うんどう

東北芸術工科大学の柳川郁生の周りで展開する『うんどう』のブログです。
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2011-05-22

つぶやきカルテ(5月19日)

つぶやきカルテ2011(5月19日)


 なんだか‘つぶやき’も気が重くなってきました。

 それはお母さんたちのまなざしがかなり深くなってきたので、『まなざしカルテ』を読むだけでも大変になってきました。

 嬉しいことですネ♡
 ということでお母さんたちのまなざしの深まりとともに、
また長ブログになりそうですがつぶやきます。

1.どんなことをしていましたか(子)

 お母さんたちが“ツクリテ”となって準備したそれぞれのデバイスの“母の願い”を
柳川郁生の解釈で綴ってみたいと思います。


 坂道をかけあがってジャンプです。

 ここを畳にしたのは「支え」て登ってほしいという願い、そしてジャンプはフワッと「跳び上がる」感覚を感じてほしいということだったとまきこさんがコメントしてくれました。


 傾斜が緩かったのでみんな駆けあがっていましたが、それだけみんなが勢いをもって動けるということですよね。

 次回はそれに負けないようなデバイスを……ですネ。


 ここは高〜くジャンプですネ。


 高いところから跳び下りているうちに、膝を柔らかく使った‘弾むような受けとめ’ができるようになってきます。

 その受け止めが弾むこと(ジャンプ)に影響を与えたりします。

 またフワッと着地をするためにはフワッと空中へ高く跳びだす必要もあります。そ〜っと下りることではなく、一度からだ全体を高〜く引き上げることが柔らかな着地を先どりさせることが段々と理解できてくるはずです。


 それからこの台に上るときのこの「支え」も大事です。

 グッと自分の手のひらと肩の上にからだがしっかりとのる感覚がつくられていきます。


 かずよさんが、しのちゃんの発言をきっかけにここでの3つのジャンプの感覚の違いについて発見をしていました。
 タン、タン、タンとジャンプをくりかえす中で、一つ一つのジャンプが違うことに気づき、それをうまく気持ちのよいものへとつなげていく“動感志向体験”の出現です。

 自分の感覚を発見し、その感覚を運動に結びつけて新たな運動感覚を発生させる。それが“動感志向体験”というものであり、この運動の感覚を発見することができるようになった力ができなかったことをできるようにしてくれたりします。


 するとこの開脚跳びでのしっかりと「支える」感覚が生まれてくるのです。

 跳び箱を跳ぶには脚力や腕の力が最も必要なのではなく、このフワッと自分のおしりが自然と浮き上がってくるような感覚を心地よく感じられることが大事です。


 だからそのことを知った子どもは、自分なりの目標に向かってコツコツと取り組めるようになってくるのでしょうね。

2.どんなこと(関わり)をしていましたか(母)

 いろいろと子どもたちとの関係づくりに困っているお母さんもいるみたいですね。

 でもまずはそこに気づき、そこを意識できることがいいんでしょうね。

 私だって悪い父親の部分は気づかないふりをしているかもしれません。というよりだれも忠告してくれないので、気づいていないかもしれません。

 でも運動学の中では、なにか違うことに気づく“違和感”というものもとても重要な運動を感じとる感性の初期段階としてとらえています。

 そういう意味では大切ですネ。

 そしていろんな対応に困りながらもお母さんたちは子どもたちの気持ちを少しずつ理解していっている様子がこの「まなざしカルテ」を読んでいると伝わってきます。

 そしてさらに子どもたちが育ち、子どもたちの運動に変化が生まれると、お母さんたちの気持ちが広がり、お母さんたちの理解も深まっていきます。

 なんだかお母さんが子どもを育てているんだか、子どもがお母さんを育てているんだか、そんな感じって普通にありますよね。

 私も自分の子どもと接していて「恐れ入りました」「勉強になります」なんて言いたくなる時ってよくありますから。

3.運動面において気づいたこと、変化はありましたか

 子どもたちがどんどんやりたいことを伝えてくれるようになったようです。

 これはきっとお母さんたちの聞きだす力でもあると思いますが、“うんどう”に対する志向の感性がじわじわと生まれてきたからだと思います。

 それから「お母さん見てて」とか、「先生見て」なんていう子どもたちの声が増えてきました。これは自分の中で運動の志向性が“図式化の位相”に近づき、自分自身の有能感を感じとれるようになってきた証なのかもしれません。

 ですからお母さんたちは、しっかりと承認してあげてください。「うん、うん♡」「お!スゴイね!」って感じで……

 そしてまだ図式化できない(見つからない)運動の感覚はそっとしておいてあげてもいいのではないでしょうか。まだ子どもたちの中に認めてほしい、分かってほしいという気持ちが発生していないということですから。

 でもそんな時、こっそりとお母さんがその感覚を先に味見しておいてあげることも大事だと思います。

 こんなふうにやるとできそうで、こんなふうにできるとこんな気持ちよさがあって、なんてことをお母さんが先に知っていると、子どもたちの運動感覚のよき理解者になれますよ。

 美味しそうなケーキをこっそり味見しておいて、それを食べた子どもが思わずまん丸の目をしたときに「でしょ〜♡」って感じで共感してあげるってことでしょうか。……わかります?
 
 ぜひぜひ余裕のあるお母さんは自分でも“うんどう”してみてください。
4.次回のオフィスアワーに向けて


 ふみこさんのコメントに共感です。

『まだ半分は<たいようさん>でもいいと思うよ』

 そうです、今日から<だいち組>なんて単なる暦の一方的な見方ですよね。

 ですから<ほし組>のお母さん、子どもたちだけでなく、お母さんたちもまだ<ほし>でいいってことですよネ。

 きっとやがて1年たつと<たいよう組>のお母さんになり、2年たつと<だいち組>のお母さんになるのだと思います。

 そんなふうに優しく考えながら、子どもたちにまなざしを向けて、書いてみて、考えてみて、そして試してみてください。

 そんななかでおもしろいことを発見できたりすると、またなんか想像力が膨らんできます。

 たとえば今回はまきこさんと子どもたちの跳び箱の様子を見ていてふと気づいたのが、開脚跳びができる子は口がキュッと閉じていて、かがりちゃんの口はとび箱が近づいてくるととっても楽しそうに開いてきます。

 とび箱が楽しいという気持ちがあらわれていていいなあと思ったので、そこをいじるのはもう少し様子を見てからにしようと思いました。

 そしてしばらくしてまきこさんかがりちゃんにそれを伝えると 

 跳べちゃいました。

 口を開けたまま肘と肩でからだを支える感覚と、キュッと閉じて支える感覚を想像してみてください。

 自分のからだの中の感覚で想像してみるのです。

 そうするとなにかうんどうの新しい感覚が“創造”できてきませんか?

 そんなことを試してみるのが、運動を伝える楽しさです。

 教えるのではなく、伝える、だから見守る、
それが“まなざし”です。

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