取り囲むようにして、子どもの雪像を、2人の学生が熱心にまるでアトリエで制作するような態度でつくっていました。そして、その周りには、こども芸術大学の子どもとお母さんが取り巻き、ある子は、せっせと雪を学生(芸術家)に運んでくれていました。
久しぶりに見た、こども芸術大学の子どもと美大生の放課後の関わり風景でした。
夕暮れ時、子どもも美大生の姿もなく、雪の子どもたちが、環になって大きな木を囲んでたたずんでいました。
明日は、気温が高くなるそうです。雪の子どもたちは、どうなるかなあ。
今年度のすぎなみ大人塾昼コース「だがしや楽校的社会の作り方」も、2月27日(午前、セシオン杉並)で最終回です。3月3日(午後、セシオン杉並)で、夜コースと合同の1年間の成果発表会があります。
ご関心ある方は、どうぞ、ご参観ください。以下、受講のみなさんへのメッセージシートの文です。来年度は、どんな講座に発展展開することでしょうか?
2週間ほど前のことです。瀬戸内海に面した広島県尾道市の向島で役場の自転車を借りて、みかん畑を見にいきました。斜面に植えられている木の中で1本だけみかんがまだ実っていました。のどがからからで、そばの畑にいたおじさんに「1個売ってもらえませんか?」と尋ねました。おじさんは、「それは隣の家の畑だけど」と言いながら、ナイフを持ってきて1個とってくれました。甘すっぱいみかんを味わいながら斜面を降りると、そのおじさんが、畑の持ち主のおばあさんとおじさんと立ち話をしていました。ことの顛末を話していたようです。私もお礼のあいさつをすると、持ち主のおじさんが両手に2個ずつ異なるみかんを持って、私にくださいました。
その週、長野県上田市西部公民館にて。朝から、抹茶・コーヒー・紅茶とパンをいただきながら、職員の方々と本日主題の人生談義(幸せのカタチづくり)をしていると、隣の小学校舎から男性がひょっこり歩いてきてフェンスの扉を開け、まるで縁側から家にあがるように窓から入ってきて、談義に混ざりました。新採用の青年先生でした。昼は、地元の郷土料理研究家のやさしいおばあさんから、信州の家庭料理をみんなでごちそうになりました。食と会話は、なんとも人を幸せな気分にしてくれます。「幸せな公民館」ということばが浮かびました。
縄文ビーナスの土偶が出土し、諏訪大社の御柱の木が運ばれる、日本で最も標高(1000m)の高い市、茅野市。その日の朝は、今年最も寒い−18度だとあとで聞きました。朝、ホテルから自転車を借りて、透明でさけるような空気の中をまわっていると、ホームスパンという古い看板の店を見つけました。玄関で声をかけると、店主のおばさんがわざわざ店を開けてくださり、3代前に羊を飼って200名ほどの人を雇って毛織物をつくっていたこと。大手化学繊維が出まわり、地元の人は精密機械工場に働くようになって、今は市販の毛糸を売っている店だ話してくれました。帰り際に、ジェームスディーンのタグをはずして商品のニット帽を手渡し、「寒いからこれかぶって」と。さらに「手袋はある?」とまで(ありました)。何とも心温かい朝でした。
すぎなみ大人塾の山形ツアーのみなさん、私の研究室から山形県月山のふもとの西川町まで、遠路おこしくださりありがとうございました。地元の「いきいき食堂」の飯野さん、山ぶどう園主の工藤さんはじめ、地域の方々との交流いかがでしたでしょうか? 私はと言えば、飯野さん方にあのみかんを渡して、尾道市の婦人会の方との海と山の幸交流、同じ山でもどこか違う長野県の山と山の幸交流も提案しました。
再び、雪がこんこんと降る今朝、しばらくぶりに、近くの山形市元木公民館の「おしゃべり手芸の会」に顔を出しました。そっとドアを開けると、部屋の中は大変な熱気で、折り紙を教え教わっている方、2人で並んでつる編みをしている方、毛糸で編み物をしている方、みなさん、笑い声あり、分けっこありで、何とものんびり愉快な部屋でした。参加者の方々の継続によって根づいてきたようです。私は、他地域との交流や地域資源探しの情報提供をすることにして、「みなさんの活動の外回りをつなぐ営業マンになります」と語ってきました。
