昨日、炎天下の中、中山町のスモモを調査に行きました。中山町商工会がつくっているスモモしょうゆのラベルデザインの依頼を受けて、スモモを観察するフィールドワークです。探索者は、総合美術3年のハルミさんとアイさんです。
スモモを栽培している青木さんの話を聞きながら、わかったことは、スモモの立地は、一番山奥。人家の近くは、モモ、次に、サクランボ、次にブドウ、その奥がスモモ。標高が高く、傾斜によって水はけがいいほうがいいのだそうです。
どうりで、東北一の生産地と言われていても、どこにスモモがあるのかわかりませんでした。
水の神の石像をこえて、山に登ったところに、一面、スモモ畑が広がっていたのです。
連休前には、ここは一面、スモモの白い花畑になるとのことです。桃源郷(桃はスモモ)です。この先をさらにのぼっていくと、かつて、「おしん」の生家があり、その近くには、オナカマさんという、青森の恐山のイタコさんと同じような、霊を呼ぶ女性が住んでいて信仰されていたところがあります。その証は、中山町の民俗資料館に展示されています。
スモモは、モモと違って、実のつき方が、サクランボのように、軸があるのが特徴で、それゆえ、すぐ落ちてしまうのだそうです。これも木になっているところを見なければ、わかりませんでした。
ついでに、青木さんの畑の頂上まで行ってみると、眼下に山形盆地が広がりました。まるで天空の果樹園という感じです。太陽が近いのか、暑さも格別。
次に、穂積さんのカーペット工場も見学させてもらいました。もともと、今回の中山町のスモモしょうゆのデザインの話は、穂積さんにメールをして、穂積さんのカーペットづくりに何らか参画できないかというきっかけからの派生です。
スモモしょうゆについては、ラベルのデザインだけでなく、箱、デザインコンペ、容器、食べ方、など、いろいろ展開がさらに広がっていく感じです。
総合美術コースの活動領域と私が担当するプロジェクトは、現在の社会で分野に分けられている領域をすべて超えて、あらゆる方面に枝葉を広げて展開していくことが特徴です。
そういう意味で、穂積さんの会社のモノづくりも、先代社長の穂積さんのお父さんが、いろいろな分野とコラボレートして、いろいろなものを共同開発するのが好きだった、ただし、売るのは苦手だった、という会社の特徴は、大きな潜在的な可能性を持っているモノづくりの現場だと直観しました。
山辺町のニット工場と共同したバッグあったり、鮭川村のスリッパ工場と共同開発したスリッパあったり、じゅうたんの麻の原糸で編んだベストあったり、お母さんがじゅうたんの糸で手編みした服があったり、カーペットの時計があったり、何とも、カーペットの多面的展開の発想トレーニングができます。
工場は、山辺町のオリエンタルカーペットで学んで創業したおじいさんが、旧帝国陸軍の教育施設(神町にあった)をそのまま移築したものだそうで、3代目の穂積さんがこれからしていきたいことは、この工場の現場に消費者に来てもらって、カーペットづくりのワークショップ体験などもしてもらい、カーペットがどのような手間でできていくのかを知ってもらって買ってもらいたい、というのが願いなのだそうです。
地元の中学生が来て、自分たちでつくったというカーペットもありました。
かつて、学生時代、私は、未来学者アルビン・トフラーが『第三の波』の中に提示した、生産者と消費者が一体になるという姿の具現化を試みようとしました。それをインターデザインと名づけて、生産者と消費者を仲介する者(その時は私がそれになろうとしました)が、それを具体的に生み出していくという試みです。その襟ネームも作ってニット工場で仲介生産販売を試みたのでした。
この試みは、学校や企業などの現代社会のしくみができた近代社会のあり方を超える、次の時代の社会づくりを実践から大構想をつくっていきたいという私の大主題の一つの試みでしたが、それは今も延々と続いています。駄菓子屋研究とだがしや楽校などの試みも、その大主題の中の実験研究の一つです。残念ながら、だがしや楽校に関心や応答があっても、インターデザインは反応なかったりと、私がめざす、次世代の社会づくりという大主題全体に丸ごと関心と共感持ってくれて、共同活動するという人は、まだ現れていません。
