フィールドワーク、今年度は、日本各地どこらへんを歩いてどんなことを発見するのか、それはこれからです。
今日は、栃木県下野市にある、平安時代に立てられた、当時、地方にあっては異例の大規模な寺院だった薬師寺跡を、生涯学習担当の山内さんに案内してもらいました。
当時の跡は、まったく残っていないということでしたが、少し、うろうろ歩いてみると、足元が、一面ドングリが敷き詰められたじゅうたんのようになっているところに出くわしました。目線をドングリの地面にやった時、石ころのようなカケラに、線が入っているのを見つけました。
あっ!
山内さんも、これは、当時の破片だと。いろんな痕跡があります。布などの織り地がついたもの。それもいろいろある感じです。
建物はありませんが、1000年以上前の人がつくったモノのカケラが、足元のそこいらにあるんですねえ。
ちなみに、ドングリ拾ってきたので、植えたい人は、研究室にもらいにきてください。
フィールドワークは、発見をする仕事です。
自宅から大学まで、短い時間をクルマで行く途中、先日のことです。道路わきの家の庭がきれいな花畑になっていて、そこにおじいさんが手入れをしていたので、クルマを道路わきに止めて、降りて、おじいさんに声をかけました。
てっきり、出荷する花かと思っていたら、自宅で植えている花とのことです。
20年前、友だちからもらったジャーマンアイリスだそうです。それが、どんどん増えたのだそうです。
ジャーマンアイリスは、似ているあやめなどと異なり、山野草なので、水も肥やしも必要なしなのだそうです。
88歳のおじいさんは、にこにこと語ってくださり、何と、自宅におじゃましてお茶もごちそうになりながら、昔のこの地域の話も聞きました。
戦後、乳牛も飼って、乳搾りした乳牛で田んぼを耕したのは、この近辺では、このおじいさんだけだったそうです。(普通は、馬で耕していました。)
「肥えあげ」って、知ってるべ?
と聞かれましたが、みなさんは、知っていますか?
朝早く、農家でない住宅をベコ連れてまわって、汲み取りさせてもらうのだそうです。それを田畑にまいて肥やしにして。
「今は浦島太郎のようだ。道も違うので、迷ってしまう。」
まだ、たった50年ほど前のことです。
行き先の時間に合わせて移動すると、その途中に道草することはできません。道草とは、偶然の発見のことですが、目的のところにだけ行き来することは、目的とはその時点で自分が知っていることの範囲なので、新たな発見はできないことになります。
新たな発見をしていくためには、それができる(できない場合もあることも含めて)、時間のゆとりと、自分で足を運ぶ行動力と、発見する能力が必要でしょう。
子どもだけでなく、大人も、道草は必要でしょう。それには、社会全体がそれを認める寛容の雰囲気と制度も必要のように思いますが。
4月から、この大学で、フィールドワーク論を担当する私の場合は、道草も重要な仕事時間になっています。
なぜなら、道草しなければ、新たな人・新たな技術・新たな素材・新たな活動を見つけることはできないからです。
さて、このおじいさんの話をうかがいながら考えた活動は、写真のないかつての時代の思い出を、文で記録するのも必要だけれども、絵で記録としても残していくこともできると思いました。
「語り絵」
青田(地区名、大学の前、今は住宅地)には、家が数件しかなく、見渡す限り、田んぼと畑。乳牛を引きながら田を耕している…。頭に浮かんでくるようです。
道草をするたびに、アイデアの貯金箱が殖え、それによって、いつでも、アイデアを引き出して使うことができます。私にとって、最も大切な仕事です。本を読むこと以上に。
山形市の西の丘陵に、三角形の山があります。富神山です。古来、里の一番ふもとの三角形の山は、人が亡くなるとまずそこに霊が昇ると信じられてきた信仰の山です。とがみ山という名称は、全国各地にあります。この山ふもとにも、かつて、古墳時代の豪族の古墳跡が残っています。
この富神山ふもとの街道沿いの集落に、かつての地域社会のコミュニティが形成される重要な役割を果たしていた姿が今も残っていて、これからの少子高齢化する地域社会を再生していく手がかりになるものとして、見つけました。山形市内の門伝という地域の古い街道沿いです。
