なにやらほっと心安らぐとともに、心わくわくして何か創造的なことが生まれるような、若者・大人の駄菓子屋をめざすこの部屋には、それを成り立たせるいろいろな小道具を用意しつつあります。
例えば、
山形市にあった、みそパンと駄菓子づくりのおじいさんの職人さんから以前購入した、なつかしのせんべいビン。よく見ると、ガラスは不均等にゆがみがあり、昔の手づくりのガラス製法がわかります。
今ある中身は、山形市内の飴工場で、何も着色・香料も入れずに、西川町の山葡萄原液を煮詰めたものをそのまんま飴にした山葡萄飴とそのミニチラシ、高畠町のおしどりミルクケーキ(かつて山形の子どもたちのおやつ、何もつてもない19歳の若者が明治政府にかけあって酪農地に払い下げてもらったことから始まり、日本で初めて粉ミルクをつくった。製造過程で出る残り利用を菓子にした)、チョコ、ようかん…。
駄菓子屋の教育的意義の研究により、駄菓子は子どものコミュニケーションを促進させる教材・媒介物ということが認知されてきたため、全国各地のだがしや楽校などでの活動でも、ちゃんと予算化もできるようになってきました。
ここでも、茶菓子は、コミュニケーションを円滑にする道具として置いていますが、さらに、コミュニティをつくる媒介物としての役割も学んでもらうために、いつも私だけが補充するのではなく、だれでも、このビンの中に補充していいことにしています。
全国各地から来る学生が、さきの山葡萄飴や、ミルクケーキのうんちくのように、ご当地菓子を持ち寄れば、みながたんなるお菓子を通してだけでも、日本全国の風土や企業家精神を学ぶことなどもできます。
コミュニティの基本原理は「お互い様」の関係性ですが、これは、一方的な受身で与えられるだけ、もらうだけ、教わるだけではなく、自分も参画して、相互の立場を体験することで、お互いに立場を共感することができて、信頼関係性が育まれることです。それは、体験しないと実感できません。
現在は、イギリスのスーパーにも、この原理を取り入れた、エシカル(倫理的配慮)なスーパーが注目されています。
アートの仕事づくりにも生かすことができる基本原理です。
原子力の平和利用は、大問題になっていますが、駄菓子の教育利用は、そのようなリスクも考えられず、場に応じて大いに活用されていいと思います。
ついでに、もう一つ。 ドアオープナーとして足元に置いてあるのは、頁岩(けつがん)という石です。これは、4000年前の東北の縄文人が求めていた当時のハイテク素材のレアアースです。庄内の日本海から月山までしかとれない、恐竜以前の堆積物でできた岩で、割るとガラス状になります。これで、当時の肉などを切る鋭利な石器をつくっていました。
この材質の石器は、今回被災した太平洋沿岸の縄文遺跡からも多く出土しています。ということは、すでに、縄文人が、奥羽山脈をこえて、その石の石器を手に入れていたことがわかります。一体、最初に手に入れた縄文人は、どのようにしてわかったのでしょうか? 当時の縄文人は、どのような交易をしていたのでしょうか?
この部屋は、考古学の部屋ではありません。芸術・学問・職種のすべての領域を超えて、あらゆる分野、素材、道具、人を生かして総合的に、美術・人間の創造性を開拓していく総合美術コースの研究室です。
この部屋に地球上のすべてと人類の歴史の成果をすべて取り入れるには、この部屋はそのほんの小さな一部なので、不可能です。
そこで、それをめざすには、この部屋のモノは、常に出入りして、いつも何かがだれかの活動に使われてなくなる分、新たな何かが入っているというような、新陳代謝が行なわれる必要があります。
実は、人間や生物などの生き物の基本原理は、このメタボリズムです。我々は、ほんのちいさな存在ですが、そのメタボリズムの原理によって、我々は生きていることができ、生きているということは、メタボリズムの原理によって、地球(宇宙)と人類史(生命史)を自身に取り込むことであると言えます。
この部屋もこれから生きていきます。