今年の1月末のこと。アパートのポストになにやら大きな封筒が入っていました。
私への宛名のとなりに「放課後農芸みんなの本棚係」と書いてあるので何かと思って開けてみたら、
それはそれはすてきなお届けものだったのです。
そこに入っていたのは、二冊の本と一枚の手紙。
思いもよらず送り主は私の高校時代の先生。
手紙には、「農芸のブログを読んで、感動のあまり本を二冊寄贈します。」と書いてありました。
三木成夫さんという解剖学者の著書『内蔵とこころ』と『胎児の世界』の二冊。
先生の人生を変えた恩師であるという三木成夫さん。
大切なものを次の世代に伝えたいと農芸メンバーへ本を送ってくれたのでした。
みんなで読んで感想を載せていこうと思います。
“生命の主人公は、あくまでも食と性を営む内臓系で、感覚と運動にたずさわる体壁系は、文字通り手足に過ぎない。ところが私どもの日常を振り返ってみますと、目に付きやすい体壁系にばかり注意が注がれ、いわば前端の顔しか見せない内臓系のほうは、ついおろそかにされているのが現状のようです。”
p.87「”はらわた”を見直す」
–解剖学では人間の感覚器官を以下二つのように分ける。
体壁系…手足や脳、目や耳など体の外側を造っている部分
内臓系…体の中、“はらわた”の部分
体壁系を象徴する脳、内臓系を象徴する心臓。それらは、考える「あたま」と感じる「こころ」、人間の精神を支える2つのものとも重なります。
はらわたとこころが関係付くと、おもしろいことが見えてきます。
食と性のはらわたのうねりは時の移ろいを感じさせ、私たちは様々な事を思うわけです。
興味のある方はぜひ読んでください。情報量が多くて、話が具体的で、とてもおもしろく勉強になります。
そしてわたしは一度では理解しきれませんでした。
自分のあたまで考えて行動しているようでいて、生きている以上すべて影響を受け続けている私たちは、頭ばかりでなくてもっとはらわたの感覚を大事にした方が良くないか
ということだと私はこの本を読みました。
たくさんの言葉や説明、事柄を求められる世の中で、
もちろん相手に伝えることはとても大事なことだけれど、
言葉が重視されすぎると、言葉が完成したときにはもう本当に伝えたい感覚は忘れてしまっているかもしれない。
すてきで整えられた言葉はたくさんあるけれど、
それ以前のその人の生身の部分に触れられるような、きれいじゃなくても、かたよっていても、そのままのことを聞きたくなる。
言葉は仮の姿で、その向こうの世界に触れられたときに言葉は意味を持つ。
動機や説明、行動するとき理論が先立たなくてはいけないような気がするけど、大事なのは自分の感覚。
それは自分でしか判断のできないこと。
判断を何かに頼ってばかりいるとはらわたの感覚が衰えてしまいそうです。
ほんとうに充実した気持ちのとき、おなかがあたたかくなるのを最近感じます。
はらわたの感覚に正直になったら、きっともっと楽でたのしい。
「内臓とこころ」次の人に渡します。
記:渡部萌