2014-04-03
ぶどう畑のレストラン
奥羽山脈を越えてからの山形新幹線の風景の美しさは、山形が豊かな農業とともにあることを気づかせてくれます。特に、置賜盆地の北縁を駆け上がる鳥上坂から見晴らす田園風景と山の斜面を覆い尽くすようなぶどう畑のビニールハウス群は印象的で、毎週東京から山形に通う車中から飽きること無く眺めています。学生たちと、この斜面の中腹に「ぶどう畑のレストラン」をセルフビルドで立ち上げ、「環境ツーリズム」の社会実験を4年前から続けています。
今、価格競争や高齢化、過疎化などによって、日本の農業は危機に瀕しています。美しい風景の中で収穫された農作物を、その環境と共に楽しむ。こういった喜びを体験として楽しめる場所を実際につくり、そこを訪れる多くの方々とその感覚を共有することが、農村および地方都市環境再生のための契機とならないか。 この地にある大学だからこそ出来る実践的な場所づくりを、進めてゆきたいと考えています。
2010-11-11
カッパドキア
学生たちとトルコのカッパドキアに行ってきました。宗教的な迫害を逃れて地下に町を造った時代は遙か昔となりましたが、今でも岩をくり抜いた穴の中に住み続けている人たちがいます。カッパドキアの冬はかなり冷え込みますが、岩や土は人々を暖かく包んでくれています。岩の中の住居は、天井は低いですが広さは十分あり、娘さんの部屋は2階にあるそうです。岩の中は蟻の巣のように多層構造になっているようです。リビングの床一面に敷き詰められた絨毯が心地よく、家族が寄り添って仲良く暮らしている雰囲気が伝わります。外から眺めると、一見、人など住んでいないただの岩山に見えますが、よく見ると、ストーブの煙突が突き出ていたり、穴にガラスがはめ込まれていたり、住居のかたちが見えてきます。地球につながった生活が脈々と継承されているのです。(カッパドキア、トルコ)
2010-11-11
建築はエネルギーを消費するものから生産するものへ
東北芸術工科大学の敷地に山形県のエコハウスが建てられた。
このエコハウスは地球温暖化と決別すべく、次世代の住宅として計画されたもの。
二酸化炭素の排出がゼロとなる住宅。そもそも、建築が二酸化炭素を排出するのはエネルギーを消費するからだ。
このエコハウスは徹底した省エネで消費する以上のエネルギーを自然のエネルギーで生産している。
壁には厚さ30cmの断熱材が入れられ、屋根には太陽光発電と大尉用熱温水器、暖房や給湯には木からつくった燃料を使う。
身近なところにある自然エネルギーを使えば建築はエネルギー自立できるのである。
建築が変われば世界を変えることもできる。
2010-06-18
足の裏で感じる
私が受け持つ1年生の授業風景の1コマです。ここは大学の裏山で一部が公園になっています。この日は裸足になったり、目を閉じたり、ゴロゴロしながら、普段鈍らせている感覚を開き、自然の様子(環境の中にある無限の情報)を感じ取ることを行いました。自分が感じたことを発表してお互いの感覚の違いを共有することも目的です。
こんな遊びのような行為も、芸工大の学生にとっては大切な学びの機会です。私たちは環境の中のほんの一部の情報にしか触れていません。それは“触れようとしていない”こちら側の態度の問題でもあります。授業のテーマは「感じる力」と「伝える力」。ものを創ることや何かを企てること、人とのコミュニケーションの基本になる力だと考えています。見方を変えると、豊かな自然が人を多感にさせてくれるとも思います。私たちは身近に豊かな学びのフィールドを持っていて幸せです。そして、ここできっとイイ感性が育っていると思います
2009-07-10
風景を読む
目の前の風景はなぜそう見えるのか? このことに、私はいつも並々ならぬ興味を抱いてしまいます。山のかたち、雨や雪の降り方、草木の種類、村や町の位置、建物のかたちや庭のつくり、人びとの暮らしぶり……どれにも当たり前では済まされない理由があると思うのです。
私は「風景の観察」を行うようになりました。風景をスケッチしながら、です。目に見えるもののそれぞれについて細かく把握ができていなければ、風景は描けません。自然、そこにあるものごとを注視する必要が生じます。知らないこと、分からないことに気づきやすくもなります。それらについては絵を描き上げてから調べ、分かったことは絵のかたわらに順に書き添えます。
そのように、場所をかたちづくる様々なものごとや、それぞれのものごとの間にある関係を、私は読み進めます。「風景を読む」ことから、私のデザインは始まります。
2009-07-10
畑を囲んで建つ郊外の小さな農家
一昨年、東京郊外に小さな農家を設計した。
住所は茨城県守谷市。一見、はるか遠くのように感じる住所だが、実際はつくばエクスプレスで秋葉原から35分でしかない。
