松田道雄研究室

駄菓子屋楽校 ~愉快で,楽しく,どこからでも創造する生き方と社会づくりの活動記録~
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2012-02-25

結なす社会を夢見て


今年度のすぎなみ大人塾昼コース「だがしや楽校的社会の作り方」も、2月27日(午前、セシオン杉並)で最終回です。3月3日(午後、セシオン杉並)で、夜コースと合同の1年間の成果発表会があります。
ご関心ある方は、どうぞ、ご参観ください。以下、受講のみなさんへのメッセージシートの文です。来年度は、どんな講座に発展展開することでしょうか?

2週間ほど前のことです。瀬戸内海に面した広島県尾道市の向島で役場の自転車を借りて、みかん畑を見にいきました。斜面に植えられている木の中で1本だけみかんがまだ実っていました。のどがからからで、そばの畑にいたおじさんに「1個売ってもらえませんか?」と尋ねました。おじさんは、「それは隣の家の畑だけど」と言いながら、ナイフを持ってきて1個とってくれました。甘すっぱいみかんを味わいながら斜面を降りると、そのおじさんが、畑の持ち主のおばあさんとおじさんと立ち話をしていました。ことの顛末を話していたようです。私もお礼のあいさつをすると、持ち主のおじさんが両手に2個ずつ異なるみかんを持って、私にくださいました。
 その週、長野県上田市西部公民館にて。朝から、抹茶・コーヒー・紅茶とパンをいただきながら、職員の方々と本日主題の人生談義(幸せのカタチづくり)をしていると、隣の小学校舎から男性がひょっこり歩いてきてフェンスの扉を開け、まるで縁側から家にあがるように窓から入ってきて、談義に混ざりました。新採用の青年先生でした。昼は、地元の郷土料理研究家のやさしいおばあさんから、信州の家庭料理をみんなでごちそうになりました。食と会話は、なんとも人を幸せな気分にしてくれます。「幸せな公民館」ということばが浮かびました。
 縄文ビーナスの土偶が出土し、諏訪大社の御柱の木が運ばれる、日本で最も標高(1000m)の高い市、茅野市。その日の朝は、今年最も寒い−18度だとあとで聞きました。朝、ホテルから自転車を借りて、透明でさけるような空気の中をまわっていると、ホームスパンという古い看板の店を見つけました。玄関で声をかけると、店主のおばさんがわざわざ店を開けてくださり、3代前に羊を飼って200名ほどの人を雇って毛織物をつくっていたこと。大手化学繊維が出まわり、地元の人は精密機械工場に働くようになって、今は市販の毛糸を売っている店だ話してくれました。帰り際に、ジェームスディーンのタグをはずして商品のニット帽を手渡し、「寒いからこれかぶって」と。さらに「手袋はある?」とまで(ありました)。何とも心温かい朝でした。
 すぎなみ大人塾の山形ツアーのみなさん、私の研究室から山形県月山のふもとの西川町まで、遠路おこしくださりありがとうございました。地元の「いきいき食堂」の飯野さん、山ぶどう園主の工藤さんはじめ、地域の方々との交流いかがでしたでしょうか? 私はと言えば、飯野さん方にあのみかんを渡して、尾道市の婦人会の方との海と山の幸交流、同じ山でもどこか違う長野県の山と山の幸交流も提案しました。
 再び、雪がこんこんと降る今朝、しばらくぶりに、近くの山形市元木公民館の「おしゃべり手芸の会」に顔を出しました。そっとドアを開けると、部屋の中は大変な熱気で、折り紙を教え教わっている方、2人で並んでつる編みをしている方、毛糸で編み物をしている方、みなさん、笑い声あり、分けっこありで、何とものんびり愉快な部屋でした。参加者の方々の継続によって根づいてきたようです。私は、他地域との交流や地域資源探しの情報提供をすることにして、「みなさんの活動の外回りをつなぐ営業マンになります」と語ってきました。
 私が初めて社会人(中学教師)になった時、その地域のおじさんから「結(ゆい)なす」ということばを聞きました。自分が受けた恩を次の世代や他者にかえすという意味なのだそうです。このことばは、その後、ずっと耳の奥に残り、駄菓子屋の研究やだがしや楽校の活動にも通底している気がします。今年度の大人塾最終回、山形県南陽市から若い人たちが偶然に訪問されます。今回の山形ツアーのみなさんが当初、訪問を考えていたところの若者です。私が心に願うのは、もし、何がしか西川町のおばあさん方から受けたことがありましたら、この若い人たちに「結なして」もらえればありがたいということです。その人たちは、杉並区民でもないのですが。
 杉並区内の地域の人と人とのつながりづくりと人間活動を生み出す基本原理は、杉並区内だけに適応されることではなく、人類普遍の原理(「夢の種」)です。ともすると、近くや隣どうしや同じ状況ゆえにわかりづらい場合は、ダイナミックに全国各地(世界中)やさまざまに異なる立場のつながりづくりの試行錯誤の体験をしてみることで、「人のふり見て、わがふりわかる」のではないでしょうか? 「だがしや楽校的社会」とは、「結なす社会」だと私は考えます。次の世代にそんな社会を見せてあげることができるよう、私も「結(ゆい)なす人(びと)」になる努力をしていきたいなと思っています。
1年間、大変お疲れさまでした。お世話になりました。いよいよ、みなさまがこれから杉並区の生活の中で、「だがしや楽校的社会の作り方」をみなさまなりの心とスタイルでご実践なされますことをお祈り申し上げます。

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