私が初めて社会人(中学教師)になった時、その地域のおじさんから「結(ゆい)なす」ということばを聞きました。自分が受けた恩を次の世代や他者にかえすという意味なのだそうです。このことばは、その後、ずっと耳の奥に残り、駄菓子屋の研究やだがしや楽校の活動にも通底している気がします。今年度の大人塾最終回、山形県南陽市から若い人たちが偶然に訪問されます。今回の山形ツアーのみなさんが当初、訪問を考えていたところの若者です。私が心に願うのは、もし、何がしか西川町のおばあさん方から受けたことがありましたら、この若い人たちに「結なして」もらえればありがたいということです。その人たちは、杉並区民でもないのですが。
杉並区内の地域の人と人とのつながりづくりと人間活動を生み出す基本原理は、杉並区内だけに適応されることではなく、人類普遍の原理(「夢の種」)です。ともすると、近くや隣どうしや同じ状況ゆえにわかりづらい場合は、ダイナミックに全国各地(世界中)やさまざまに異なる立場のつながりづくりの試行錯誤の体験をしてみることで、「人のふり見て、わがふりわかる」のではないでしょうか? 「だがしや楽校的社会」とは、「結なす社会」だと私は考えます。次の世代にそんな社会を見せてあげることができるよう、私も「結(ゆい)なす人(びと)」になる努力をしていきたいなと思っています。
1年間、大変お疲れさまでした。お世話になりました。いよいよ、みなさまがこれから杉並区の生活の中で、「だがしや楽校的社会の作り方」をみなさまなりの心とスタイルでご実践なされますことをお祈り申し上げます。
フェイスブックのつながりは、強いですね。
たくさんのメッセージいただき、ありがとうございます。このブログを書く時間もなく、ここに返信する時間がなく申し訳ありません。
ネットを使っている方、若者にとっては、ネット上のコミュニティは、常識ですが、リアルの世界のつながりだけで日々十分生きていらっしゃる方にとっては、まったくその必要性と時間がないのかもしれません。
昨日、酒田市での講座の受講のみなさんは、どなたもインターネットをしていらっしゃらないようでした。それは、ネットを使っている方にとっては、なんともったいないと思われるかもしれませんが、リアルの対面の豊かな生活をされている方にとっては、ネットを見る時間がもったいないのでしょう。先週から、私はずっと後者のほうでした。
リアルな豊かさのケースを一つ、ネットのみなさんに報告します。
瀬戸内の海に面している広島県尾道市の尾道駅わきのアーケードの商店街で、ばんよりという、押し車の屋台の魚屋さんの屋台を見ることができました。
生涯学習課の津川さんが、ばんよりというのを教えてくださり、翌日朝、見ることができました。
「店主」のおばさんに聞くと、「晩の魚のおかずを買いに寄る」屋台から来ていることばかなと話してくれました。
その屋台で、魚をさばいて、売っています。
わきでじっと見ていると、次から次に、あちこちから、人が立ち寄り、おばさんと会話のやりとりしながら、買っていきます。
まるで、スズメが、あちこちから、やってきては、ぱっと飛び去る、という感じです。
ほとんどが常連さんとのこと。最近、若いお母さん2人が常連になったそうで、そのお母さん方も来ました。それまでは、スーパーで肉がほとんどだったのが、このおばさんのばんよりに来るようになって、いろんな魚と、料理の仕方を教わるようになったからだそうです。
「おばさん、何年、しているの?」
「40年」
「長く続けようと思ったら、自分だけもうけようと思ったらあかん。」
しばらく、やりとりの様子を見ていると、そのことばの具体的なしぐさを垣間見ることができました。
駄菓子屋楽校の研究で、私が探ってきたことが、まさにこのばんよりのおばさんの姿にもありました。
この押し車を、つくって、各地で、魚だけでなく、自分の持ち味を見せ合う、ばんより風だがしや楽校。どうでしょうか?