この街道沿いに、店が何軒かあります。昔はもっとあったそうですが。昨年の暮れ、12月30日に、この通りを通った時のことです。どの店にも、人がいるので、びっくりしました。一軒のお菓子屋さんに入ると、近所の方々がお茶を飲んでいます。
「まず、一服」とお茶を出してくださります。そして、なごなごと世間話をした後に、買い物をしていくのです。ここの地域の店は、単にモノを機械的に買う店ではありません。喫茶店でもあり、相談所でもあり、デイケアセンターのような役割もあり、まさに、毎日の家庭の食卓の必需品を買う、生きるための生命的な場所が、人と人がつながる潤いのオアシスにもなっている、近所地域のコミュニティショップなのです。
この店、新清堂さんに昨日、うかがってきました。新しいお菓子を開発し商品に出したというのです。何とも、この道といい、この店構えといい、なつかしい(きっと、コンビニで育った若者には新鮮な)、心がほっと温まるような店ですよお。
菓子をつくっているのは、3代目のご主人の丹野順一さん。おじいちゃんが和菓子を、ご主人が洋菓子をつくられています。にこにこと温厚なご主人さんです。
その新商品は、きなこを入れた生地であんをつつんだ菓子です。商品名は「陽だまり」。すでに、この地域をイメージした菓子をいろいろつくられています。三角の富神山をモチーフにした「とんがり山サブレ」のパッケージの図案は、ご主人がデザインしたのだそうです。そこに生まれ育ち住んでいる人ならわかる富神山ふもとの風景が図案化されています。近所の方がお客さんであるこの店にとっては、この地を図案の素材にしていくことは、重要なコミュニティの媒介物になります。印刷会社に図案も頼んで、パソコンのソフトにある図柄を適当に雰囲気にあうようにして、さっとつくるのとは、決定的に異なります。土着の地域性(ゲニウスロキ:ラテン語で、土地の精霊)があるかどうかです。
さて、新商品、「陽だまり」は、とりあえず、既成品のビニルパックに入れて販売を始めていますが、この図案を、頼まれました。なぜ、この話になったのかも、私から提案したのですが、そのやりとりは土着性による人のつながりづくりから発芽したものです(その原理は授業などで話します)。
この新清堂さんの新商品「陽だまり」のパッケージを描きたい学生を募集します!
この図案の趣旨は、「地域のコミュニティづくりの媒介物になるフィールドアート活動の試みの一つ」です。
この地を自分でも歩き、地域の人と語り合い、ご主人が陽だまりを連想した場所(ちゃんとあります)を聞いてそこも訪れ、ご主人や店の想いもくみ取り、それらを総合して、自分がこの地とこの図案化に共感した「コミュニティの参画者」人が、描く資格者になります。
ちなみに、近所のおばあちゃん、おじいさんたちの駄菓子屋にもなっているこの店は、この地域の子どもたちにとっての駄菓子屋でもあります。店の前に置いている子ども向けの駄菓子を並べた台は、ご主人の手づくりだそうです。
この店と、この通りは、「駄菓子屋楽校」の原風景を今も残しているところです。山形市内にもあるんですよ〜。
グーグルで、山形 鍬 製造 と打って出てきたのが、山形市船町にある鈴木鍬製作所でした。日曜日でしたが、飛び込み探訪をしてきました。
三代目というご主人がいらっしゃり、工房の中を見せていただきました。山形県の内陸では、鍬をつくるのはこちら1軒だけだそうです。その前は、馬の蹄鉄屋さんだったとのこと。
内陸の山形市になぜ船町という地名があるかというと、
須川のほとりのここが、船着場になっていて、汽車が開通する前は、ここが、今で言えば山形駅前のような存在だったのだそうです。今は、普通の通りですが。当時は、この通りの家はすべて店をしていて、どの家も屋号があるのだそうです。