お施主さんはごく普通のサラリーマン。定年退職まであと5年あって、都心のオフィスまで通勤しなくてはならない。定年後はがんばり過ぎない程度の農家をやってみたいと思っている。映画も観たいし、美術館にも行きたいので山奥にひっこむわけではない。都会のインフラは享受しつつ、同時に喧噪を離れた田舎の空気も味わっていたい、というわけだ。そこで選ばれたのが守谷という土地だった。
何かを犠牲にするわけでもなく、すべてをバランスよく手に入れる。その力の適当な抜け具合が心地よく見えた。極めて合理的な判断の上で、この場所が選ばれている。いつしか、僕はこんなエリアを「新しい郊外」と呼ぶようになった。それは積極的に、ある目的意識を持って住む郊外。
この家の中心は畑である。畑を取り囲むように家が建っている。土間が畑に着き出していて、収穫した野菜はまずそこに上げられる。地下を掘って引き込んだ井戸水がたっぷり出る屋外の炊事場で泥を洗い流す。土間はそのままキッチンへとつながっている。昔の農家と同じ空間構成だ。
お風呂も畑に面していて、汚れた作業着を着たまま直行。服は隣の洗濯機に投げ込んで、そのままドブン。お風呂は流行のビューバスで、自分が育てている野菜たちを一望しながら湯ぶねに浸かる。都心の夜景ではなく、昼間に緑を眺めながら入るお風呂なのだ。こんな風に、すべてに畑が中心のプランになっている。
この仕事をしながら、お施主さんに気が付かさせてもらったのが、本質的な意味の便利で心地いい生活は、どうしたら実現可能かということだった。答えは「素直さ」。自分の生活のイメージを淡々と見つめて無理せずに必要なものを選択するセンスのようなもの。田舎暮らしでもなく、リゾートでもない。日常の延長線上にも両者を満たす環境が存在している。都市と地方の中間領域、「新しい郊外」にはまだまだ魅力的な風景が広がっているのだ。
このお施主さんは、畑の一部に堆肥を溜めて肥料にしている。もちろん生ゴミもすべて肥料。エアコンは基本つけない。そのかわり風通しと断熱性には気を配った。そのどれもが特別なことではなく、畑の維持と自分たちにとっての快適さの追求という、ごく素直な必要性から導かれたものだった。僕はその「素直さ」を、そのまま素直にデザインしただけ、そしてできたのが、この「郊外の小さな農家」。
2009-07-10
オフィスと環境の新しい関係
これは昨年設計したオフィス、東京湾の運河沿いの倉庫を改造したものだ。
この場所をオフィスとして選んだのは、静岡を拠点に靴の製造及び輸入を行う「シードコーポレーション」の新ブランド「THE NATURAL SHOE STORE」。企業コンセプトは「身体に気持ちよく、環境にやさしい靴」。その思想と勝ちどきの水辺の空間はとてもマッチしているように思えたのだ。ファッションの中心からはるか離れた場所だったので、常識ではあり得ない立地。しかし社長は僕の意見を即座に理解してくれた。ここでは、いわゆるオフィスのような空間ではなく、圧倒的に居心地のいい、リビングルームのような風景をつくろうということになった。
巨大な倉庫をオフィス兼ストックとして使うにはさまざまな困難が伴う。まず空調が最大のネック。断熱もない巨大空間をまともに空調すると、とんでもない光熱費がかかる。そこで考えたのは、倉庫の中にガラスのキューブを置いて、その中だけを空調すること。もちろん、環境負荷の低い環境にしたい。無駄な空調は避けたかった。
4トントラックも出入りする幅6mの巨大なドアを開ければ、キューブの周りはほぼ屋外のような環境だ。だが床全面にフローリングを敷きつめ、裸足で歩かせることで、人は室内と認識する。内と外の中間領域をつくることで庭のようにも、巨大なリビングのようにも感じることができる。
ガラスキューブがゴロンと置かれ、そこを中心に、「水辺のテラス」や「半屋外のラウンジ」にデスクやミーティングテーブルが散在する。人々は、時に寝ころびながら、時に運河の風や陽を浴びながら仕事をすることができる。その空間はエコロジーやカンファタブルをコンセプトに掲げる企業の思想を体感させる表現媒体になっている。オフィスはメディアでもあるのだ。
そもそもオフィスって何だろう? そこは新しい発想や物事を生み出す場であり、僕たちが人生のかなりの時間を過ごす生活の場でもある。だとするならば、そこは心地良く、創造性に溢れていなければならない。
かつては、なんとなくデスクに座っていることが働く風景だったかもしれない。しかし、多様化する職種、流動化する勤務形態、コミュニケーションツールの進化、そして働くことの目的自体の変化……。それらは働き方を決定的に変化させている。働き方が変われば、その環境も変わるはず。しかしオフィスはずっと四角い単調な箱のままであり続けていた。この勝ちどきのオフィスは、そんな問題意識に対する、ある一つの解答のようなものだ。
2009-07-10
「新しい郊外」の家
昨年末、僕が房総の海辺に建てていた「房総の馬場家」(すなわち自宅)が竣工した。このプロセスは、僕の環境や身体に対する、ここ数年の意識の変化そのものだ。なぜ房総に土地を買い、住み始めようと思ったのか?