製造現場に市民が入り込み、製品を共同開発したり、余剰物から新たなものづくりをおこしたり、工場の営業マンの役割もしたり、消費者にもなったり、という試み。この基本原理は、人間は、元来、生産者でもあり消費者でもあり、教育者でもあり、学習者でもある、という、そもそも人間はあらゆる多面性(多重知性、重層創造性)を持っているという考えです。近代から現代にかけての社会システムでは、人間の多重性を自由にさせていくとシステム化がめんどうになるので、できるだけ、人間を一義的な役割に限定させる方向に来ています。コンビニのアルバイトは、マニュアルにある労働のみ、といったように。
穂積繊維さんの工場は、現代の経済社会からすれば、雑だったり、駄なものが多く、また、完全に現代の流通経済の中にすべて組み込まれて、他者(市民・異者)が入り込む余地がなく、また、市民に見せないものではない、半端な感じがする生産現場ゆえに、市民が参加する可能性の余地があり、新たな共同実践が生まれる未来の芽があるところでもあります。何より、その可能性の有無は、当事者の人柄が一番です。
未来の社会を生きる若い人、何かしたいと思っている人、穂積さんの工場に行ってみて、何か自分もできる手がかりがあるかどうか探索してみたいという人は、案内します。それは、単なる工場の道案内ではなく、いっしょに、みなさんの立場に寄り添い、何かができるかを考え、実際に何かを生み出す、創造的な案内者(活動を仲介して生み出す花粉媒介者、ポリネーター)です。私は自身の活動を通して、新たな人材像も創出したいと思っています。新たな社会づくりは、当然のことながら、新たな人間の活動像、新たなさまざまな様式づくりや流通ネットワークなども生み出していくことでしょう。これまでの経済システムにおける単なる卸業や小売業やサービス業ともまったく異なる人間の活動像です。
しかも、それは、現在の社会に対峙して革命による変革をおこそうというものではなく、現在の社会と共生しつつ、新たなものを生み出していくということで、これまでの社会変革の方法論とも異なります。
私は、山形に現在住んでいて、大学もここにあるので、自分が住んでいる山形で、ものづくりなどの現在や人・モノを捜し、共同活動ができそうなところを見つけていきます。そして、山形インターデザイン・ツーリズムをオプションで常時、希望者がいれば案内したいと思います。
お気軽にメールください。
穂積さんがつくった、奇妙なカーペットの一点モノのポンチョ、なかなか着心地は、頭の創造性をふわっと高めてくれるような感じです。みなさんも、この工場に来られた方は、ぜひ、来て写真をとって帰りましょう。
残り糸ももらってきましたので、杉並、世田谷の講座に再度持参していきますよ。
ついでに、宿泊したい方は? 何ともユニークな古民家がありました。それは、総合美術の学生ブログにハルカさんアイさんが紹介してくれるかもしれません。今日は、コスプレ団体が泊まるのだということでした。
普通でない旅、出会い驚き考える旅、何かを生み出す旅
ボーン・ツーリズム
「やまがたインターデザイン・ツアー」ガイド:松田道雄
問い合わせ:dagashiyamatsuda@gmail.com
みなさんの地域のボーン・ツアーをポリネートする養成講座も行なえます。
混ぜていただいている、3つの「大人の教室」が、それぞれに、何だかワクワクする感じで、進行しています。
栃木県下野市で始まっている、しもつけ大人塾では、前回、自分たちがまち歩きしたことを思い出しながら、各人各様の地図づくりを行いました。
お互いの地図を見合いながら、また、まち歩きを思い出しながら、そして、自分たちの地域をあらためて語り合いながら、…。この時間内では完成しないので、次回(9月)までに、それぞれに制作を進めてくることになりました。
さて、住民自身による「まち歩きマップ」。どんな地図ができあがるか楽しみです。目標は、何枚かコピーして、まちのどこかに置いてみること。次には、コピー代のスポンサー(協賛者)を見つけることです。
こちらは、すぎなみ大人塾。一つの部屋の中で、ショップとアートの2つのまとまり(モジュール)に分かれての活動作戦会議。ショップチームは、家電メーカーで製品のデザイン開発をなされてこられた方が、職能を、会社のためではなく、この講座で地域コミュニティづくりのために、さっそく発揮してくださりました。最初に披露してくださったのが、ご自身が、駄菓子屋を現代でとらえなおしてみたら?と考えた、雑貨屋さんのイメージ・プレゼンボードです。ここから、みな一気にアイデア談義の方向性が具体化していきました。
アートチームは、8月にある阿佐ヶ谷の七夕祭りにハリボテを出す計画づくりをしました。こちらも、各人が小麦粉粘土で作成してきた、ハリボテ案を披露して、みなでつくる造形物を決めました。さて、どんなものでしょうか?
