駄菓子屋楽校(だがしやがっこう)とは、かつての駄菓子屋とその周辺にあった、さまざまな滋養や価値を総称して名づけた造語です。
今から9年前、主に山形市内周辺の駄菓子屋をこつこつ探して訪ねて、聞き取りをしたことなどから、その様相を600頁(出版社に提出したのは、1000頁分)にまとめて世に出しました。
その後、それが完売になって、新たな版として、それをさらに350頁ほどに濃縮して出したのが、輪読会版というものです。
私の活動の基本土俵になっている一つは、ここです。ここから、私は、これからどんな社会がつくれたらいいか? といつも自問自答すると、
創造的で、楽しく、人間相互に生き生きする社会 というようなことです。もともと、これが先に頭にあり、その手がかりとして駄菓子屋という店を「発見」した、というほうがいいでしょう。
例えば、杉並区で行なっている、すぎなみ大人塾昼コースの「だがしや楽校的社会のつくり方」という成人講座では、駄菓子屋のおばあちゃんのように、自分の持ち味で手軽に店を開くことができるかという試みと、駄菓子屋のまわりでかつて群れ遊びしていた子どもたちのように、集団で創造活動を試みるコミュニティアートという二つのモジュール(まとまり)が重なり合うようにして活動することを行ないます。
これも、駄菓子屋の意味性を自分たちの都市生活の中で自分たちの状況に応じて変容させて生かすことができるだろうか、という実験です。
さて、今日も、ぶらりフィールドワークをしていたら、山形市の高瀬地区で、駄菓子屋的な店がありました。
店主の小林あさいさんは、91歳。365日店を開けて、今年で62年だそうです。
人のまねをしないで育ち、店をしたくて、子どもが2歳の時から始めたのだそうです。
話を聞いていると、近所のおばあちゃんと子どもが買いにきました。子どもにとっても、この店は、決してコンビニの店ではないでしょう。
私たちにとっても、人生を聞くことができる店です。
「みんなのおかげ様で店をしているのに、いつも感謝している」と語ってくれました。
昨日は、チュートリアルの学生と、山形巡りをし、そこでも人生を聞くことができた店や人に出会いました。きっと、それは、まち歩きイラストマップ3号に載ることでしょう。
高瀬駅の紅花は咲いていましたが、まわりの畑はまだでした。来週あたりが、紅花祭りのようです。
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