それまで、僕は賃貸派。一生、賃貸マンション暮らしでいいと思っているタイプだった。都心にフットワークよく住む、それが合理的だと信じて疑わなかった。しかし最近、都会の喧噪に20年間も曝され続け、体内に少しづつ悪いモノが蓄積されている感覚を感じ始めていた。このまま都心生活だけでいいのか? それって本当に豊かなのか? そういった危機感に近い疑問を抱き始めたのが2年前。40歳の足音が聞こえるようになったある日、東京から1時間半、外房の海辺に魅力的な場所を見つけてしまった。土地の値段は同じ時間距離の湘南の1/10~1/20程度。300m歩けばサーフィンのできるビーチが、ドーンと広がっている。
とはいえ、仕事の中心は東京。毎日通わなければいけないし、まだバリバリ働きたい。そこで気がついたのが、「新しい郊外」という概念だった。
それは仕方なく住むベッドタウンとしての郊外ではなく、積極的に目的意識をも持って住む郊外。僕の場合の目的は、海とサーフィン(引っ越しを機に始めてた)、そして自分や家族と向き合う時間。
馬場家(夫婦と子ども二人)は、房総に自宅(この家)、都心に小さなマンション(こっちが別荘)を借りて、ダブルハウス生活をしている。仕事場まで一時間半なので十分通勤圏。でも忙しいときは都心の部屋に帰る。ローンと家賃を合わせても、都心部の80~100平米のマンションを借りるのと同じくらいだ。
1月14日に、この家ができるまでのプロセスを書いた本が出版された。ちょっとした気づきから家を買ってつくるまで、それに至った家族の経緯、そして僕の考える都市論を書いてみた。特徴的なのは、土地を買ったり、家を建てたりすることに対する、謎や微妙な部分を、あえて全部書いている部分だろう。小さな設計事務所の経営者が果たしてローンが借りれるのか? それはいくら? そのためにはどうやったらいいか。土地はどうやって探し、買うのか?
また、家を建設する場合は何がポイントなのか? どうすればコストを抑えられるか。見積もりまですべて公開している。今まで、建築家も不動会社も銀行も、曖昧にしていた部分を、全部、ガラス張りにしてしまった。勢い余って、家のデザインまでガラス張りにしてしてますが・・・。
とにもかくにも、僕はここで生活を始めた。
「新しい郊外」の家
2009-07-10
神田、日本橋エリア再生/CETの実験
今、東京の東神田や日本橋の下町エリアが、ギャラリーやアトリエの集積地に変貌しているのをご存知だろうか。ファッションやサブカルチャーの雑誌では、青山、六本木と並んで特集が組まれるほどになっている。僕が事務所を日本橋に移した2003年頃、ここは典型的な問屋街で、ギャラリーなど一つも存在しなかった。それから5年。なぜ街は変化したのだろうか?