みなで協力し合って、一つのものをつくって街中で披露する。コミュニティアートの一つの姿として実践していきます。
世田谷区の講座「人間とデザイン」のほうでは? 2回目のこの時の主題は、コミュニケーションのデザイン。大きく2つの実体験をしました。まずは、各人が持参してきたモノを介して、興味ある人が集まって語らい合う、関心のコミュニティづくり体験。
後半は、ランダムに3人組をつくって、三者関係のコミュニケーション体験。3人は最小の社会関係性。3人による話し合いは、他者への気配り、積極的な会話への参加、新たな考えを創造すること(文殊の知恵)、違いを認め合いながら合意を形成すること、など、人間社会関係に必要な体験が濃縮されています。名づけて、三角学習(『関係性はもう一つの世界をつくり出す』)。これを体験してみました。
次回は、活動を生み出していくための「発想のデザイン」です。
それぞれに、関心ある方は、どの講座も先客万来です。遠方で参加できない方は、担当者にメールで交流なされてみてください。
それぞれの地域で始まった「大人の楽校」。どんな風に、シナプス(つる)をのばして、どこにつながっていくのでしょうか?
松田道雄 dagashiyamatsuda@gmail.com
杉並区のすぎなみ大人塾の今年度3回目の光景です。各人が自分の持ち味や関心事があるモノを持参して、テーブルを囲んで、手を動かしながら、語り合うという活動です。
名づけて、ハンズイン・カフェ。ハンズオン(手でさわって、体験して)と、ハンドインハンド(手と手をつないで、連帯して)を合わせた造語です。こちらのテーブルでは、私が山形から持参したじゅうたんの糸を3人でほぐしながら、談笑されていました。
後ろで取材をされていたのは、テレビ東京(BSジャパン)の土曜日、午前11時30分〜12時25分の週刊ニュース新書での駄菓子屋を特集したニュースだそうです。あす、7月9日に出るそうです。
かつて、駄菓子屋があった時代、地域社会での大人や子どもが人間関係の絆を結ぶ活動の原理は、じっとすわって口だけ動かす会議や議論でも、だまって作業することでもなく、語りながら動く、動きながら語る という動作が基本にあったように思います。
こちらは、谷原さんが持参してくださったカードづくりに、みな熱中です。手を動かしながらも、いろいろな話題がテーブルの上のほうでは、行き交ったようです。
ハンズインカフェは盛り上がり、時間終了後も、手作り安心ハーブ虫除けスプレーの作り方講習もテーブルで行なわれました。
お互いに、自分の持ち味で他者に与えることができるモノや技の余剰分をつくること、そして分けっこすること。これが豊かな人間関係づくりの基本原理だと思うのです。
見本で1つつくられたものを、私がいただき、さっそく山形で「賢治の駄菓子屋」で使わせてもらっています。効果ありです!