鍬の形状は、地方によって実にさまざまなのだそうです。奥が山形の内陸地方のもの。真ん中は、庄内。手前は、鹿児島。福島のは、山形よりも幅広い鍬でした。それぞれの土地柄と土質なども関係あるのでしょうが、それぞれの利用者(農民)から、こんな鍬をつくってほしいと依頼されて型をとってつくるので、各地のさまざまな鍬の形状はそのまま多様になっているのです。鍬を生産しているところが、このような鍬を使えと、消費者に押し付けるような近代の大量生産システムとは異なる前近代のものづくりの様相を垣間見ることができます。
何かかにか、芸術も含めて個人のものづくりに携わっている方は、職人のものづくりの現場訪問は、大切な生きた勉強になります。鈴木さんの代で、鍬づくりは終わるということですが、なんとも残念ですね。
全国、大地と鍬の展覧会もあれば、日本の農業の多様性と豊かさを再発見する場になりそうです。
ところで、どうして、鍬づくりを捜したの? は、次に。
大学の近くに、浅倉工業というエア遊具をつくっている工場があります。日本で開催されたサッカー・ワールドカップで、アディダスの巨大なシューズの遊具もつくったそうです。
工場では、何と床を掘り下げて、立ってミシンかけができるような工夫がされていました。
社長さんと総合美術コースで協力できることをうかがってきました。
1 発砲スチロールでつくる型の模型をつくってくれる人が欲しい。
2 津波の被害にあった三陸の漁港再生のために、地元の子どもたちが漁業に関心持ってくれるようなエア遊具を共同で企画し、大企業などに制作資金支援を依頼して、製品をつくって贈る。
これから、さまざまな地域の生産現場を訪ね、企業の付加価値づくりと社会の活性化に貢献する実践教育を行なっていきたいと思います。
エア遊具プロジェクトに関心ある方いませんか?
また、「うちの現場を見に来て!」という企業・生産者の方常時、募集しています。
社会の現場で、未知の創造を生み出していきたいと思います。
芸工大の近所に住む東海林さん(おじさん)が、だがしや楽校をしてみたいと相談にこられたのが、私がこども芸術教育研究センターに勤めていた4年前です。
それから、毎月第二日曜日午前、芸工大前公園で、少人数で、1枚のベニア板に、おしゃべりしながら、描いていく「楽描き」活動を、東海林さんたちはなされています。
何と、たまった作品は、60枚だそうです! 今日、路上に置かれていた作品(写真)は、4年前の作品でした。毎回ここで制作して、できたら、青春通りのコミュニティラジオ、VigoFMの看板下に設置しています。
今日は、私は始まるあたりにちょっと顔を出したあと、研究室に行きました。その後、雨が降って中止になりました。
いっしょに楽描きに混ざってみたい、その周りで、自分は別のことして、みながいるところで集ってみたいという方は、どうぞ。
人が通る外で何かすることで、人と人が関わるチャンスも生まれますし、地域が人によって見守られることにもなっていきます。
参加する方は自由なので、自分の時間の都合分だけ参加されていいと思います。
主催している方は、サラリーマンで休日の余暇としてされていますので、のんびりまったりおしゃべり半分でゆるやかにされています。だまって絵を描くのではなく、おしゃべり共同即興絵画が、主題です。
参加する方は参加する方の都合で参加されていいのではないかと思います。
私自身の場合は、仕事以外での人との活動は、だいたい2時間以内に自然になっています。
他人と話してアイデアを生み出すのに頭のエネルギーがなくなるのが、2時間くらいですし、そのほか、いつも同時に複数することを抱えているからです。
私が当初始めた、だがしや楽校も、各人めいめい来たい人は参加して、私自身は2時間以内で帰る範囲でしていました。それゆえ、同じだがしや楽校でも、一日行なうようなイベントには、私の活動様式では不向きなのであまり参加しません。
する内容とともに、自分の活動スタイルや様相に応じて参加するということが重要だと、私は考えています。
これは、物事や活動に対しては、内容とともにその人の活動様式が大きく関わっているという二元性の見方です。
二元性の着目には、言語学者ソシュールは、ラングとパロール。社会学者ブルデューは、プラチックとハビタスという概念を提示しました。