最大の理由は、「Central East Tokyo(セントラル・イースト・トーキョーの略、以下 CET)」というアートイベントが起こったことだ。このイベントの最大の特徴は、街に点在する空き物件を2週間だけギャラリーにしたこと。企画をした私たちは地元の物件オーナーさんたちに、こう頼んで回った。
「一週間だけタダで貸して下さい。多くの人がアート作品と一緒に、あなたの物件を見に来ます。もしかすると、この空きビルを気に入って借りてくれる人もいるかもしれません。例えばNYでは空き物件がギャラリーになって、街が再生した例があります。僕らは東京のこのエリアで、そういう試みをやってみたいのです」
最初は驚かれたが、回を重ねる毎に協力してくれるオーナーさんも増えてきた。アーティストと物件オーナーという普通ではつながりにくい人々が、結果として街を変化させるために協力することになるのがおもしろかった。
実際、問屋街の倉庫とギャラリーは、必要とされている空間の性質が似ている。ガランとして、何もないのが重要だからだ。青山周辺でギャラリーを借りようとすれば、一週間で数十万円という額が飛んでいってしまう。若いアーティストにとっては大きな負担で、それがタダになるこのイベントの仕組みは魅力的だ。オーナーにとって自分のビルの一部を、短期間とはいえ得体の知れない人間たちに貸すことは多少心配なことだとは思うが、ただそれをきっかけに観客の誰かがその物件を気に入って、借り手が見つかるかもしれない。イベントに参加した来客者は、アート作品を見て、物件を見て、そのプロセスの中で街を体験することにもなる。それはアーティスト、オーナー、観客の三者にとってハッピー。もちろん街にとっても。
このイベントを6年間続けたことで、街はいつのまにかアートエリアとして浸透し、今ではたくさんのギャラリーが集まっている。小さな運動が街の様子を大きく変えようとしている。この仕組みは、東京だけではなく、地方都市でも援用可能なのではないかと考えている。
僕が山形に来てチャレンジしているのは、まさにこれ。
七日町でも同じような展開、そして変化が起こせないだろうか。「山形R不動産」というウェブサイトをきっかけに、新しい動きが今、始まろうとしている。
2009-01-15
志村研究室・冬の風物詩・地産地消実験
芸工大の裏には、大きな柿の木がいくつもあります。たわわに実った柿の実は残念ながらすべて渋柿…しかし、このままでは何とももったいない!そこで、12月のとある夕方…志村研究室から高枝切り鋏と大きな袋をいくつも持ったゼミ生たちが出動!小雪降る中、100個を超える柿を収穫!みんなで皮を剥き、紐に吊るして干し柿の準備完了です!現在研究室のある建物の日陰の北と日当りよい南の端、一部は東京都心にも移送して、乾燥具合、甘みの違いなどを干し比べてみようというわけです。さくらんぼで有名なここ山形ですが、実は柿も年間12000tと県別全国ベスト10内の生産量を誇っています。干し柿は、昔甘いものが少ない時代、渋柿を干し、乾燥による渋味の除去作用を活かしたなんとも知的な保存食ですが、糖度は甘柿より高く、甘さはなんと砂糖の1.5倍とされています。
実はこれ、建築・環境デザイン学科で打ち出しているテーマの一つ「地産地消」の取り組みの一環です。昔は地元で穫れたものを地元で消費するのは当たり前でしたが、流通システムの発展により、今では日本中の産物が日本中で手に入ります。地元で完結させれば新鮮で安全なものが口に入るばかりでなく、輸送のためのCO2排出も減らせるという環境に優しい利点があります。合成甘味料や、干し柿自体もスーパーで簡単に入手できる今こそ、地元の産物を自分たちの手でつくり、味わい、自然を実感することも「環境」を見つめ直す重要な実践だと思うのです…。
(もっとも研究室としては楽しくおいしい取り組みとしても大事なのですけどね…(笑)
甘くな~れ~
サスティナブルタウンのための10の提言カード「食料」
2009-01-15
SFのような地下鉄の駅
これはスウェーデンの地下鉄の駅の一つです。SF的な空間に見えますが、よく見ると中央には天然石のベンチが連なります。駅自体が岩盤でできていて、恐らく、その石を用いたのでしょう。近年日本では、家具など北欧のデザインに人気があります。そのデザインの多くは、シンプル(飾りけや無駄がない)でエレガント(落ち着いていて気品がある)でナチュラル(素材や形が自然的)です。繊細に四季を感じたり、簡素ながら美しい建築や道具を生んできた日本人の感性に合うのでしょう。この地下鉄の駅はちょっと違いますが、現代的なテクノロジーの空間に自然の素材をふんだんに使った大胆なデザインだと思います。見かけのデザインよりも、自然とどう付き合っていくのか、現代という時代をどう生きていくのかという明確なコンセプト(理念)を北欧人が根底に持っていることを感じます。空間のデザインにも、向き合う「気持ち」や「姿勢」が大切です。それもデザインの一部だと思います。
2009-01-15
懸空寺
黄土が堆積した乾いた大地に山々が迫ります。雲崗の石窟で名高い北魏の時代、懸空寺はそんな山間の峡谷に建てられました。その名の通りまさに空に懸かる寺は何度も修復を繰り返していますが、いったい何故こんなところに建てられたのだろうかという素朴な疑問がわいてきます。寺の半分は崖面をくり貫いて造られていて、岩肌がむき出しになった内部には、極彩色の仏像が安置されています。表面の木造建築はしっかりとした造りで絶壁に差し込まれた梁材に支えられていますが、足元の床が抜け落ちたらなどと考えると、仏像たちの慈悲にすがりたくなります。清らかな心で訪れたいものです。(大同、中国)