さて、こちらは、山形市元木公民館で始めた、おしゃべり手芸の会3回目。こちらも、徐々に参加のみなさんに意図が浸透されてきた感じです。このテーブルでは、ニットデザイナーのとがせさんが作った大小・素材さまざまな山形県の形の編み物を見本に、制作されていました。
このテーブルでは、総合美術3年生のシオリさんが、おばさんと向かい合って、お互いの顔を描きっこ。シオリさんが絵の先生です。
こちらのテーブルでは、総合美術コース2年のミホさんの新聞紙でつくるエコバックづくり。これも大人気で、最終的にみなさんが顔をのぞかせて、作ったようです。これも、事前に、ミホさんがいろいろな形のバッグを見本で作ってきました。実用的なことを手づくりすることは、お母さん方には、特に関心が高いようですね。
手と口の集い。名称はいろいろでも、コミュニティづくり、絆づくりの手法として、大いに有効のようです。
これから、杉並区、世田谷区、栃木県下野市の三地交流も、担当者のメール交換によって始まりそうです。
かつて、高度経済成長期に、「上を向いて歩こう」という歌が大ヒットしました。
今、日本はそれと反対で、下を向いて歩くような気持ちの人がたくさんいるような状況です。
しかし、下を見ることは、悪いことではありません。自分の足元を見つめ、大地を見つめることこそ、そこに創造的な発見をするものです。
あれっと、思うことにもたくさん出会うでしょう。
上を向いて、生きる希望を抱きながら、下を向いても、生きる不思議さと楽しさを見つけていきたいものですね。ちなみに、このたんぽぽは、6月に見つけたものです。
おまけ。しゃがみこんだら、テントウムシとアブラムシにも出会いました。
先日のことです。時間がとれずに何日かぶりに「賢治の駄菓子屋」に行って様子を見てみたら、キャベツの葉がほとんどありませんでした。
よくみると、青虫がたくさん。まわりは、青虫のふんだらけ。
そこに、畑の師匠の前田さんが来て、「青虫のためにキャベツを植えているのか?」と、
「そうじゃないんだけど」と言いつつ、頭はくるくるまわり、心のどこかで奇妙な安堵感を覚えました。
まわりの草は、まったく青虫に食べられず、キャベツだけが…。
よっぽど好きなのでしょう。やがて、このまわりが蝶の楽園になる光景を思い浮かべました。
日頃、私たちが食べているキャベツは、よほど殺虫剤をかけているのでしょう。
青虫クンの絵本がありましたが、きっと、今の農家のキャベツ畑では、ありえないことなのでしょう。
丹念に青虫は割り箸などでとるしかない、と教えてもらいましたが、その時間もないボクは、結果的に青虫のために貢献したことで、自分を安心させました。
でも、青虫もボクのことをちょっとでも気遣って、少し残してほしいと思うのですが。
青虫とボクとキャベツが共生できる世界は、あるのでしょうか?
賢治の「注文の多い料理店」や、荘子の「胡蝶の夢」のような主客転倒の世界は、ちょっとのことで体験することができますよ。
駄菓子屋楽校(だがしやがっこう)とは、かつての駄菓子屋とその周辺にあった、さまざまな滋養や価値を総称して名づけた造語です。
今から9年前、主に山形市内周辺の駄菓子屋をこつこつ探して訪ねて、聞き取りをしたことなどから、その様相を600頁(出版社に提出したのは、1000頁分)にまとめて世に出しました。
その後、それが完売になって、新たな版として、それをさらに350頁ほどに濃縮して出したのが、輪読会版というものです。
私の活動の基本土俵になっている一つは、ここです。ここから、私は、これからどんな社会がつくれたらいいか? といつも自問自答すると、
創造的で、楽しく、人間相互に生き生きする社会 というようなことです。もともと、これが先に頭にあり、その手がかりとして駄菓子屋という店を「発見」した、というほうがいいでしょう。
例えば、杉並区で行なっている、すぎなみ大人塾昼コースの「だがしや楽校的社会のつくり方」という成人講座では、駄菓子屋のおばあちゃんのように、自分の持ち味で手軽に店を開くことができるかという試みと、駄菓子屋のまわりでかつて群れ遊びしていた子どもたちのように、集団で創造活動を試みるコミュニティアートという二つのモジュール(まとまり)が重なり合うようにして活動することを行ないます。
これも、駄菓子屋の意味性を自分たちの都市生活の中で自分たちの状況に応じて変容させて生かすことができるだろうか、という実験です。
さて、今日も、ぶらりフィールドワークをしていたら、山形市の高瀬地区で、駄菓子屋的な店がありました。
店主の小林あさいさんは、91歳。365日店を開けて、今年で62年だそうです。
人のまねをしないで育ち、店をしたくて、子どもが2歳の時から始めたのだそうです。