前回の雪国ツアーの記事には多くのみなさんから反響いただきました。1日アクセス、1000件も超え、長々とした文章読んでいただき、ありがとうございます。あの文章は、工藤農園さんの山ぶどう原液「月山の宴」の箱の中にも入るそうです。ちなみに、その箱には、地区の手づくり地図なども入って、コミュニティ感満載の商品です。
さて、昨日は、すぎなみ大人塾が、2つのグループ(地図づくり、ものづくり)のまとめの活動が、何とも和やかに、1年間のチームワークの成果を発露しながら行いました。3月3日の成果発表会が楽しみです。
今年のすぎなみ大人塾昼コース「だがしや楽校的社会の作り方」は、2月27日が最後です。ご関心ある方は、参観先客万来です。午前10時〜12時、セシオン杉並3階です。
昨日の講座で、雪国ツアーの記事を披露したところ、何と、4名ほどの方が、さっそく、21日〜23日、豪雪の西川町
を訪れることになりました。21日夜は、公民館で、山菜料理など、地元婦人会のいきいき食堂で交流する予定です。私も行きます。参加したい!という方は、西川町役場産業振興課に問い合わせてください。ただし、雪道気をつけてください。
なんだか、これからの日本の未来は、おばさんパワーが、地域を元気にする感じもします。
ユニークな講座と言えば、18日(土)、長野県上田市西部公民館で、「幸せのカタチづくりデザイン楽校」という奇妙な名の講座があります。こちらは、どんな中味になるのかなあ…。
災害の話題が多い毎日ですが、謙虚に備え、いざという時には助け合いながらも、日常、ともに愉快に創造的にたくましく生きる。これが、必要ではないでしょうか?
昨日の講座の黒板は、こんなでした。なんだか、わかりませんよね。
山形市内でも、30年ぶりの豪雪になっている今年、月山のふもとの西川町はさぞかしの大雪かと思い、工藤農園さんの山ぶどうは大丈夫なのだろうかと心配になり、雪の西川町を訪れました。江戸時代に建てられたという工藤さんのお宅は、雪にすっぽり包まれている感じでした。
山ぶどうの棚は、今年、もう4回雪おろしをしたそうです。工藤健一さん(72歳)も、これほどの大雪はあまり記憶がないとのこと。さぞかし大変なご苦労されていることと思いましたが、にこにこと穏やかな表情で、何とも意外なことを語られました。高さが1m70?ほどある棚も埋まっているので、棚の上にサーカスのように乗って、長い雪へらで雪をつつく。すると、棚の網で中が空洞になっているので、つつくと、雪が一気にどさっと落ちる。それが何とも気持ちのいい快感。「雪は害を与えるけど、素直なものだ」と。山ぶどう自体も、平野では育たず、こういう気候でないととれない。だからたくましく生命力がある。ぶどうのつるはつるつるだけとも、山ぶどうのつるは、がさがさしていて雪がくっつきやすい。せん定(枝切り)のしかたも違う。また、自生の山ぶどうでは実も小さく収穫がほとんどわずかなので、やはり人の手で育ててあげなければならない。そんな話を、山ぶどうの原液をいただきながら聞きました。しかも、木によって味(すっぱさと甘さ)が違うのだそうです。
今回、山ぶどう原液「月山の宴」の箱の中には、箱の図案の紹介文とともに、ここ吉川地区の手づくり地図と、工藤さんの奥さん春子さんがつくられた、かわいい山ぶどう蔓の環が入っていました。かつて、雪国の農家では、冬は家の中でわらや山の素材を用いての生活用具づくりが当たり前に行なわれていました。各地のぶるさと民俗資料館にはそれらの生活品や道具が展示されています。山ぶどうというと、つる編みのバッグが数万円など高価な値段で売られているのを見ます。奥さんが見せてくれました。ところが、これは、自生のつるの皮をはいでつくるので、皮をはがれた山ぶどうは枯れてしまうのだそうです。これでは、何とも自然共生的なものづくりではありません。「工藤さんの山ぶどうのせん定した枝はどうしているのですか?」