20万年前、アフリカ大陸でヒトが草原に降り立ったあと、インドネシアの火山の大爆発により、アフリカ大陸でも気温が低下し、動物は生存の危機になったそうです。その環境の危機を、ヒトが生き延びることができたカギを推測する手がかりとして、その環境異変の前後で、黒曜石の石器の出土範囲が大幅に広範囲になったということが、示されたそうです。
それは、当時、最も重要だったハイテクの黒曜石の石器を、わずかな食料と交換しながら、ヒトはお互いに助け合い、生き延びることができたのではないかと、先日の、NHKドキュメンタリー「ヒューマン1回目」で、紹介されていました。
地震の活動期に入った日本列島は、いつ、なんどき、どこで、地震災害がおこっても不思議ではなくなってしまっています。
そんな時期、たんに、デパートなどからお金で商品を買うだけの消費生活だけでなく、人と人が直接対面で、モノとワザを介してつながっていくことは、いざという時の人の絆づくりの役割もはたしていくことが期待されると思います。
岡山県のジーパン工場の切れ端を、山形県中山町の穂積繊維さんから昨年もらいました。
山形市の皮工場ミドリホクヨーからは皮の残りをもらってきました。
それらを少し、杉並区のすぎなみ大人塾に持っていったところ、先日、こんなステキなバッグがつくられたのを見せていただきました。
世田谷区、山形県南陽市などの講座の方々の中でも、それぞれ独自につくられた方がいらっしゃったと思います。
モノとワザを、自分のところにととめずに、どんどん人に循環させることで、脳神経のシナプスのように、人の絆をどんどん増やしていく社会実験を、さらに加速させてみたいと思います。みなさんもいかがですか?
同じ人のつながりでも、ネット上のフェイスブックなどのつながりだけよりも、生活の豊かさ、リアルな創造を楽しめますよ。
そう言えば、奥羽山脈をはさんで、日本海側の頁岩(けつがん)でできた石器が、松島などの太平洋側の3000年くらい前の縄文の遺跡から出土していることも、交流を示しています。
当時の山形縄文人と宮城縄文人は、どんな交換と助け合いをしていたのでしょうか?
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