とかくこれまでは、部活動の延長上に、みなが同じ時間に集まり同じことをして同じ時間に帰る という集団行動の様式が、日本の高度経済成長を担ってきましたが、これからは、個人のスタイルをそれぞれ認めつつ、共同できるところで共同し、それ以外は、個々の活動の多様性を発揮するというような社会的生き方がつくられていくのではないかと思います。
そのような生き方を具現化する活動の一つに、コミュニティアートが意味を持つのでしょう。
さて、60枚のこれまでの財産。コレ自体を2次活用のコミュニティアート素材として、活用して行なってみたい(迷路づくりとか)人は、東海林さんに相談してみてください。
あつらえる。ということばは、今はほとんど聞かれません。以前、工場での大量生産社会以前は、近所の職人さんの店で、いろいろ、要望を言って作ってもらうということが普通にありました。
工業デザイナーの秋岡芳夫先生は、職人のものづくりを守るために、あつらえることを、いろいろなことで提案実践なされていました。
大きな社会の流れ(トレンド)の視点から言えば、未来学者アーノルド・トインビーは、消費者が生産活動にも関わるあり方を、生産消費者(プロシューマー)という造語で表現していました(『第三の波』)。
現代社会において、あつらえることは、消費者がただ店で受動的に大量生産品を買うのではなく、自分も生産活動に参画する行為になります。
では、だれにあつらえることができるでしょうか? それは、大きな会社では無理でしょうから、やはり、個人対個人で応答してくれる個人商店、職人、信頼関係をつくった中小企業などではないかと思います。
いよいよ、私の大学でも連休明けから授業が始まります。フィールドワークでは、それぞれ野外手帳(フィールドノート)も準備しますが、あつらえの実践見本の一つとして、私自身のフィールドノートは、あつらえてもらう交渉をしました。
100円ショップでは、手帳も1冊100円であります。
山形市の竹谷製本所さんにうかがって相談し、裏表紙を厚い版にし、中味の紙は、ある紙何でもいい(残り紙処理でつくって)、途中で紙種が変わってもよく、大きさは、文庫本と、新書版を、基本サイズにして、でも、紙の都合で、いろいろなサイズもあってよく、100枚綴りで、100冊で、単価50円で、作っていただくことにしました。
印刷はまったく何もいれない。ゆえに製本屋さんに行きました。
先日、見本ができたというので、見せてもらいました。
工場にとっては、残り紙処理、購入する私にとっては、100円ショップの半額の50円でつくってもらえるので安く、どちらにもよいことです。
ご縁がたくさん重なる手帳で、50円手帳です。
書かれた本は、いまや、電子ブックが主流になりつつあります。これからは、中味はまっしろの文庫本(野外手帳)を持って、自分なりに書き込んで中味をつくることが、より生産的ですね。
こんな風にして、いろいろ共同であつらえて、小さなお店、生産者、職人さんを守りつつ、自分も創造的になりませんか?
私は、あつらえる ということを、生産者の方といっしょに相談しながら両者がよくなるようにデザインしていく、という意味で、インターデザインと、ちょうど、30年前、学生時代にことばを考え、試みました(当時はニットのデザインで)。
だれでも、インターデザイナーになれますよ!
何でも手軽に買えるファースト消費の時代だからこそ、インターデザインのスタイルは、ちょっと自分を創造的にしてくれますよ。
お互いのインターデザイングッズを、あげっこすれば、2倍楽しみが増えます。
松田道雄 着想家
メール : dagashiyamatsuda@gmail.com
ブログ : アーツ・アンド・コミュニティ: http://gs.tuad.ac.jp/matsuda/ (研究室の実践日記)
: 夢の種まき楽校: http://yumenotane.exblog.jp/ (重ね塗り着想日記)
勤務 〒990-9530 山形市上桜田3−4−5
東北芸術工科大学 芸術学部総合美術コース
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