柳川先生のチュートリアル、『放課後農芸』に参加するようになってから、
食や、それに関係することについて考えるようになりました。
人間は、人間が生きていくために、
生きている動物を殺し、
食べているということ。
私たちが食べる生き物の
と畜を仕事にしている人がいること。
その人たちが部落差別を受けていること。
肉(命)に高い・安いなど値段がつけられて
売られていること。
売られた肉の多くが、捨てられていること・・・。
他にも、当たり前だけど忘れてしまっていたこと(これを思考停止と呼ぶことも学びました)、
知らなかったことなどを、改めて考える機会を頂きました。
そして一昨日の夜、
家に帰ってから、小学二年生の弟に
「今日ご飯食べるとき、いただきますって言った?」から始まり、
今日の夜ご飯の鶏肉がどのようにして今このテーブルに乗っているのかを、
ゆっくりと、誤解や怖いイメージを受けすぎないように話しました。
すると、弟が
「『命のバトン』という本に、
今僕がいるのはお父さんとお母さんがいるからで、
そのお父さんとお母さんにもお父さんとお母さんがいて、
たっくさんのひとがいるから今の僕がいるんだって書いてあった。
そして、そのたっくさんの人が育ててくれたから、
僕は大きくなれたんだと思う。
食べられた牛や豚にも、
育ててくれたお父さん牛やお母さん豚がいた。
もし食べられなかったら、自由にいっしょに遊んでいたかも知れない。
大きくなって、お父さんお母さんになっていたかも知れない。
だから、
ありがとうって食べなきゃダメだね。
残しちゃダメだね。」
と、拙い言葉で、でも、
優しくて強い眼差しで、教えてくれました。
一昨日の柳川先生の授業で、
自分の行動で、喜んでいる人がいる反面、
悲しい思いをしている人がいるかも知れない。
もっと想像力を働かせて物事を考えていけば、
いろんなことに気づくことができる、
と教わりました。
弟には、私がいつの間にか忘れていた
想像力・優しさがあることに気づかされ、
同時に驚かされました。
涙が止まりませんでした。
アンテナを張って、真実を見る。
考えるよりも感じろ、
そして、行動しろ精神で過ごしていきたいです。
もうすぐ、夏です。
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記:コミュニティデザイン学科 1年 高橋 紫
昨日渡部萌さんと、大学の裏の岡崎さんという方を訪ねてきました。昨日作った文章ですが、載せておきます。写真もなく文章も長いのですが、目を通して色々と考えて貰えれば幸いです。 今日学裏のおじいちゃん(岡崎さんという方;以後おじいちゃん)に会いに行ってきました。自分の事を百姓特に地百姓といい、とても素晴らしく、面白くとてもえさせられる方です。今日でお会いするのは3回目なのですが、伺ってすぐこ自宅にお邪魔させてもらい、お抹茶を頂きながら一時間ほどお話させてもらいました。 沢山のお話を聞かせてもらったのですが、特に心に残ったのは、「虫も食わねー野菜を人間は食ってんだ!」というお話です。普段私達の食べている野菜に、虫のカジった後はありません。確かにハウスなどで育てられたモノであれば、虫は付かないと思うでしょうが、どんな厳重なハウスであっても土がありますから虫はいない訳が無いのです。ではなんで虫がカジったモノがないのか?それは農薬を沢山使っているからです。農薬は虫にとっては大変な毒です。でも人間は虫も食べない野菜を食べます。人間は毒の付いた野菜を買い、その野菜を食べ毒を蓄積しているのです。 では何故そんな野菜を食べるのか?もし目の前に綺麗な形のきゅうりと、ぐねぐねに曲がって虫のカジった後のあるきゅうりがあったら、99%以上の人が綺麗なきゅうりを手に取ると思います。そうして、一人ひとりが綺麗なきゅうりを選ぶから、綺麗なきゅうりが売れると言って農薬やハウスとかを使い、見た目だけなら綺麗なきゅうりを作る。農薬はいけないと知っていても、農薬を使ったモノしか市場にほぼ出回らない、それに色々文句を言う人がいる。でもその状況を作っているのは、綺麗なきゅうりを選び、買い、求める私達他ならない。 ましてや野菜に必要なのは、直射日光。ハウスでは直射日光は三分の一しか当たらない。ガラスでも半分、直射日光がそのくらいということは、野菜に含まれる栄養もその数に比例する。つまり直射日光を受けて育った野菜と同じ栄養を取るには、ハウスで作った野菜を3個食べないといけない。そうしてハウス×農薬野菜のニーズが増える。そうした現状を受け止め、一人でも多くの人にその事を知ってもらう。そうして、日本からハウス×農薬野菜を減らしていかないと、日本人の身体は弱くもろくなっていくしかないと思う。 そして日本全体がもっと食べ物に感心を持たないと、日本は滅ぶ道しか残されていないと思う。 再来週にまたお話を聞ける機会を設けてもらえたので、沢山の話しを聞き自分なりに受け止め、考え共有していきたいと思う。もう二十歳も過ぎ、人から何かをしてもらう、何かをするのにただ付いて行くのは終わりにしたい。少しずつでも、ちょっとだけでもいいので、自分からその一歩を歩みだし、走り出して行きたいと思った。
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歴史遺産学科 2年 菊池 駿貴
自然堆肥を作りたい。
大学の授業なんだから化学肥料を買ってきて使うのでは勉強にならない。
ここにある素材、例えば学食の生ごみなどで堆肥を作って畑と大学で循環を作りたい。
授業農芸でこう言った子がいました。
しかしながら、4月に入学した1年生が4月から始まる授業で使う堆肥を作るには間に合いません。
現在授業では完熟たい肥を元肥に、部分的に化成肥料を、さらに追肥でまた化成肥料使用しているのが現状です。
収量が確実に確保できて、すくすく順調に育つ化成肥料。収穫の喜びは野菜がたくさん実った方が皆で分け合えるし良いかもしれません。
でも…授業農芸の理念にはこう書いてあります。(冒頭一部抜粋)
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なぜいま東北芸術工科大学は「土を耕す」のか。
自然との対話を通して、自然の摂理を知り、
人間中心主義の驕りから覚醒するためである。
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私個人の考えとしては化成肥料の存在は人間中心主義の驕りの塊ではないかと…思っているのです。
慣行農法がいいのか、有機農業がいいのか、という議論自体は重要ではありません。
「自然との対話を通して、自然の摂理を知ること」「これまでの”当たり前”に疑問を持ち、それを問いかけにすること。」
が大切なんじゃないかなぁと思っています。
クリエイティブな大学にいる私たちは、ここで得た技術で人々を戦争に駆り立てるCMだって作れる、人の欲望を駆り立ててどんどん新しい製品を大量生産する。でも、その裏側で人が死んでいく。いらなくなった先では土に還れないモノばかり。
疑問をもたなければ、私たちはこのシステムに組み込まれていくだけです。
アートやデザイン自体には善も悪、希望も絶望もない。どう使うかは私たちの心に掛かっています。
おもいっきり話がそれましたが、
それならばと、授業外の放課後農芸で堆肥を作ろう!となったのです。
堆肥、生ごみコンポスト、緑肥、いろいろ勉強していきたいと思います。
たくましいメンバー達!!10名程で楽しく勉強していきます。
今は”常識”に対して疑問を持ち、実行している段階です。
もう一歩先、”疑問”を”問いかけ”にしていけたらと思います。
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記:農芸ファシリテーター 飯塚 咲季