と尋ねると、リースなどに使う分は残しておいて、残りは、チップにして根元にまいているのだそうです。チップにして土にもどすのは、先月、山梨市の桃農家からも聞きました。せん定つるの活用手芸。その他の素材と組み合わせて、いろんな人が素材を持ち寄って集い、おしゃべりしながらものづくりできる場もあったらいいですよね、なども談議しました。山形市の元木公民館では「おしゃべり手芸の会」が毎月開かれていますが、そんな場が各地にできたら、人づき合いと助け合いとものづくりと人生の楽しみなどが育まれますね。家の中にこもって、雪だけでなく時間はたっぷりある方があちこちにいらっしゃるでしょうから。
山ぶどう棚を見に行くと、夏には棚の下から山ぶどうの葉を見上げて、葉の光と影のコントラストに見とれたことが思いおこされましたが、今は空中から山ぶどう棚を見下ろしている感じです。なるほど、この上に積もった雪をどさっと落とすことは、童心にかえったおもしろさがあるんだろうなあと、想像しました。「今度、山ぶどう棚の雪おろしする時は、先生もぜひしてみて」と誘われたので、その快感を味わってみたいものです。山ぶどうの里の雪の回廊ツアー、いかがですか? その日、それからまわったのは、トラヤワイナリー(もと酒造工場のワイン工場)→道の駅「銘水館」(地元婦人会の方々によるコミュニティ型食堂「いきいき食堂」も開く予定だそうです。近くの公民館にも宿泊できるそうですよ。)→軽部草履(寒河江市。大相撲の行事や時代劇などの草鞋もつくっています、若い人が履きたくなるものもつくっていきたいそうです)。
人のつながりづくりと、生産やものづくりにも関わって人生が広がるような旅、いかがですか?
20万年前、アフリカ大陸でヒトが草原に降り立ったあと、インドネシアの火山の大爆発により、アフリカ大陸でも気温が低下し、動物は生存の危機になったそうです。その環境の危機を、ヒトが生き延びることができたカギを推測する手がかりとして、その環境異変の前後で、黒曜石の石器の出土範囲が大幅に広範囲になったということが、示されたそうです。
それは、当時、最も重要だったハイテクの黒曜石の石器を、わずかな食料と交換しながら、ヒトはお互いに助け合い、生き延びることができたのではないかと、先日の、NHKドキュメンタリー「ヒューマン1回目」で、紹介されていました。
地震の活動期に入った日本列島は、いつ、なんどき、どこで、地震災害がおこっても不思議ではなくなってしまっています。
そんな時期、たんに、デパートなどからお金で商品を買うだけの消費生活だけでなく、人と人が直接対面で、モノとワザを介してつながっていくことは、いざという時の人の絆づくりの役割もはたしていくことが期待されると思います。
岡山県のジーパン工場の切れ端を、山形県中山町の穂積繊維さんから昨年もらいました。
山形市の皮工場ミドリホクヨーからは皮の残りをもらってきました。
それらを少し、杉並区のすぎなみ大人塾に持っていったところ、先日、こんなステキなバッグがつくられたのを見せていただきました。
世田谷区、山形県南陽市などの講座の方々の中でも、それぞれ独自につくられた方がいらっしゃったと思います。
モノとワザを、自分のところにととめずに、どんどん人に循環させることで、脳神経のシナプスのように、人の絆をどんどん増やしていく社会実験を、さらに加速させてみたいと思います。みなさんもいかがですか?
同じ人のつながりでも、ネット上のフェイスブックなどのつながりだけよりも、生活の豊かさ、リアルな創造を楽しめますよ。
そう言えば、奥羽山脈をはさんで、日本海側の頁岩(けつがん)でできた石器が、松島などの太平洋側の3000年くらい前の縄文の遺跡から出土していることも、交流を示しています。
当時の山形縄文人と宮城縄文人は、どんな交換と助け合いをしていたのでしょうか?