話を聞いていると、近所のおばあちゃんと子どもが買いにきました。子どもにとっても、この店は、決してコンビニの店ではないでしょう。
私たちにとっても、人生を聞くことができる店です。
「みんなのおかげ様で店をしているのに、いつも感謝している」と語ってくれました。
昨日は、チュートリアルの学生と、山形巡りをし、そこでも人生を聞くことができた店や人に出会いました。きっと、それは、まち歩きイラストマップ3号に載ることでしょう。
高瀬駅の紅花は咲いていましたが、まわりの畑はまだでした。来週あたりが、紅花祭りのようです。
戦略論という学問領域があります。おもに、企業戦略や国際関係の戦略などで用いられますが、そのもとは、戦争での戦略論から来ています。
将棋や囲碁なども、戦略論のゲームと言えます。
それは、ある目的を最も効果的に達成するための方法論と言えます。
社会活動の良し悪しも、よりすぐれた戦略の図面を頭に描くかにあります。
私のコースの担当のプロジェクトで言えば、社会のあらゆる分野に創造的な人材と活動を提供するという総合美術コースの目的をめざすことになりますが、それはこちらの都合で、社会の人々からすれば、別に、本学総合美術コースはわが身のことではありません。
そこで、相手の立場にたった目的、例えば、楽しく創造的なことづくりで相手の売り上げをあげる、それら個々の豊かさづくりの総体として、だれもが楽しく創造的に生きる社会や人生をつくる といった理想を示して、共感してくださる方と目的の実現に向かうということになります。
それゆえ、その目的のためには、一箇所だけではなく、社会はつながっているので、多面的に作戦を展開することで、相乗効果をはかって、目的に近づくことになります。
ゼロから起こして、世界や社会の歴史的ムーブメントをつくるには、そのような多面的戦略が不可欠です。
スイカドームのペイントの午後に、用意通りに別働隊(マナミさん、アヤカさん)を率いて、しめ飾りの調査と、スイカの箱をデザインする農家の調査に出向きました。
私たちのデザインの最大の強みは、依頼者の現場をフィールドワークして、その風土、特徴、思いなどをつかんで図案化し、それを生かすために、さらに他につなげて変容展開していくことです。
まずは、猪俣商事さんです。
ところが、思わぬことに直面。
コロコロと手の平でわらを転がして、なう という、見るだけだといとも簡単そうなことができないのです!(私も)
あらためて、わかったことは、素材と動作に対応した手わざの微妙な身体知の感覚です。わきで同じようにして教わっても、なかなかできません。(それですぐできたら、人間の伝統技術は不要だとも言えますが)。
名人のおばあちゃんは、はるか先にある存在です。そばでしているのですが。
まず、自分たちも技を学び、そこから、どんな発展・変容・新生のしめ飾りができるのか、まずは、今回、調査に来た2人が火曜日までにしっかり、わらをなうことができるようになって、しめ飾りメンバーに伝えてほしいと思います。
次に向かったのは、ここだけ雑草が生い茂るスイカ畑。
山の微生物菌を畑の土に入れて、除草剤を使わないスイカづくりをしているのだそうです。
草とともに共生しながら育ったスイカは、何とも甘いのだそうです。
自然のエコロジーからすれば、草を殺す薬がスイカにもいいはずはありません。まわりの草がみな殺されて自分しかいない土地よりも、草といっしょに育ったほうが、スイカにとっても健康的に違いないでしょう。
その草は、雑草ではなく、スイカとともに生きている共草。
その姿は、命がみな交響し合って生きている響生 ということばが似合うように思いました。
この地域のふるさとの山が、あの二こぶのような二つ森山。通称、荷鞍山(にくらやま)だそうです。あの山を見ながら、ここの農家の人たちは作物を育て、あの山から吹き降ろしてくる風と格闘しながら、たくましく人も作物も育ってきているのが、この土地柄だそうです。
草との響生、そのエコロジーを支えている目に見えない菌。ふるさとの山、風、そこにたくましくつると葉を広げて生きるスイカ。そして、将来の尾崎さんの夢。それらが、図案に込められた箱が、尾崎さんのスイカを入れるにふさわしい箱です。
スイカの小さな実がなっていました。毎日、尾崎さんたちは、スイカの世話ですることはいっぱいあるのだそうです。
これらの実が約3000個、実るまでが、箱のタイムリミットです。ダンボール会社を決めるところから頼まれましたので、こちらも、時間スケジュールを決めて今週から活動を始めなければなりません。
スイカドーム、しめ飾り、スイカの箱 …
これらは、どのように、これからつながって販売に向けて、さらなるアートの付加価値といっしょに、コトが生まれるか、みなさんはどんなコトを想像しますか?
