2009-07-10
神田、日本橋エリア再生/CETの実験
今、東京の東神田や日本橋の下町エリアが、ギャラリーやアトリエの集積地に変貌しているのをご存知だろうか。ファッションやサブカルチャーの雑誌では、青山、六本木と並んで特集が組まれるほどになっている。僕が事務所を日本橋に移した2003年頃、ここは典型的な問屋街で、ギャラリーなど一つも存在しなかった。それから5年。なぜ街は変化したのだろうか?
最大の理由は、「Central East Tokyo(セントラル・イースト・トーキョーの略、以下 CET)」というアートイベントが起こったことだ。このイベントの最大の特徴は、街に点在する空き物件を2週間だけギャラリーにしたこと。企画をした私たちは地元の物件オーナーさんたちに、こう頼んで回った。
「一週間だけタダで貸して下さい。多くの人がアート作品と一緒に、あなたの物件を見に来ます。もしかすると、この空きビルを気に入って借りてくれる人もいるかもしれません。例えばNYでは空き物件がギャラリーになって、街が再生した例があります。僕らは東京のこのエリアで、そういう試みをやってみたいのです」
最初は驚かれたが、回を重ねる毎に協力してくれるオーナーさんも増えてきた。アーティストと物件オーナーという普通ではつながりにくい人々が、結果として街を変化させるために協力することになるのがおもしろかった。
実際、問屋街の倉庫とギャラリーは、必要とされている空間の性質が似ている。ガランとして、何もないのが重要だからだ。青山周辺でギャラリーを借りようとすれば、一週間で数十万円という額が飛んでいってしまう。若いアーティストにとっては大きな負担で、それがタダになるこのイベントの仕組みは魅力的だ。オーナーにとって自分のビルの一部を、短期間とはいえ得体の知れない人間たちに貸すことは多少心配なことだとは思うが、ただそれをきっかけに観客の誰かがその物件を気に入って、借り手が見つかるかもしれない。イベントに参加した来客者は、アート作品を見て、物件を見て、そのプロセスの中で街を体験することにもなる。それはアーティスト、オーナー、観客の三者にとってハッピー。もちろん街にとっても。
このイベントを6年間続けたことで、街はいつのまにかアートエリアとして浸透し、今ではたくさんのギャラリーが集まっている。小さな運動が街の様子を大きく変えようとしている。この仕組みは、東京だけではなく、地方都市でも援用可能なのではないかと考えている。
僕が山形に来てチャレンジしているのは、まさにこれ。
七日町でも同じような展開、そして変化が起こせないだろうか。「山形R不動産」というウェブサイトをきっかけに、新しい動きが今、始まろうとしている。