松田道雄研究室

駄菓子屋楽校 ~愉快で,楽しく,どこからでも創造する生き方と社会づくりの活動記録~
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2011-05-17

不思議な物語の始まり


奇妙な名前のカテゴリーが生まれて、不思議な物語(ノンフィクション)が始まりそうです。
ことの始まりは、東京から山形の家に戻ったら芽を出したジャガイモがあったので、それを研究室に持ってきて水栽培をしていたことからです。どんどん芽が伸びてきたので、いつまでもここままにするわけにもいかないかなと思いながら、日曜日に大学裏手の悠創の丘ふもとのはたけを散歩していたら、畑仕事をしていたおじさんに出会い、突然、とんとんと畑を借りることになってしまいました。
バンダナを頭にまいた、そのおじさんの行動は迅速で、すぐ地主さんに交渉してくれてOK。地主さんにあいさつにうかがうと、何と、初対面の私に抹茶を立てて出して、山形に来るクラシック音楽会はみな聞いていること、遊びが大切なこと、農業は育てるだけれども、今の教育は教えるしかしていないことなど、にこにこ笑顔で語ってくれました。
翌日には、竹林から竹の子をもらいました。何やら、ふわふわと千人のような地主さんです。芸工大の敷地の一部も、この地主さんの土地だったそうです。

今日の朝6時半、紹介してくれたおじさんに畝づくりを教えてもらいました。牛フンの堆肥も分けてもらい、耕運機で耕してもらって、まず、2畝。「OK牧場」のしぐさをもらいました。人のためにさっと労力を手助けしてくれるその速さは、戦国時代の前田けいじが定年退職して農業したらこうなるのかなと思いながらみていました(名前は前田さんです)。
それから、この借りている農村の町内会長さんのような長老さんに引きあわせてくれて、あいさつをしました。元村山総理にそっくりのおじいさん。実は、5年前、私がこども芸術教育研究センターの研究員で、野外授業をした際に、おじいさんがクルマを脱輪していて、学生といっしょに手助けをして知り合いになったおじいさんでした。
肌に風があたっていたにもかかわらず、竹林がなびいているのを見て風を感じ、身体の感覚と環境の不思議なポリフォニーを、さっそく体感しました。

まじめに教育を考える人なら、このはたけで様々なことを感じ考えるこの場を、賢治の学校、賢治の教室 と呼ぶでしょうが、私には、ここは、秩序正しい学校教育というより、駄菓子屋的知の起源を感じ取るような場になりそうな予感がします。
日本の小学校の国語で最もよく読まれているのは、宮沢賢治の作品だそうですが、そのわりには、宮沢賢治のような人間は学校からなかなか育たない感じがします。
「もし、現代に賢治がつくった羅須地人協会があったら?」どんな活動をしていたのでしょうか?
実際の賢治の時代の岩手の農民の生活は苦しく、賢治の活動もつらく苦しいことがたくさんあったことがうかがえ、現代の、余暇で畑仕事を気楽にすることで、賢治の「農民芸術論」の意味合いが体得できるとは思いませんが、想像していく手がかりに、突如この場所が現われました。
土地に根をはる東北人(それゆえ、都市の遊牧民的行動をとることができないのでしょうが)に、一歩、足を入れつつあります。家が裕福だった賢治は、よく東京にも行っていましたが、賢治自身は、農耕と遊牧、形而上と形而下のマージナルマン(境界人)のような葛藤もあり、そこから作品が生まれていったのではないかと、思い巡らしています。

コミュニティを体験学習していく場が一つ増えました。 

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