豊かな想像をすることができる人が、それを具現化しようと動き出すことができます。
6月30日、前日まで心配された天気を決行して、スイカドームの制作完成の遠征に行ってきました。
3年生を中心にした先発隊は、教員3人がそれぞれ運転する大学公用車で7時出発。1年生を中心にした後続隊はバスで9時出発しました。
今日は、完成までのドームの変容を、絵本を見るように楽しんでください。プロセスを楽しむ美術館です。
尾花沢市観光課、広報課の方々が、尾花沢の豪快な花笠踊りを披露してくださいました。
にぎわいと集いの場になってきました。
炎天下の中の作業、午後4時過ぎに、制作完成しました。
この制作途中に、別働隊として、来週から展開していくプロジェクトの下調査をしてきたことについては、明日紹介します。
この地球上の中の小さな点から、どんな活動が派生していくのか、これからのお楽しみです。
このスイカドームのペイントの間、クルマで通る人もみな減速して横目で眺め、道を歩くお年寄りの方々も、足を止めて見てくれていました。おばあちゃんも、じっと見守ってくれていました。
これが街中だったら? 人の多さに比例して、人をマグネットのように引き寄せる磁場になることでしょう。
あちこちとすることがふえてきて、手足頭が追いつかなくなってきました。梅雨に雑草があっという間に伸びるようにして、することも殖えました。
その中で、合間の時間で、寝ている時間以外は、スイカドームを、どのように変容させて発展展開させていくかを、思案しています。
みなさんなら、どんなアイデアが浮かびますか?
一つの芽生えが、社会の四方八方に展開する。思案しながら、さまざまな方面に打診しています。
どんな活動が生まれていくか、楽しみにしていてください。
30日まで、さらにじっくりと熟考します。
あらゆることがらは、内容・技術・対象・場所・人・素材…などを変えていくことによって、連動しながら変容していくことができます。
この地球上のどこかで、いよいよ、本業の活動が始まりました。私の役割は、大学の中での授業を、教員・学生・内容、まるごと社会に出て、どこかで行ない、それを通して、教室の中では体験(学ぶこと)できない、社会性、応答性、共同性などをも、現場での活動を学ぶことをめざしています。
そして、その先には、学生にとっては、人生、社会人として、自分のアーツ(技芸・創造性)を仕事としても生かしていくことと、社会にとっては、創造的な新たな社会づくりの一助になることが、あります。
場所は、尾花沢市の銀山温泉へ行く1本道になるところ。
真夏の日差しの中、7人のガールズ(総合美術コース3年生、ボーイが1人でした)とアーティストの教員2人が、日が暮れるまで、ペイント作業を始めました。
下地と上部の赤塗りと調色をしてくれた、おしどりペンキ屋の西塚さんとのコラボレーション。
作業は、大学で下準備してきた切り絵を貼って、線描きから。
スイカのまわりに、たくさんの子どもたちと虫が躍動しながら戯れる構図。背後には、東北6県の地図も隠されていくようです。
各自、水分と休息ととりながらの作業は続きます。
スイカの中は、冷房の効いた休息の場所とともに、この図案をつくった各人のプレゼンの展示空間に。つまり、内部も、プロセス美術館。とともに、次なる展開の縁結びの場。スイカの枝葉が四方八方に広がるように、ここからの創造活動もまた、社会に四方八方に広げます。
「スイカの花って、どうだっけ」と筆を持っているコース長が言えば、依頼主ののり蔵さんは、ひとっ走りスイカ畑から花を探してきて。実物の観察もしながら描き続けて。
夕日の中で。色がついてくると、全体図が少しずつ想像されていきます。
銀山温泉に宿泊して、夜は、今回の尾花沢プロジェクトの面々の方々とのご対面と今後の計画の相談もしつつ、翌日の今日は雨。続きのペイントはできずに、大学に向かうことに。クルマには、スイカの箱と、わらとしめざがりをつけて、これから、スイカドーム・スイカパッケージ・しめ飾りの三位一体プロジェクトに広がっていきます。
大学に戻って、午後の授業では、1週間後の6月30日(木)に、総合美術コース1年生全員もバスで行き、総がかりで仕上げるために、3年生が1年生への報告と説明会も始めに行ないました。
6月30日、雨が降らなければ、この場所は、地球に生きる我々一員のごく一部の人たちですが、ともに集う祝祭の空間に変貌することでしょう。
わざわざでも、この場の一員に参加してみる価値はありますよ。
先客万来です。
dagashiyamatsuda@gmail.com(松田道雄:花粉媒介者)
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